監督:熊井啓
音楽:松村禎三
原作:武田泰淳
出演:校長・船長2役(三國連太郎)、西川(奥田瑛二)、八蔵(田中邦衛)、五助(杉本哲太)、裁判長(笠智衆)、検察官(井川比佐志)、作家(内藤武敏)、ほか
実話をもとに書かれた武田泰淳の小説を映画化。1944年に北海道の知床半島で起きた食人事件を題材に、人間の原罪を問うたような映画(だと思う)。
1992年、作家のわたしは北海道の知床半島を訪ね、現地の校長にひかりごけのある洞窟に案内してもらう。しかし、その洞窟は、戦中に食人事件が起きた場所であり、その資料を見せてもらったわたしは、そこで起きた事件について、想像を巡らせてゆくのだった。
1943年真冬の北海道。根室を発った軍用船が知床半島沖で座礁し、乗員4人が洞窟にたどり着いた。しかし、人里は遠く、食糧もないまま、4人は次第に弱っていき、ついに死者が出る。最初の死者、五助を海に流して埋葬しようと主張する八蔵と、生き延びるために食べようと主張する船長。それから3ヶ月後、ただ一人生き延びた船長は、羅臼の町にたどり着くが、食人の罪で裁判にかけられるのだった。
いや、芸達者な人を揃えたなぁと思って冒頭のキャストを見ておりましたが、三國連太郎には負けるね。この人、恐いよ。最初に五助の肉を食べる時、無表情で、むしゃむしゃと口を動かしているさまは、きっと鶏肉か何かを食べてるんだろうけど、何かほんとに人肉食ってるみたいな怖さがあるよ。鬼気迫る演技とは、こういうことは言うんだろうと思います。
でも、ラスト、裁判にかけられた船長の背後に、タイトルにあるひかりごけのような光が、後光のようにぼーっと浮かび上がるわけですよ。それは、「人を食べたことも食べられたこともない人にしか見えない」(確か、人肉を食べてないだけではなかったかと思ったのですが、うろ覚え)ものだと、死んだ八蔵が言って、八蔵は西川の背後にその光を認めるのです。それで脅えた西川が、八蔵も死んで、当然、2人で食べてるはずなんだけど、自分は船長に食べられたくないと言って海に身投げしようとするのを船長が止めようとして…という話になるのですが、逆に、この光は「人肉を食べたか食べられた人には見えない」のだと言う。
船長に見えるのは当然として、でも、その光が裁判長や検察官や弁護人や、はては船長の罪を責める傍聴人(3人の遺族)にまであるのはどういうわけなんでしょうか?
音楽がまた不気味さを演出するのに一役買っており、印象深かったです。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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