忍者ブログ

されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

アラモ

監督:ジョン=ウェイン
出演:デイビー=クロケット(ジョン=ウェイン)、トラビス大佐(ローレンス=ハーベイ)、ジム=ボウィ大佐(リチャード=ウィドマーク)、ヒューストン将軍(リチャード=ブーン)、フラカ(リンダ=クリスタル)、ほか
音楽:ディミトリ=ティオムキン
1960年、アメリカ

ジョン=ウェインが私財を投じて監督・製作までやった西部劇の大作。案の定、アカデミー賞欲しいの宣伝が露骨すぎて賞は音楽関係のしかもらえず、興行的には大失敗しました。
2004年にもリメイクっちゅうか、「アラモ」をまた作ってたようですが、やっぱり興行的には失敗だったようで。ジョン=ウェインでさえ駄目なのに、聞いたこともない俳優でうけるはずがない、なんて話はジョン=ウェイン・ファンのままとした覚えがあります。

実は「アラモ」も何度か見ておりまして、いちばん最初に見た時は、たきがはもこういうヒロイズムな映画に弱いものでぼろ泣きしました。サントラも持ってます。主題歌(
「The Green Leaves of Summer」)を歌ったBrothers Fourのコンサートも行ったぐらいです。
しかし、ヒロイズムというものの危険性は最近のわしにはわかってるので、今日は特に泣くこともなく、もっと冷静に見ました。というのも、このアラモ砦の戦いというのは硫黄島の戦いにも通じる捨て石感があるなぁと思ったからです。まぁ、アラモ砦の場合、ここで持ち堪えることで、後方のヒューストン将軍が軍を鍛える時間を稼ぐという大義名分はありますが、硫黄島にはその大義名分もないけんど、そのためにここで185人が死ぬということに、わしはとても抵抗を覚えるからです。
大義名分のために死ぬということの美しさの影に、自分だけは安全な場所にいて、人に死ぬことを強制する人間がいるということを、わしは唾棄するからです。ヒロイズムを描いた映画というのは、そういう死を美しいものと思わせる力があり、それを利用する権力者をわしは許すことができません。

だから「アラモ」も冷静な目で見ちゃって、泣かなくなったのだろうなぁと思いました。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

拍手[0回]

PR

リオ・ロボ

監督・製作:ハワード=ホークス
出演:マクナリー大佐(ジョン=ウェイン)、タスカローラ軍曹(クリス=ミッチャム)、コルドナ大尉(ジョージ=リベロ)、シャスタ(ジェニファー=オコーネル)、ほか
1970年、アメリカ

ハワード=ホークス監督の「リオ・ブラボー」「エルドラド」に続く3部作で遺作だそうです。ジョン=ウェインも晩年だし、クリス=ミッチャムはジョン=ウェインも何回か共演したロバート=ミッチャムの息子だそうで… あんまり似てないけど。

コルドナ大尉率いる南軍に金を奪われた北軍のマクナリー大佐は、南北戦争が終わっても南軍に情報を売った裏切り者を追っていた。コルドナ大尉から連絡があり、ゴールドストーンの町で再会した2人は、リオ・ロボの町に帰ったコルドナ大尉の元部下タスカローラ軍曹が町の悪徳保安官に牧場を奪われそうだと聞いて助けに向かう。どうやら、敵の親玉は、マクナリーが追っている裏切り者らしいのだ…。

「リオ・ブラボー」「エルドラド」の乗りに近い、ジョン=ウェインの痛快西部劇です。

この時代になってきますと、ジョン=ウェインもロマンスは若者任せな上、ヒロインのシャスタにまで「あなたなら安心だから」とか言われてます。男として屈辱ではないのか! まぁ、何度も言及してるところをみると、それなりに傷ついたっていうか。ラスト、タスカローラの彼女マリアのお友だち、アメリタから好意を寄せられてまんざらでもないのが微笑ましいっていうか。

お約束、銃を持たせると危ない酔っぱらいじいさん、登場です。ハワード=ホークス監督のはこのキャラがいないとね!

