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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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風と共に去りぬ

監督:ヴィクター=フレミング
出演:スカーレット=オハラ(ヴィヴィアン=リー)、レット=バトラー(クラーク=ゲーブル)、アシュレー=ウィルクス(レスリー=ハワード)、メラニー=ハミルトン(オリビア=デ・ハビラント)、マミー(ハティ=マクダニエル)、ほか

日本映画の横綱を「七人の侍」とするならば、ハリウッド映画の横綱は文句なしに「風と共に去りぬ」でありましょう。というわけで発掘したんで、見てみることに。しかし、ビデオテープの状態が悪かったのと、この時代のハリウッド映画は吹き替えでは見ないのがお約束ですんで、そのうちにまた見直すと思います。これでも4〜5回見てるんですけど。

たきがは、あちこちで何度も書いておりますが、初見時からスカーレット&レット派です。実はアシュレー&メラニーの魅力が最近までわかりませんで、スカーレットがどうしてあんなにアシュレーアシュレーと言ってるのか理解できなかったのですが、年取ってから見ると、アシュレーはあれはあれで安全パイなのだな〜と思いました。ただ、やっぱりスカーレットにアシュレーでは釣り合わないと思います。だいいち、スカーレットが本音を吐いてる相手って、召使い以外はレットだけです。周辺の男どもは当然として、両親にさえ猫かぶっているじゃありませんか。でもレットには悪態をつき、泣きわめき、かなり本音を言っています。スカーレットが飾らないでつきあえるのがレットだけとは、ある意味、不幸な女性だなとも思うのですが、スカーレットの場合、自ら不幸を招いているようなところもありますんで、まぁ、自業自得っちゅうか、それでもわしはいい子ちゃんのメラニーよりも圧倒的にスカーレットが好きです。自己中で、我が儘で、ええかっこしいで、なりふりかまわずで、でも自分に正直なスカーレットが大好きです。

久々に見たら、意外と説明が多かったのですが、南北戦争という時代を挟んでいるので多少はしょうがないのかなと。スカーレットたちの物語をナレーションで済ませているわけではないので、マクロな時代背景を語るにはいいなと思います。

それはそれとしまして、スカーレットがタラに戻ってからの第2部の記憶がけっこう抜け落ちてるもので、タラが復活してから、スカーレットとレットがついに結婚するまでの経緯をすっかり忘れておりました。まさか、2回もスカーレットが未亡人になったとは思いもしなかったです。そもそも第2部のことも忘れてたっちゅうか…

それに、したたかだと思っていたスカーレットが、第1部では意外と弱く、気丈なところも見せつつ、基本的にはもろいというのがまた魅力的で可愛い女性だな〜と思いました。しかし、実際問題、彼女のような友人がいたら、何か気の休まる時がなさそうです。メラニーの聖女ぶりが際立っておりますわ。
そして、弱いと思っていたメラニーが逆に第2部になるとというか、スカーレットのもろさが目立つところではしっかりしたところを見せて、本当に強い女性というのは実はメラニーなのだなと思うのでした。

それにしてもレット=バトラーは格好ええのぅ〜 クラーク=ゲーブル氏がまたこれ以上ないぐらいのはまり役で、10個のアカデミー賞を取った本作ですが、主演男優賞を取っていないのはおかしいよ!と思うわけでした。
しかし、そんな自信満々のレットが、やっと念願かなってスカーレットと結婚した後になって、スカーレットが自分を愛しているのか自信がなくなっていくのは皮肉としか言いようがありません。
だから、後半でスカーレットがレットが自分から離れていくのを知って、戻ってきて露骨にうれしいという顔をしていることに気づかない。しかも、スカーレット自身が、自分が愛していたのはレットだと気づいたのは終盤も終盤、メラニーのいまわの際ときてますから、この2人の気持ちのすれ違いたるや、さらに皮肉な展開に。

