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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ながい坂

山本周五郎著。新潮文庫刊。全2巻。

上下巻で著者の最後の長編です。

平侍で従士(かち)組の子に生まれた阿部小太郎が8歳の時に味わった屈辱のために学問に励むようになり、立身出世していく様子を、架空の小藩の三世代に及ぶいざこざなどにもからめて描いた物語。

「明智光秀と徳川家康を書いたら時代物は終わりにして現代物に専念したい」と言っていた周五郎さんが、寄る年波にそれがかなわぬことを悟り、自身の徳川家康の物語として書いた小説ではないかということです。
なのでタイトルの「ながい坂」というのは家康の「人生とは重き荷物を背負って坂道を登るようなもの。 忙ぐべからず」によると思われます。

樅ノ木は残った」で描いた原田甲斐や、「虚空遍歴」の主人公・中藤冲也と異なった理想の人物を描いた話だったんですが、正直、理想的過ぎてあんまり魅力的じゃありませんでした。まぁ、立身出世のビルドゥングスロマンとして見れば、屈辱あり、挫折あり、取り立てあり、嫉妬もあり、実家の落ちぶれありとてんこ盛りのサービス満点な話なんですけど、終盤がうまくいきすぎるというか、主人公に人間くささがあんまり感じられなくて読んでて退屈でした。なにしろ母親が死ぬと言われても「あれは自分の実の親ではないような気がしていた」とか言って見舞いに行くのも断っちゃうような御仁です。この母親も確かに母親らしいことはしてませんが、見舞いぐらい行こうよと思いました。むしろ、侍で名家の出でありながら、自分には合わないと言って百姓になってしまう津田大五の方がずっと好感が持てました。

あと、今作も「風流太平記」に続いてダブルヒロインなんですけど、妾とも言える立場のななえは典型的な待つ・尽くすタイプの女で好感が持てず、正妻のつるは父親に「鷲ッ子」と呼ばれるような強気な女性だったのに主人公と和解してからはごくふつうの嫁になっちゃった感じで、ここら辺もおもしろくなかった理由かも。特に中盤、政敵から逃れるために百姓に身をやつす主人公と一緒にいるななえが、流産した子どもをいつまでも思ってめそめそしている辺りなんかは登場するたびにイラッとするという…

名君て感じの描かれ方の主君、飛騨守昌治は傑物という感じがおもしろかったですが、好きかと言われると逆に周五郎さんらしくなくて特に好きでもないという。

原田甲斐の、史実から抜けられないなかでの新しい人物像に比べると、作者の自由になるノンフィクションの方がおもしろくないというのはわしの好みの問題もありますが、皮肉な話です。

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もう一度子供になれたら

ヤヌシュ=コルチャック著。近藤康子訳。萱慶子画。図書出版社刊。

コルチャック先生の著作です。

希望がかなって、もう一度子どもになれた著者が子どもの大変さについて大人の視点で綴った小説とでもいいますか。生涯、子どもに寄り添い、孤児院を運営し、ともにトレブリンカ絶滅収容所で亡くなったコルチャック先生らしい話でした。

挿絵が漫画っぽかったのは逆効果な気がするので、むしろコルチャック先生が生きていた時代のポーランドの写真とか入れてほしかったと思いました。

コルチャック先生の書いたという童話も読んでみたいと思います。

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青木雄二の世界文学講座 罪と罰

青木雄二著。講談社刊。

「ナニワ金融道」で有名な漫画家の青木雄二氏がドストエフスキーの「罪と罰」を「唯物論」の視点で解釈した本。

「罪と罰」は手塚治虫の漫画で読んだことがあるんだけど、原作に登場するドゥーニャとかルージンは出てこないので、かなり子ども向けに翻案したのだと気づきました。まぁ、いなくても話が成り立っちゃうのが手塚治虫が凄いのか、原作が凄いのかと思うんですけど、「白痴」は読んだんだけどやっぱり黒澤版の方が数倍おもしろかったんで好みもあるんでしょう。

