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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ラジオドラマ「原発震災」

twitterで評判になっていたので聞いてみた。

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

  _, ._
(;゚ Д゚) …?!

(つд⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ

(  д )

(; Д ) !!

ええと、題材的にはとても興味あるネタなのですが、いかんせん、登場人物が2人しかいないというのに、マナブは単なる棒読みで、サクヤは素人丸出しで、よくこんなん、公共の電波に乗せたな〜と逆の意味で驚いた。プロの仕事とは思えないクォリティ。

ドラマ「原発震災」第1話 鳴り続けるガイガーカウンター

評判いいのだが、2話も聞いてみるべきか…(´・ω・`)

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黄昏

監督:マーク=ライデル
出演:ノーマン=セイヤー(ヘンリー=フォンダ)、エセル(キャサリン=ヘプバーン)、チェルシー(ジェーン=フォンダ)、ビリー(ダグ=マッケオン)、ほか
原作:アーネスト=トンプソン
1981年、アメリカ

ヘンリー=フォンダ氏の遺作です。原題は「On Goleden Pond」といい、老夫妻が住む湖を言います。Pondというと池って感じですが、中盤でビリー少年がモータ付きのボートを乗り回しているので、かなり広い湖です。迎えるはこの映画でアカデミー主演女優賞を4度取ったという大女優キャサリン=ヘプバーンさん、この大スター同士の夢の共演は、ヘンリー=フォンダ氏の実の娘で、作中にも娘役として出演しているジェーン=フォンダさんの意向によるものでした。

ノーマンとエセルの老夫婦が「ゴールデン・ポンド」のほとりに立つ我が家に帰ってきた。長い冬が終わり、春になったので、夫婦はここで暮らすのが定番だったのだ。そこに長年、父との確執を抱えた一人娘チェルシーが、恋人の歯科医ビルと、その息子ビリーを伴って、ノーマンの80歳の誕生日を祝うためにやってくる。チェルシーとビルはすぐにヨーロッパに旅立ってしまい、ビリーが残されたが、初めは反発していたビリーも自然あふれる「ゴールデン・ポンド」での暮らしになじみ、ノーマンとは親友同士になっていくのだった。

ノーマン=セイヤーおじいちゃん、へそ曲がりで偏屈な老人です。元教授ですが、何の教授だったかは不明。ゴールデン・ポンドのほとりの家は、別荘かと思いましたが、チェルシーも子ども時代を一緒に過ごしたそうなので、春〜秋限定の自宅のようです。贅沢だなぁ。冬になると町に帰るのか。「長い冬」でもそういう話、あったなぁ。贅沢とは違うのか。80歳になって、ちょっと忘れっぽくなったもので、エセル曰く「5分おきに死について考えている」と言われてしまいますが、娘にもあんまり素直になれないだけで、本当は優しい人です。父親においていかれて、ちょっとすねてるビリーにも釣りを教えてやったり、飛び込みを教えてやったり、文芸書(「宝島」とか「二都物語」というタイトルが出てくる)を読ませたりとけっこう面倒をみます。

娘のチェルシーはどうやらアラフォー世代と思われます(旦那のビルが45歳と言ってるから)。しかし、子どもの頃はおでぶちゃんで、父親とはうまくいってなく、どうもそのことでいまだに父親に会うと素直になれません。何度も「うちの父はエゴイストだ」と批判する様子が出ています。そこら辺の娘像は、演じたジェーン=フォンダさんの父ヘンリー=フォンダ氏との確執もかぶるようです。ただ、最初は舞台だったこの「黄昏」を、父のために映画化の権利を取りつけ、相手役にキャサリン=ヘプバーンさんを連れてくるあたり、かなりの気遣いが見られます。しかも、この映画でヘンリー=フォンダ氏はアカデミー主演男優賞を初めて手にしたわけですから、この時代のハリウッドには本当にスターたちがたくさんいたんだなぁと思いました。

そして大御所キャサリン=ヘプバーンさん、一家を支えるエセル母さんです。偏屈なノーマンじいさんも、すねちゃった娘チェルシーも、ひねちゃったビリー少年もがっちり受け止める懐の広さはおっかさんって感じです。まぁ、娘と夫の確執を、この歳になるまで治せなかったという落ちもなくはありませんが、これは母さん責めてもしょうがないし。ノーマンじいさんがどんなにへそ曲がったことを言っても、あったかく、大きく受け止める、良き妻です。

さらにここに飛び込んでくるのがビリー少年、13歳。ロスで女の子たちを引っかけて遊んでいた少年が、ノーマンじいさんに怒られて釣りに連れていかれてからというもの、だんだんノーマンと打ち解けるようになりまして、すっかり素直な少年に。最後はノーマンとゴールデン・ポンドの主釣りまで成功するというラッキー・ボーイです。中盤はこのビリーとノーマンのやんちゃぶりをエセルが見守るというのが主題ですので、日本語タイトルは「黄昏」となってますが、決してじいさんだけにスポットライトが当たった映画ってわけじゃないんだなと。

ただ、クライマックスでチェルシーとノーマンの長年の確執がやっと解かれたように、主役はあくまでこっちというか、そうした家族の営みを見守るゴールデン・ポンドこそ主役であるというか。ラストでノーマンとエセルが仲良くゴールデン・ポンドのほとりを散歩するように、たとえこの夫婦が亡くなってもゴールデン・ポンドは変わることなくそこにあり、チェルシー夫婦に受け継がれ、きっとビリーにも受け継がれていくのだろうなぁと。

