ちなみに「○○を見に行く」というタイトルはたきがはの大好きなRPG「ブレス・オブ・ファイア」シリーズの最新作「ドラゴン・クォーター」のキャッチコピーっぽい「空を見に行く」のぱくりである。どーでもいいんですけど。
水俣市から車で1時間、鹿児島県大口市に日本一の江戸彼岸桜が咲いているというので、今年の桜は「君に決めた!(ちなみにこのフレーズは「ポケモン」だ)」というわけで車をかっ飛ばしていった。268号線を走り、途中で「小曽青少年旅行村」という看板を左に曲がり、県道を走り、また左に曲がり、山の中を延々と登り続けること4kmほどで着く。最後は10分くらい歩く。
散っていた。なにーっ!! 先週の金曜日、そういえば、雨風がひどかったっけ。昨日も雨が降ったっけ。今日も雨が降った。桜の季節はとかく雨が降りやすい。しかも水俣近辺では関東では夏から秋にでもなければ見られないような台風ちっくな風雨が降っていた。せっかく咲いた桜は風雨に負けたようだ。
身の丈28m、幹の周囲10m、樹齢およそ600年、1977年に営林署の人が偶然発見したそうである。周辺も手つかずっぽい雑木林なんで、人の手が入らなかったのがこの桜がここまで大きく、元気に育った原因かなぁとか思った。桜は周辺に根を延ばすけど、見物客に踏まれるのは木にとってダメージになるそうだし。だから、風祭(神奈川県)の枝垂れ桜(去年の同時期の別ぶろぐに書いたかもしれないが)では周辺に柵を張り巡らして、根を守っている。
しかし、1977年と言えば、隣の水俣では世に言う「52年判断条件」なるものが出され、増え続ける患者数に業を煮やした環境庁(当時の名称。今は環境省)がより厳しくすべく見直したころである。なぜ患者が増えると困るのかというと、水俣病の認定制度はほぼ補償金問題とイコールなんで、患者が増えるとそれだけチッソの払う補償金が増え、下手するとチッソが倒産、そうなると国と県がもろに水俣病の加害者として問われるので防波堤であるチッソに倒産されるのは困る、ということで認定制度そのもののハードルを高くしたのだ。
だから、水俣はきっとすごく大変だったはず。その同じ時代に隣の市で発見された日本一の江戸彼岸桜、きっと盛り上がっていたであろう大口市、「水俣の出身だ」と言えなかったであろう水俣の人たち、その皮肉な時代を思わされた。
で、悔しいので、同じ大口市にある、チッソ発祥の地とも言える、曽木発電所の遺構を見に行くことにする。こいつは1907年にチッソの創業者・野口遵(「したがう」と読む)によって建設され、余剰電力で水俣にカーバイド工場が造られた、というチッソとは切っても切れない存在。1967年に下流に鶴田ダムが造られたことでお役ご免となりダム湖に沈んでしまい、いまは5〜9月の湖面が下がる時にしか見られない。
そうと知ったのは行ってからのことで、たきがはが見たものは遺構の一部だけであった。悔しいので5〜9月に見に来ることにする。
ちなみにその上流1.5kmのところに曽木の滝があるが、これは「東洋のナイアガラ」と呼ばれる滝で、間違えてそっちにも行った。ナイアガラの実物は見たことがないが、曽木の滝も幅の広い滝であった。公園があって、桜が咲いていたのだが、たきがは、桜マニアなもんで、ちょっとやそっとの量じゃ驚かんのだよ。
たとえば、吉野の千本桜とか、伊豆高原の桜のトンネルとか、ここら辺が私的ベスト。ちなみに江戸彼岸桜は一本なので、一本ものだといまのところ、身延山の枝垂れ桜ですかいのぅ。よって、「日本の桜百選」に選ばれたという水俣・湯の児のチェリーロードぐらいでは感動せんのだった(ちなみに水俣川の河口から海岸線を湯の児温泉まで走っての感想なんで、「そこチェリーロードちゃう」と教えていただけるととってもありがたいです)。
江戸彼岸桜はまた来年行く。木の周辺に残ってた桜の花びらや木の大きさからいったら、身延山の枝垂れ桜に負けず劣らずのが期待できそうなんで。
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