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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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新版プリーモ・レーヴィへの旅

徐京植著。晃洋書房刊。

植民地主義の暴力」を書いた徐京植さんが格別にこだわるプリーモ=レーヴィの生家と墓を訊ねてトリノを旅した時の記録が中心のエッセイです。サブタイトルは「アウシュヴィッツは終わるのか?」は、プリーモ=レーヴィの最初の本の日本語版タイトル「アウシュヴィッツは終わらない」に引っかけてありますが、著者が懸念しているように、わしもアウシュヴィッツは終わらないと思いました。

前の本がそうだったように、著者の思いはプリーモ=レーヴィを通して植民地時代の名残、鬼子として残された在日朝鮮人としての自分、分断された祖国に向かいます。そして、現在の世界がアウシュヴィッツを生み出したのと同じような方向性を持っていることを懸念し続けています。

また作中の「ドイツ人(総体としてではなく、ナチスの責任から逃れようとする一般的なドイツ人)」とか「ドイツ(同上)」が、全て「日本人」もしくは「日本」に置き換えても違和感がないのは、今に始まったことでもありませんが、暗澹たる気持ちにさせられますね。

それにしてもプリーモ=レーヴィの性格、「すぐに言い返す能力がなく、つい相手の話を信じてしまいそうになり、怒りや正しい判断は部屋を出た後、もう役に立たない時に戻ってくるのだ」を読んだ時は、まるでわしのことが言われているのかと思いました。そうなんだよ後から思いつくのよ、気の利いた台詞なんてのは。ああ言えば良かったのになぁ!と思うことが人生で数え切れないほどあるわしには、プリーモ=レーヴィは失礼ながら、とても他人とは思えません。

そういや明日は沖縄は慰霊の日ですが、これは単に最高責任者の牛島満が自害した日というだけで、実際の戦闘は続いていたし、犠牲者も出ていたことを思うと、何を慰霊したいのか疑わしくなります。
また沖縄のみならず、別に今に始まったことでもありませんが右翼の街宣車がかまびすしいこの頃、日本が同じ過ちを繰り返すのはそう遠い日ではないと思うのは、わしだけではありますまい。

あとタイトルに「新版」とついているのは初版に対してつけ加えた分が40ページほどあるからなんですが(発行した場所も違うし)、「新版」を名乗るには少々力不足で、「旧版」に追記という形で良かったんじゃないかなと思いました。

引き続き、徐京植さんの著書を読み進めるつもりです。

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植民地主義の暴力

徐京植著。高文研刊。

著者の評論集です。サブタイトルは「ことばの檻」からとなってますが、パート2のタイトルでもあり、パート1が本タイトルと同じ「植民地主義の暴力」、パート3が「記憶の闘い」です。

例によってタイトルだけメモしておいたんですけど、目から鱗はぼろぼろ落ちるわ、かつて読んだ「罪と死と愛と」や、最近読んだり見たりした尹東柱(ユン=ドンジュ)さんの詩とか映画とか、映画見ただけの「遥かなる帰郷」(プリーモ=レーヴィ原作)と来て、最後はわしが尊敬するホーおじさん(ベトナム独立の父ホー・チ・ミン)まで話題にのぼるに至っては著者への親近感というも失礼(後述)なので興味が勝手に湧いてきまくったので、この方の著書を読破しようと思いました。あと、1回やってやめたんですけど、派生して言及あるいは引用された本を芋づる式に読むというのもまたやってみようと思いましたが、そういや青空文庫に魯迅って入っていたっけ… 途切れ途切れに読んでる「大菩薩峠」がまだ終わらんのじゃが…
と思ってぐぐってみたら、魯迅、けっこう入ってますね。今度、ダウンロードしとこう。

おかげでこの前の本から始めた、後で読み返したいところにとりあえず付箋を貼るという行為が20枚くらいになりまして、久しぶりに良い本に巡り会えたなぁと思います。前の本が悪かったわけでは全然ないのですが。

