先日見た「
沖縄スパイ戦史」の3パート目で違和感を覚えたことを書いてみます。
住民が住民を監視する、いわば総監視社会に置かれ、住民同士が殺し合ったという部分だったんですけど、そのなかで加害者の側だった爺さんが監督のインタビューに対し、青筋立てて「敵国のスパイなんだ、殺すのが当然だろう!」と怒鳴るシーンがありました。先日読んで、くそみそな感想を書いた「
炎は流れる3」にて沖縄の人びとの忠誠心を教育の賜物とかぬかして褒めたところがありましたが、教育の賜物かどうかは別にして、鬼畜米英を教え込まれた人びとが、何の疑問もなくスパイ=悪と見なして同じ村の住民をぶっ殺した構図は、事情は全然異なりますけど、加害者と被害者の遺族が同じ村に住むという点でだけ同じな「
ルック・オブ・サイレンス」を連想させる気持ち悪さがありました。
その時にわしが思い出したのが今回のタイトル「
わが青春に悔なし」で藤田進氏演ずる野毛が、ヒロインの幸枝に「僕たちの仕事は10年後に意味を持つ」と言った後にスパイとして捕まり、処刑されてしまったところでした。具体的に野毛が何をしたのかは実は描かれず、ただスパイとして処刑されたことで野毛の郷里では両親がスパイ、売国奴の親として村人から村八分の目に遭っていることが幸枝の目を通して知らされるだけです。
しかし、わしは思うのです。日中戦争当時にも日本を裏切り、中国のために働いた日本人がいたように、もしも、自国の戦争が間違っていると思った・気づいたなら、わしもそうするだろうし、そうしたいだろうと。だけど、その行為はスパイと見なされ、売国奴と罵られることなんだろうと。でも野毛のように、間違った戦争ならば、それを終わらせる努力をすべきで、それが自国内で許されないことならば、やはり国を出るほかはないのだろうと。
もっとも「沖縄スパイ戦史」で描かれたのはスパイと疑われて殺された人びとの話で、スパイだったという証拠があがったわけではないので見当違いなことを言ってるかもしれません。ただ、多数の住民を犠牲にした沖縄戦が何から何まで間違っていたことはわかっているのでスパイと責めるのではなく、沖縄戦を早く終結させるためにできることがあれば、たとえそれが国を裏切る行為であろうと、わしはしちゃうだろうなと思います。
まぁ、それだけの話です。
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