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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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花杖記

山本周五郎著。新潮文庫刊。

表題作のほか、「武道無門」「良人の鎧」「御馬印拝借」「小指」「備前名弓伝」「似而非物語」「逃亡記」「肌匂う」の武家物9作と、現代物で実質デビュー作の「須磨寺付近」を集めた短編集です。

「武道無門」は臆病者の武士が臆病者なりに役に立ち、気持ちも新たに奉公しようと決意する話。
「良人の鎧」は関ヶ原の戦いに遅れた良人に代わり、気丈にも妻が鎧を着て戦場に立っちゃう話で、そうせざるを得なかった事情なんかも絡めた話。
「御馬印拝借」は2連続で家康の配下絡みで、家康を勝たせるために全滅覚悟の戦いに望んだ武士に許嫁がからんだ話で、ちょっと「柳橋物語」の冒頭を思い出す、男の勢いに押されて本心でもないのに嫁になることを承知しちゃったばかりに運命が変えられちゃった話。ちなみに戦の方は全滅です。
「小指」は奉公されている娘に若い武士がプロポーズしたのに、娘の方では断りを入れたけど、実は相思相愛で、何年も経ってから結ばれて、特徴的な娘の小指でそれと気づいたという話。
「備前名弓伝」はどんな時にも1本しか弓を持たない名人の話。
「似而非物語」は引退した剣豪に身代わりを頼まれたぐうたら者がなぜか、することなすこと剣豪ゆえと勘違いされてしまい、殿様にまで呼ばれる名誉に預かることになり、剣豪が未練がましく出てきたけれど、当人とは思ってもらえなかったという話。
「逃亡記」は姉の幸せのため、許嫁とされた男と逃げる娘の話。
「肌匂う」は発表当時は警察にポルノと勘違いされたそうですが、全然違って、一晩だけの契りを結んだ、どこの誰ともわからぬ女性が、実は幼なじみの女性だったことを、お互いに家族を持ってから気づいたという話。
「花杖記」は、父を殿中で殺された侍が、生前は疎遠だった父を好くようになり、その死の真相を突き止めるまで。
「須磨寺付近」は須磨寺に兄嫁と住む友人の家に下宿させてもらうことになった主人公の、兄嫁との心の触れあいと別れを描いた純文学調の話。

「似而非物語」は剣豪が笑いものになってるあたり、周五郎さんお得意のユーモア路線なのですが、描写がくどくて、おもしろくありませんでした。
「備前名弓伝」はありそうな話ですが、誰が元ネタなんですかね、これ。
「御馬印拝借」は囮ですね。そういや「タクティクスオウガ」でもLルートでデニムが囮になってガルガスタンの大軍を引きつけるってステージがありましたが、あれ、実際にはかなり難しいよね。個人的には好きになれませんが。
「逃亡記」の妹娘の無邪気さと一生懸命さがなかなか可愛くて、話はご都合主義に片付きましたが、おもしろかったです。

純文学については、まぁ、皆まで言うなってことで。

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ユダヤ人

J.P.サルトル著。安堂信也訳。岩波新書刊。

twitterでまわってきたので読んでみましたが、内容以前にTLされてた「日本人の朝鮮半島の人びとへの感情と似ている」という感想は的外れなものだと思いましたが、俺の勘違いだったっけ?
キリスト教以前から主にヨーロッパを中心に広がる反ユダヤ主義と、たかが一国内の隣国への負の感情は比ぶべくもないと思いました。つまり、日本人がどうして朝鮮半島の人びとを、あそこまで差別し、負の感情を抱くのかというのは、反ユダヤ主義のような歴史も持たず、宗教的・経済的な背景もなく、むしろ、つい先日読んだ「関東大震災」からのまた引用になりますが、

