鎌仲ひとみ監督。
青森県六ヶ所村に建設された核燃料再処理工場。それが動き出せば150mの高さの煙突から周辺にまき散らされる粉塵は放射能を含んで、静かに静かに汚染が進んでいくだろう。2004年の春から始まって、ウラン試験の実施、再処理工場に翻弄される地元の人びと、反対する人びと、工場から50km風下の十和田市の人びとや、事故で閉鎖が決まったイギリス、セラフィールド再処理工場のこと、水俣病にまつわる映画をたくさん録り、この六ヶ所村のことにも注目していたという土本典昭さんなどの映像を交えて、六ヶ所村の2年間を追う。
最初、「アレクセイと泉」と似た話だと言われて興味を覚えて行ったんですが、全然違うかな。あっちはすでにチェルノブイリ原発事故があったわけですから、村が放射能に冒されているのは厳然たる事実ですが、六ヶ所村では2007年に稼働が予定されているものの、すでに貯蔵量3000トンのうち2000トン以上埋蔵してるんですよね。いまならまだ間に合う。すでに施設は試験をしてしまったから放射能に汚染されたといっても、最悪の事態には至っていないのだから、まだ止めることができると思います。
しかし、六ヶ所村の位置を見た時にたきがは、むかつきました。かつて、水俣で奇病騒ぎがあったのと同じ頃、東京湾でも製紙工場の排水で魚が死に、漁民が陳情に行ったことがあったそうです。構図は水俣と似てますが、実は東京のは即座に止められました。東京だから。人が死ぬ前に、最悪の事態を起こす前に止めました。水俣では止められなかった。国と県とがチッソを庇った。田舎だから、僻地だから、日本の人口1億のうち、水俣市民はたかだか、最盛期でも5万人に過ぎない上に漁民はその中でも常に少数派、人口の数パーセントにしか満たない存在だったからです。日本は高度経済成長の真っ最中、チッソ工場を止めると当時、爆発的に使われていたビニールが使えなくなる、経済成長が止まる。そのために漁民を、現在では不知火海周辺の20万の人びとを見殺しにしたわけであります。その構造とまったく同じ。六ヶ所村の人口はわずか1万人。日本のエネルギーを賄うため、化石燃料に代わる燃料が必要なため、かつて水俣が地域のつながりさえもずたずたにされたように今度は六ヶ所村に犠牲になれと言っている。どうしてそのエネルギーが必要なのか、エネルギーを消費していくしか道はないのか、世界的に化石燃料の枯渇が案じられる現在、わしらに必要なのはエネルギーを使い放題にする生活を日本人一人ひとりが根本的に見直すという姿勢ではないんでしょうか。
有機農業で頑張って米を作って、自力でお客さんを開拓してきたおばちゃんが、自分ちの田んぼにも放射能が跳んでくるからと、お客さんにアンケートを採ったら、買いたくないと言ってきた人たちがやっぱりいた、と寂しげに語るおばちゃんの話が印象的でした。ううむ。わしも放射能にまみれた米は食いたくないしなぁ。でも、いまの時代、何が本当に安全かなんてわからんよなぁ。
映画館でなくて地域のもやい館、公民館みたいなところで見たんですが、尻が痛くなったのはまあしょうがないとして、映画の最中、ずーっとぼそぼそつれのおばはんに話してるおっさんが鬱陶しかったです。子どもだっておとなしく見てるんだから、理解できない奴はくんな。ビデオでもDVDでも借りてうちで二人きりで見やがれ。
あと、エンディングの最中で明るくしないでほしかったなぁ。ぼそぼそ
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