もう一人の主人公というか、父親から大きな遺産を負わされたという点においては大作と表裏一体をなす人物です。ただ、DVD-BOXの今川監督のインタビューには、幻夜は大作がなるかもしれない未来像であり、その場合は悪のように言われてもいますから、まぁ、もう一人の主人公というとらえ方でおおむね間違ってないだろうと思います。
幻夜の場合、大作が最終決戦まで父親の遺言について悩み、惑い、迷い、それでも決してぶれることなく考えているのに対し、フォーグラー博士の「シズマを止めろ」という遺言を復讐と思い込み、99%達成したところで大どんでん返しを喰らうという点では、地球静止作戦のぶっちゃけ諸悪の根源でもあるのだけれど、10年間が報われると思った寸前だっただけに、よけい、落としぶりが酷く、ましてや実妹・銀鈴を撃ち殺しての真実に至っては、もはや何の茶番か悪い冗談かと一転して気の毒になったものであります。
しかし、たきがはの場合、ここら辺から例によって妄想が働き始めるのですが、幻夜の行動は基本、フォーグラー博士と銀鈴を外して考えることはできません。そして、まずわしが考えていたのは、幻夜のことではなくて銀鈴のことを考えていたのがきっかけでありました。
Episode 6のラスト、催眠カプセルに閉じ込められた銀鈴は、大作の必死の叫びもあったのでしょう、ついに目覚め、大テレポートで梁山泊を聖アーバーエーに移動させます。その時とLast Episodeで大作に繰り返し語ったのは、「お父様を愛しているの」「お父様を信じているの」ということでありました。
さらに大怪球に入っていった銀鈴は、恋人の村雨健二に先へ進む助けとなってもらい、「そのサンプルはおまえの信じるように使えばいい」「なぁに、おまえは間違っちゃいないさ」と言われて、明るい顔で頷いています。もっとも、この時に彼女が何を考えていたのかは不明のままですが、最初に大作に「お父様を信じている」と言ったように、また再三、大作が「銀鈴さんのお父さんが、そんな恐ろしいことをするわけがないじゃないか」と言っていたように、3つのアンチ・シズマ・ドライブが揃った時に「地球の酸素が失われる(視聴者にもこうミスリードさせるよう、オープニングから周到ですよ、監督)」や、「バシュタールの惨劇を再び」と考えていなかったのではないかと思えるわけです。村雨に見せた笑顔と「お父様を信じている」という言葉からの推測でしかありませんが。
ところが、ようやく兄のもとに至った銀鈴は、幻夜から3つめのサンプルを渡すよう迫られ、これを拒みます。もしも彼女が、大作の言ったように「アンチ・シズマ・ドライブが3本揃った時に恐ろしいことは起こらない。つまりフォーグラー博士はそんな恐ろしいことを企むような人物ではない」と信じているのならば、何もここで幻夜にサンプルを渡すことを拒む必要はないわけです。素直に渡して、何が起こるのかを幻夜と見守れば良いのですから。しかし、彼女はこれを拒んだばかりか、大テレポートにより半身を失った自分を恐れる幻夜の目前で、「こんな物、10年前に壊れてしまっていれば良かったのよ」とサンプルを壊そうとするのです。結果、銀鈴は取り乱した幻夜に銃で撃たれて絶命、ついにアンチ・シズマ・ドライブを3本揃えた幻夜は、ようやく父の真意を知るという結末に至るわけですが、ここで銀鈴の言動に疑問を覚えた諸氏は少なくありますまい。わしが言ったように、本当に「お父様を信じている」のなら、幻夜にサンプルを渡して何が起こるか見ていれば良いのですが、彼女はそうしようとはしなかったからです。
さてここで、なぜ銀鈴がこんな行動を取ったのか、考えてみました。
銀鈴は確かに父フォーグラー博士の善意を信じていました。Episode 6で「明日への希望」をバックに子どもたちに明るい未来を信じ、語るフォーグラー博士は、良心的な科学者であり、善意の人でした。バシュタールの惨劇で呉学究とともに一命を取り留めた銀鈴は、父と兄が助かったことも知らぬまま、国際警察機構に身を寄せます。彼女はEpisode 5で幻夜から父の最期を知らされるまで、父がどんな死を迎えたのか知らずにいましたが、父の遺言(と幻夜が思っていた)を知らされて心が揺れ、催眠カプセルに閉じ込められてしまいました。でもEpisode 6での十傑集による梁山泊襲撃に遭い、大作の必死の呼びかけに応えて、大テレポートを決行します。