「日本の為政者も軍部もそして一般庶民も、日韓議定書の締結以来その併合までの経過が朝鮮国民の意志を完全に無視したものであることを十分に知っていた。また統監府の過酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れこんできていた朝鮮人労働者が、平穏な表情を保ちながらもその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることにも気づいていた。そして、そのことに同情しながらも、それは被圧迫民族の宿命として見過ごそうとする傾向があった。
つまり、日本人の内部には朝鮮人に対して一種の罪の意識がひそんでいたと言っていい。
(中略)ただ日本人の朝鮮人に対する後暗さが、そのような流言となってあらわれたことはまちがいなかった

引用終わり。

の方がよほどしっくりします。

ただ、どちらも差別者であることに違いはないので、共通項はあるのですが、同列に論じるには日本人のそれはあまりに矮小に思えます。

こうした反ユダヤ主義は、言論の自由の原則によって保証さるべき思想の範疇にははいらないのである

自由の意味を取り違えた人間が、いまの日本にはなんと多いことかと思います。

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伊東柱

宋友惠(ソン=ウヘ)著。伊吹郷訳。筑摩書房刊。

「空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~」で知った詩人の伊東柱(ユン=ドンジュ)さんの評伝です。興味を持ったのは例によって日本の植民地時代に治安維持法で検挙され、獄死したという経歴がありまして、片っ端から気づいたら読むようにしています。
副題も「青春の詩人」となっています。

写真を拝見すると温厚そうな文学青年という感じで治安維持法に検挙されるような方には思えないのですがさにあらず、そこが治安維持法の恐ろしいところで、疑わしきは罰するという精神で怪しい奴は片っ端から引っ張っていったというのが真相。まぁ、強いて言えば、朝鮮人が自国語を使っていただけで逮捕されてしまう時代だったというわけで、さらに特高にとっては伊東柱さんの従兄弟の宋夢奎(ソン=モンギュ)さんが要視察人だったことで、彼とつき合いの深い伊東柱さんやもう一人の高煕旭(コ=フィウク)さんと一緒に逮捕されてしまったとも考えられるわけです。
この言語の統制という発想は、唯一の地上戦となった沖縄でも方言を話す者を厳重に罰したとか聞いたので、とかく日本政府が関心が高かったんでしょう。

原著はもっと厚いのをかなりまとめたというので、特に逮捕されてからがあっさりした感があります。

あと、逮捕されたきっかけは伊東柱さん本人よりも宋夢奎さんの方にあったので、そちらにもスポットの当たったのが読みたいなぁと思いました。

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関東大震災

吉村昭著。文春文庫刊。

twitterで流れてきたんで、そうでなくても吉村昭さんといったら、わしのなかでは「破獄」「戦艦武蔵」などの膨大な資料を下敷きにした緻密な構成の歴史物を書く作家、という認識なのでその作風には信頼を置いています。「関東大震災」もそのような流れと思われたので読んでみました。

1923年、相模湾を震源地とし、首都圏一帯に壊滅的な被害をもたらした関東大震災を多面的に描いたドキュメンタリーです。

特に朝鮮の人びとを多く殺した流言飛語について、その発生と当時の日本人の心理状況を描いたところがいちばん読みたかったので、その精神は現在の日本における特に朝鮮の人への差別意識にも繋がるものだと思ったので引用してみます。

「日本の為政者も軍部もそして一般庶民も、日韓議定書の締結以来その併合までの経過が朝鮮国民の意志を完全に無視したものであることを十分に知っていた。また統監府の過酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れこんできていた朝鮮人労働者が、平穏な表情を保ちながらもその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることにも気づいていた。そして、そのことに同情しながらも、それは被圧迫民族の宿命として見過ごそうとする傾向があった。
つまり、日本人の内部には朝鮮人に対して一種の罪の意識がひそんでいたと言っていい。
(中略)ただ日本人の朝鮮人に対する後暗さが、そのような流言となってあらわれたことはまちがいなかった

その後ろめたさを持たぬ若者が右傾化するのはある意味、当然のことかもしれません。敗戦に至るまで明治維新からの歴史をきちんと学ぶべきだと思います。「終戦」などという言葉で誤魔化さないで「敗戦」と伝えるべきです。作中に「終戦」と書いてあって吉村昭おまえもかと思いかけましたが、掲載誌が「諸君」だった時点で察するべきでした。