ところで、わしが上で「著者への親近感というのも失礼」と言うのは、著者が在日朝鮮人の方であるからにほかなりません。わしは少なくとも3世代前(ひいじいちゃん)まで遡ったところ、日本人であることがはっきりしており、母国に住み、母語=国語のマジョリティであるので、在日朝鮮人の方々が味わわされている苦労や、「自分は何者か」という問いとはまったく無縁だからです。そんなわしに親近感なんて覚えられても、と思うだろうと思うのです。
なんてことを書くと、そこまでマイノリティに遠慮することはないだろうという声が聞こえそうですが、逆だと思うんですよ。日本というマイノリティに厳しすぎる社会ではマイノリティにいくら気を遣っても遣いすぎることはないように思います。国から社会から、人としての当然の権利さえ踏みにじられている人たちにマジョリティであるわしができるという以前のことなんじゃないかなぁと思います。

で本の内容に戻りますが、初っぱなの小松川事件への著者の思いから、もうマジョリティたるわしの感想とはかけ離れておりまして、何というか、わしが日本が引き起こした大戦とそれに付属する数々の事件とか朝鮮半島や台湾の植民地化とかそういったことへ真っ先に感じる申し訳なさが立ちました。

続いて先ほど、自サイトにも追加しときましたが魯迅の言葉から、著者の関心は「和解という名の暴力」へ移っていきます。
まず日本だけでなく、いわゆる先進諸国と呼ばれる主に欧米諸国で共有される「国民主義』への解説が入りまして、わしなんぞは「良心的な日本人」の多くがこれだよと思ってすとんと腑に落ちました。
これは「旧植民地の宗主国のマジョリティが無自覚のうちに持つ「自国民中心主義」」を指し、英語では国家主義と同じくナショナリズムですが、一般的なナショナリズムが排他的なのに対し、当事者は自分自身をナショナリストとは考えておらず、むしろナショナリズムに反対する普遍主義者であると主張することが多いと。その一方で自分たちが享受している諸権利が、本来なら万人に保証される基本権であるにもかかわらず、国民であることを条件に保証される特権となっていることをなかなか認めようとしないと。
そう考えるとフランスの黄色いベスト運動なんかもこれに類するんでしょうね。あれ、移民や難民の人たちの参加って聞いてないし、あくまでもフランス人の労働者の話ですもんね。
さらに著者が言うには国民主義者は自らの特権には無自覚であり、その特権の歴史的由来には目をふさごうとする傾向を持つ。したがって国民主義者は非国民の無権利状態や自国による植民地支配の歴史的責任という問題については鈍感であるか、意図的に冷淡であると。

しかも日本の場合、第二次世界大戦における敗北は圧倒的な物量を誇るアメリカへの敗北だと考え、中国や朝鮮といった侵略された諸民族に対する敗北という意識はほとんどありません。なので自国が行った戦争が不当かつ違法な侵略戦争であったという認識と反省を深めるできないというのは見事な洞察と言うほかはありますまい。
そう考えると先日読んだ「法廷で裁かれる日本の戦争責任」において日本の戦争責任の被害者の方々が敗北した理由もわかろうというものです。そのメカニズムを理解はしませんが。単に日本が上から下まで戦争責任をできるだけ矮小化しようとしているくそったれな国だという認識は動きませんし。

あと、よく聞く「先の世代が犯した罪の責任を後の世代である自分たちに問われることへの反発」は一般的な日本人がよく持っている戦争責任感じゃないかと思うんですけど、それも欧米諸国にも共通するもんだそうです。主に植民地についてですが。
そういう視点に立ってみると、先日見た「ヒューマン・フロー/大地漂流」が受ける理由もわかるんです。まぁ、わしも突っ込んだけど。つまり、あの映画ではそもそも難民を作り出すことになった国家への欧米諸国の援助を描かないし、追求もしてない。ああ、そりゃ受けるわねと。しかも中国人で、現政権に批判的と言ったら、いかにも欧米人が好みそうなタイプじゃないですか。でも、今思い出したんですが、中国って、歴史的に植民地持ってなかったよなぁと。まぁ、植民地自体が近代の産物なのでその時代を経なかった中国には持ちようがなかったのかもしれませんが、中国は領土は拡大して、過去にベトナムぐらいまで版図を広げたこともあったけど、わしが知ってる限りではわりと外国人だろうと中国に忠誠を誓う限り、扱いは平等だったように記憶してます。まぁ、中国の歴代王朝がしたような方法を現在の中華人民共和国が採用する保証はありませんが、それは帝国主義的な植民地とは正反対の仕打ちだったんじゃないかなぁと思いました。

