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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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太白山脈(再読)全10巻

趙廷來著。ホーム社刊。

前から作りたいと思っていた人名辞典を作るために1冊5時間かけて、延べ10日間かけて再読しましたが、初読以上に面白かったので主に人物に絞ってだらだら感想です。

好きなキャラクターは女性だと竹山宅(チュクサンテク。宅は結婚した女性の呼び名で、概ね出身地名で呼ばれることが多い。以下、宅とついていたら同様)、李知淑(イ=ジスク)、外西宅(ウェソテク)、男性だと元警官の李根述(イ=グンスル)、廉相鎮(ヨム=サンジン)かなぁと思っていましたが、登場時は端役に過ぎなかったのに、主人公格の金範佑(キム=ボム)のお兄ちゃん、金範俊(キム=ボムジュン)への献身っぷりがあっぱれな李海龍(イ=ヘリョン)もかなり好きです。というか、お兄ちゃんとセットで大好きです。

李海龍は初登場は第3巻。廉相鎮の部下で、宝城(ポソン)のキャップで、烏城(チョソン)のキャップである呉判ドル(オ=パンドル。「ドル」の字は石の下に乙)とともに廉相鎮の部下である河大治(ハ=デジ)とは同じ格ながら、廉相鎮と同じ筏橋(ボルギョ)の出身である河大治とはどうしても出番に差を空けられがちで、登場はするんだけど、呉判ドルと十把一絡げな扱いでした。ところが金範俊が帰郷して、また山に籠もらなければならなくなったパルチザンたちと同行するようになると李海龍がその同行者となり、がぜん、出番が増えます。金範俊は解放前から満州に行っていて朝鮮独立のために戦っていたばかりか、中国共産党の長征にも加わったという歴戦の勇者で、主人公の廉相鎮や金範佑が深く尊敬する人物でもあるのです。実際、出番は多くないながら、北からの兵士たちが北に帰れないことを知って不様な姿をさらすことも少なくないなか、もともと筏橋の出身ではあるものの、いつも毅然とした態度で口数は少なく、しかし話せば作中の誰よりも理路整然としているところは、まさに廉相鎮が憧れた兄貴分を体現していたのでした。
ところが、そんなお兄ちゃん、金範俊にも弱点がありました。というか、パルチザンには宿命とも言える凍傷持ち(しかも日帝と戦っていた頃からだというから筋金入りの古傷)だったのに、冬期の軍の掃討作戦で凍傷が悪化し、とうとう歩けなくなってしまったのです ( ´Д⊂ヽ
本当ならば歩けなくなった金範俊は足手まといなので、怪我人・病人用のアジトに送られるべきでした。というか、金範俊は何度も懇願し、脅し、説得しようとし、頼み込みましたが李海龍はこれをまったく聞き入れず、作中でも「大きい(キャラクターごとの対比図がないため、想像でしかありませんが、廉相鎮もしばしば大きいと語られるため、同じくらいか、れっきとした軍人なので180cmはあるものと想定してますが)」と言われる金範俊を背負って2ヶ月も戦い続けたというのです。2ヶ月!!! (゚Д゚;) それも平地じゃなくて智異山一帯という朝鮮半島でも屈指の地形の複雑さを誇る山岳地帯を、ただ機動力だけが敵より優れていたパルチザンの戦いぶりにあって、2ヶ月も金範俊を背負って戦い続けた李海龍。しかも戦いの合間には金範俊の手当てもしてです。もはや超人的な活躍ぶりでした。
そんな李海龍は、もともとは地主の息子でした。でも父親のやり方に反発してパルチザンになり、戦い続け、ついには金範俊と一緒に戦死してしまった李海龍。そんな彼の格好良さは、多くのパルチザンたちが死んでいく第10巻のなかでも群を抜いていました。ほんとにこういうキャラに弱いですね、わしも…