でも、ラストでスカーレットが、「タラに戻ろう。明日考えよう」と言うシーンは、彼女の、メラニーとは違った強さ、生きる上でのしたたかさというかたくましさが伺えて、わしはこの1点において、スカーレットが好きなのでした。

それにしても、1939年にこんな大作を作っていた国と戦争して勝てるわけないなぁとまた思いました。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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生きものの記録

監督・脚本:黒澤明
音楽:早坂文雄
出演:中島喜一(三船敏郎)、原田(志村喬)、中島一郎(佐田豊)、中島二郎(千秋実)、中島とよ(三好栄子)、中島すえ(青山京子)、ブラジル帰りの老人(東野栄治郎)、ほか

黒澤映画の中でも破格に重たい一本。これだけ娯楽作ではないです。
間違っても、ご飯を食べながら、お気楽極楽な態度で見る映画ではないのですが、もう3回目くらいなんで見てしまいました。もぐもぐ…

たきがは的にはこの映画と、「白痴」「七人の侍」「生きる」「我が青春に悔いなし」を併せて、黒澤映画ベスト5です。「生きる」はなんちゅうても志村喬さんの名演と菅井きんさん、「我が青春に悔いなし」は、わしの考える日本人の第1位美女・原節子さんをここまで汚すか黒澤監督な映画です。や、どっちもそのうちにレビュー書くと思います。

鋳工所を経営する中島喜一の家族が家庭裁判所に持ち込んだ申し立てに、調停人として立ち会うことになった歯科医の原田は、その内容が一家の主、中島喜一を準禁治産者として認めてほしいということに驚く。喜一は、水爆や原爆の被害を恐れるあまり、すでに秋田県に地下家屋を建設しようとして失敗しており、今度は一族の安住の地をブラジルに求めて、一家の猛反対を喰らっていたのだ。生きものの本能で放射能の被害を恐れる喜一に、原田は家族の求めるように準禁治産者として認定すべきかどうか悩むが…。

この映画、まずは「七人の侍」の翌年であります。つまり、働き盛りばりばり30代の三船敏郎さんが主人公の中島喜一を演じております。じじいですが、見るからにじいさんですが、精力あふれるじいさんで、妾は3人、隠し子も3人で、しかも1人は乳飲み子ってんですから、その精気盛んなところは、バイアグラも真っ青って感じです。しかも、一代で工場をなし、おそらく100人近くの社員を働かせている(息子2人もここで働いている)ところから鑑みますに、相当パワフルなじいさんです。そんなじいさんが原水爆への恐怖を感じてしまったから、さぁ、大変。周囲の迷惑鑑みず、まさに本能の赴くままに、まずは秋田へ逃げようとし、そこでは北からの核から逃げられないってんで、地球上で安全な場所として南アメリカを認定、たまたまブラジルから帰ってきたがっている人がいるってんで、ブラジルへ移住しようと猛進し始めます。そして、監督が決してこの老人をただの心配性、杞憂と笑っていない証拠に、作中で原田医師に「死の灰」という本を読ませて、「この本を動物が読んだら、真っ先に日本から逃げ出すだろう」と言わせているのでした。つまり、中島喜一って老人は動物ばりの本能の赴くままに日本から逃げだそうとしているのだと。
しかし、わしもそうですが、たとえ現在、世界を滅ぼすに足りて、なお余るほどの原水爆が世界中にあるとわかっていても、どこかへ逃げようとか、原水爆の心配を日常の中ですることはありません。ラスト、「正気なのはその事実を知っても、平気でいられる我々なのか」ととある医師(「生きる」の助役さんじゃ〜)に語らせているように、監督はその問題を提示してみせたのでした。

黒澤映画の中でもあんまり話題にのぼらない映画なんですが、一度は見てほしい問題作。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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坂の上の雲

出演:秋山好古(阿部寛)、秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)、正岡律(菅野美穂)、秋山父(伊東四郎)、秋山母(竹下景子)、高橋是清(西田敏行)、ほか
原作:司馬遼太郎

