山本周五郎著。新潮社文庫刊。全2巻。
江戸時代後期。浄瑠璃に新しいふしを作り出そうともがく若き浄瑠璃師・中藤沖也の生涯を描いて、文学・芸術のあり方を求めた長編小説。
新しい浄瑠璃を作り出そうというのだから、沖也が幾度も失敗し、悩み、もがき、苦しむのはありなのかもしれないのですが、終盤、金沢で、やっと会えた興行師にふしを聞かせようとして、酒に逃げてしまう辺りの展開はずーっと失敗続きだったなかで、これだけが沖也自身の弱さから来るようで、ちと興醒めな気がしました。
しかし、そうして失敗して失敗して、なかなか新しいふしを作り出せない沖也に、たった一人の、しかも最高の理解者であるおけいは「できあがってしまったら、いろいろな人が沖也ぶしを汚してしまうでしょ。それならば失敗して、あなたの胸の中にある方がいい」とまで言ってのけるんですから、作中で2人だけが感じているように、もしかしたら、前世で2人は1人だったのかもしれず、これだけの理解者がいるのならば、沖也という人は幸せであったに違いないとも思えるのでした。
ラスト、沖也は「支度ができた」と言って死んでしまい、見送ったおけいも「あの人が死んだことで自分の人生も終わったのだ」と言い切ります。そんな、自分の人生をも変えうるものに出会えたおけいは、それでも幸せであったのだと思いました。
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