裏切り者の末路が味方に用なしだと撃たれるとか、アメリタの頬を切り裂いたという保安官がアメリタに復讐される前、自分の銃が暴発とか、勧善懲悪もすっきりしとります。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

拍手[0回]

グリーンゾーン

監督:ポール=グリーングラス
出演:ロイ=ミラー(マット=デイモン)、パウンドストーン(グレッグ=キニア)、マーティ=ブラウン(ブレンダン=グリーソン)、ローリー=デイン(エイミー=ライアン)、ほか
2009年、アメリカ

2003年、イラク戦争が始まって4週間、アメリカ軍のMET、大量破壊兵器捜索部隊の一員ミラー准尉は3度目の任務でいずれも政府の提供する情報にもかかわらず、大量破壊兵器が発見されないことに気づき、不審を覚える。4度目の任務でもやはり破壊兵器は発見されず、ミラーはフレディと名乗るイラク人の協力で、サダム=フセイン政権の元高官たちが秘密裏に会合している現場に踏み込み、将軍アル・ラウィを目撃する。CIAの捜査官ブラウンに大量破壊兵器が見つからぬことで裏があると言われたミラーは、情報提供者「マゼラン」の存在を知るが…。

イラクから大量破壊兵器が見つからず、イラク戦争はブッシュ前大統領の石油への利権だったことは今では常識になっているのかな、と思います。

そんなことを、アメリカ国内から批判した硬骨な映画。こういうところが、アメリカという国の民主主義もまだ捨てたものじゃないなと思わせるのであります。自国の批判するところはちゃんと批判できる。日本ではなかなか難しいでしょう。

臨場感もすごくて、実際にイラクにいるような気分になりましたが、その分、酔っぱらいました。げろげろ
たきがは、大昔、ヘリコプターの映画を見に行った時に酔っぱらいまして、人生でただ一度、映画を最後まで見ずに立ちました。今回も怪しかったのですが、何とか最後まで見られました。げろげろ
車に干し梅があって、本当に良かったと思いました。日本の伝統食、万歳。ていうか、何の映画だ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

拍手[0回]

征服されざる人々

監督:セシル・B=デミル
出演:クリス=ホールデン(ゲーリー=クーパー)、アビー(ポーレット=ゴダード)、ガーツ(ハワード=ダ・シルバ)、ほか
1948年、アメリカ

西部劇というより、まだイギリスの国旗を使っているので、歴史物って感じです。ただ、年代が年代とはいえ、ネイティブ・アメリカンの扱いのひどさといい、そもそも主人公のクリス=ホールデン大尉の中途半端さといい、たきがは的には駄作です。

役人殺しの罪で死刑かアメリカでの奴隷生活か選ばされたアビー。しかし彼女は船の中で競りにかけられ、クリス=ホールデン大尉に買われ、自由の身になる。ところが彼女に執着するガーツによって再び奴隷として売られてしまう。その頃、イギリス人の開拓地がインディアンに襲われ、ガーツの裏切りが裏にあった。果たして、南の砦はどうなるのか?

ええ、最初に書きました「中途半端さ」が、まず最初に。ヒロイン・アビーは、船の中でホールデンとガーツの競りにあい、ホールデンが落とします。ところが、彼女がホールデンに買われたという証明書をもらわぬうちにホールデンが「君は自由だ。でも、俺は女嫌いだから好きなところに行きな」といきなりアメリカにおっ放してしまいます。おいおい、それ、無責任じゃね?と突っ込んだのもつかの間、アビーにご執心のガーツが彼女を何とか自分のものにしようと、アビーが証明書を取りに来る前に彼女を奴隷として二重に売らせてしまい、以後、アビーはあっちこっちで奴隷として扱われ、苦労するのでした。これはいくら女嫌いだからといっても、あまりにいい加減すぎるだろうと。ホールデン大尉、格好良くないです。

さらにネイティブ・アメリカンに植民地が襲われたり、アビーが連れていかれたってんで、いろいろあるんですけど、うーん、なんというか、時代が時代だからしょうがないのかもしれませんが、こういう時のネイティブってすごく馬鹿な描き方をするんだよね、アメリカ映画って。そこがいまいちでした。1948年と、今まで見てきた中でも古い部類に入るので、しょうがないのかもしれませんが。

あと、ネイティブがいかにも残酷だって感じで描写してるんですけど、実際にはそれ以上残酷なことをイギリスはやったわけで。アメリカもやったわけで。その結果としてのアメリカという大国があるわけで。ま、そこら辺、何の反省もないのはこれまた時代が時代だからしょうがねっちゅうか、そこまでわしも割り切れないっちゅうか。

ただ、アビーのキャラは魅力的でした。むしろ、タイトルの「征服されざる人々」はアビーのことなんだろうってぐらい強い女でした。一人殺してますが。それも病気の弟が殺されたためだって言ってたし。栗原小巻さんを連想してたら、吹き替えが来宮良子さんだって! うそ〜!!!

