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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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汚れなき悪戯

スペイン。
監督:ラディスラオ=パホダ
出演:語り手の修道士(フェルナンド=レイ)、マルセリーノ(パブリート=カルボ)、僧院長(ラファエル=リベリエス)、ほか

実家のビデオが壊れまして、ビデオなしのBD買ったもんで、今まで取り貯めたビデオ要らないって言うんで、たきがはが引き取りました。見てないの多いしさ、見ておこうと思いまして。
で、軽いのあり、重いのあり、シリアスあり、コメディあり、西部劇あり、ミュージカルあり、とハリウッド映画中心に100本ぐらいあるんですが、最初から重いのはしんどいので、ちょっと軽めのでいこうと。で、うちの親曰く「スペイン版『禁じられた遊び』」だっていうんで、これから。

ママン、これ、「禁じられた遊び」ちゃうよ?

聖マルセリーノの祭りを祝うスペインの村。とある修道士が、病気で祭りに参加できない少女のために、マルセリーノの物語を語る。それは、この修道院に捨て子があったことから始まった奇跡の物語であった。

原題が「マルセリーノ、パンと葡萄」といいます。これがずばり本題、なぜマルセリーノがこう呼ばれるようになったか、という話です。

それはそれとして、マルセリーノが可愛い! この映画は全編、それにつきますな。親をなくして修道院に捨てられたマルセリーノ。彼を育てることになった12人の修道士たちは、そのいたずらに惑わされつつ、彼を可愛がります。
でもある日、修道士たちに入ることを禁じられた屋根裏で、マルセリーノは十字架にかけられる神を見、彼にパンと葡萄酒を運んでやるようになったのでした。

子どもの純朴さが起こす奇跡。宗教心の厚い、スペインならではの物語やな〜と思いました。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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チェ28歳の革命

監督:スティーブン=ソダーバーグ
出演:エルネスト=チェ・ゲバラ(ベニチオ=デル・トロ)、ほか
見たところ:ワーナーマイカル茅ヶ崎

ゲバラ2部作の1作目。本編の開始前に、短いニュースが流れて、ゲバラの人となりをちょっぴり紹介しますが、蛇足な気もする。だって、ゲバラを知らないでこの映画を見に来る人がいるとも思えんし、来ても、ゲバラを知るためにこの映画を見るのでは? この映画でゲバラの人となりを紹介できんのなら、それこそ、映画として失格では?

革命戦争当時のゲバラと、革命が成功し、ゲバラがキューバ(と日本語では書きますが、作中の発音を聞いていると「クーバ」と言ってます。スペイン語だから、でなく、英語圏の人も「クーバ」と言ってるように聞こえるので、「クーバ」と表記するのが正しいのかもしれませんが、そこらへんはいい加減な日本語だからな)の代表として国連で演説したり、アメリカのラジオでインタビューを受けたり、という10年を隔てたゲバラが交互に流されるので、大変筋がつかみにくいです。
映像は1950年代がカラー、1960年代が白黒と分かれているのですぐにわかりますが、こう、交互に流すのはどういう意図があったのかと。

思うに、ゲバラは「20世紀最大のカリスマ」と言われ、今でもよくシャツの題材になったり、「モーターサイクルダイアリーズ」とかってタイトルの若き日のゲバラ主演の映画が撮られたり、と人気があります。ちなみに「モーター云々」の映画はたきがは未見なので、ノーコメントです。主演はガエル・ガルシア・ベルナル。
主演のベニチオ=デル・トロは、けっこうゲバラに似せてると思いますが、すんません、本物のがずっとかっちょいいです。いや、映画を見ているとだんだん錯覚してくるぐらい、そっくりさんではありますが、でも本物のがずっと格好いいんです。つまり、この「チェ28歳の革命」という映画は、ゲバラがいかに格好いいかを描くための映画ではなかったかと思ったわけです。
ゲバラが今も褪せない魅力を放っているのは、やはりその徹底した平等主義と飽くなき理想を追い求め、ついにボリビアの地で殺されてしまったということと、作中でも描かれる潔癖な戦士像ではないかと思います。つまり、ゲバラ、格好いいぜ、いえ〜!ちゅうことが、監督は言いたかったんでないかと。
そう、今でこそ米帝国主義を疑う人はそうそういないと思いますが(それでも昨日、第44代大統領にオバマ氏が就任したから、これからどう変わるかわかりませんが)、1960年代、アメリカは徹底的に中南米に干渉し、自分たちに都合のいい政権を応援していた。ニカラグアしかり、パナマしかり。「エル・サル・バドル」なんて映画もあったし。そうしたアメリカの走狗となった国とゲバラが国連で交わした演説、アメリカ大使の途中での退席や、ゲバラの演説が終わった時に各国から送られた拍手とか見てるとわかるように、ゲバラはどこまでも格好良かったんです。