んで、パルチザンといったら廉相鎮、敵も味方も誰もが気にせずにいられない、皆の人気者(←違う)、廉相鎮は最初から最後までダントツの登場数で、彼こそがこの大河小説の主人公だとわしは思います。
主人公格という点では金範佑も十分、資格はあると思うのですが(メインキャラのなかで数少ない生き残り組ですし)9巻で失速、人民解放軍から米軍の捕虜になったところで出番ががくんと減ってしまったのは残念でしたが、その分、パルチザンに加わった兄に出番を譲ったと言えなくもありません。
それだけに最初から最後までほぼ全ての章にその名が上がる廉相鎮が主人公に相応しいのではないかと思いました。もっとも後半に向かっても巻ごとに増える登場人物がいっこうに減らなかったところを見ると、作者が本当に主役だと思っていたのは名のあるキャラではなくて、名もなき人びとであったようにも思えます。なので登場人物の索引を作ろうと思って記録し始めたら、1冊だけの登場人物の多いこと多いこと、1ページきりの人物も少なくなく、地主だったり小作人だったり、警察官だったりパルチザンだったり、そんなきら星のような人物はみんな、そこにいるだけの理由を持って登場し、生きて呼吸していて、この物語を彩っていきます。そこにまた名も上がらない人びとが加わるわけで。でも、そんな人びとのなかでもひときわ輝いているのは、徴兵を拒否して山にこもった筋金入りの共産主義者・廉相鎮であり、有名無名の人びとが彼を讃えるのもごく自然に思えるのでした。
それだけに、その廉相鎮が冒したたった1つの過ちといったら、弟・相九(サング)の扱いだと思うわけでして、極悪非道なヤクザ者と徹頭徹尾して描かれる相九ですが、元を正せば父と兄から受けた次男だという差別だったので、わしはどうにも相九が嫌いになれませんでした。むしろ、たまに見せる人間味が好きだったりしました。まぁ、酷いことも酷いこともしてるわけなんですけど… 特に素花(ソファ)と外西宅への扱いは酷すぎるんですが、それでも良心の傷むところを見せる辺りが廉相九の人間臭いところで。そんな相九の姿は、映画で描かれたまんまだと思いますが、こちら(参考ページは輝国山人さんの「太白山脈」レビューページ)の写真の右の人物が相九(左はアン=ソンギさん演ずる金範佑。ちょっと老けすぎ (´・ω・`))で、こんな感じの人物像が簡単に思い描けるのです。
もっとも、兄と不倶戴天の敵同士になることで相九は生きのびたわけでもあるので、兄弟のお母さん、虎山宅(ホサンテク)にしてみれば、兄弟が殺し合うのも辛いだろうけど、兄弟とも戦死というのも辛かろうと思うので、片っぽだけでも生きのびて良かったと言っていいのか悪いのか… (´・ω・`)
ただ、兄弟運は自業自得もあって泥沼な廉相鎮ですが、パルチザンとの人間関係には恵まれてまして、確か2巻ごろ、同じパルチザンで元教師の安昌民(アン=チャンミン)が、廉相鎮と河大治の交流を傍から眺めていて、「最も美しい人間関係の1つだ」と微笑ましく思っているのを読んでいたわしは、あなたもその一員ですよ、安先生… (´-`).。oO とか思って、さらに微笑ましくなって読みました。
それだけ作者のなかでは重要な人物だったのだろうと思いましたので、ラスト、廉相鎮の首をさらす筏橋警察と、それを取り返そうとする竹山宅、虎山宅、そして2人に加担する相九の姿は、見事なクライマックスでした。なので、廉相鎮の墓参りをして、さらなる戦いを誓う河大治と5人のパルチザン(名前が明かされませんが、絶対に1人は外西宅だと信じてる)たちで終わったのは、どこかで河大治たちの戦いの続きを読みたいものだと思わずにいられないほどです。