実家で見ていたので、一緒に見てみました。

去年からさんざん宣伝しておりまして、なんですか、撮影に3年、放送に3年。たきがはは例によって忘れちまうよ〜と思っておりましたが、うちの家族も同意見でした。ただ、某国営放送が力を入れてるドラマみたいなんで、司馬遼太郎にまったく興味はありませんが、おもしろかったらラッキーぐらいな気持ちで見ておりました。

全然おもしろくねぇ

あら、ごめんなさい、つい本音が。

1.ナレーターが鬱陶しい

渡辺謙さんという人気俳優を連れてきたが、基本、ナレーターは第三者なので、誰がやっても大した違いはない(ドキュメンタリー系を除く)。それがちまちま時代背景とか、秋山兄弟について解説が入るのだが、うざい。多すぎ。長すぎ。上京してきた真之を厳しく扱う好古について「好古は真之に対して苛烈であった」なんていちいち言わなくてもわかるわい! 雪の中を下駄の鼻緒が切れたからって、裸足で行けという兄貴を誰が「甘い」と思うんだ。蛇足。さらに西南戦争とかの説明がいちいち長い。無駄。ナレーターの部分切り落としたら、半分ぐらいにできるのでは?

2.感情移入できるキャラがいない

主役は秋山兄弟、正岡子規なのだろうけど、登場が遅い。某国営放送が最近よくやる、子役で時間稼ぎという姑息さがわずか1時間半のドラマでは無駄。最初から主役を出せ。その彼らが東京へ行って一旗揚げたいという気持ちとか、感情移入する前に勝手にドラマで盛り上がっていて、鬱陶しい。しかも子役を2人も使う必要があるのか。

というわけで、途中から、隣のテレビで見ていた内藤・亀田戦をちらちら見ていたり。

どうせ、来年、再来年とやるたびに、姑息な某国営放送のことだから、再放送をゴールデンタイムにやるに決まっているので、3年目にまとめて見た方が良かったとは言わないが吉。

導入で視聴者をどっちらけにしてどうするんだ。

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七人の侍

監督・脚本:黒澤明
音楽:早坂文雄
出演:勘兵衛(志村喬)、菊千代(三船敏郎)、五郎兵衛(稲葉義男)、七郎次(加藤大介)、久蔵(宮口精二)、平八(千秋実)、勝四郎(木村功)、まんぞう(藤原釜足)、よへい(左卜全)、りきち(土屋嘉男)、じさま(高堂国典)、しの(津島恵子)、ほか

日本どころか世界に燦然と輝く映画の金字塔。黒澤映画の最高傑作であり、これを見ずして映画を語るな〜な一本。

ようやく見ました「七人の侍」。たきがは的にはすでに5〜6回見てたりしますが、何回見てもいいもんはいい! テレビではなく、是非、映画館で見てほしい映画であります。
以前からほしいほしいと思っていましたが、改めて、DVD買う決心。日本映画でどれと言われたら、問答無用でお薦めの一本です。先日、「キネマ旬報」で日本映画のベストテンを選んでおりましたが、通を気取ったのは「東京物語」選ぶんだよな〜と思ったり。誰が見ても文句なしにおもしろいのは圧倒的にこっちだと思います(昔、文春文庫でも第1位は「東京物語」だったりしましたけど)。

有名な映画ですんで、いまさら筋は書きません。たきがは的見所っちゅーか、お薦めポイント。

まずオープニング。今時の映画と違って、この時代の映画って、最初にキャストとかスタッフを紹介します。ここが手書き文字で、斜めにどんどんと登場するのが渋くて好きです。最初にスタッフですね。早坂文雄さんは黒澤映画になくてはならない音楽の方。遺作となった「生き物の記録」なんか、そうでなくても重苦しい映画なのに、音楽がおどろおどろしてて、見ててかなりしんどいです。早坂さんは病弱な方で、その死生観とかが出ていたところもあったらしいのですが、この「七人の侍」では、メインテーマの勇壮なところを、時にもの悲しく、時にコミカルに編曲、曲を聴いているだけで、ああ、しののテーマだな、とか、これは菊千代なんだなとか、この3時間超の映画を盛り上げるのに一役買っております。