でも、この映画を見て、ゲバラ、格好いいぜ、いえ〜!と言いたくなるかと言うと、1960年代の国連でのゲバラは格好いいのだが、1950年代のゲバラの格好良さは、うーん、ちょっと難しいかも。キューバに上陸してから、カストロらとゲバラの戦いが始まるんですが、話が断片的にぶちぶち切れてしまうので、なかなか格好良く見えない。だいたい、個人戦なんてものが存在しない現代の戦闘において、指揮官たるゲバラを格好良く見せるのはなかなか難しい。戦いっていったって、個々の兵士もあるし、指揮官てあんまり動かんし。
ただ、戦争というと、どうしても旧日本軍の醜さが頭から離れないたきがはにとって、戦闘員として、診療所にも女性がおり、特に問題が起きることなく戦っていた、という事実はもう少しクローズアップしても良かったんじゃないかと思う。戦争といったら、男の世界だったのは古今東西変わらないはず。女性は参加しても看護婦という形、最悪の場合、慰安婦という形で、男たちにとっての従でしかなかった。癒し(肉体的な意味でも性的な意味でも)しか女性には求めていなかった。でも、キューバの革命戦争では、女性も銃を取り、女性に文字を教わる男性たちが出てくる。それはゲバラの功績ではなく、共産主義のためかもしれないが、それはゲバラという主題から外れてしまうかもしれないが、共産主義というだけでキューバ革命を否定する人がいるのなら、こんなに平等に男女が扱われることもあるのだと言うことはできなかったのだろうかとか関係ないことを思ったりする。

ラスト、革命戦争で重大な役割を果たしたというサンタクララを落としたゲバラたちは、ついに首都のハバナへ向かう。その時、隊に参戦した若い兵士が、いかにもな高級車に乗っていこうとするのをゲバラは毅然と止める。「それはおまえのものではない。すぐにサンタクララまで返しに行け。そして、ハバナへは歩きか、バスか、ジープで行くのだ」と言って。勝者だからと見過ごされてきた暴力にもゲバラはその姿勢を変えなかった、という意味では良いエピソードだと思ったよ。

この後、第2弾が公開予定。さて、第1弾で「ゲバラ最高〜!」と思ってくれた人はどれだけいて、第2弾まで見に行こうという人もどれだけいるのか気にかかるところ。それが多ければ多いほど、この映画は成功と言えるんじゃないかな。

ゲバラについてはWikiも見てちょ。この写真がよくTシャツになってる有名なやつだ。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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252 生存者あり

監督:水田伸生
原作:小森陽一
音楽:岩代太郎
出演:篠原祐司(伊藤英明)、篠原静馬(内野聖陽)、宮内達也(山本太郎)、真柴哲司(杉本哲太)、海野咲(香椎由宇)、重村誠(山田孝之)、藤井圭介(木村祐一)、篠原しおり(大森絢音)、篠原由美(桜井幸子)、キム=スミン(MINJI)、木暮課長(西村雅彦)、津田沼(温水洋一)、ほか

