今日は柳寛順(ユ=グァンスン)烈士史跡地の見学です。
前日と同じ400番のバスに乗りましたが、終点まで行っても「ユ=グァンスン」というアナウンスが聞こえません。どう見ても郊外の町でおしまいで途方に暮れるわたくしに運転手さんが「オディヨー?(何処に行くんだ?)」と聞きます。観光センターでもらった柳寛順烈士史跡地のパンフを見せますと運転手さん、そのまま乗っていろと言って(たぶん)、バスを走らせました。本当は終点から1kmくらい歩いて、烈士通りを通るんでしょうが、たきがははずるっこさせてもらって、柳寛順烈士史跡地の駐車場まで連れていってもらいました。カムサハムニダ!
柳寛順さんについて簡単な経歴を紹介しますと、天安市出身のお嬢さんで、ソウルの名門女子校・梨花(イファ)女子大学校の学生さんでもありました。しかし1919年の3・1万歳運動で学校が休校となり、故郷に帰った彼女は故郷でも万歳運動を企画、主導します。4月1日に天安(チョナン)市のアウネ市場で行われたデモには近隣では最多の3000人が参加しました。しかし、日本軍は武器も持たない平和的なデモに発砲し、柳寛順さんのご両親も含めて50人近くが死傷させられた上、主導者として柳寛順さんは憲兵に捕まり、懲役5年を宣告され、先日見学した西大門(ソデムン)刑務所に送られます。
わりと知られているのはこの時に撮られた写真です。眉も凛々しいお嬢さんだなぁと思いましたが憲兵による拷問とか受けていると思うと固く結ばれた口元に意志の強さも見え、弱気なところなんか見せないと思える強気な態度もうかがわれ、その壮絶な死とともに強く印象に残るのでした。
翌1920年、柳寛順さんは3・1運動の1周年記念を祝って監獄内で独立万歳運動を展開しますが、このために拷問を受け、9月28日に18歳の短い生涯を閉じたのです。
入り口にあった記念碑。
その後、記念館を見学し、追慕閣、殉国者追慕閣、記念公園と廻りましたが、烽火台(アウネ市場での独立万歳運動の実施を報せた)と招魂墓への行き方がわかりません。天安市の観光地図を見たところ、生家もちと離れたところにあるようです。観光案内所で訊ねたところ、受付のお姉さんが一緒に付き添ってくれまして、1時間ほど歩きました。カムサハムニダ!
バスで天安駅前に戻り、お昼を食べましたが、天安名物だというクルミ饅頭(ホドゥグァジャ)を食べましたが、最小でも20個入りしか売ってないのは何とかしてください…
翌日はソウルに移動して、今度こそ、DMZ行きと板門店行きのツアーに予約せねば…。←遅いよ!
[0回]
PR