そして、プロローグ。こんなにわかりやすいプロローグがあるかってぐらい、明快。野武士がやってくる。秋には来ると予告。百姓が立ち聞き。百姓達の嘆き。じさまの「侍雇うだ」までの流れは、なぜこの映画のタイトルが「七人の侍」なのか、これからどんな物語が始まるのかを全部詰め込んでいるのです。

さて、じさまの提案で腹空かせた侍を捜しに町までやってきた4人組。影のあるりきち、ちょっととぼけたよへい、二言目には娘が心配なまんぞう+αです。4人目は、まんぞうを諫めたり、いろいろと出番は多いのですが、どなたが演じたのかわかりません。黒澤映画常連の、藤原釜足さん、左卜全さん、印象的な土屋嘉男さんに目がいくわけです。特に左卜全さんのとぼけた台詞廻しは、全編注目です。
しかし、そう簡単に侍が見つかりません。単に断られたり、怒られて斬られそうになったり、引き受けたと思ったら弱かったり、食い逃げされたり。
で、最初から侍に不信感満々のまんぞうは、何しろ自分の娘だけが心配ですので(どうやら、妻はいなくて、親子二人暮らしっぽいです)、簡単に諦めようと言うのですが、りきちは野武士にひとかどならぬ恨みを持っているのか、絶対に引こうとはしません。ここら辺、中盤への重要な伏線です。

で、さんざん侍たちに翻弄される4人組。まんぞうとりきちが喧嘩したところで、いよいよ勘兵衛登場です。

来た━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

演ずるはこの前の黒澤映画で主演をやった志村喬さん。たらこ唇が印象的ですが、今作では盗賊に入られて、人質に取られた子どもを助けるために頭をまるめて、しょっちゅう(というか、「困ったな、これは」って感じの時)頭に手をやるので坊主頭が印象的です。なんといっても、格好いいです。や、リーダーです。七人をどんと支える、頼りになる主将であり、村を守る刀です。
この時、出番はたいしたことありませんが、勘兵衛に斬られる盗賊が東野栄治郎さんであることは有名ですな。後に「用心棒」で酒場の親父をやって、ぶっきらぼうな口調が忘れがたいええおっさんでした。水戸黄門のが圧倒的に有名でしょうけど。
さて、勘兵衛の盗賊退治の鮮やかな手並みに、目をつけたのは百姓ばかりではありません。勝四郎と菊千代です。
勝四郎を演じた木村功さんは、この時、すでに30歳。とてもそうは見えない、勝四郎の初々しさです。ちょっと皺が目立つか。ただ、彼は侍としての腕前は7人の中でもいちばん下だと思われますので、戦闘では目立たないけど、この映画ではロマンスっちゅうか、もっと生々しい男女の部担当です。
で、菊千代は当然この方、三船敏郎氏です。ばば〜ん! 本編では侍でもあり、百姓でもあり、というトリックスター的なキャラでしたが、シナリオの時点では実は剣豪だったそうです。後の「用心棒」とかを彷彿とさせるエピソードですね。でも、7人が村に行った時に村人が出てこないというシーンがあります。ここで菊千代が拍子木を打ったので、村人は野武士が来たと勘違い、総出で勘兵衛たちに助けを求めるわけですが、菊千代が剣豪という設定では出てこないシーンだと思います。菊千代をトリックスターにすることで、この話はうまくいったって聞いたです。
ただ、菊千代、勘兵衛に一目置いたくせに、勝四郎みたいに素直になれません。あげくの果てに「きさまは侍か」とか言われちゃって。その屈折が、最後まで菊千代というキャラを動かしていたように思います。