そういや4月に上野千鶴子が東大の入学式で行った演説が良かったの何のとTLに流れてきてましたけど、朴裕河擁護したような奴の話、いまさら評価に値するものとも思えませんけどネ。

20年くらい前に「遥かなる帰郷」を見て以来、すっかり忘却の彼方に吹っ飛ばしていたプリーモ=レーヴィへの興味を再燃させてくれたことには著者にお礼を言いたいと思います。例によってホロコーストものということで映画を見に行った(確かBox東中野)んですが、主役の俳優さんの虚空を見つめているような表情は覚えていても(パンフまで買ったから)、それ以上、プリーモ=レーヴィへの興味は湧かずに切れてしまったのは、図書館で本を読むという習慣が身についておらず、自分で本を買うには他のこと(たぶんゲームと同人誌)に金をつぎ込んでいたので確か1冊くらいは読んだと思うんですけど、それきり忘れました。最近はエリ=ヴィーゼルの著作を読んで、そろそろホロコーストものは追いかけるのをやめようかと思ってたくらいだったのですが、それはプリーモ=レーヴィも批判していた、かつてユダヤ人にナチスが行ったことを今のイスラエルがパレスチナの人びとに行っているのではないかという理由もありますし、日本の戦争責任とか、その他もろもろを追いかけ始めたのでホロコーストまで手が廻らなくなったというのもあります。確かに日本で手に入るホロコースト関連の資料は破格に多いんですけど、わしとして決してナチス・ドイツが行った酷い戦争犯罪という対岸の火事として見てたつもりはないです。特に最近は。こういうレビューも書きましたし、ナチス・ドイツの同盟国であった日本が行った戦争犯罪というベクトルで見るようにはしてるつもりですが、まぁ、本はともかく、映画はそろそろいいかなぁというのが本音です。
ただ、ホロコーストといったら、「夜と霧」のヴィクトル=フランクル先生が言った「最もよき人びとは帰っては来なかった」のは常に頭にありますので、プリーモ=レーヴィが純然たるホロコーストの被害者でありながら、自己の加害者の部分に目を向けるという論考は肯けるところがありますし、著者がそこから導き出した「そのシステムを作り上げ、運用した加害当事者(プリーモ=レーヴィの場合はナチス・ドイツ)を赦すためではない」という結論もまた、そこまで進まなければいけないんだと思わせられました。

どの評論を読んでも著者の意識は最後には巡り巡って在日朝鮮人である自分に返っていきます。それは、わしが何を見ても日本という国に結びつけるのと似てるような気もしますし、根本的にまったく違うようにも思えます。
ただ、一人のみならぬ大勢の人びとの一生をこのように歪めてしまった国家の一員として、わしはやっぱり日本という国の犯した過ちをまだまだ追求しなければならないように思えるのです。

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関東大震災 朝鮮人虐殺の記録

西崎雅夫・イム=スウン・斎藤真理子・原島康晴編。現代書館刊。

サブタイトルは「東京地区別1100の証言」とあり、そのとおり、有名無名の市民たちの朝鮮人や中国人、誤って朝鮮や中国の人たちと間違えられた日本人たちの虐殺を目撃した記録です。1つ1つの証言は多くても数ページ、だいたいが1段以内(本文は3段組)に収まるので、わりとすらすら読めますが、内容はなにしろ朝鮮の人たちを殺させた流言飛語やデマについてなので、読んでいて大変気分が悪かったです。しかも東京ではこのような記録が集められましたが、犠牲者の数でいったら神奈川の方が多く、その記録もないというのですから、まぁ、暗澹たる気持ちになります。と言いつつ、昼飯を食いながら読んでいたわけですが。もぐもぐ…