しかし、いくら信じていても、いくら愛していても、フォーグラー博士は故人です。銀鈴にとり、父と同じくらい敬愛していたのが兄エマニュエルだったのではないでしょうか。しかし、10年ぶりに再会した兄は、復讐の鬼となり、父の遺言と言って世界を破滅へと導こうとしていました。
Last Episodeで、ジャイアントロボに総攻撃を受け、ぼろぼろになった大怪球へのダメージは、すでに内部にいて、兄の元へ向かっていた銀鈴にも知られたことでしょう。それまで手も足も出なかったはずのジャイアントロボに、半壊にされてしまった大怪球。これまで国際警察機構に身を置き、BF団との激しい戦いをくぐり抜けてきたであろう銀鈴には、もはや大怪球と兄の敗北を知ったはずです。起死回生の手段などない。致命的な敗北だと悟ったはずです。
ところが、ようやく兄のもとにたどり着いた銀鈴の持つサンプルを目にした幻夜は、まだ間に合うと言って復讐を諦めません。すでにこの時、大テレポートの影響で半身を失っていた銀鈴には、そんな兄の往生際の悪さは、最後の土壇場で改心してほしい、こんな恐ろしいことを止めてほしい、復讐なんて忘れてほしい、優しかった兄に戻ってほしいと思っていたであろう銀鈴にとり、思わず絶望するようなものだったのではないでしょうか。兄妹仲良く、失われた10年間を語り合う時間も銀鈴には許されていないのです。そのことは半身を失った彼女がいちばんよくわかっていたはず。それなのに、やっとたどり着いた兄は復讐に凝り固まり、自分の姿を見ても脅えるだけ。そのことが彼女に第三のサンプルを壊そうとさせるほど絶望させたのではないか、そう思ったのでした。
だから銀鈴は大作に語った言葉に反して、サンプルを壊そうとしたのではないか。その結果、彼女は兄に撃たれて絶命することになってしまったのではないかと。
と、悲劇のヒロイン銀鈴の行動にもっともらしい理由をつけてみたわけです。
しかし、そこで止まらないのがオタク道。では何が幻夜にそこまで復讐の鬼をなしたのか? そこからようやく本日の本題「幻夜」に至ります。
まぁ、長いんで、
お茶でも飲んで、一休み。(* ̄∀ ̄)_且さて、幻夜を語るに当たって、忘れてはならないのがEpisode 5で語られる過去話です。ここのシーンは、その前の「真実のバシュタール」から緊迫感あふれて、音楽の効果も相まって好きなシーンの1つなんですが、幻夜が語るフォーグラー博士の最期は、何回見ても狂気と絶望感にあふれていて、ぞくぞくしちゃうのです。
前にわしは言いました。「
フォーグラー博士の死に立ち会ったのはエマニュエルだけ。彼が語ったことが脚色されてないとは言えない(元ネタが見つかったのでリンクを張りました。コメントたぁ、予想もしなかったわい)」と。その考え方をもう少し進めてみます。
この考え方は、もともとフォーグラー博士の「遺言はちゃんと残せや親父!」に、ちょっぴり異論を唱えるものであるですが、あくまでこういう考え方もあるという程度に受け取っておいてねん。
Episode 5で「人知れぬ涙」がコーラスなしで流れるシーンの絶望感は、「ジャイアントロボ The Animation〜地球が静止する日」においても屈指のものであります。まぁ、そもそもそんなにないんだけど。では、その絶望感は誰のものでしょうか? 完成したシズマ・ドライブを見るなり、研究室に閉じ籠もってしまった父を、「待つことしかできなかった」と語るエマニュエルのものであるのは間違いありません。少し話は飛びますが、この後、フォーグラー博士が亡くなり、孔明に見出されたエマニュエルは、10年後、復讐鬼・幻夜となって地球静止作戦を敢行します。