一度は百姓の依頼を断った勘兵衛でしたが、基本、いい人(盗賊の時も報酬は受け取ってない)なんで、結局、引き受けます。「この飯、おろそかには食わんぞ」という台詞は「起動武闘伝Gガンダム 第37話」でも使われてましたね。たぶん、あちこちで使ってると思いますが。でも勘兵衛のが、なにしろ、プロローグからずっと百姓たちの苦労を見てきてますんで、重みがあります。格好いいよ、勘兵衛。

そこから、侍捜しが始まります。

まず五郎兵衛。見慣れない人だと、七郎次とごっちゃになってそうですが、五郎兵衛は村で守る時はいつも久蔵と一緒にいるんです。あと、久蔵役の宮口精二さんがわりと小柄な方なんで、ちょっと大きく見えますが、実際、七郎次役の加藤大介さんより大きいです。勘兵衛が参謀と頼む、ナンバーツーです。
クライマックスを前にあっけなく戦死してしまったので、余計、印象が薄いのだろうか…? 基本的に勘兵衛と一緒に村を歩いているのは五郎兵衛です。七郎次ではありません。あと、七郎次は得物が槍で、五郎兵衛は刀という違いもあります。七郎次は足軽なんだろうかな? ま、勘兵衛が頼みにしているわりに、そんなにアップにならないんだよね。わりと地味っちゅうか。実は、この方だけ東宝ではなかったはずです。

続いて、勘兵衛の古女房、七郎次。加藤大介さんは「用心棒」の、悪役兄弟の次男坊も印象強いです。かなり馬鹿なキャラでしたが。その分、憎めないというか。結局、三十郎に倒されちゃったけど。
ここでは勘兵衛の古女房で、一緒に数々の戦いをくぐり抜けた仲です。しかも、勘兵衛に足を洗う水桶を出す辺り、かなり昵懇な間柄なんでしょうか? 実は、たきがはの小説「伝説のオウガバトル秘史」にて、主人公が「戦場では走れなくなったら駄目」と言うのは、七郎次の台詞から取っております。作中でも、槍を担いで走って走って走りまくってます。それを実践したためか、数少ない生き残り組。
娘を気遣うまんぞうに気を配ってやったり、といい人です。百姓の武器は竹槍ですんで、同じ槍を扱う七郎次のところがいちばん活躍とか、あったりしたのかなぁ?

次に平八。薪割り派を少々、とか自己紹介しちゃうぐらい、刀を使わせると下手のようです。しかし、千秋実さんのひょうひょうとしたキャラが、まさに「苦しい時にほしい奴」って感じだったのに、いちばん最初の戦死者に。ただ、刀の扱いはともかく、野武士の砦を襲撃って時に、久蔵に次いで立ったところを見ると、度胸はあります、この方。
五郎兵衛との見分け方は、髭がない、でいいはずです。ただ、後半(映画で「休憩」ってあるのはこの「七人の侍」ぐらいかと思います。ただ、上映中に勝手に休憩にした映画はありましたが)始まって、すぐにお亡くなりになります。あとは旗を作ったり、菊千代をからかったり。千秋さん自身は7人のなかでは最後までご存命で、亡くなった時に「最後の侍逝く」とか話題になったなぁ。
薪割りの時に、五郎兵衛に「野武士を40人ほど斬ってみないか」と言われて、それまで調子よく薪を割っていたのに、突然外すシーンも印象深いです。

