出演:ジョン・バーナード=ブックス(ジョン=ウェイン)、ボンド=ロジャース(ローレン=バコール)、ホーンステラ−医師(ジェームズ=スチュアート)、ほか
ジョン=ウェインの遺作。それを意識したわけではないのだろうが、ブックスが癌に冒されていて余命いくばくもないという設定が、ジョン=ウェイン自身にだぶって、見ていて何ともせつない。さらに、20世紀初頭という舞台設定も、ジョン=ウェインが長年演じてきたガンマンたちの時代の終わりでもあり、そういう意味でも邦題は「ラスト」とつけたのだろうと思うと、ますますせつなくなる。ブックスが信頼する医師に「
リバティ・バランスを撃った男」でも共演したジェームズ=スチュアート氏、お相手に息の長い女優ローレン=バコールさんというキャスティングは、せめてもの気遣いだったのだろうか。
最後のガンマンとして有名なJ.B.ブックスがカーソン・シティーにやってきた。しかし彼は癌に冒されており、余命いくばくもなく、この町で最期の時を静かに迎えるつもりでいた。だが、下宿の息子ギロムから、ブックスが町に滞在しているという話は町中に伝わり、さらにブックスを追い出そうとした保安官から、彼の余命が数ヶ月しかないと知られてしまう。ブックスの死を、生を、様々な人びとが利用しようとするなか、下宿の女主人ボンド=ロジャースは、ブックスの最期に人間らしいつきあいをもたらすのだった。
30人も殺したと言われるガンマン、ブックス。その存在は国中で有名なものでした。最初、偽名を使ったブックスが自分の家に下宿していると知ったギロムは浮かれますが、ブックスの存在が時代遅れとして扱われるなか、次第に彼に尊敬の眼差しを向けるようになっていきます。
確かに、ブックスのような存在はカーソン・シティーのような小さな町には一大ニュースであり、大迷惑であったかもしれませんが、彼はただ静かに死にたかっただけなのです。そしてカーソン・シティーを選んだのは、信頼している医師がいるため。
けれど、新聞記者を初めとして、愛人、葬儀屋、保安官までがブックスの死を利用しようと近づくさまは、醜く、その大部分はブックスの生き様が招いた顛末ではあるのかもしれないけれど、人間には誰でも、静かに死を迎える権利があるのではないかと思いました。
どんな凶悪犯でも、自分の死は自分のものであるのではないかと、それを赤の他人が利用することは許されないのではないかと思いました。
吹き替えが納谷五郎さんだったんですけど、ずーっと小林昭二さんで聞き慣れてきたもんで、違和感ばりばり。この方、最初のうちは母曰く「上品すぎる」感じで、ジョン=ウェイン演ずる荒くれガンマンにしては何かお行儀がいいなぁって印象があったんですけど、無理に荒っぽくしてる感じがあって聞きにくかったなぁ。まぁ、吹き替えですから、当人の声で聞くのがいちばんええんやけどね。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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