予告からずっと気になってた映画だったんだけど、やっと行けました。

とある保険会社の調査によると、世界でいちばん自然災害に対して危険な町は、ダントツで東京・横浜だそうです。本作を見てると、高潮に呑まれるお台場地域、銀座とか、実は海抜数メートルもなくて、あんな高い波じゃなくても、あっという間に水に呑まれ、うっかり下りた地下鉄道の発達した都心のもろさを思いました。
何しろ、知った場所、というのは臨場感が違います。「タワーリング・インフェルノ」とか「ポセイドン・アドベンチャー」とか、たきがはも往年のハリウッドのパニック映画は見てますが、リアル感が異なります。いや、これらのパニック映画というのは、ほんとに大半の人びとがパニックしていて、一握りの超人的な主人公たちが人びとを救い、導くという話だったような気がしますが、舞台も「ありえね〜」なら、主人公も「ありえね〜」なお伽話。映画が終わったら、「ああ、おもしろかった」で終わる話でしたが、この「252」は場所もリアルならば、起こりうる災害もリアル、登場人物たちも(多少、ご都合主義なのはしょうがないとしまして)等身大であろうとしている。新しい時代のパニック映画ならぬ、災害スペクタクル映画とでも言いましょうか、というのは、よりリアルなものを見せようとしているのかもしれません。
かつて、CGとかってハリウッド映画の得意だった。日本の特撮、いかにもな人形はちんけで、この手のスペクタクル映画を作られてもどうせ日本映画だから、と期待せず、期待しても何かちんけでがっかりさせられたことはなかったでしょうか。この映画を見ていると、もうそういう時代は終わったのだな、と思いました。知った場所、というリアルさだけではなく、お台場を呑み込む高潮の凄さは、本物を見てるようなリアルさがあります。おお、日本映画も世界に誇れるCGを作れるようになったんだと。CGは作ってなんぼではなく、演出してなんぼです。その演出で見せられるようになったのだなと思いました。

前振りが長くなりましたが、ここからが本題。

小笠原諸島を襲った地震の影響で、日本近海の水温が急上昇し、巨大台風の出現を予測する、気象庁の海野咲。果たして9月16日、その予報は現実のものとなって、東京を直撃する。娘の誕生日のために銀座を訪れた篠原祐司は、突然降り出した巨大な雹から逃れるために地下に下りるが、その後、臨海を襲った高潮のために地下鉄は水没、地下に閉じ込められてしまう。祐司の兄、静馬は東京消防庁に所属するレスキューだったが、雹、高潮と続く災害に新橋に出動、そこで祐司の妻、由美と出会い、姪のしおりと祐司とはぐれたことを知る。大阪の中小企業の社長の藤井、研修医の重村、韓国人ホステスのスミン、娘のしおりとうち捨てられた新橋駅に逃れた祐司は、地上に「2・5・2」の通信を送り続ける。レスキューだけが知っている、「生存者あり」の信号、だが、気象庁から、海野咲が二次災害を避けるために救出を辞めるよう進言して…。

前半、パニック。後半、救出劇と生還劇。
台風の描写が凄くて、強風ぶうぶう吹いてる。去年は首都圏は台風直撃を免れましたが、いつ来てもおかしくない。そして、高潮に呑まれる銀座や地下鉄。あそこらへん、海抜何mだっけ?と思ったら、いつあってもおかしくない状況かも。そして突然降り出す巨大な雹は、台風発生時にはあり得ないものじゃないんですってよ。あわわわ…
一転、静かな地下。でも、逃げてくる時に濁流に呑まれた人たちを救えなかった。いつ崩れるかわからないという恐怖。それでも諦めない。生還するという信念を持った祐司に、我々観客も同調していくのかも。また祐司以外の4人もドラマが盛り沢山。「ここまで揃わねぇよ!」なご都合主義の設定もあるけど、まぁ、そこは目をつぶってもいい範囲かな?
そして地上。助けたいレスキューと助けてもらいたい由美。その葛藤、苛立ち。山本太郎さんが、静馬の副官役なんだけど、いい演技してはりました。それでも、先走っちゃう若さ、その若さが見つけるひとかけらの希望。地下から送られる「252」を聞きつける、というシーンは、なかなか憎い演出。良かったな、青木くん! でもそこで死ぬなよ、青木くん! 予報士として冷静であろうとする咲が、静馬の弟を思う気持ちに打たれて、「台風の目に入る18分間なら」と進言してしまうのもいい感じ。

最後までスペクタクルで飽きさせません。地上の動と地下の静のメリハリも一本調子になりがちな話にいいバランス。地下の3人(篠原親子以外)のドラマも地下の静に動を与えて良いです。聾唖の娘、というしおりの設定も、うまく生かした感じもしますし、ラスト、懸命に父を呼ぶ声のせつなさは、感動大爆発。

ところで、予告でもさんざん言われてたんだけど、「首都圏直下の地震」てないすよね? 首都圏直下なら、東京、無事なわけないもんね? パンフの粗筋にも「東京に震度5の地震」ってあるけど、無事なはずないもんね?

