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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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天皇の玉音放送

朝日文庫。小森陽一著。「いま、戦争を考える」シリーズ。

どーでもいいのだが、「ぎょくいん」って変換せんのか、Atok?

6冊目にしてようやく本当の「いま、戦争を考える」シリーズにお目にかかることができました。極論ですが、この1冊があれば、他の5冊はなくてもいいです。ちゅうか、この本を売りたいがために、見栄えの良さそうな「硫黄島玉砕」(映画のヒットのおかげで手にとる人は多かろうと思われるので)とかとセットにしたのであれば、それこそ朝日新聞出版天晴れと言いたいところですが、多分、そんなことは逆立ちしてもなかろうな。

昭和天皇ヒロヒト(以下、ヒロヒト)を十五年戦争の第一級戦犯として裁けなかったことが、戦後の日本にとって致命的な過ちであったことを、ポツダム宣言黙殺の経緯から2003年当時のイラク戦争に至るまでを、ヒロヒトの言葉を記した側近たちの日記などから逐一検討し、証明しております。

わしは、この本を読むまで、ヒロヒトの戦争責任の重さをわかっていなかったのだと思いました。その人間としての罪深さを知っていなかったのだと思いました。

ヒロヒトは敗戦直前に何を気にしていたか。日々、連合軍の空爆にさらされる国民か? 原子爆弾で凄まじいダメージを負った広島・長崎か? 天皇の名の下に降伏を許されずに死んでいく兵隊か? 天皇の名の下に殺されていく他国の民か?

否、否、否!

ヒロヒトは終始一貫して「国体を護持し、皇土を護持するか」ということしか頭になかった。側近も含めて、皆が皆、一人たりとも「日々、連合軍の空爆にさらされる国民か? 原子爆弾で凄まじいダメージを負った広島・長崎か? 天皇の名の下に降伏を許されずに死んでいく兵隊か? 天皇の名の下に殺されていく他国の民か?」など気にしたとは日記に記していない。
ポツダム宣言が発せられる1945年7月25日、ヒロヒトは側近の木戸幸一に「三種の神器が守れるか」と問いかけただけだそうである。
なんという自分勝手な権力者。明治政府が造り出した万世一系の天皇家などという胡散臭い神話に、権力者自身が踊らされている滑稽さ。

だが、本当に驚くべきはそんなところではない。日本の戦犯として裁かれるべしという世界の趨勢をヒロヒトが乗り切ったのは、アメリカの協力があったからであり、その仕掛けはいわゆる「玉音放送」から巧妙に仕掛けられ、GHQ最高司令官マッカーサーの協力、敗戦後のいわゆる「宮様内閣」の唱えた「一億総懺悔論(この当時の日本は一億人もいなかったそうですが)」などのトリックなどにより、ヒロヒト自身の戦争責任をなくす方向に進められていくくだりだ。
さらに、共産主義の恐怖に脅えたヒロヒトは、沖縄をアメリカに売ることにより、国体護持をはかろうとした。今に続く日米安保や、沖縄の米軍基地化、第9条によって軍備を放棄したはずの日本が自衛隊という軍備をまとっていく過程さえ、ヒロヒトとは無縁ではない。憲法第9条さえ、ヒロヒトの戦争責任の免責とセットである。

「戦犯ヒロヒトと、彼を支える日本の保守政治家たちが、敗戦のその瞬間から、日本列島に生きる人びとの、安全と権益を、一貫してアメリカに売り渡し続けてきたことだけは明らかになった」

もはや滑稽と言うのさえ、うそ寒い状況だ。そして、現在の日本は、ますますアメリカ追従を強くしている。

小沢一郎が自民党の幹事長だった時代、憲法の解釈を曲げて自衛隊の海外派遣を可能にしてしまったことも書いてあることも言っておかないと不公平というものか。
それでも、自民党より民主党のがましだろうと言うのは、もはやお笑いぐさでしかないのか。

