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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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チェーザレ1~5巻

総領冬実著。モーニングKCDX刊。

副題が「破壊の創造者」とあり、何かと人気のチェーザレ=ボルジアを主役にした漫画です。史料が膨大なので不定期連載だそうで、11巻まで出てますがまだ完結してません。

主役はチェーザレですが、狂言回しはフィレンツェ出身の学生アンジェロで、職人の祖父に育てられ、わりと世事に疎いアンジェロがピサの大学で同じフィオレンティーナ(フィレンツェの学生団)のロベルトや、スペイン団のミゲル(ミケロットのスペイン読み)らに教えられ、チェーザレと知り合いになり…という筋回しはもはやこの手の話では古典的な手法でしょうな。
それに加え、ダ・ヴィンチ、ロレンツォ=メディチ、マキャベリを初め、有名無名の実在の人物も登場して、傑物チェーザレを描きます。

第一話のカラー口絵(見開き)で髭を生やした騎馬のおっさんが出てくるのですが、これがチェーザレの後の姿で、確か31歳ぐらいで若死にしているので、その晩年まで描くのだろうと思いますが、1巻でまだ1年も経ってないので、どれぐらいかけるのやら…

そういや森川久美さんの漫画にはまっていたころ、ロレンツォ=メディチを主役にサヴォナローラも登場した話を読んだんですが、チェーザレが同じ時代なので懐かしくなりました。この話のサヴォナローラはもっと狂信的ですが。

とりあえず10巻まで置いてあったんで、また続きを読んでみようと思います。

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医学者たちの組織犯罪

常石敬一著。朝日文庫刊。

副題が「関東軍第七三一部隊」とあるように「消えた細菌戦部隊」と同じ著者で、スタンスも変わってないどころか後退した感もあります。

いちばんの問題点は「悪魔の飽食」によって犠牲者3000人と証拠が出され、「消えた細菌戦部隊」でも3000人と言っていたのが、何の根拠も示すことなく、さくっと2000人に減らしたことでしょう。七三一部隊による犠牲者の縮小化は歴史修正主義だと言われても否定しようがないんじゃないでしょうか。

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チベット旅行記

川口慧海著。青空文庫刊。

うちのあいぽんで2200ページの大作です。序文こそ文語体でしたが、本文は口語体なので多少古めかしい口調でしたが読むのは楽です。

鎖国していたチベットに密入国した日本の僧、川口慧海のチベット旅行記です。まんま。

ただ坊主の常なんでしょうが、一般ぴーぽーを救ってやるという上から目線と、大日本帝国のエリートという自負があちこちに顔を覗かせており、読んでて気分悪かったです。

あと個人的には「この子を残して」の永井隆博士の時も疑問だったんですが、仏陀やイエス・キリストを最上位に置いている宗教者がどうして、それと同等か、あるいはそれより上に天皇(慧海の場合は明治、永井の場合はヒロヒト)を置けるのか、とんと理解できません。まことに日本的と言いますか、神を信仰していながら、それと同じくらいの強さでもって天皇を信じるのは本当に宗教家なんでしょうか? なかには神や仏を信じるあまり、天皇を否定して検挙された宗教家もいたはずなんですが。

時代的にはしょうがない部分もあるんでしょうが、そこがずーっと引っかかってて読んでるのがしんどかったです。

神に救われたくない人間は同じ人間にも救われたくないのです。余計なお世話ってもんですよ。

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つゆのひぬま

山本周五郎著。新潮文庫刊。

表題作のほか、「武家草鞋」「おしゃべり物語」「山女魚」「陽気な客」「妹の縁談」「大納言狐」「水たたき」「凍てのあと」を収録した短編集です。うち「陽気な客」が現代物で、ほかは時代物ですが、周五郎さん的には舞台こそ江戸時代とかだったりするけれど、登場人物の心情などは現代のものであって、あんまり時代物の作家と呼ばれたくなかったと「あとのない仮名」の解説に書いてありました。

「陽気な客」は酔っぱらいが、とある芸術家との関わりと死を一方的に語る話なんですが、こういうのを純文学と言うのだろうか?
「武家草鞋」は、自分が常に正しいと思い込んでいる潔癖症の侍が、ご隠居に諫められ、同僚に迎えに来てもらって帰る話。
「おしゃべり物語」はおしゃべりな若侍がおしゃべりで藩の問題を解決する滑稽物。
「山女魚」は病弱な兄が亡くなり、その遺言で兄嫁と結婚することになった弟と兄嫁が、実は相思相愛で結ばれるまでの話。
「妹の縁談」は「おたふく物語」の続編というか、前編というか、姉が妹を嫁がせるまでの話。
「大納言狐」は周五郎さんには意外と多い平安物で、田舎貴族が京の都に出てきたけれど失望して田舎に帰るまでの話。風刺らしいです。
「水たたき」はさんざん放蕩を尽くした料理人が晩婚で若い嫁をもらったものの、嫁に「浮気のひとつもしろ」とそそのかし、嫁と寄りを戻すまでの話。
「凍てのあと」は勤めていた店が違法な飾りをやっていたことがおかみに知られ、一人で罪をかぶった職人がそのために根深い人間不信に陥り、隣りに越してきた浪人が似たような境遇にあることを知って仲良くなり、その嫁と寄りを戻させようとするうちに自らも癒されていく話。
「つゆのひぬま」は岡場所物で、人間不信に取り憑かれた先輩女郎が、後輩の人間を信じる真心に癒される話。