んで、ラストの廉相鎮の首を取り返すところから、わしのなかで急激にクローズアップされた竹山宅は、再読したら、いちばん好きなキャラになってました。
もうね、彼女の鋼のような強さに惹かれて、しかもその性格が災いして行き遅れそうになってた竹山宅に廉相鎮からプロポーズしたって小話まで思い浮かんだ!(←オタクのさが)
パルチザンの女房たちは数々登場します。だいたい外西宅だって、最後はパルチザンですけど、そもそも夫の姜東植(カン=ドンシク)が殺された(相手は廉相九なわけですが…)からパルチザンにこそなったわけで、その前は夫の身を案じる妻に過ぎなかったわけなんですよ。まぁ、たいがいの女房たちがそんな態度なわけで。ほかにもたくさん登場する女房たちとのやりとりがまた楽しいわけでして(特に前半)。そう思った時におばちゃんのいい映画に外れなしと思ってる黒澤映画が浮かびまして(「生きる」と「赤ひげ」)、ああ、この小説、好きなわけだわ…と自分の嗜好に納得したのでした。
ところがわりと賑やかしな女房たちのなかで竹山宅の存在は異色を放ってます。まず、彼女は筋金入りの共産主義者の女房であるにも関わらず、筋金入りの共産党嫌いです。
しかも何かあるたびに警察や戒厳軍にしょっ引かれ、殴られたり蹴られたりする女房たちのなかで竹山宅だけ抵抗します。それも義弟の相九が「珍島犬(確か。気の強い犬に例えたらしい)」とか称されるぐらい、噛みつきのひっかきのと激しい抵抗です。それも亭主の廉相鎮を口汚く罵るというおまけまでついてます。そうでなくても作中の舞台、全羅南道(チョルラナムド)訛りは、けっこう下町言葉っぽくて、粗っぽくて、猥雑なのです。それを女性の竹山宅が言うものですから、まぁ、彼女の登場するシーンだけ訊問(だけじゃない場合多し)してるのがどっちだかわからないくらいの勢いです。最初から最後まで。
ところが、こんな夫婦の子どもたちですが、素直に父親を慕い、母を支えようとけなげです。もう第5巻辺り(確か)で徳順(トクスン。姉)と光祚(クァンジョ。弟)が2人きりで堤防(日本人が築いた中島堤防)を歩いていて、2人しかいないと言うので母に禁じられているけど「父ちゃーん」と叫ぶシーンは涙なしには読めません。
そんな子どもたちを育てた竹山宅が、心から夫を憎んでいるとは思えないじゃないですか。それもこれもみんな、子どもたちと自分を守るためだと気づいたら、彼女はがぜん、魅力的に思えました。もうその強さがあの廉相鎮をして、と思いました。

と、李海龍と廉相鎮夫婦のことしかほとんど書いてないのにやたら増えたので、この項、続く(爆

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死者の歌

エリ=ヴィーゼル著。村上光彦訳。晶文社刊。

死と死者にまつわる13の短編を収めたエッセイ集。

やはり気になるのは視界から完全に外れた東アジアで日本軍がなした虐殺のことでしょうか。
アウシュヴィッツの次にヒロシマを持ってきて疑問に思うことも恥じることもないヴィーゼルの姿勢はやはり看過できません。

誰かが言ってくれるだろうと甘えていないで加害者である日本人こそが指摘し続けなければならないことではありますが、ノーベル平和賞なんて言われてもしょせんはこの程度なんだなと思わざるを得ません。もっともヴィーゼル自身がレイシストで、アジア人を蔑視していたというのなら話はまた別でしょうが。

また、ナチスが敗戦直前まで強制収容所でユダヤ人ほかを殺戮し続けていたのは、連合軍の指導者たちが事実を知っていながら、殺戮を止めようとしなかったのはよく言われることですが、ヴィーゼルも再三指摘します。さらに加えてナチスの勢力圏外にいたアメリカやパレスチナのユダヤ人たちも、知識人たちも何もしなかったと言います。何があったのかわかっていて、それを止めさせようとしなかったくせに、全てが露見したら、大げさに騒ぎ立て、同情してみせる、それらの人びとの偽善性を追求するヴィーゼル。
その答えが
あなたがたが知りたいのは、理解したいのは、きりがついたとしてページを繰るためではないのか。こう思うことができるためではないのか。−−−事件は完結し、すべてが秩序に復した、と。死者たちがあなたがたを救援しに来るなどとは、期待しないでいただきたい。彼らの沈黙は彼らのあとまで生きのびるであろう。
だったんだろうと思います。