そのうちに読んでみようと思いますが、その前に手っ取り早く読める本でした。

宗教=阿片とかは何を今更な話。

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異水

永山則夫著。河出書房新社刊。

「なぜか、海」の続編で表題作のほか、「陸の眼」を収録。

「陸の眼」は渋谷の西村フルーツパーラーを辞めたNが海が見たくて横浜に向かい、香港行きの船に密航してまた日本に帰され、婿養子に行った長兄に引き取られ、バイクの会社に就職するもうまくいかず、兄に給料を猫ばばされたこともあり、再び家出するまで。
「異水」は大阪まで流れていったNが道ばたで知り合ったおっさんの紹介で米問屋に就職するも、社長の求める戸籍謄本を母から送ってもらい、そこに本籍地が「網走番外地」とあったことでちょうど流行っていた映画「網走番外地」=網走刑務所のことだと思い込み、人間関係をこじらせてしまい、米問屋を辞めて、また東京に帰るまで。

ここら辺になると読んでてしんどいという感じではなく、誰にも相談できずにこじらせていくNの態度がもどかしいと思いました。「陸の眼」でやりたかったことと違う仕事を与えられて就職早々にやる気を失うところとか、長兄に給料の半分を猫ばばされた(と思った)こととか、独りよがりな判断で悪い方へ悪い方へ転がっていってしまう。誰かに相談できればまた違う結末もあったろうにそう考えることができない。
けれども悪いのはそういう考え方しかできないNではなく、彼を育てていない親や兄姉なんですよね。唯一、彼を育てたと言えるのは長姉のセツなんですけど、それも4歳ぐらいまでのことでしかない。セツ姉さんはNを無条件で愛したけれど、それはNにとって逃げ込むものでしかならなくなった。Nに必要だったのは「普通の」人間関係、友だち。

「異水」の最後で東京に戻るN、いつか見た映画のなかの南の海に憧れながら東京に戻るのは、そこに兄がいるから。兄に何度も裏切られながら、土壇場では頼るしかない。その歪んだ関係がやがて彼に重大な犯罪を犯させてしまう。その流れがわかっているだけに、辛いなと思います。

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なぜか、海

永山則夫著。河出書房新社刊。

捨て子ごっこ」の続編で、中学を卒業して集団上京する表題作と、その前日譚の「残雪」を収めてあります。

「残雪」は家出したりして、すっかり学校に行かなくなっていくものの、担任の先生の温情とかもあって卒業させてもらえるまで。
「なぜか、海」は上京して渋谷にある西村フルーツパーラーに就職したNが最初のうちこそ順調に勤めていたものの、上司らに青森時代(つまり「残雪」の頃)に盗みをしたことがばれていたために働く意欲を失い、最後には三兄の下宿に転がり込むまでを書いてます。

今で言うネグレクト、育児放棄を受けて育ったNは、わしらが見ると些細なことでつまづき、やる気を失ってしまいます。これは小さい頃からNが自分を肯定してもらえなかったことに影響があると思い、本来ならばその役目をするはずだった両親が不在というのはすでになされた分析かもしれません。Nを無条件で愛した長姉セツが精神に異常を来し、長く精神病院に入院しているという状況はNの成長に大いにマイナスであったろうと。それでも西村フルーツで仕事を要領よくこなしていくNの姿には青森時代の卑屈さがなかっただけに、上司の無理解な台詞とかがやがてNが引き起こす事件につながっていくのが見えてしまって何ということかと思いました。誰かが手を差し伸べれば、どこかで何かが変わっていたかもしれない。N、永山則夫氏はあんな犯罪を犯さないで済んだかもしれない。そう思えてなりません。

そんなNが「なぜか、海」を見に行って安らぐのは、セツ姉さんと過ごした網走時代の記憶のためだったのでしょうか。

そういや「死刑囚042」でも主人公のカウンセラーが「隣の人にちょっとだけ気を配ってほしい」と訴えた最後の方のシーンが思い出されました。

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