そして、菊千代がトリックスターになりましたんで、剣豪、久蔵。宮口精二さんは、実はこの映画に出演するまで剣道の心得もなかったとは有名な話。プロだよ。立ち居振る舞い、所作が、いちいち勘兵衛とは別の意味で格好いいです。絵になります。ちょろんと結んだ髪がトレードマーク、7人の中では黒っぽい服で、見分けるのも楽ちん。しかし久蔵がわからん人はいないと思うのですが。格好いいし。自分を高めることにしか興味のない剣豪なのに、勘兵衛の誘いに乗ったのは、この人が実はとても優しい、思いやりのある人だということなのでしょう。勝四郎が村の老婆にご飯を残してあげたのを見て、次は自分が残すとか言ったり、気遣いの人です。ただ、当人は無表情でクールに徹してるんで、笑ったシーンもほとんどありません。勝四郎に「あなたは素晴らしい人です。わたしはそれが言いたかったんです」と言われて、思わず浮かべた微笑とか、菊千代が酔っぱらって、家系図を持ってきたシーンでも笑ってなかったような…
初登場のシーンで、無名の侍と決闘というか、竹で試合をしてるんですが、所作が美しいです。構えたところから、刀を右手に下げる、というあたりなんか、きれいですね。
久蔵はクライマックスまで生き残ります。しかし、最後に、これには勝てない、種子島(火縄銃)に倒されてしまい、返す刀で相手を倒したところなんかは、もうさすが、としか言いようがありません。

この5人に、勘兵衛は計算に入れてませんでしたが、勝四郎と、勝手についてきた菊千代を加えて、7人の侍です。

村に行って、村人が出てこないというアクシデントがあったりしましたが、菊千代の機転で村人を呼び出すのに成功。絆が生まれる、というほどのことにはなりませんが(ここら辺のドライさが後のオマージュ「荒野の七人」と分かれます。どっちがいいかは好みですが、ラストの「勝ったのは百姓」や、勝四郎と結ばれないしのとかも含めて、「七人の侍」は日本的だと思いました)、何とか守る者と守られる者程度の意識は生まれた模様。本当の「七人の侍」はここからが始まりです。

いや〜、長いな、今回。まぁ、ちょっとお茶でも(  ゚Д゚)⊃旦

四方八方、どこからでも攻められる村を守るため、地図を片手に視察に回る勘兵衛と五郎兵衛。と、ここら辺からすっかりぱしりが定着する勝四郎。今回は地図持ちが仕事です。そのわりに、花に見とれて「やっぱり子どもだ」と勘兵衛に呆れられている辺り、どうも、これが戦だという意識が希薄な気がします。ま、そのせいでしのと知り合ったんですから、勝四郎的にはおっけーって感じなんでしょうか。ラストで結ばれない風土が日本的ですけど。侍と百姓の壁は、ガンマンと百姓とは比較にならないぐらい高いんだねってところが。
で、もちろん、そのあいだに、久蔵、菊千代、七郎次、平八は百姓を鍛えます。ここら辺、それぞれのパートは短いものですが、各人の性格が出ていて、楽しいです。いきなり攻めさせる久蔵、心構えあたりから説く七郎次、平八、なんか笑いから入ってる菊千代って感じですか。

で、ここら辺まで来ますと、百姓も性格がはっきりしてきます。
娘命のまんぞう。侍が来るってんで、娘の髪を強制的に切って、息子にさせる辺り、娘のことしか考えてないです。ま、こういう庶民くささをやらせたら、天下一品、藤原釜足さんですから、すごく利己的で、最後までとことん利己的なんだけど、なんというか憎めないキャラです。その気持ちわかるって、いうか。

そして、左卜全さんのキャラが全面に出てるような。よへい。もう、この人はいちいち、台詞廻しが独特で、ちょっと間延びしたところなんか、いちいち笑いを誘うっつうか。もう、宿屋(というか、「どん底」にでも出てきそうな木賃宿っぽいですが)にいる時から、「けぇるべぇよぉ」とか、「米盗まれただ」とか、いちいちおかしいのですが、哀愁が漂います。しかも、トリックスターの菊千代と組んでるもんで、またおかしい。この人の笑顔は、「黄金の日日」の善住坊を彷彿とさせます。だから好きなのだな、たきがは。もう、インプリンティングされてるな。