あと、ドイツ人のやり方を「反ユダヤ政策を展開するにあたっても一歩また一歩と徐々に進んで、ある措置を講じるごとに、ある打撃を加えるごとに、反応を見るためにあとで息つぎをするのであった」と言ってますが、推しも押されぬドイツの同盟国であり、最後まで連合国と戦った日本軍の中国でのやり方はどうだったろうかなぁと気になるところです。
もっとも日本の場合は南京大虐殺にも匹敵する悪行731部隊をアメリカの意向でチャラにしてるので、わしが思ってる以上に世界というか、ほぼ欧米になりますけど、日本の罪業は知らないんだろうなぁと思いました。三光作戦とか、従軍慰安婦にしても強制徴用にしても。あるいは知っていても植民地のことだから、一緒に中国を食い荒らした仲だしという共犯意識を抱いているのか、どれかだろうと。

わりとよくやり玉に挙げますが、日本のホロコースト関係者が、まるで日本とドイツが同盟国じゃなかったかのようにドイツの悪辣さを上げるのに、その地続きのところに日本がいるという自覚がない件は、こちらの訳者の方には当てはまりませんでした。まぁ、それぐらい知っておけよ、カマトトぶんなよ、知らないことを恥と思えよと思ってるので当然ちゃ当然ですけど。
ただ、わしの好きなマンガ「南京路に花吹雪」シリーズの主人公・本郷義昭さんが山中峯太郎の「亜細亜の曙」シリーズからとったのは著者の森川久美さんが仰ってたことなんですけど、その小説が反ユダヤ主義に充ち満ちていたという記述は読もうと思ったこともありませんけどがっかりでした。たしか黄子満の名前もそれから取ってたはず… (´・ω・`)

全然、ヴィーゼルの感想になってませんが、ホロコースト物は今度こそ、もういいだろうということで。

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「植民地責任」論

永原陽子編。青木書店刊。

サブタイトルは「脱植民地化の比較史」です。そのタイトルのとおり、日本だけではなくフランス、スペイン、ハイチ(フランス)、ケニア(イギリス)、ナミビア(ドイツ)、ジンバブエ(イギリス)、イギリス、アルジェリア(フランス)、アメリカ、台湾(日本)と広範囲に扱ってますが、植民地責任どころか戦争責任さえまともに果たしていない日本人が、「性奴隷制にせよ、強制労働にせよ、ヨーロッパ諸国はアフリカをはじめ、いたるところに植民地でやってきたことである。しかし、それについて一度として「謝罪」したこともなければ「補償」したこともない。それが求められたことすらなかった(ように見える)」と言って謝罪と償いを求める日本の旧植民地の人びと(主に朝鮮や中国)に違和感を覚えると言い、「こうした主張は、日本の「戦争責任」「戦後責任」を否定する歴史修正主義的な立場の人々からは、「だから日本も謝る必要はない」という結論を導くためにしばしば持ち出されるが、もとより私たちの「違和感」はそのようなことではない」と言って「植民地支配の歴史に関する「責任」は、固有の問題として考える必要があるのではないか」と主張します。
しかし、わしにはこういう主張は歴史修正主義(的な立場と言うことさえおかしいと思ってない!)と同じレベルで、五十歩百歩の危険性を孕んでいて、いくらでも言い逃れがきく論法に利用されるだけじゃないかと思いますので、編者の言うことには絶対反対です。分けて考えたところで、どうせ、「その問題は戦争責任で」「いや、植民地責任で」と言い逃れる。それは日本が今までしてきたこととどう違うんでしょうか? いやいや、学者の言うことも怪しいもんですネ。

もっとも、これはあとがきに入ってた一文だったので、まえがきだったら、わしもこんな本読んでられっか!!!とか言って放り出す(比喩)ところなんですけど、最後だったんで、途中、論文1つはすっ飛ばしましたけど(横文字多すぎて読んでてめまいがしたため。ヘゲモニーだのユニラテラリズムだのレジームだのグローバル・ガバナンスだの、訳語がないわけじゃなし日本語で言え日本語で)、あとは全部読んだのでした。
だいたい序で「植民地を支配し、植民地の人びとを苦しめた責任と侵略戦争をしたことにたいする責任は、本来は別の事柄である。けれども日本の場合は満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争とつづく侵略戦争が、当時の国際法に反して植民地の人びと、あるいは占領地の人びとを強制連行して労働に従事させ、あるいは日本軍「慰安婦」にし、人びとを虐殺し、強姦し、また植民地や占領地の資源を戦争遂行のため収奪したため、植民地支配にたいする責任と侵略戦争にたいする責任を果たすことを重ねて考えざるをえない、まれな国であるといえる」って意見を紹介してるので、まるで反対のことをぬかすとか、やっぱり修正したいんじゃないんですかネ。

