前田哲男著。朝日新聞社刊。
副題が「ゲルニカ−重慶−広島への軌跡」とありますように、かなり重慶爆撃について詳細に書かれた本です。先日読んだ「
諸士乱想」でこの本が紹介されたので読んでみました。
重慶爆撃というのは、日中戦争当時、首都であった南京を落とされた中華民国が四川省の都市、重慶を戦時首都に定めたことで、日中戦争の早期決着を願う日本軍が爆撃機を主体にした飛行機部隊によって爆弾や焼夷弾をばらまくことにより、中国の国民や政府に厭戦気分を味わわせることで降伏させようとして果たせなかった一連の作戦を指します。
わしは大昔、「上海1945(森川久美著)」という漫画で日本軍が重慶に爆撃したことは知っていたのですが(登場人物の一人が「重慶で家族を亡くして云々」という会話があったので)、ゲルニカに始まり、重慶を経過して、後に日本中の都市にブーメランのように帰ってきた空襲と、広島・長崎に落とされた原爆でほぼ完成形となった戦略爆撃という思想が、まさに日本によって作られたものだとは知りませんでした。
つまり、重慶の延長にドレスデンの大空襲があり、東京大空襲があり、広島と長崎への原爆投下があったということを知りませんでした。
ですので、3月10日を「東京大空襲」の日としてその被害を悼むのならば、そもそも、その始まりとなった、そして、国家全体としては日本以上の被害を負わせた中国市民への悼みも同等以上になければならず、ただその規模をもって「史上最大の大量虐殺」と言う口の半分でも、重慶で、中国各地で、東南アジアの各国で日本が殺した人びとへ哀悼の意を表し、謝罪しなければ、東京や日本全国の各都市の被害だけを言っているだけでは足りないのではないかという著者の考え方にはまったく共感するのでありました。
そして、著者ははっきりとドイツに対しては夜間無差別爆撃を行わなかったアメリカが、日本に対しては躊躇うことなく無差別爆撃を行ったことを人種差別だと書いているのですが、その遠因に、重慶でのアメリカ人が見た日本軍による無差別爆撃もあったろうと書いてあり、重慶のことを語らずして東京や広島・長崎のことを語ることはできないのだなぁとも思いました。
その一方で、国共合作として毛沢東の指示で延安から蒋介石の都、重慶にやってきた共産党の代表、周恩来さんの格好良さにめろめろですv(←根がミーハーなもんで)
あと、「アジアの戦争」でわしのハートを射抜いてくれたエドガー=スノー氏の、重慶爆撃では中国は降伏しないという推察の鋭さなんかも良かったです。
ここ最近、ずいぶん朝鮮半島ばかりに目を向けていたので、久々に中国に目が向いてしまいました。
現在の重慶市はこの当時のような2つの河に挟まれた半島とその沿岸周辺だけじゃなく、もっと広い(北海道くらい)面積の大都市に発展してまして、山城市の面影はあんまりありませんでしたが、重慶も行ってみたいものだなぁと俄然、興味津々です。
あと、わしの評価が低い「
第三の男」が、戦略爆撃のように加害者と被害者が視線を決して交わらせることがない現代の戦争を体現しているというエピローグは目から鱗でした。おお、そういう見方があったとは。チャップリンの「殺人狂時代」はわしも見たことがありまして、「一人殺せば犯罪者、100人殺せば英雄」というのは有名ですが、「第三の男」でもハリーの犯した犯罪が被害者を直接見ていない、それはすなわち、戦略爆撃に等しいという構造はなるほどと思いまして、そのうちに機会があったら見直すかもしれません。
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