さらに、侍たちに宿を提供する、りきち。この時点ではまだ彼が独り身を指摘されると不機嫌なわけも、野武士を倒すことにいちばん積極的なわけも不明です。平八がせっかく「話をしよう」と言っても、「話すことなんかねぇだ」とかたくなです。
中盤、野武士の砦を強襲しようって時も、何でりきちが道案内を申し出たのか、わからないぐらいです。
ですから、そこで意味深に写された一人の女性、野武士の情婦が、まさかりきちの女房だったとわかった時の驚き、一瞬の再会と、炎の中に逃げるしかできなかった彼女の心情を思うと、それを狂ったように追いかけるりきちの心中なんかも慮りますと、彼の背負ったものの重さに愕然とするのです。
まさに、村人たちは野武士に、米も女房も取られた。何でもかんでも根こそぎ持っていかれた。冒頭で野武士たちの再襲撃を知って、百姓たちがただ泣くシーンから始まりますが、その無力感、それでも立ち上がろうとしたりきちの思い、というものがここで一気に伏線を回収されるわけです。見事としか言いようがありません。
そして、忘れてはいけない、じさま。菊千代の機転を「文句があるのか」「いや、これでええだ」と言ったり、「腹減らした侍雇うだ」と言ったり、要所要所で占める村の重鎮。しかし、橋の向こうの水車小屋に住んでいたため、勘兵衛の判断で守りきれないと言われたがために、死ぬ時は「水車の音を聞きながら死にたい」ということで、一足先に死んでしまいます。
おそらく、村人は、この戦が終わったら、そういう家はみんなで直したんじゃないかと思うんです。だから、水車小屋は焼かれてしまったけれど、じさまは死ななくても良かったんじゃないかと。そうはいかなかったのかなぁ。じさま、死に急がなくてもと思ったり。
しかしこのシーン、菊千代の重大発言「これは俺だ」がありますんで、じさまの死は無駄死にのような気がしなくもありませんが、大事です。勘兵衛も命の危機だってんで聞き流してるように見えますが、菊千代の登場当初からの屈折した思いの発端を吐露しているという点では、すごく重大な発言だと思うのですが。

あと、しの。まんぞうの娘で、勝四郎と仲良くなります。しかし、いったんは結ばれたものの、ラストでは自ら、勝四郎を吹っ切るように田植え唄を歌い出すのが印象的。あとここは、りきちが吹っ切れたように明るく田植え唄を歌っているのも見逃せません。りきちが2人目の女房をもらって、幸せになってくれたらいいなぁと思います。しのはきっと、たくましく、旦那をもらって村で生きていくんだと思いました。むしろ、勝四郎のが未練たらたらで、生涯独身とかのがありえそうです。それぐらい、百姓はたくましいです。作中では野武士に狼狽えて、悲鳴をあげている印象しかありませんが、菊千代に曰く「百姓はいちばんずるくて、悪賢い」わけですし。なんちて。

そして迎える前半のクライマックス。橋向こうの家は守りきれないという理由で勘兵衛が見捨てることにした時、その家の連中が「やってられない」と竹槍を捨て、うちに戻ろうとします。ここで、勘兵衛が刀を抜いて追いかけたのが、リーダーの判断としてはやむなしなのかな、と思いました。勘兵衛が百姓相手に刀を抜いたのは後にも先にもこれきりです。3軒の離れ家と村の20軒は比べものにならない。勘兵衛にリーダーの非情さを見た。

休憩を挟んで、後半から、本格的な戦いが始まります。物見の来訪、砦への強襲、村への襲撃、夜襲、最後の戦いと緩急つけて、戦いの連続です。
その中で一人、また一人と倒れていく侍たち。その死を思えば、報酬なんて最初から飯だけのこの仕事、最初から勝つのは村を守る百姓たちなのだなと思うのです。

ただ、死の描き方もけっこう違いまして、平八は狂ったように女房を追いかけるりきちを止めようとして、と印象的な描かれ方をしたのに対し、五郎兵衛はシーン変わって、次のシーンでは死んでるんだよね〜 勘兵衛がその死を悼むのを見ると、けっこう重用していたはずなんですけど、死に方は唯一、描かれないキャラです、五郎兵衛。それで印象が希薄な人も多いのだろうか。わしも覚えたの、最後だったし。

