監督:ヴィクター=フレミング
出演:レット=バトラー(クラーク=ゲーブル)、スカーレット=オハラ(ヴィヴィアン=リー)、メラニー=ウィルクス(オリビア=デハビランド)、アシュレー=ウィルクス(レスリー=ハワード)、ジェラルド=オハラ(トーマス=ミッチェル)、マミー(ハティ=マクダニエル)、ミード医師(ハリー=ダベンポート)、ほか
音楽:マックス=スタイナー
原作:マーガレット=ミッチェル
1939年、アメリカ
見たところ:川喜多映画記念館
何度も見ていて、筋も覚えているけど、見るたんびに感動するハリウッド映画史上最高傑作です。異論は認めません。
やはり、わしがスカーレット&レット派なのは、ままの影響だと思いますが、今回はメラニーの聖女ぶりもしみじみと堪能しました。もうね、この人、菩薩かなんかに見えてきました。それぐらい、作中の誰からも愛されているメラニーは、まさにヒロイン・スカーレットの対局にいる人物です。ただ、もうちょっとましな人だと思っていたスカーレットの思い人アシュレーは、レットに比べると断然魅力がなく、愛するメラニーを「夢だ」と言ってしまう辺り、なんとも頼り甲斐もなく、やっぱりスカーレットが万が一、アシュレーと結ばれることがあっても、1年も経たないうちに彼に飽いてしまうのではないかな〜と思いました。真面目さだけが取り柄の、正直、つまらん男だなぁと思ったり…
そして、スカーレットが結ばれるなら、断然こっち!なレットも、2/3を過ぎた辺りから、だんだんスカーレットに冷淡になっていき、皮肉なことに、その頃にはスカーレットの方がレットを愛しているわオーラを発散しまくっているのに、それに冷笑で返すような感じになってしまっており、物語の序盤で新婚数日で寡婦になったスカーレットにダンスを申し込んだ時の輝き、スカーレットとメラニーがアトランタから脱出するのを助けた時の侠気はまるでなく、2人目の子を妊娠中に事故で失い(しかも責任はかなりレットにある)、娘さえも失って、ついにはメラニーさえも失ったスカーレットから去っていくところなんかは、レットさえもスカーレットを支えられんのかとがっかりしたくらいでした。
それぐらい、わしとままとはこのヒロイン、自己中で利己的でがむしゃらで高慢で、でも何度でも立ち直る強さと本当のかわいらしさを持つスカーレット=オハラが大好きなわけでして、ラスト、全てを失ったスカーレットがタラに戻ろうと決意し、「タラに戻ってから、レットを取り戻す方法を考えよう」と言って終わるラストに至っては、絶対にスカーレットの元にレットは戻ってくるというハッピーエンドで意見は一致したのでした(続編も一応書かれたようなんですが、2人ともそもそもの原作からして未読)。
メイン・テーマの使いどころも素晴らしく、スカーレットの強さと弱さを励まし、支え、また愛おしく見守っているようで、まさに映画の中の映画を堪能しました。
個人的には、この後でかかる「情婦(主演:マレーネ=ディートリヒ)」も見たかったのですが、平日の昼間なため、泣く泣く断念。あとは強力に見たいラインナップではないので(ままの好きなジョン=ウェインも1本もないし。卒業、ローマの休日、シャレード、E.T、ドクトル・ジバコ、大いなる西部など)、しばらくは行きそうにありませんが、またそのうちにチェックしてみたい映画館でありました。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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