たんぽこ通信 映画五十音リスト

拍手[0回]

ヘッドライト

監督:アンリ=ヴェルヌイユ
出演:ジャン(ジャン=ギャバン)、クロ(フランソワーズ=アルヌール)、ほか
1956年、フランス

実は見るの二度目なんですけど、最初に見た時は若造だったもんで、この映画の良さがわかりませんでした。今回はすごい良かった!と申し上げたい。ジャン=ギャバンは「シシリアン」といい、「脱獄の報酬」といい、最近、好きになっている俳優さんですが、こうなったら出演作全部見ないと気が済まぬ!ってぐらいに惚れました。さすが、フランスが誇る名優です。うわ〜、わしもクロになりたいよッ!(←落ち着け。ていうか、無理)

この映画には、先日、「クロッシング」を見た時に感じた不満のわけがありました。あの映画では音楽を流しすぎた。悲しいシーンで悲しい音楽を流せば、観客は感動するわけではないと書きましたが、この映画では初っぱなとラストにしか音楽は流れません。哀切きわまりない音色は、これだけで、物悲しい気分にさせられますが、ジャンとクロのメロドラマの最中には流れないのです。ほとんど音楽もなしに淡々と進む物語、ああ、この映画の監督は、観客の泣かせどころをよくわかっていると思いました。

行きずりの恋に身を任せたジャンとクロ。それはクロの死により幕を閉じるわけですが、この悲恋を、作っている側が「悲しい」と思ってはいかんのです。作っている側はこんな恋物語がありました、と差し出すだけでよい。それが悲しければ観客は泣き、おもしろければ観客は笑います。怒りを感じることもあるでしょう。あるいはこの「ヘッドライト」でだって、ジャンの身勝手さを責める声があってもいいと思います。クロがあんまり簡単にジャンに身を任せたのが悪いという声もあるかもしれません。でも、わしはこんな恋しかできず、死に別れることになったジャンとクロを悲しい、とても悲しい恋だと思いました。本来の映画の見方というのはそれでいいのではないかと思ったのです。どんなに悲しい出来事であろうと、そこに笑う人はいるだろうし、怒る人もいる。それを製作者が音楽によって誘導することはないのだと思ったのです。

そういうことがわしも、わかるような年になったのだと思いました。ジャンとクロの悲恋を悲しむことができる年になったのだと思いました。

なにより、この映画は大人の鑑賞に堪える映画であり、今時のハリウッドやどこぞのジブリ映画のようなお涙頂戴を安易に誘導する、お子様向けの映画ではないのだと思いました。こんな映画こそ、わしは見たかったのだと思いました。

ただ、わしは映画音楽が嫌いではなく、むしろ好きな方なのです(うちのiPodちゃんにもサントラ多いし)が、好きな映画音楽というのは、その音楽が流れると、その映画の名シーンを彷彿とさせるような音楽でなければならず、見ていて「うるさいなぁ」と思う音楽であってはならないということなのでした。

でも、この映画のように、ここまで禁欲的に、だからこそ、最初と最後の使われ方があまりに効果的な音楽も大好きなのでした。

なんだ、要するにジャン=ギャバン最高ってことだ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

拍手[0回]

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

最新CM

(06/14)
無題(返信済)
(05/29)
(04/27)
甘くない態度(返信済)
(04/26)
謹賀新年(返信済)
(01/04)

プロフィール

HN:
たきがは
HP:
性別:
女性

バーコード

ブログ内検索

かうんたあ

脱原発意思表示Webステッカー

バタリーケージの卵を食べたくない!キャンペーン