土本典昭監督。
熊本での裁判が終わり、水俣病患者さんたちはチッソ本社に乗り込む。1973年、3月20日。その攻防を収録。
1600〜1800万円の賠償金を払えと命じた判決。けれど、1970年代当時の物価で、25年ぐらいしか暮らせる金額ではないと患者の一人、浜元さんが言っていた。それも物価が上昇しないでと仮定してのことなので、1980年代末に訪れたバブル等を思えば、決して十分な額でないことがわかる。だから、一生を補償しろと患者さんたちはチッソに訴えた。でも、チッソは、この期に及んでものらりくらりとかわし、なお、値切ろうとする。そのずるさ。
「金はいらん。親がほしい。子どもがほしい」と絶叫する浜元フミヨさん。ご両親は劇症型の患者さんで相次いで亡くなられ、お母さんを看病していた浜元さんは、2度の結婚する機会を逃してしまったそうだ。その無念さ。
不自由な口で訴える人びとと、あくまで逃げようとするチッソ。戦いはついに終わらず、患者さんたちはそのまま本社に泊まり込むことになる。
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