監督:関川秀雄
音楽:伊福部昭
出演:北川教諭(岡田英次)、米原教諭(月丘夢路)、母(山田五十鈴)、遠藤・父(加藤嘉)、ほか
見たところ:藤沢市民会館
1953年、日本
たきがはも原爆物はいろいろと文献を読んだり、漫画を読んだり、映画を見たりしております。のですが、こちらの映画は初めてだったので、劇場での公開が困難だったという話も新聞で読んで、藤沢で一日だけ上映されるという記事が載ったので見に行きました。
そしてら、到着したのが上映10分前と遅かったせいもあるのですが、すでに満席状態で当日券もないと言われ、それでも諦めきれずにロビーにいたら、そのうちに「立ち見で良かったら」と声がかかったので無事に見ることができました。
始まる前に、この映画を世界中で上映するという意図をもって作られたというDVDを見させられ、広島の被爆者団体の代表者の方や、朝鮮人の被爆者の代表の方、立命館大学の平和ミュージアムの館長さん、広島の平和センターの代表でなぜかアメリカ人の方のインタビューを聞きましたが、立命館大学の人以外は、別にこの映画に関係することも話していなかったような… 音声が悪くて聞き取りづらかったってのもあるんですけど。
で、やっと本編に入り(その前に挨拶もありましたが)、2時間半立ちん坊と脅されていたのですが、映画自体は2時間もありませんでした。
広島市内のとある高校で、授業中、一人の女生徒が倒れる。彼女は被爆者であり、白血病を発症したのだ。その後、クラスのなかで原爆について話し合われるが、被曝した生徒たちは日本人が原爆の被害について知らず、何より、同じクラスの生徒たちに知ってもらいたいと話す。白血病に倒れた女生徒は、1945年8月6日の朝のことを思い出していた…。
ええ、映画のなかでの出来事は全て原作『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(長田新編纂)から取られており、実話だそうなんですが、
・エピソードの羅列で、どれも同じくらいの重さで描かれるため、結果的に監督がどこを訴えたいのかが薄い。
・音楽が賑やかすぎて、せっかく被曝した一中生が校歌を唄っているシーンが台無しに。
・もともと、たきがはは悲しいシーンで音楽を流すのは大嫌い。
・映像の力、俳優の演技に訴えさせず、音楽で「ここは悲しいシーンなのだ」と逃げ道を作っているからと気づいた。
・むしろ原爆を受けた広島の被害は、どんなに凝ったセット、凝ったメイクにしても本物には遠く及ばないのだから、被害者のうめき声と泣き声、火事の様子など、実際にあったであろう音や声だけにした方がよほど緊迫感が増すと思った。
・最初はとある高校から始まり、北川先生が中心かな〜と思ってみていると、白血病で倒れた女生徒の回想シーンに移り、途中から遠藤・父の比重がやたらに上がり、結果、そのまま現代(1952年)に戻ったところで遠藤くんがほぼ主人公のような扱いになり、どうもポイントが絞り切れていない。
などなどの理由により、回想シーンは確かに迫力があったんだけど、わしも平和記念資料館とか本などでいろいろと見ているので、すみません、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、それほどのインパクトはなく、上記のように途中で視点が被爆者全体から遠藤くんに移ったところも印象が悪く、その前に被曝した人たちがいろいろと登場するシーンでは音楽がじゃかじゃかかかって、すでに「駄目だこりゃ(CVいかりや長介)」状態に陥っていたもので、1953年という時代にこういう映画を作った歴史的な価値はそれは高いものであろうし、それは後の映画には考えられないような苦労もあったろうと思うのだけれども、肝心のドラマ部分の演出が陳腐で、この時代、「東京物語」が公開され、黒澤監督は前年に「生きる」を撮っていたのだから、悪いがこの映画、ドラマ部分はどうにも弱いなと思わざるを得なかったのでありました。
むしろ新藤兼人監督が同じ原作で『原爆の子』を撮っているというので(Wikipediaを見ると、製作が真っ二つに分かれて、同じ原作で2本の映画を撮ったらしいです)、そっちの出来が気になりますし、舞台は長崎と異なりますが、永井隆博士一家に焦点を絞った(原作が永井隆博士の「この子を残して」なんだから当然ちゃ当然ですが)「
この子を残して」の方が、訴える力はずっと大きいと思うのでした。
1953年にこの映画を撮ったという重みは、いまの時代のわしには計り知れないものがあるのかもしれません。ただ、その点をさっ引いて1本の映画として見た時、残念ながら、それ以上の価値はないな、というのがわしの正直な感想であります。
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