個人的にはジンバブエ(ジンバブウェと記されており、むっちゃ読みにくい。別に現地の発音に従った正式名称とも思われず、わたしをわたくしと言うような嫌らしさ)のムガベ大統領が、まるで私利私欲に突っ走った典型的な独裁者だと思っていたら、それはあくまでも欧米メディアの宣伝で、実はとんでもなく真っ当な人物だったことを知ったのが大きな収穫でした。シリアのアサド大統領とか、リビアの故カダフィ大佐とか、ベネズエラの故チャベス大統領とかマドゥーロ大統領とか、そんな人ばっかりですもんね。しかしチャベス大統領は「この宇宙に存在する最も邪悪な存在!悪魔の象徴!それは、ジョージ・W・ブッシュ」と言ったことで、わしのなかでは株が急上昇した方だったもんでマドゥーロ大統領がその後継者であれば、支持するのは当然ってもんですけど。
もっとも、かといってジンバブエに格別関心を抱くには、あんまり遠すぎるし、縁ないし、わしの関心は相変わらず東アジアと、せいぜい旧日本軍の占領地域に限られとるもんで、この先もジンバブエに興味を持つようなことはないと思いますが、欧米日メディアの悪辣さは相変わらずだなぁと思いました。ますます酷いっていうか。

なんで、わしの興味は相変わらず日本の植民地責任に向かうので、付箋をつけたのは自然、それを扱った論文に偏りましたし、あとはさくっと読み飛ばしました。
ただ、じゃあ、そういう論文で満足したかと言われると朝鮮を扱った吉澤文寿さんの論文は読み応えがあったんですけど、台湾を扱った最後の論文はそもそもタイトルが内容と合ってない(「戦後初期日本の制度的「脱帝国化」と歴史認識問題」なのに制度なんて最初の1項だけで後は2項とも台湾。なぜタイトルに「台湾」を入れぬか解せぬ)上に論文の内容も悪くはないんだけど、あっちこっちにとっちらかって、タイトル間違った時点でどうしようもないんですが、いまいちでした。
あといちばん最初の「戦争責任と植民地責任もしくは戦争犯罪と植民地犯罪」は例によって欧米から始めたので、またか(日本が第二次大戦中、ナチス・ドイツと同盟国だったという事実を忘れ去り、さもナチス・ドイツだけが最悪の国家のような書き方をするホロコースト研究者みたいな)と思っていたら、ちゃんと最後で日本に言及したのは良かったです。ていうか、当然でしょう。

あとは付箋貼ったところについて。
免罪の花開く社会、したくないのか、できないのか、ともかく裁判官がなすべき任務を遂行しない社会は、全き民主主義ではない

一方的に、それも加害者(原文ではドイツ)側から「和解」を提案すること自体、おおよそ「和解」の精神とは相容れないことだった

帝国主義の夢から醒め切らない日本政府が旧植民地人に対する支配感を尚持ちつづけていることは何という無自覚、無反省な態度ではないか

上の2つは日本とは関係ない論文のなかに出てきましたが、ぴったりだと思ったのでメモしといた次第。

こういう総合論的な本は内容がとっちらかっていまいちですなぁ。編者の姿勢も疑問符がつきましたし。

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玄界灘ほか

金達寿著。〈在日〉文学全集1。磯貝治良・黒古一夫編。勉誠出版刊。

やっと本命の「玄界灘」が収録された本を見つけました。ほかに「富士の見える村で」「公僕異聞」「朴達(パクタリ)の裁判」を収録。

で、「玄界灘」から読み始めて、どうしてこの話が読みたかったのか思い出したのですが、「太白山脈」の前日譚だと知ったからだったのでした。ただ、当の「太白山脈」は、その後で読んだ大本命の「太白山脈 第7巻」のおもしろさにほとんどすっ飛んだので、それほど意固地になって「玄界灘」を読む必要もなかった感じもしましたが、他に収録された「富士の見える村で」と「朴達の裁判」が良かったので、プラスマイナスで良しとします。

