1937年12月13日、上海から始まった日本軍の蛮行が頂点に達したのがこの南京ででした。今も新聞記事として残る100人斬りなんてのも生やさしいような30万人という犠牲者は、この後、さらに8年間も続く日中戦争の多大なる犠牲者の端緒でしかなかったのです。
南京に初めて行ったのは5年も前のことになり、その後の状況は日本においては悪化の一途をたどっています。
侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に行った時、まったく知らなかったわけではなかったのに(「南京への道」とかで予習してた)、その上に淡々と積み上げられる事実、いきなり南京で30万人が殺されたわけではなく、上海から侵略しながら、文字どおり、殺し尽くし、奪い尽くし、犯し尽くした、その到達点としてある南京大虐殺という事実に、ただただ圧倒され、息を呑み、それでも淡々と読み進めていった、あの日が蘇ります。
そんなわしの周囲を、賑やかに見学していった人たちもまた、ただそこにある事実をあるがままに受け入れていたようにも思えました。そんな蛮行をなした日本への怒りなど表すこともなく、ただ事実を見に来て、それを写真に収めて、また帰って知り合いに伝えたのだろうと思います。そうして広まった情報は多少の誤謬も含めて深く静かに浸透して、あの人たちを支え、たかが82年前の事実をなかったことにしようとするにはあまりに薄っぺらな根拠しか持たぬ我々日本人を圧倒するのではないかと、そんな風に思いました。
あの蛮行をかろうじて生きのびた方々がいるうちに謝罪を、全ての方々が鬼籍に入って取り返しのつかぬことにならぬうちにせめて国として心からの謝罪を、と思います。
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