まず全般について言えば、さも朝鮮や中国の人たちを保護したように振る舞ってる警察(各区・地区の最後に警察の記録が掲載されている)ですが、そもそも「不逞鮮人」のデマを飛ばしたのは警視庁であり、官庁なので、大変厚かましい話ですネ。だいたい「不逞鮮人」のビラを貼るのだって警察の指示だっていうんですから、自分でデマ飛ばしておいて、さも保護者面して被害者を守るとか、くそったれとしか思いませんでした。だから警察は信用がならんと言うのじゃ。

あと、テレビのない時代ですし、ラジオは記録が残ってないので新聞になりますけど、まぁ、どいつもこいつもデマのオンパレードで、この後、大本営発表を垂れ流すんですから、日本のメディアというのは勉強も反省もしないので、ますます信用がなりません。玉石混淆なネットのがまだましだっていう。特に地方新聞が酷く、ちゃんと取材してないで伝言だけだろおらなデマを垂れ流しまくってます。また中央紙でいったら国民新聞というのが名前からして酷いんですけど、中身も最悪で、これはもしや産経新聞の前身ではあるまいなと思ってググったら東京新聞でした。おーい… しょせんメディアはメディア。

そして、デマこそ振りまいてませんが、重装備をしているという点においては自警団よりもっと始末の悪い軍隊が組織的に朝鮮の人たちをぶっ殺しているのを見ると、同じような事態になったら自衛隊もするよねと確信しました。
あと「隠された爪跡/払い下げられた朝鮮人」で習志野の捕虜収容所に集められた朝鮮の人たちが地元の自警団に文字どおり「払い下げられ」て虐殺されたのを見ていると、朝鮮の人たちが「習志野に送られた」と読むと、大丈夫かよと心配になったのですが、たいがいは「生きて帰ってきた」という証言ばかりだったので、殺された人たちが余計に気の毒でした。「払い下げられ」たのはどういう基準だったのか…

で、思いましたけど、「未曾有の震災にかこつけて、普段、何かと差別をされている朝鮮人(文中ではほぼ「鮮人」という差別語)たちが報復に立ち上がる」というデマを大方の日本人があっさり信じた理由というのはよほど普段から後ろめたいことを朝鮮の人たちにやっていて、それで自分たちが大変だっていうんで差別意識が引っ繰り返って被害者面してんだろうなぁと。
むしろ、震災のどさくさに紛れて放火だの強姦だのやってたのは日本人の方で、後に書きますけど、ほとほと日本人の程度の低さが嫌になります。もう、ほんとに。
というか、わしも差別することがないとは言いませんけど、「○○人だから」という差別というのが生まれてこの方理解できないもんですから(うちの両親が幸いにしてそういうことを広言する人物ではなかったためと思われます。ただし、たまに言うことはある)、自分たちの日頃の行いを反省する前に報復されることを恐れるとか、どんだけ自己中なんだよ!とさんざん突っ込みが炸裂してました。
あと、朝鮮の労働者たちが日本人の半分の賃金で雇われて貧乏しているのに、日本人労働者が逆に「あいつらに仕事盗られた」と逆恨みしているのは、相変わらず、この国は分断が姑息だなと思いました。騙される日本人の馬鹿さ加減もいい加減に嫌になりますが。

また、この後で個別の突っ込みというかメモでも書きますけど、いわゆる作家とか記者という肩書きがついている連中は知識人だとわしは認識していたんですけど、その認識は間違いだったと考えを改めます。むしろ記者なんか率先してデマをまき散らす人間だと認定します。まぁ、新聞がそういうものですから、それを書いてる連中がまともなわけねぇだ。

いくつか印象に深い(良くも悪くも)証言があったので適当にメモ。付箋はこういう時に使うのだな…

田山花袋というわしでも知ってる(著作は未読)著名な作家から、聞いたこともないような無名の作家まで、震災にかこつけて暴力を振るうことを痛快に思う人間が大勢いることを唾棄します ( ゚д゚)、

逆に材木商の宇佐美政衛というおっさん(たぶん)が「日本人は考えが単調ですぐに動揺する。実に心持ちの小さな人種だと思った」とか「些細な事にすぐ騒ぎ立て、逆上する日本人の狼狽ぶりが見え苦々しく思った」と書いているのを読んだ時にはそのとおり!!!と膝を叩きたい気持ちでした。
おっちゃん、100年近く経っても日本人は全然進歩しとらんのやで… むしろ、ますますけつの穴は小さくなっとんのやで… と教えてあげたいです。