残念なことに「太白山脈」はそういうわけでほとんど登場人物たちのことは忘れておりまして、ただ、右翼と左翼の話が交互に書かれていたなというのは覚えていました。あと、けっこう中途半端なところで終わったという記憶もありましたが、これはわしが日本敗戦後の朝鮮の歴史を

朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、相次いで設立
南だけの単独選挙
済州島(チェジュド)四・三事件
麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件
朝鮮戦争

という大きな事件に沿って覚えていたためで、話としては一応、決着はついていたようですが、「玄界灘」の主人公2人、西敬泰(ソ=ゲエンテエ)、白省五(ビエク=ソンオ)がどういう登場の仕方をしていたのかは覚えていないのでした。とほほ…
かといって、もう一回読み直そうとも思わないのは、「玄界灘」があんまりおもしろくなかったからなのでした。

「太白山脈」は解放後の朝鮮から始まりましたが、「玄界灘」は戦争末期、1943年のソウルを舞台にしています。そして日本帰りの西敬泰と、大地主で道知事まで務めた父を持つ両班の子息、白省五が交互に語られることで話は進んでいきます。
ちなみに作者の出身地は南の慶尚南道(キョンサンナムド)、つまり釜山周辺(釜山含まず)なのですが、北特有の発音だと聞いた「李」をイと読ませず、リと読ませるのはどういうことなんかなぁと思いました。それとともに、朝鮮人固有名のルビの振り方が、いちいち「太白山脈」と微妙に食い違うもので、まぁ、こちらの作者の趙廷來(チョウ=ジョンネ)さんは全羅南道(チョルラナムド)、つまり慶尚南道の西側なんでお隣なんですけど、そんなに発音が食い違うのか、わしも朝鮮語は囓っただけで詳しくないのでよくわからないんですが、違和感を感じました。
と同時に、白省五の人物像がまるっきり「太白山脈」の金範佑(キム=ボム)だったり、「火山島Ⅵ」の李芳根(イ=バングン)だったりしたもんで、こういう良家の若様が民衆のあいだに入り込むという図式は朝鮮では人気が高いのかなぁと思ったりしました(「春香(チュニャン)伝」の李夢龍(イ=モンニョン、作中ではリ=モンリョン)みたいな)。特に、最初のうちは、うちのなかで四六時中寝てばかりいるというところなんかは、うちのなかで四六時中酒ばっかかっくらってる李芳根を彷彿とさせましたし。
それだけに、実は罠だったんですけど、李承元(リ=スンウォン)によって共産主義に目覚め、活動し、最後は検挙されて拷問を受けるところなどはおもしろいと言うのも語弊がありますが、「太白山脈 第2巻」にて、国会議員の崔益承(チェ=イクスン)に楯突いたために拷問を受けた金範佑と似たシチュエーションで(戦中と戦後なんで事情は全く異なりますが)興味深く読んでましたけど、もう一人の主人公、西敬泰の章になると彼にも事情はたくさんあるんですが、あと、後で著者の引き写しと知りましたが、それだけに九割ぐらいは自分の就職にだけ汲々としていて、金日成も知らない、京城日報社のこともよく知らない、言ってみればあまりに不勉強で世間知らずの西敬泰の人物があんまり幼く思えて、つまらなかったのでした。朝鮮半島から日本に渡り、屑拾いから初めて地方紙の記者にまでなった西敬泰が、やっと京城日報社を辞める決心をして白省五に面会に行ったところで終わったのは、やはり作者の経験の投影なんでしょうが、続く「太白山脈」でこの二人、どうなったんだっけ…

と、まるきり消化不良の「玄界灘」は置いておいて、良かった方の感想も。

「富士の見える村で」は被差別部落を訪れた在日の「私」たちがさらなる差別を受けるという、日本の差別の複層的な構造を鋭く描いた短編です。途中までは牧歌的な雰囲気とか、岩村という人物の醸し出す泣きたいようなユーモアさとかで、ほのぼのとした話だったのに、岩村のために色紙を書くことになり、そこにいた岩村以外の人物たちが全て在日だったことを知って、長い間、差別されていた部落民である岩村の家族たちが向ける蔑視、差別されてきた者たちがさらに自分たちの下と考えて差別するという救いようのない構図が痛い話でした。
マジョリティである日本人は、ちょっと、こういう話は思いつかない…