名著です。

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やぶからし

山本周五郎著。新潮文庫刊。

引き続き短編集で、表題作のほかに「入婿十万両」「抜打ち獅子兵衛」「蕗問答」「笠折半九郎」「避けぬ三佐」「鉢の木」「孫七とずんど」「菊屋敷」「山だち問答」「『こいそ』と『竹四郎』」「ばちあたり」を収録。うち、「ばちあたり」のみ現代物ですが、ほかは時代物で、しかもどれも武家物です。

「入婿十万両」は武家物ですが、主人公は元商人というのが異色。藩の危機を救うため、商人から武家に入婿になった主人公の嫁が、最初は商人だった主人公を嫌っていて閨もともにしなかったのに、ふとしたことからその実力を知ってしまい、なびいてしまう辺りがユーモラス。
「抜打ち獅子兵衛」は武士としては無調法な往来での駆け勝負を行った抜打ち獅子兵衛こと左内の思惑は、お家断絶になった姫君を救うことにあったという忠義ぶりがあっぱれ。しかし、左内のわりと強調された美青年ぶりといい、映像化すると陳腐な話になりそうです。
「蕗問答」は、殿様の無理に小言を言おうとした秋田藩士だったけれど、名高い健忘家のために肝心の小言の理由を忘れてしまい、おこぜとあだ名される醜女を嫁にもらってしまいますが、実は彼女は機転の利く才女で、秋田の新しい名産に蕗の煮物を思いつきます。それで殿様への小言を思い出した藩士は改めて殿様のところに行くという話。
「笠折半九郎」は、ひょんなことで仲違いした親友同士がよりを戻すまでの話。
「避けぬ三佐」は、避けないことで有名な三佐という侍が、家康が江戸に行くことになった話を聞いて嫁を取ることを思いつくという、発表された時代を考えるとなかなか大胆な話。戦陣訓が叫ばれた戦中ですよ。
「鉢の木」は、主君に勘当されて絶望の淵にあった侍がいつか帰参の望みを持ちながら、実は主君が絶体絶命の戦いにあり、いつまでも帰参の報せが来なかったことを知り、死しかない戦いとわかっていながら、喜び勇んで赴くという話。
「孫七とずんど」も友情物で、性格の異なる二人の侍の友情を、これまた温かく描いた話。
「菊屋敷」は、器量の良い妹に振り回されて運命を変えられた姉が本当の幸せを実感するまでを描いた話なんですが、あんまりおもしろくなかったです。
「山だち問答」は、主君の用事を果たしに行く途中で山賊まがいのことをしていた野武士たちに持ち物も金銭も置いていけと迫られ、帰りに約束を果たした武士が、そのことで臆病者との噂を立てられたものの、やがて嫁を得、野武士たちも逆に武士の心意気に感動して部下にしてもらいたいとやってくるまでを描いた話。
「『こいそ』と『竹四郎』」は、足軽だとて己の身分に恥じることのない竹四郎が、家老の娘、こいそを見事娶るまでの話。
「やぶからし」は、「やぶからし(藪枯らし)」と呼ばれる放蕩息子の嫁に入った世間知らずの若嫁が、勘当された夫に再会し、そのもとに行こうとする女の心の不可解さを描いた、と紹介があるんですが、単に世間知らずの嫁が誰にも相談しないで自分一人で解決しようとしたら、うまく片づいちゃった話と読めました。

唯一の現代物「ばちあたり」は、母の死に伴って帰郷した三姉弟が、母と暮らしていた末弟が実は母の不義の息子だったことを知るも、「ばちあたり」と呼んだ末弟を母はやっぱり愛していてテープに吹き込んでいたのに、そのことを知らずに末弟は自殺を図っちゃうけれど、という話。テープという小道具がなければ時代物でもよさそうな話。

どれも水準高いんだけど、個人的にはどっちでもいい話が多かったです。

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