こういう本が売れてくれるといいんだがなぁ。タイトルで引っかかってくれるといいなぁ。

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戦争文学を読む

朝日文庫刊。河村湊・成田龍一ほか。「いま、戦争を考える」シリーズ。

例によって1999年の対談をさも新刊ぽくまとめた1冊。しかし、新章を追加した辺りなんかは他の作に比べれば、まだ良心的だと思う。それにしても、どの本も「いま、戦争を考える」のではなく、過去に考えたのが主体になってるのが、このシリーズ・タイトルつけるのが何だかなだ。こんなんで商売成り立つと思ってる朝日文庫の良識を疑うよ、と言ったら言い過ぎか。

中身はけっこうおもしろかった。いわゆる日本の戦争文学について、いろいろな視点からぶった切り。それぞれの視点と、著者の視点がおもしろかった。読んでない本もけっこうある。

いわゆる戦記物にたきがはは食指が動かない。「父の戦記」のような、ノスタルジー色の強いのが多いから。あと、「あの時代も悪いものじゃなかった」とか「日本軍の全てが悪いわけじゃない」みたいな話は聞いてもしょうがないと思う。わしはあの戦争で何が行われたかをきちんと知りたいのであって、そういう言い訳めいたものには興味がない。

閑話休題。

ので、おいおいに。

それはそれとして、井上ひさし氏の「父と暮らせば」とか、古処誠二氏の諸作とか、対談相手の著作を持ってきて持ち上げるのは白けるからやめてほしい。

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父の戦記

朝日文庫刊。週刊朝日編。「いま、戦争を考える」シリーズ。

これもネタが古いです。1965年の週刊朝日で、戦後20年を記念して募集した手記のなかから、厳選した25編と、おそらく単行本化した時に足した25編を合わせて50編で1冊にまとめたものと思われます。

読んでて気になったのは、アジアで広範囲に行ったはずの虐殺に関わった手記が出てこなかったこと、圧倒的に多いのは、現地の人といかに手記の作者が温かい交流を持ったかという美談に近いものです。1965年という時代が、まだ、そうしたことを率直に言える時代ではなかったのかもしれません。そう考えると、この本は「いま、戦争を考える」と言いながら、日本人が敗戦後、あの戦争をどのように語ってきたかを人知れずあぶり出すのに役立っているとも言えそうです。

かれこれシリーズも4冊目になりましたが、「いま、戦争を考える」のでは遅いように思うのです。だって、60年以上も経ったのに、国際社会が納得できるような史観をいまだに打ち出していないのだから、うやむやにしたまま、60年以上が経ってしまったのだから、喉元過ぎればなんとやら、水に流して忘れましょう、の精神で、このままうやむやに流してしまいそうな気がします。
そうして、同じ過ちを繰り返すんじゃないだろうかという気がします。

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原爆・500人の証言

朝日文庫刊。朝日新聞社編。「いま、戦争を考える」シリーズ。

被爆22年後の1967年、朝日新聞社が全国の被爆者500人にとったアンケートについて記した本。
帯にあるように「統計的な数字を食い破り、一人ひとりの生身が姿を現わ」した稀有な記録なのだが、なにしろ40年前のものとあって古い。しかも、こんな古いものをまるで新刊のように出版した朝日文庫の厚顔さに呆れる。
確かに、このアンケートも、1人ひとりの証言も価値のあるものだと思うが、2008年に出版するのならば、500人のその後を追うぐらいのことはしても良かったのではないか。500人のうち、何人が生き延びられたかはわからないが、その後を追うだけでも、価値はずっと高まったはず。被爆22年後の被爆者500人の記録と、さらに41年経った記録、そこに流れた時間がどれだけのものをもたらしたか、見せるべきではなかったのかと思う。