最後の戦いで亡くなった、久蔵、菊千代の方が、撃たれたのが致命傷だったけど、差し違えたという点では、よほど印象的です。
しかしこのシーン、真冬に撮ったそうで、よく雨なんて考えたな、とか、いまさらだけど、素肌に鎧って菊千代は寒そうだなとか思ったりしますです。
そう言えば、種子島は久蔵や菊千代が盗んできたけど、全然使わなかったですね。勘兵衛と五郎兵衛が弓を使ったぐらいで、飛び道具も使ってないし。

ということで、主に人物紹介ぐらいで大したレビューもしてませんが、大好きな映画なんで、またそのうちに見て、感想書くかもしれません。

今日はこの辺で。

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赤い河

監督:ハワード=ホークス
出演:ダイソン(ジョン=ウェイン)、マット(モンゴメリー=クリフト)、ほか
音楽:ディミトリ=ティオムキン

1948年と古めだと思ったのですが、マットがダイソンの子ども同然の設定で、意外とジョン=ウェイン、お年の設定のようです。
しかも「硫黄島の砂」とか「11人のカウボーイ」とか「捜索者」を彷彿とさせるような筋立てと頑固親父っぷりです。

赤い河を越えてテキサスに牧場を作ったダイソンは、15年後、たくましく成長した息子同然のマットや牧童とともに1万頭の牛をミズリーまで売りに行こうと考える。しかし、その道中は困難なものであった…。

赤い河というのは、テキサス州の州境に流れている河のようです。ダイソンととっつぁん(酔いどれではない。残念)が牛を連れて牧場を作ろうと越えた河であり、ネイティブ・アメリカンの襲撃を受けた後でマットと出遭った河であり、これから越えていこうとする、ミズリーまでの旅路の難所でもあります。また、ダイソンの牛に押された焼き印も赤い河をモチーフにしており、ダイソン自身の牧場の入り口にも同じ文様があり、ま、この映画の根底を流れるテーマと言っても過言ではありません。正式には何という河なのかわかりませんが。

で、この映画はその赤い河を舞台にした、ジョン=ウェインお得意のファミリー劇場、あるいは壮大な親子喧嘩、ある日、息子は父親を越えていく、的な話です。「硫黄島の砂」もそういう、家族物というテーマが根底にあるとWikipediaだかで読んだので、この映画はその同類と言っていいでしょう。

また、その根底に流れるのは、ダイソンが若かりし頃に失ったただ一人の女性への思慕であり、それは姿を変えて、マットの思い人となって現れたようでもあります。ダイソンの心の奥底には、あの時、彼女の言うように連れていけば、彼女を殺させはしなかったのに!という後悔が絶え間なく流れていて、それがラスト付近で現れているように思われました。

ただ、ダイソンが失った女性も、マットと思い人の出会いも、ネイティブ・アメリカンの襲撃があり、その理由は、アメリカ人の開拓にあったということを考えますと、この映画での扱いはむしろひどい方の部類に入るのではないかと思われるぐらい、描き方は杜撰な気がしました。ネイティブ・アメリカンが開拓者を襲い、根こそぎ燃やそうとするのは、まさに土地を取られたからであり、その理由も思い至らないのは、やはり1948年と旧い映画では難しいのかと思ったり。
まぁ、どちらかと言えば、圧倒的に白人側にいるわしがそんなことを思うのは、ある意味、そういう立場に陥ることはないだろうという安心から来る優越感が思わせるせいではないかと思ったりもいたしますんで、あんまり西部劇とかで言及しても意味はないと思うのですが、でもやっぱり、西部劇見るたびに気になって、黙って通り過ぎるわけにもいかないかなぁと思うわけでした。

音楽のディミトリ=ティオムキンさんは「アラモ」の音楽を担当された方。先年、「アラモ」がリメイクされましたが、ジョン=ウェイン主演でも興行的に失敗したのに、無名の若造主演でそれほどヒットするわけねぇとか思っちゃったり。や、これは関係ない話でしたな。

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