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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おくりびと

監督:滝田洋二郎
出演:小林大悟(元木雅弘)、美香(広末涼子)、佐々木社長(山崎努)、上村(余貴美子)、銭湯のおばちゃん(吉行和子)、その息子・山下(杉本哲太)、銭湯の常連(笹野高史)、ほか
音楽:久石譲
見たところ:ワーナーマイカル茅ヶ崎

れでーすでーに行き損ねたよ〜、うわ〜〜ん!と嘆いていたら、そういや、シックスワンダフリーで1回ただで見られたんでした。そうか、6本も映画見たのか、わし。いや、それ以上だし。

ちゅうわけで、見に行きましたが、広末を奥菜恵と勘違いしている時点で、わしのアイドル把握度は駄目駄目の域に達したものだな、とパンフレットを読みながら思いました。それ以前に、モーニング娘。が一人も顔を覚えられなかった時点で、駄目駄目以前だな、とも思ってましたが。

という話は置いといて(よいしょ)、良い映画です。人の死と、その最後を送り出す納棺師という職業を扱った、良質の映画です。死という、とかく腫れ物みたいに忌み嫌われがちなことに携わる人びとについて、考えさせるし、そのパフォーマンスの美しさももはや芸術の域に達してるのではないかと思いました。
音楽も、もはやこの人が担当した映画はあかんという烙印を押した久石譲さんでしたが、使い方によっては画面の邪魔にならない音楽できるやんと思いました。たきがはがあかんと思った映画って、この人が音楽担当してることが凄く多いんですよ。「千と千尋の神隠し」しかり「Dolls」しかり「男たちの大和」しかり。たかが音楽のくせに自己主張が激しすぎるっていうんですか。もう鬱陶しいの域に達してまして、映画音楽というのは主役じゃないんで、いや、音楽が主役の映画があってもいいんですけど、いま上げた3本はいずれも音楽を見に行く映画の類ではないと思いますんで、主張されたら鬱陶しいだけなんす。どっちかというと、わしは「クロエ」とか「アレクセイの泉」みたいな画面にそっと寄り添うような映画音楽というのが好きなもんで、そうでなかったら「シュリ」とか「リベラ・メ」みたいに音楽とアクションで盛り上げるか、なにしろ台詞もあるのに音楽じゃかじゃかは、単に聞いててうるさいだけなんです。でも、この映画では主人公・小林大悟がチェロ奏者でもあった、という設定があるし、彼の心情と納棺師という人から忌み嫌われるような仕事に誇りを持つに至る過程というのが巧いこと音楽に乗っていて、納棺シーンの美しさもあり、とても良かったです。

閑話休題

プロのチェロ奏者・小林大悟は、ようやくつかんだオーケストラ団員の職を失い、故郷の山形に妻の美香と帰る。父の失踪以来、女手一つで育ててくれた母が残した唯一の財産、家がそこにあったからだ。求人広告を眺めていた大悟は、ある日、「旅のお手伝い」という文句に魅せられてNKエージェントという会社を訪問、社長の面接を受け、その場で採用されてしまう。NKとは納棺の意、仕事は納棺師だったのだ。初仕事が死後2週間の老婆の納棺というハードさだったものの、次第に大悟は納棺師の仕事に魅せられていく。しかし、妻の美香がそのことを知り、猛反対されてしまった上、同級生の山下からも納棺師の仕事を否定されてしまうが…

美香は、Webデザイナー。東京で働いていたけど、大悟が失業し、田舎に帰るというので黙ってついてくる。そんな理解のある奥さんが、実は大悟が納棺師だったと知り、激しく拒絶するシーンはなかなかショッキング。でも、大悟って口べたな奴なんだろうな。言葉を尽くすよりも、何か、やっと見つけた天職、これに賭ける!って感じで、美香を追いかけず、納棺師として自分の技術を磨いていく。ああ、納棺師というのはこんなに崇高な仕事だったのか、と思うような美しさ。プロフェッショナルとは格好いいものです。
その大悟を雇い、プロの技を見せていく社長に山崎努さんは適役だ! ちゅうか、脚本が山崎さんを想定して書いたというのはぐっじょぶだ! この2人が食について語るシーンもいいね。「いただきます」というのは「命をいただきます」だ。「給食費を払ってるんだから、いただきますなんて言わなくていい」なんて問題じゃないのだ。そしてたとえ菜食だろうと、生きていくためにやはり命を食べることに違いはないのだという話が続く。その2人が、事務員の上村さんも加えて、クリスマスのチキンをがつがつ食べるシーンは、大悟が初めて仕事をした後で、ばらした鶏を食えなかったであろうシーンとも対比させて、逞しさと図太さと、生きるために食うという根源的なものを感じるのだ。食べ方が美味しそうだったのも良し。わしもチキン食いたい。ちゅうか、佐々木社長の下で働きたい。