といったラインナップでした。ただ、ナイトキャップで読んでいるためか、何本か途中で寝ちゃった話もありまして、切れ味鋭い短編というのはなかなか長さも難しいものですネ。

「おしゃべり物語」の周五郎さんお得意のタッチが痛快でした。しかしこのリズムは映像にすると逆に野暮ったいと思います。

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消えた細菌戦部隊

常石敬一著。ちくま文庫刊。

サブタイトルが「関東軍第七三一部隊」とあります。もちろん、それなので、わしも興味を覚えたのですが、たぶん、これもtwitterでまわってきたと思います。
ただ、わしのスタンスとしては森村誠一さんの名著「悪魔の飽食」シリーズが念頭にありますので当然、それと比較して読みますので、点数はかなり辛いです。

というのも、著者の立ち位置が後書きにあるように「最初は部隊の一人ひとりの医者に対して腹が立った。しかし次第に悲しい気持ちになっていった」という、たぶんに加害者にも同情的な書き方をしているせいです。
それで解説を読んで知ったんですが、森村=常石論争というのがあったようで、石井部隊を告発し、加害者の罪状を並べるのが目的のような「悪魔の飽食」と、七三一部隊を通して「戦争とは」「科学とは」「医学とは」を追求しているような本書とは当然、対立するものでしょうが、これは敗戦後の日本人の、自国がなした加害への立ち位置にも共通していると思いました。

わしは、たぶん「悪魔の飽食」を読んだ高校生以降だと思いますが、十五年戦争において、日本が受けた被害だけでなく加害の方にも目を向けるようになりまして、大学を卒業する直前に本多勝一の「中国の旅」などの日本軍の加害を追った一連のシリーズを読んで、原爆とか沖縄戦も確かに興味のある題材だし、決して忘れてはいけないことではあるけれども、そこに向けられる関心と同等以上に、日本がなした加害についても目を向けるべきであると考えるようになっておりました。まぁ、漠然と。そして、そのまま「南京への道」とか読んで南京大虐殺とか三光作戦とかを知ると、当然、興味は植民地となり、強制連行や従軍慰安婦など苛烈な支配を受けた朝鮮半島や、日本に収奪されるだけの朝鮮から逃げ出して日本に来ざるを得なかった在日の人たちに目が向くようになりまして、そんな番組も見るようになったのでした。
今でも忘れられないのは、確か某国営放送のドラマで萩原健一主演、菅井きんさんが在日のおばあちゃん役をやっていたドラマでして、ショーケンの父親が戦中、憲兵隊だったか軍人だったかで、その罪を知るために大韓民国に赴くというあらすじではなかったかと思います。ただ、主役はショーケンの息子と菅井きんさんの孫で、少年たちの国境を越えた友情で終わったような気がしますが途中の展開は、さすがに20年以上も前のドラマなんで覚えてません。今と違ってソフト化もしづらい時代だったしな。
それを観ていたわしに父親が言ったのです。「親父の罪を暴くようなもの観やがって」と。
つまり、それが一般的な日本人の、あの十五年戦争で日本軍がなした戦争犯罪への態度じゃないかと、今は思います。わざわざ国家の恥部、自分たちのご先祖、父親、祖父、叔父や息子の罪を暴く必要はないじゃないかというのが。そして、それこそが、未だに日本人が十五年戦争での戦争犯罪にきちんと向き合えず、国際社会や被害を受けた国々に真摯に謝罪することもなく、信用もされていない理由なんじゃないかと思います。
それは、「顔のないヒトラーたち」で描かれたようなナチスを徹底的に暴き、その罪状を明らかにするドイツの態度とは対照的です。
そして、やっと本書に話題が戻りますけど、この本の立ち位置というのは、そういう大多数の日本人の感情に、意図的にではなくても沿うものだったのではないかと思いました。
確かに「悪魔の飽食」はセンセーショナルな内容です。写真や絵図も豊富に使っており、誤った写真を引用してしまうという誤謬も犯しましたが、「悪魔の飽食」に勝る七三一部隊について描かれた本というのはなかなかないような気もしてしまいます。と言い切れるほど、わしも七三一関連の書籍ばかり読んでいるわけではありませんが、少なくとも侵華日軍第731部隊罪証陳列館に行った時に抱いた感想は申し訳ないけれども「物足りない」でした。
本書に抱く感想は、もうちっと違いますが、「怒りよりも悲しみ」という著者の言葉には賛同しかねます。確かに、あの時代に医者となり、七三一部隊に招集されるような立場であったならば、人体実験を拒否するのは難しかったでしょう。ナチスの犯罪がごく普通の人びとによって担われたように、七三一部隊にいた医者たちも我々が現在、診察を受ける医者たちと、そう変わるものではありますまい。
だからといって後の時代に生きる、しかも本書が書かれた時代にはまだ生存していた元隊員もいたこれ以上ない好条件の時代に加害者に寄り添い、「生きている間に口を開いてもらいたい(あとがきより)」では生ぬるいと思うのです。ナチスの犯罪が人類に対する犯罪ならば、たとえ数が圧倒的に少ないとはいえ、中国やソ連、モンゴルや朝鮮の人を犠牲にした七三一部隊の人体実験もまた人類に対する犯罪です。それは寄り添うような、告白を待つような態度では決して真相を暴くことはできないし、責め立てても口を開かせねばならなかったと思います。そうした当事者の証言があってこそ、初めて、我々、後の時代に生きる日本人は「過ちは繰り返しませぬから」と胸を張って言えるのではないでしょうか? もちろん、それは七三一部隊だけに限ったことではありません。

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