部落というと、わしはまず「橋のない川」を思い出しますが、あの話は日露戦争後(主人公兄弟の父が「名誉の戦死」を遂げているので)の奈良から始まったので、もうとっくに朝鮮は植民地化されていたわけですが、特に朝鮮人は出てこなかったような気がしますが、あれも長い話なのでどうだったろう…

「朴達の裁判」は作男から身を起こし、たまたま検挙されて放り込まれた留置所で、共産主義に出会い、文字を知り、勉強していった朴達(本名は朴達三)が起こす闘いをユーモラスな筆致で描いたもので、最後、朴達はついに有罪判決を受けてしまいますが、その代わり、裁判を傍聴する仲間たちの存在、大切な妻が心強い戦友だったと知り、さらに勇気をもって、次の闘いへ踏み出すだろうというところで締めくくってます。
朴達の人物像がふざけているようで、御上をからかっているようで、すごくいいですね。捕まるたびに「転向」して出てくるという知恵の働かせ方もすこぶるナイス。時代は朝鮮戦争休戦後なので、左に対する締め付けは厳しくなっていく一方なのですが、あの国のどこかにこんな人物がいたかと思えるのは嬉しいことです。

ところで「太白山脈」であれこれ検索していたら、さらに戦中に書かれた「太白山脈」もあったようで、そのうちに読んでみようと思います。

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服従の心理

スタンレー=ミルグラム著。山形浩夫訳。河出書房新社刊。

アイヒマン実験とも呼ばれる有名な心理学の実験の実録です。

アイヒマンの裁判が始まってハンナ=アーレントが「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を書いた時、人びとの反応は否定的なもので、むしろアイヒマンを悪魔的な人物に見たがったというのは今では有名な話です。もっとも、実際に「スペシャリスト〜自覚なき殺戮者」見てるとあんまり退屈で退屈で居眠りぶっこいたたきがはとしてはその最大の原因はアイヒマン本人の凡庸さにあると思いましたが、それはそもそも最初にアーレントの唱える「悪の凡庸さ」を知っていたからで、たかが2時間ほどのドキュメンタリーでわかるような物ではないのかもしれませんが、しかしアイヒマンがほとんど最後に捕まったナチスの高級官僚で、その裁判が退屈なわけない、なにしろ主題はホロコーストとそれを指揮していた男なんだぞ!と期待満々で見に行った初見を思うと、やっぱりそれもあながち的外れじゃないと思えるのです。

で、エール大学の心理学教授のミルグラムさんが、人はどんな条件のもとで実験者の被害者を傷つけるような命令に従うのかという仮定のもと、応募してきた老若男女に対して行った実験の記録なのです。

結果はまぁ、予想どおり(今の時代では)。過半数を超える人びとが被害者に(そうとは知らないまでも)罰として最大の電圧を与え、なかには被害者が死んでもかまわないと言い張った被験者や奥さんに「あなたはアイヒマンよ」と言われた被験者もいたとか。

個人的には著者が目を向けるのがホロコーストの後はベトナムになるのはしょうがないとしても、訳者がしらっと日本すっ飛ばしてる点が気になりました。
あと、県立図書館、なんでこの本がビジネスなのだ… ジャンル分けが不便で、ちゃんと十進分類法で並べてほしい。探しにくいったらありゃしない。

気になったのは以下の箇所。以下引用。

多くの被験者は、被害者を害する行動をとった結果として、辛辣に被害者を貶めるようになっていた。「あの人はあまりにバカで頑固だったから、電撃をくらっても当然だったんですよ」といった発言はしょっちゅう見られた。いったんその被害者に害をなす行動をとってしまった被験者たちは、相手を無価値な人間と考え、罰が与えられたのは当人の知的・人格的欠陥のせいなのだと考えるしかなくなっていたのだ。

いまの時代に生きる人は、だれも二度と権威への服従を当然のこととは考えまい。そしてだれかがそう考えたなら、それはその当人にとって危険を冒しているのであり、そしてその国にも危険をもたらしかねないということを、われわれはいまや十分に知っているのである。

引用ここまで。

同じような状況に直面した時に自分の良心に恥じない行動が取れるようになりたいものです。

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