いろいろな納棺のシーンで描かれる死。キスマークだらけで送られるおじいちゃんや、ルーズソックスをはいてみたかったおばあちゃんに履かせてあげる孫の話はほのぼのとなごむ。対照的に、写真の中ではごく普通の高校生なのに、ヤンキー入っちゃって、バイク事故で死んでしまった女の子の母親が、「うちの娘はこんなんじゃない」と言うシーンはなかなか痛い。冒頭の美人さんも、実は男性だったり、納棺と一口に言っても、人の数だけドラマがあるわけで、それはごく普通の、わしらにとっても身近なものであるはずで。

ラスト、大悟は思わぬ2人の人を納棺することになる。1人目はああ、と納得の人選。納棺師という死を扱う仕事を、汚らわしいものだと否定した山下くんと美香が、納棺師の仕事を見るにはこれ以上ない人材。2人目は、意外な人物。でも、大悟が生きていくために、父親になるために絶対に必要だった人。

それが誰かは、是非、映画館で確かめてほしい。

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英雄 HERO

監督:チャン=イーモウ
出演:無名(ジェット=リー)、残剣(トニー=レオン)、飛雪(マギー=チャン)、長空(ドニー=イェン)、如月(チャン=ツィイー)、秦王(チェン=ダオミン)、ほか

すっかり忘れてしまったんで、再見。見ていくうちに、初見より、いろいろと発見があっておもしろかったです。
中国の様式美とでもいいますか。デビュー作「紅いコーリャン」で真っ赤な映像を見せてくれたチャン=イーモウ監督らしく、場面場面ごとに変わる色の鮮やかなこと、美しいこと、これは武侠映画であると同時に芸術的な映画でもあるな、と思いました。
それと、中国といいますと、おそらく一番人気は「三国志」だと思うのですが、その時代とちと似てると思うんですよね、秦が統一するまでって。いくつもの国が群雄割拠して争っていた時代、確か、戦国時代といったかと思いましたが。
で、この物語の時点では、秦がすでに最強の国であるらしく、趙の国が刺客を放って、秦王を暗殺しようとしてたわけです。残剣、飛雪、長空がその刺客。特に残剣、飛雪は秦の兵3000人でも防げなかったという強者、秦王としては枕を高くして寝ることができなかった。
そこで、秦の小役人に過ぎなかった無名が、3人の刺客を討ち取り、「長空を討ち果たした者には王の側に100歩まで近づける」、「残剣、飛雪を討ち果たした者には王の側に10歩まで近づける」という報奨を得るわけなんですが、実は無名にも隠れた目的があって、というのがこの話の大筋。
で、無名が順に3人の刺客をどうやって討ち取ったかを王に語るわけなんでありますが、そのシーンシーンが色にすごくこだわっていて美しいのさ。

まずはトップバッター、長空。槍の使い手で、時々、碁を打ってる。しかし、碁石を動かすのに手じゃなくて道具を使ってるのが中国風か? すごく石も盤もでかそうだ。雨がしとしとと降る中、碁を打つ長空に襲いかかる秦の7人の使い手たち(無名含まず)だが、長槍を振るう長空にかなわず、しかも誰一人として命を奪われることなく敗北。立ち去ろうとした長空に無名が襲いかかる。全編、これ、モノクロームな世界。灰色の石と岩と雨の絵画。途中、碁会所を去ろうとした盲目の琴引に、無名が「もう1曲頼む」と言って、心の中で激しい戦いを繰り広げる無名と長空。しかし、琴の糸が切れた、その刹那、無名の剣が長空を倒していた。