わしでも知ってる物理学者の寺田寅彦先生(元ネタは「帝都物語」だったりしますけど…)が「昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊するから注意しろと言ったそうだ。(中略)こんな場末の町へまでも荒して歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか」と科学者らしく冷静な判断をしていたのは、さすがだと思いました。

「非常時の中に笑いあり」ってタイトルで毎日新聞社が編集した本が出てるんですけど、紹介してるのが朝鮮の人を三人やっつけたと自慢する親父の話で、どこが「笑い」なのか聞きたい。小一時間くらい問い詰めたい。

大震災後の春に、朝鮮の二人の弁士が市内の各所を廻って謝罪の旅をしていたと紹介してました。書いた人は日本人が謝罪するならまだしも朝鮮の人が謝罪するのはおかしいだろうと感想を書いてましたが、わしも同感です。明らかに謝る側が間違ってます。しかし、それで笑いを取ったというのですから、それが当時の日本人の一般の感覚だったんでしょう。で、また何かあれば報復を心配するんでしょう。糞食らえです。

軍隊が東京の秩序を守ったことに感心する大人たちの言動が書いてあり、それが軍隊を見直した、までに発展したのは現在の自衛隊が災害救助隊として東日本大震災で活躍し、賛美された構造とそっくり同じです。ただ、わしは何度も書いてますし、何度も言いますけど、災害救助隊ならば武器は要りません。やっぱり自衛隊は要らないし、どこの国の軍隊も要らないと言います。
またさらに、後の軍閥の台頭、戦争の幕開けまでと結びつけたのは慧眼だったと思いますが、自衛隊も同じ轍を踏むでしょう。

警視庁の職員が「鮮人が攻め込まぬよう管内の警備を固めるよう」という本部命令を伝達したところ、警視に「そんな馬鹿なことがあるか」と一笑に付されたと残してます。デマをまき散らしたのは警察でしょうに。

日本人の朝鮮の人たちへの差別感を「人間感情の通路としては深くて底なし」と見抜き、「感情通路の(文脈から「を」の間違い」と思われる)亀裂させ溝をつくる感情媒体の根深い遺恨をつくり出した日本人民大衆の「どしがたい」感情閉塞を作り出している根本を掘り下げ」る必要があると書いている人があり、たかが100年にもならぬつき合いで、最も近しい隣国の人びとをこうも蔑視する日本人の差別意識というものは、ヨーロッパの反ユダヤ感にも負けず劣らぬ感があるのではないかと思えました。

判事のおっさんが「「鮮人2千名来襲せり」と報し歩きたりと聞く。諸種の事実を総合して考うるにこれは真実なり」と書いてましたけど、何一つそんな事実なんかないのに何を根拠にそう言い切るんですかね。こういう奴が幸徳秋水や朴烈を大逆罪に持ってったりするんじゃないですかね。
他にも「自分が聞いたから」とか「警察がビラを貼っていたから」事実だと言ってる奴はいましたけど、ここまで根拠のない事実を述べた馬鹿が判事とか、日本の司法って昔から真っ暗なんですネ。

こんなところで。

何ヶ所かで犠牲者の朝鮮人女性の陰部に竹槍を刺してあったとかあって、南京大虐殺で頂点に達した日本人の残虐性はこういうところにも萌芽があるんだなぁと最後まで暗澹たる気持ちでした。

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テロル

鈴木邦男編。皓星社刊。

金子文子の「何が私をそうさせたか」が読みたくて借りてきました。
他の収録は石川啄木「ココアのひと匙」、内山愚道「入獄記念・無政府共産・革命」、安重根「自叙伝(抜粋)・伊藤さんの罪状一五箇条・東洋平和論(序文)」、菅野すが子「死出の道艸(抜粋)」、朝日平吾「死の叫び声」、和田久太郎「後事頼み置く事ども」、難波大助「虎ノ門事件 難波大助訊問調書(抜粋)」、中浜哲「杉よ! 眼の男よ!」、古田大次郎「死の懺悔(抜粋)」、山口二矢「山口二矢供述調書(抜粋)」、三島由紀夫「国家革新の原理 学生とのティーチ・イン(抜粋)・檄」、見沢知廉「民族派暴力革命論(抜粋)」、野村秋介「『十六の墓標』は誰がために」です。

