忍者ブログ

されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

キミよ歩いて考えろ

宇井純著。ポプラ社刊。

「公害原論」の著者、宇井純氏が子ども向けに書いた本で「のびのび人生論」というシリーズの1冊。知ったタイトルだと田辺聖子さんの「欲しがりません勝つまでは−私の終戦まで」というのがある。たきがは、田辺聖子さんはこれしか読んだことがないがこの本が好きなんである。空想好きな大阪の聖子ちゃんの話は、ともすると自分がもしも戦争中に生まれ、青春時代を送っていたら、と思わせる内容でもあり、薄いこともあって(新潮文庫に収録)何度も読み直しては、愛国少女だった田辺さんが、大阪大空襲と敗戦を境に戦争のおかしさ、愚かしさに気づき、というくだりで下手な「美しい国」だの「戦争ができる日本」だのという阿呆な論をぶつ政治屋どもの言い分よりもずっと納得できるものがあるよなぁと頷かされるのであった。おすすめ。

閑話休題。

その田辺さんより少し後の宇井さんの子ども時代から東大自主講座「公害原論」をやるまでを、ユーモアも交えた文章で軽妙に綴った1冊。実はタイトルだけ知った時に、とかく屁理屈をこねるのが癖で頭でっかちなたきがはは、なんか自分のことを指されたみたいに感じたものであったが、そんなちっぽけな話ではなくて、これからの時代を担う若者たちに自分の足で歩いて、考えて、できることをしていこう、同じ研究をするのなら人のためになる研究をしてみよう、失敗を恐れるな、といった人生論を説教臭くなく語った本であった。なにしろ文章がおもしろい。そして何でも経験として自分のものにしていくところはさすが、宇井純氏であるなぁと思う。

少し時代が古い(1979年刊行)のはあるかもしれないけど、学歴社会をユーモア混じりに批判する内容は全然古びていないのが悲しいところ。つい最近のライブドア事件とか、日本は宇井さんの願った方向とは全然逆に進んでいるように思う。これからの時代を担う若者、必読の書であるぞよ。

拍手[0回]

PR

水俣病闘争 わが死民

石牟礼道子編。創土社刊。

「告発」に載っていた記事を、患者さんの東京行動のために抜粋し本にして印税を稼いだという訳ありの1冊。300ページそこそこの本なのだが、かの本田啓吉さんの「義勇兵の決意」とか載っててすごく内容が濃いため、なかなか読み進めず、1週間くらいかかってしまった。
「告発」はいまとなってはなかなか手に入れづらい、読みづらい資料である。こんな形で復刻されるのは嬉しいことであるな。

なお、「義勇兵の決意」に興味を覚えた方は、たきがはの個人記事であるが、一部が載ってるのでご参考までに。
http://www.tanpoko.com/iroiro/20060131a.html

拍手[0回]

素数ゼミの謎

吉村仁著。文藝春秋。

何年か前に「アメリカで素数ゼミ大発生」というニュースがあったのを覚えてる人はいると思うのだが、その素数ゼミの話を子ども向けに優しく解説した本。
何で子ども向けの本なんか読んでるのかというと、「天と地の守り人」を借りてくれないかと思って水俣の図書館に相談に行って、それを待ってるあいだに目がとまったのとそこが子ども向けの本のコーナーだったからなのさ。

素数ゼミには3つの謎がある。なぜ日本のミンミンゼミなどがせいぜい7年ぐらいで地上に出てくるのに13年や17年という長い時間地中にいるのか、なぜ1ヶ所で多数発生するのか、なぜ13や17という素数なのか。これらの点を実にわかりやすく解説している。
13年や17年という長さが地球の氷河時代に関係があることや13年周期のセミと17年周期のセミは合わせて15のグループがあって、少しずつずれながら、発生していること、14〜18年周期のセミもいたろうが、交雑すると生き残りにくくなってしまうことなど。

セミたちは何も我々人間のように計算して生きているわけではないのに、ファーブル昆虫記でも思わされた自然の仕組みのうまさ、神秘を感じる。いくら人間が命のことを知ったつもりでも、自然はまだまだ奥行きが深く、それだけに決して奢ってはいけないのになぁと思った。

拍手[0回]

ユージン=スミス 楽園へのあゆみ

たしか講談社の児童書。

世界的な写真家、ウィリアム・ユージン=スミスの伝記。
なぜ写真を撮るようになったかということから、第2次大戦で負った大怪我のこと、日本との関わり、奥さんのアイリーンさんとの出逢いとミナマタ、そして死まで。

ユージンさんのミナマタを撮ったいちばん有名な写真は、胎児性の娘を抱いて風呂に入るお母さんの図ではないかと思うのだが、最近、アイリーンさんがその著作権を両親に返したそうである。ミナマタを象徴するような、現代の聖母子像とも言える図に、両親は長いこと、歩くことも話すこともできない娘さんが、裸を撮られることにその身体を縮めたのだということを気にしていて、もう娘を休ませてやりたいと思われたのだと言う。それは写真の著作権が誰にあるかという微妙な問題もはらんでいて、ミナマタを撮ったほかの写真家には物議を醸すような話題だったようだが、なるほどなぁと思ったものだ。それに、あまりに安直にあの写真はあちらこちらで使われてきた。それほどあの写真がミナマタの悲劇を象徴していたということでもあると思うのだが、水俣病の問題のひとつに重症、いわゆる劇症型の患者さんたちがあまりに多く映像に登場したために却って、本当はそういう患者さんは氷山の一角にすぎないのに軽症の患者さんたちが地元でもあまりに多く見過ごされ、見逃され、いまもなお続く水俣病への差別意識への一因ともなっていることとも無関係ではないんじゃないかなぁと思ったりするのだった。
タイトルの「楽園へのあゆみ」は、第2次大戦から帰ってきて自宅療養中のユージンさんが庭で娘さんたちが影の下から明るい光の中へ出ていく写真につけられたタイトルのことである。

拍手[0回]

沢田教一 ベトナム戦争

リバティ・ブックレット4。大阪人権歴史資料館発行。

ブックレットなのですごく薄い。すぐに読み終わった。
ベトナム戦争で亡くなった写真家、沢田教一さんの写真とその略歴を記す。沢田さんのほかにも12人のジャーナリストがベトナム戦争で亡くなったそうである。
その時代、沖縄が米軍の基地となっていたという事実に目をそむけるわけにもいかない。

同じ写真家の石川文洋さんの「戦場写真家」という著作がある。ぜひ読んでみたいと思っているのだが、絶版の上、なかなか手に入らない。

拍手[0回]

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

最新CM

(06/14)
無題(返信済)
(05/29)
(04/27)
甘くない態度(返信済)
(04/26)
謹賀新年(返信済)
(01/04)

プロフィール

HN:
たきがは
HP:
性別:
女性

バーコード

ブログ内検索

かうんたあ

脱原発意思表示Webステッカー

バタリーケージの卵を食べたくない!キャンペーン