さらに残剣と飛雪。この2人、実は恋人同士。ところが、過去に飛雪が1度だけ長空と過ちを犯したとかで2人の仲はぎくしゃく、そこに残剣の小間使い、如月を使って、無名がしかけた罠。愛憎のもつれが希代の剣士を負かしてしまうというこのシーン。全編真っ赤。紅葉の下、如月が飛雪に襲いかかるシーン、しかも登場人物の服もまっ赤っか。その中で、無名だけは全編通して黒だけ。どんな色を混ぜても決して変わることのない色は、何者にも染まらない彼のキャラクターを表わしているのか。ついでに秦軍も真っ黒だ。兜の飾りだけ赤い。そして、一方、真っ赤で語られる残剣と飛雪の愛憎劇。激しい性格の2人を、さらに色が盛り上げる〜

しかし、秦王は見抜いた。「2人がそんな器の小さい人物のはずがない」と。そして秦王が語る、無名の企み。
全ては、秦王を討ち果たすべく、無名、長空、残剣、飛雪が仕掛けた罠だった。なぜなら、無名の必殺剣は標的の10歩以内でしか効かないから。残剣と飛雪は、秦王を討つために無名に長空が協力したことを知って、自分たちも協力する。そのために命を落とす飛雪。飛雪の弔いに無名と心の中で戦いを繰り広げる残剣。真っ赤で語られた話から、一転して今度は真っ青。飛雪が秦王を倒すために己の命を賭けたように、その心の何と澄みきったことか。九寨溝で繰り広げられたこのシーンの水の美しさよ。

ところが、まだ話にゃ裏がある。
無名が語った真実は、長空の協力は本物。しかし、残剣はあくまで秦王を討とうとする無名に反対する。彼がその理由を語った漢字は「天下」、そう、残剣は一度、秦王と会って、彼こそが天下を取る器だと気づき、それだけが長い戦国の世に疲弊した民が救われる道だと思ったのだ。残剣もまた、そうした戦国の犠牲者の一人だった。飛雪は趙の将軍の娘なので、個人的な恨みが強く、無名もまた、秦人として育てられた趙人だった。だけど、残剣は秦王を殺してはいけないと訴えるあまり、飛雪の剣に倒れる。
無名の話に驚く秦王。自分の思いをわかってくれる者が意外なところにいた喜び、彼は無名に言う。「ここで討たれても悔いはない」と。その潔さ。そして、このシーンで残剣、飛雪は白ですよ。よく着替えますね。長空なんて最初に出たきりなのに(黄色っぽい服だった)。いや、そういう観点じゃなくて、この白は残剣の心の清々しさかと思う。復讐という道を棄てた男のさ。でも、飛雪に討たれちゃって、最後は飛雪も一緒に死んでしまうんだが。

さらに、秦王を暗殺しに赴いた時には(3000人の兵でも守れなかったというあれだ)2人とも緑ですよ。宮殿の中も緑。復讐に燃える若々しさの象徴か?

無名は残剣の意志のとおりにする。しかし、秦王に一度は剣を向けた身、秦王は無名を討たねばならなかった。けれど、秦王は無名を手厚く葬った、と語られる落ち。

ここで上の「三国志」の話題に戻るわけですが、たきがはが「三国志」をあんまり好きになれないのは、まさにこの残剣の精神がまったくないからです。曹操ってそんなに悪か? 三国分立って結局、英雄のためだけで、庶民のことは何も考えてないよね? よく劉備を善役に描きますが(そういえば「レッドクリフ」なんてやってるけど、「赤壁の戦い」でなぜいけないのか、日本語タイトル?)、本当に庶民のこと考えていたら、戦争を回避する道を選ぶのがほんとにいい王様じゃね?
そして、残剣、無名を通じて、秦王を生かす道を選んだ監督は、そういうことが言いたかったんじゃね? と思ったりしたわけなんでした。

ところで、「三国志」って中国だと何度もテレビドラマ化されてて、DVDなんかも出てますが、なんで「レッドクリフ」ってわざわざ宣伝するのか、よーわからん。映画化が初ってことで? なんでハリウッド? なんでいまさら「三国志演義」(予告を見た限りでは曹操がいかにもな悪役だったので「正史」じゃなくて「演義」だと思う)?

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