しかし、クライマックスが実はもう1つありまして、前から心臓が悪いと言われているノーマンが発作で倒れちゃうんですよ。そこでいつも冷静なエセルが取り乱すという夫婦の愛情を忍ばせるシーンがあるんですけど、あそこら辺の展開は、ヘンリー=フォンダ氏が主演だってんで舞台とは違うような気がしました(未確認ですので推定ですが)。ヘンリー=フォンダ氏が主役だってんで入れたような感じもしました(そうでないと原題とのつながりとか、その前のビリーとの交流とかが浮く感じになる)。まぁ、そういうところを読んだ上で、日本語タイトルに「黄昏」とつけたとしたら、これはこれで秀逸だなと思いました。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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召集令状の実態

YouTubeにあったテレビのドキュメンタリーのようです。

国の命令に逆らって滋賀県旧大郷村の兵事係の西邑仁兵氏が残した赤紙や在郷軍人の記録などから再構成されたドラマと、生き残った人びとへのインタビューなどから構成されています。

赤紙1枚で戦場に駆り出された兵士たち、兵事係というのはその赤紙を届ける以外に、徴兵検査で面倒みたり、出世する兵士に付き添ったり、さらに戦死の報を届けたりもしていたそうです。仕事とはいえ、次第に増えていく戦死者、増える一方の出征者。村の者を死地に送り出したことに心を痛めたであろう西邑さん。
けれど、敗戦後、日本政府は出征の記録を焼失させ、フィリピンで何人の兵士が死んだのか正確な数もわからないのだと言う。
西邑さんはそうした命に背いて記録を残し、戦後64年間、それは西邑家に保存され、貴重な事実と、今に残る官僚制度の無責任さを伝えてくれるのだ。

このドキュメンタリーの収録時にはまだ健在だった西邑さんの勇気をわしも見習いたいと思う。



2時間近くの大作。腰を据えてどうぞ。

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ヒロシマ・ピョンヤン—棄てられた被爆者

監督:伊藤孝司
見たところ:横浜シネマジャック&ベティ
2009年、日本

広島と長崎で被爆した朝鮮人は合わせて7万人ほどいるという。しかし、国交のない北朝鮮の被爆者約4000人ほどが被爆者として認められることもなく暮らしているそうだ。
本作は、そんな在北朝鮮被爆者の1人、3歳の時に広島に入り、残留放射能で被爆してしまった李桂先(名前は「ケソン」さん)さんを追ったドキュメンタリーである。

公開中の映画なので続きにしまっておきます。

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人間(ひと)の碑(いしぶみ)~九十歳、いまも歩く

監督:林雅行
ナレーション:一青妙
見たところ:横浜シネマジャック
2006年、日本

先日見た「おみすてになるのですか」の前作です。杉山千佐子さん、90歳。その簡単な生い立ちから始まって、戦災傷害者の会長として、主に名古屋を歩く様を追ったドキュメンタリー。

杉山さんが被災したのは29歳の時。名古屋での大空襲でだった。戦争中、日本全国で150ヶ所もの都市が空襲を受けたそうで、そのうち戦災傷害者は48万人と言われる。しかし、先進国(という言い方を日本にするのはもはや躊躇われるのだが)のなかでただ日本だけが空襲の被害者に補償をしていないという。国家との雇用関係がなかったから(→国家総動員法で国民を軍需工場に駆り出していたので、この否定は成り立たない)、内地は戦場ではない(→東京大空襲で10万人の人が殺された。どんな戦場で10万人が殺されるというのか)という理由により、日本だけが補償を行っていない。
杉山さんはこの映画の30年前、国家による補償を求めて立ち上がり、全国戦災傷害者連絡会を立ち上げて、その会長となって活動を始めた。いまさら金の問題だけではないのだ。国が認めないというそれだけのことで、差別につながる、人としての名誉のために。

おみすてになるのですか」でもパワフルに動き回っていた杉山さんだが、ここではまた挫折も味わっている。いつまでも認めようとしない国家に先に倒れる仲間たち、諦めてしまう人びと、自分だけのためでなく同じ戦災傷害者のために戦っているのに心ない言葉をぶつけられることもあったろう。悔し泣きをもらす杉山さん。「自分が倒れたら、誰も後は継いでくれない」と断言する杉山さん。
杉山さんをそこまで動かすのは何なのだろうと思った。杉山さんはクリスチャンで、傷を負った時に「信仰に助けられた」と言っている。けれどそれは戦い、怒りへの原動力とは思えない。確かにクリスチャンとして祈るシーンもあるけれど、そこまで宗教的なものは感じさせないからだ(十字架下げてるわけでもないし)。自分たちが死ぬのを待っているのだろうと言う国家への怒り、人びとの理解のない蔑視への怒り、「死ぬのを待つのならまだ生きてやろう」と言う、それだけでは説明しきれない何かが、90歳になった杉山さんを支えているのだとしたら、それは戦いの途半ばで倒れた鈴木さん夫妻(杉山さんが片腕とも頼んだ元副会長。肝臓癌で死去)がいつも側にいると言うように、それこそ、絵空事のような亡くなった仲間、同志が杉山さんを支え、戦いに駆り出しているのかもしれない。

おみすてになるのですか」で書き忘れたんだけど、わしが子どもの頃って、いわゆる傷痍軍人が乞食のように物乞いしている姿をお祭りなんかでよく見た。失った手足をことさら目立つようにして道ばたに座っているのを見て、うちの両親は決して金を恵んだりしなかったものだが、あの人たちは軍属だから、金をもらっているわけだと知った。国家から金をもらっているのに、なお、ああしてわしらに金を無心する姿を、うちの両親は浅ましいと思っていたのではないかと思う。確認してないけど。逆に国家から一銭の金ももらっていない(ケロイドの治療をするのにも国は「美容整形だ」と称して金を渡さないそうである)戦災傷害者の方々のそういう姿は見た記憶がない。その違いはどこから来るのだろうなぁと思う。

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