父フォーグラー博士を「世界の破壊者呼ばわり」する世界、父に全ての罪を押しつけたシズマ博士たちに復讐をするために。けれど、その発端は本当に父の「シズマを止めろ」だけだったのでしょうか? ただ父を待つエマニュエルは、父の身を案じると同時にいろいろなことを考えていたでしょう。生き別れた妹の安否もそのなかにはあったに違いありませんが、いちばん強かったのはシズマ博士たちに対する怒りだったのではないでしょうか? 世間から身を隠し、人びとが「忌まわしい地」と忌み嫌うバシュタールの地下に隠れ住んでいる自分、本当ならばシズマ・ドライブ開発の栄光と賛美を手にしているはずだった父、幸せだった暮らしを足下から全て破壊した張本人たちが浴びている賛辞、そうしたことの元凶に対する怒りは相当なものだったはずです。幻夜自身は「本来ならばクラシックとワインを愛する穏やかな性格」というのが公式設定ですが、おとなしい人ほど怒ると怖いと言いますでしょ? エマニュエルもそういうところがあったんだろうと思います。
そう、誰よりも復讐の意志に凝り固まっていたのは、フォーグラー博士ではなく幻夜、すなわちエマニュエル=フォン=フォーグラーであったろうと思うわけです。
ここで話がLast Episodeまで飛びますが、真実を知った幻夜が銀鈴を抱いて泣き叫ぶシーンがありますでしょ? 「こんな恐ろしい物、僕にどうしろっていうのさ?」と嘆くシーンです。わし、ここは実は幻夜の心理を表わす重要なポイントだと思うんですが、ふだんの幻夜って「わたし」なんですよ、一人称。「僕」なんて言ったのは後にも先にもここだけなんです。
これはわしの持論なんですが、「Gガン 第44話」で、ドモンがシュバルツに「キョウジごとデビルガンダムを討てぇっ!!!」と言われて「僕にはできない!」と返すシーンがあります。ドモンの一人称もふだんは「俺」です。「僕」なんて言ったのは、子ども時代を除くとここだけなんです。ここはドモンの声を当てた関智一さんのアドリブなんだそうですが、このシーンを見た時にドモンはキョウジの前では別れた10歳の弟のまんまなんだなぁって思いました。第44話で吊り橋を渡るのに兄にしがみついてべそをかいていたドモンまんまなんだなぁと。それを「僕」の一言は表現してるんだと思いました。
幻夜の場合もそれと同じなんです。立派な大人になった幻夜ですが、実は心のなかは18歳、父を失った時のエマニュエルのまんまなんだと思うのです。それが「僕」。優しい、立派な科学者であるお父様がいた子ども時代のエマニュエル、そのお父様を「世界の破壊者」と罵る世界、そんな冤罪を押しつけたシズマ博士たちへの怒りを抱いたエマニュエル、それが幻夜の真実の姿であり、3本のアンチ・シズマ・ドライブの目的を知らされた時に、それまでかぶっていた復讐鬼の仮面が外れてしまったのではないかと思ったのです。
ここでようやく話が上の銀鈴につながりますが、銀鈴が10年後に再会した兄は、父の語った理想も忘れたような復讐鬼でした。父を信じたい、父が残したというサンプルを信じたいと思うも、兄の変わり果てたと言ってもいい姿に絶望して、銀鈴はサンプルを壊そうとしたのではないか。
それが幻夜と銀鈴、エマニュエルとファルメールという兄妹の悲劇だったのだろうと思います。
ところで、10年も3本のサンプルを持っていたBF団は、3本のサンプルを一度でも揃って動かそうとは思っていなかったんだろうな… そうすりゃ、フォーグラー博士のほんとの遺言、見られるもんね… そうなったら、この話自体が成り立たないもんね、という突っ込みはしないのがお約束!
と、枕ばっかりクソ長くて、肝心の結論はしょぼいような気もしますが、幻夜について思っていたことを、先日、REOさんとオフ会した時にけっこうまとめて話せてすっきりしたので、改めて文章にしてみました。REOさん、ありがと〜 (o ̄∇ ̄)/
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