うち、読んだのは石川啄木、内山愚道、安重根、菅野すが子、和田久太郎、難波大助、中浜哲、古田大次郎、金子ふみ子(文子だったり、ふみ子だったり表記が統一されてない感じ)です。

編者の鈴木邦男は右翼団体の一水会の創始者で、その考えるところとか主張をわしは一切評価してないんですが、県立図書館には「何が私をそうさせたか」はこれしか収録してなかったんでしょうがなく借りてきました。

ただ、そんなわしですので右翼の文章なぞ読みたくもないので、全部すっ飛ばしました。そうしたら、さっさと読み終わっちゃったので時間が空きまして、先に解説でも読んでおこうかと思いましたが(三島由紀夫はそもそも嫌いだし、どの右翼にも興味が湧かなかったため)、そのナルシズム全開の文を読んで辟易したので結局、それでおしまいにしました。
それにしても抜粋が多いのは参りました。どこかでちゃんと全文を読み直すことになると思います。ていうか、要するに薄っぺらな本(400ページ足らず)にいろいろと盛り込んだら、どこかで切り落とすか外すかしなければならなかったので、どっちにもいい顔をするために両方入れました的な商売根性を感じたので鈴木邦男には二度と手を出しません。たとえアナーキストについて書いていてもだ。畜生。

あと編者は彼らがテロルに走ったことは右でも左でも究極的には同じところに行き着いただけとか書いてましたが、すでにそこからが右翼の勝手な思い込みで大きな間違いです。だいたい天皇崇拝の右翼とアナーキスト・共産主義者がどうして同じだなんて論点を繰り出せるのか理解できません。

さらに、ずいぶん前の琉球新報だったか沖縄タイムスで記事になってましたけど右翼なのに辺野古移設に反対して立つ女性ってありましたけど、そもそも沖縄の現状はヒロヒトが沖縄をアメリカに売ったからなんですが、右翼としてそこんところどう考えているんでしょうかね? 鈴木邦男はこちらを見事に否定しやがりまして、歴史修正主義乙って感じでした。だいたいヒロヒトが国民のことを第一に考えていたら、沖縄もヒロシマもナガサキもなかったんですよ。そこんところわかってんのか馬鹿野郎と思ったら、そこはさくっとスルーしました。全く、自分に都合のいいおつむの持ち主ですね。ていうか、だから天皇なんか指示できるんでしょうけど。

あと、若い頃、ソウルの安重根記念館に行った時に先輩の右翼に「韓国の愛国者に日本の愛国者として会いに行こう」と言われて、そんな考えもあるのかと思ったそうですが、馬鹿野郎、おまえら右翼こそ癌だと知れ。

だいたい天皇へーかの周りに奸臣がいるから正しく政道が行われないのだという考え方は226事件で大々的にやって、当の天皇にそっぽ向かれたんですけど、そこはスルーですかね。

だいたいテロというのは権力に立ち向かうための道具だったので(911以降、何でもかんでもテロ呼ばわりですが、そもそも911だって、わしはアメリカの自作自演説に立つのでテロでさえないです。そもそもアメリカという世界最大の権力者に資金援助されてるアルカイダだのISだのはテロリストでも何でもないです。権力の狗ですよ)権力者の側にしか立たない右翼がテロとか言ってほしくないですわ。一昨日来やがれです。

というわけで鈴木邦男のナルシズムはどっちらけでしたが、載ってた文はどれもおもしろかったです。ただ、どいつもこいつも抜粋なんで、ちゃんと読み直そうと思いました。

しかし、今の時代、テロで誰かを殺せば時代が変わるとは思えなくなりました。今日も悶々とする日々です。

2019.5.25追記

金子文子の文のなかで、先日の映画ではスパイ扱いされていた新山初代を「親友」って言ってるんですけど、そこのところは故人の名誉を踏みにじっていませんかね? 監督、「何が私をそうさせたか」を読んだんでしょうか? 読んでたら、ああいう描写にはならないと思うんですが。スパイを入れたくても無名の人物にしておくとか手はいくらでもあったと思うんですが。