新聞社が本を出版するのはいいと思うが、手前味噌に新聞の中で自社出版を宣伝するのはどうか。少し控えめにした方がいいんじゃないかと思うことがある。
少なくとも当シリーズが「いま、戦争を考える」のであるならば、1967年の記録をただ出すのではなく、その後を追った調査を加え、被爆者たちのその後を追うことが必要だったのではないか。そうでなければ、とても「いま」などとは名乗れたものではないと思うのだが。

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硫黄島玉砕

朝日文庫刊。多田実著。「いま、戦争を考える」シリーズ。

副題に「海軍学徒兵慟哭の記録」とありますように、著者もその海軍学徒兵の一人であり、硫黄島に一度は着任しながら、負傷のために決戦の前に島を離れ、生き延びた方だそうです。

硫黄島が最近、注目度が高いのはやっぱりあれだな。クリント=イーストウッドの「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」のせいだろうな。ちなみにたきがは、どっちも未見。この本読めば、「硫黄島からの手紙」は特に見る必要もないと思いました。それぐらい詳細な記録です。わし、これまで、硫黄島って「玉砕した島」ちゅうぐらいしか知らんかったんですよ。どんな戦いがあったのか、興味がなかったというのもありますが、これ1冊読めば、かなり足りるんじゃないでしょうか。それだけの名著だと思います。
硫黄島の決戦は1945年2月に始まるわけですが、その前から実に丹念に、丁寧に書かれており、アメリカ軍が、日本の領土として、いかにこの南海の孤島を重視していたか、よくわかるのです。これに対し、日本軍も、アメリカ軍の1/10の兵力で硫黄島を1ヶ月以上も守り、戦ったんですから、局地的に見ると、いかにすごい戦いだったのか、よくわかるんです。

でも、でもですよ。硫黄島を守ったところで、玉砕同然にこの島を死守すべく戦ったところで、日本にはすでにまともな航空機も空母もなかった、それ以前にマリアナ諸島で負け、サイパンで負け、中国での戦いも戦線ばかりが伸びて膠着状態、硫黄島の戦いの前に、大本営は日本がすでに勝てないことがわかっていたんです。物資も足りない、資源もない。年寄りの金歯や寺の鐘さえかき集めなければ資源のない日本には、すでに勝てる要素なんてどこにもなかった。軍の司令部はそのことをわかっていた。
ところがこの期に及んでもなお国民を騙し続け、本土決戦なんて夢物語を唱え、硫黄島の戦いが終わってからまだ4ヶ月も戦争を続け、国民を死にさらし、原爆を落とされ、沖縄では軍が民衆を守らぬことさえ露呈した。

いったい、硫黄島を守ろうとした兵隊たちは、何を守ったのでしょう? それはもはや守るに値しないものじゃなかったんでしょうか? 日本がもっと早く降伏していれば、硫黄島はなかった。2発の原爆もなかった。日本の都市を破壊し尽くした空襲だってずっと減っていたに違いない。そう考えると、「すごい戦いだったんだな〜」で終われないんです。いや、むしろ、「すごい戦いだったけど、無意味だったよね」って思ってしまうんです。

なんですか、硫黄島の最高司令官、栗林中将が最近、人気あるみたい(と解説に書いてあったが、「硫黄島からの手紙」の渡辺謙さんのイメージが強いせいですかね)なんですけど、なんちゅうかな、彼がしなければならなかったのは、玉砕するまで兵を戦わせることじゃなく、そうなる前に降伏することだったんじゃないか。死ななくてもすんだ命を一人でも多く助けることだったんじゃないか。なんてことを思ったりするのです。

私たちがあの戦争に学ぶべきことは、確かに平和の尊さもあるのだけれど、国民が一丸となって一億総玉砕に進もうとした過ちを繰り返さないよう、政治家というものに目を光らせ、メディアが独立を守り、国の手先とならないこと、そんなことなんじゃないかな、なんて思ったのでした。

でも、今の日本て、まるで逆だよね。メディアは権力に追従してるし、政治家は信念も誇りも感じられないし、身勝手な犯罪が増えてるし。なんて思ったりしませんか。

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