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法廷で裁かれる日本の戦争責任

瑞慶山茂責任編集。宇都宮軍縮研究室編集協力。高文研刊。

サブタイトルは「日本とアジア・和解と恒久平和のために」です。

600ページもの大著ですが、責任編集とあるようにいろんな弁護士が、自分が担当したそれぞれの裁判を解説する内容になっているので1つ当たりの記事は10〜20ページ足らずで、わりとすらすら読めました。法律用語の難しさを棚に上げれば、ですが。ただ主題が同じだとかぶる部分も多かったのは、読んでて少々くどかったです。まぁ、我慢できるレベルでしたけど。

あと、例によってタイトルだけメモしていたのですが、戦争責任といったら、基本的に日本が加害者の「従軍慰安婦」や強制徴用、南京大虐殺や731部隊などが思い浮かびますけど、被告が国だという理由で最後のパートが日本人の戦争被害に割いていて、これが全体の1/4を占めるのは多すぎるんじゃないかと思いましたし、そもそも趣旨が合わんようにも思いました。

特に責任編集の瑞慶山茂の書いた分が全て「書き下ろし」となっていて、他は全て「軍縮問題資料××年×月掲載」とあるので、要するに瑞慶山茂の書いた物だけだとボリューム的にも話題的にも物足りないので(良作を出版することでは定評のある高文研ですが)他の資料を同様の内容のもので付け足した感が否めないように邪推しました。

特に南洋諸島(パラオとかサイパンとかフィリピン)で被害に遭った方々の訴訟というのが沖縄県民だけに偏っているのはどうかと思いました。割合的に沖縄県民が多いとは言ってますけど、人口比ぐらい載せようよ。

まぁ、わしも被害者という点では中国や朝鮮の方々と日本人が立場が違うとは思いませんし、やはり同じように救済されるべきだとは思ってますけど、やはりまず加害者としての責任を果たしてから自国の被害者というのが順番だと思いますので、前書きで上記の言い訳をしているのを読んだところで本編はだいぶ引いて読んでいました。

一部の裁判を除いて、原告の敗訴がほとんどという、本当に読んでいるうちにいつまでも戦争責任を取らず認めようともしない日本、とっと滅びろFuck You!!!な気分になったのは置いておきましても、ほとんどの著者が「裁判で負けても裁判所が日本の加害事実を認めたことには意義がある」とか、「一歩前進」とか、あげくの果てには批判の多い花岡事件の和解についても好意的な書き方が多いのを読んでいると、何でそこまで裁判官に対して下手に出るのか、裁判官の裏の意図までくみ取らなければならないのか、全然、理解できませんでした。まぁ、そこんところは法律に詳しくない素人の判断なのかもしれませんけど、原告の方々、つまり被害者やその遺族の方々に「裁判では負けたけど(日本での)支援者に会えたのがいちばんの喜び」とか言われて真に受けてんなよ馬鹿野郎とか思いました。
結局、日本の司法に期待が持てなかったから韓国で強制徴用された方々が起訴したんじゃないかと思うのですけど。

また、なかには敗戦を「終戦」と言ってる著者も何人かいて、本当にこの人がこの裁判を担当したのは正しかったのかと疑問符がつくような歴史認識だと思います。あと一人だけ、天皇陛下とかぬかした奴がいたんで、その時点で一歩どころか二、三歩後退したのはここだけの話です。

あと、わりとルビの振り方に統一性がなかったので、特に法律用語なんかは振っておいてほしかったですね。人名の読み方とか地名とか。

こっそり告白しちゃいますけど、まともに読んだことのなかった村山談話や河野談話をちゃんと読みましたが、右翼が攻撃するほどいいことを言ってるわけでなし、言って当たり前の謝罪を述べているだけで、こんなの撤回しろとか言われてもなぁと思いました。

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