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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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雨月物語

監督:溝口健二
原作:上田秋成
出演:若狭(京マチ子)、宮木(田中絹代)、阿浜(水戸光子)、源十郎(森雅之)、藤兵衛(小沢栄太郎)、ほか
音楽:早坂文雄
見たところ:桜坂劇場
日本、1953年

というわけで溝口健二の2本目です。これがいちばん短くて、いちばんおもしろかったですが、ラストの宮木の独白は蛇足だろ、あれ。

百姓をやる傍ら、瀬戸物を焼く源十郎は、ある日、長浜で大金を手にしたことをきっかけにさらに瀬戸物を作り、もっと金を得たいと願う。源十郎の妹の夫、藤兵衛は、貧乏な暮らしが嫌で侍になろうと源十郎とともに長浜に出るが、侍になるには具足と槍が必要と言われ、源十郎の仕事を手伝う。しかし、世は戦国時代、源十郎たちの住処を柴田軍が通っていき、源十郎たちは焼きかけの瀬戸物を置いて避難しなければならなくなるが、瀬戸物は無事であった。船で琵琶湖に漕ぎ出した源十郎と妹夫婦、それに源十郎の妻子だったが、途中で海賊が出ると聞き、源十郎は妻子を船から下ろして家に帰らせ、大溝で商売をする。藤兵衛は念願の金を手に入れ、具足と槍を手に入れるが、藤兵衛を追った阿浜は落武者たちに犯されてしまう。一人残された源十郎は瀬戸物を買いに来た身分の高そうな女性、若狭の言う朽木屋敷を訪れるが、そこで若狭の虜になってしまう。藤兵衛は偶然、敵の大将の首を手に入れて出世するが、休もうと寄った先で遊女に身をやつした阿浜に再会する。源十郎は若狭に反物を贈ろうと大溝に出向くが、源十郎が朽木屋敷から来たと聞いた亭主は金は要らぬと言い、途中で会った神官に「死相が出ている」と言われてしまう。屋敷に帰った源十郎を若狭は引き止めようとするが、妻子のことを思い出した源十郎に若狭は触れることができず、それも神官が源十郎の身体に書いた呪符のせいだった。やがて気が触れたように刀を振り回した源十郎は気絶してしまうが、目が醒めるとそこが屋敷ではなく、ただの焼け跡だと知る。急いで村に帰った源十郎を妻の宮木と息子の源市が出迎えるが、朝になってみると村名主から宮木の死を知らされ、悲嘆に暮れるのだった。一方、妻と再会した藤兵衛は具足や槍を捨て、村に戻ってくる。藤兵衛が畑を耕し、源十郎が瀬戸物を焼く生活に二人は戻ったのだった。

最後まで粗筋書きましたけど、ラスト、死んだ宮木が「これで良かったんだ」みたいなことを延々と言ってるのは蛇足でした。別に要らんだろ、あれ。だって、元の生活に戻った時点で二人ともそっちを選択したわけじゃないですか。何でそういう余計なもん、付け足すかなぁ。

源十郎は森雅之さんでしたが、なかなか「白痴」とか「浮き雲」の森さんと結びつきませんでした。うーん、無精髭が悪かったのかも…。むしろ、「あにいもうと」で京マチ子さんと兄妹やってたんだよなぁと思ったら、伊之吉が出てきたんで、髭を剃っちゃえば森雅之さん以外の何物でもなかったんですが。

で、良妻賢母ながら、脇に引っ込んだ田中絹代に対し、京マチ子がヒロイン(悪女だけど)として前面に出てきた本作、さすがの京マチ子さん、外れませんでした。むしろ、この人、何で化け猫とかやってねぇんだよな後半の物の怪っぷりがおっそろしく良かったです。そしてそれ以上に、付き人の右近という婆さんが淡々と、あくまでも淡々と裏切った(事情を打ち明けていないのでお互い様とも言えますが)源十郎に恨み言を述べるシーンなんか、下手なホラーも真っ青でした(たきがははホラーには弱いですが)。もう京マチ子とセットで怖かった!!! ((((;゜Д゜)))))))

一方、もう1組の主役夫婦とも言える藤兵衛と阿浜ですが、こっちは何といいますか、侍の醜さというか、酷さというか、何ていうの、日本軍以前から、日本人って強盗殺人強姦魔なんじゃねーの!!!って言いたくなるようなシーンばっかりでした。まぁ、悲劇性も強調されてるんでしょうけど。
あと、落武者なのか正規兵なのか知りませんが、人の家でご飯漁ってるのとか見たら、この時代から食糧の調達は現地が基本かと思って、それから300年も経ってんのに進歩してないことに驚いた!!! 日本軍の補給は現地調達が基本なので、いくら「欧米の植民地支配から解放」と称しても現地の人の恨みを買いまくったわけです。

なもんで、溝口健二の美学よりも、そっちの方に目が行ったんで、その落武者に殺された宮木が、ラスト、わかったようなことをナレーションっぽく言ってたのはちょっとしらけたというか、ほんとに蛇足としか言いようがなかったです。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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西鶴一代女

監督:溝口健二
原作:井原西鶴
出演:春(田中絹代)、勝之介(三船敏郎)、扇屋弥吉(宇野重吉)、笹屋嘉兵衛(進藤英太郎)、笹屋和佐(沢村貞子)、笹屋の番頭・文吉(大泉滉)、菱屋大三朗(加東大介)、春の父(菅井一郎)、春の母(松浦築枝)、ほか
見たところ:桜坂劇場
日本、1952年

溝口健二特集というか、優秀映画と称して溝口健二ばかり4本もかかるので、あんまり興味のない現代劇だけ省いて(さすがに4本連チャンはきついので)、3本連続で見られる日に見に行きました。

というわけで一本目がこちら。原作は井原西鶴の「好色一代女」なんですけど、監督の意向でか、「好色」の字を取っ替えちゃったもんですから、見事に男(主に父親)の都合と多少は自業自得な面もあるんですが、たぶんに同情の余地ありの主人公・お春の波瀾万丈の生涯を描いた一作になってます。ちなみに原作は読んだことないです。

で、主人公がすでに女優として名声を博していたであろう田中絹代なんですけど、あんまり貫禄がありすぎて、最初の方が違和感ばりばりで、そこのところがまずミスキャストだな〜としか思えませんでした。

いちばん最初は夜鷹にまで身を落とした主人公なんでいいんですけど、そこから回想シーンに入り、後はほぼ全編回想で、で、最初の相手が初々しい三船敏郎なんですが、封建時代に愛だの恋だの言っちゃったもんで、そこがケチの付け初めといいますか、まぁ、そのまま御所にいても幸せだったかどうかはわからないけど、少なくとも夜鷹にまで堕ちるこたぁなかったよなぁと思うと運命の悪戯というか、なんかもう無茶な展開でした。逆に突っ込みどころばかりでおもしろかったっちゃ、おもしろかったんですが。

で、1つ前の段落の田中絹代ミスキャスト説ですが、初っぱなは御所に仕えている女房としかわからないんで年齢不詳なんですね。でも、不器用ながら恋文をよこす下っ端の侍・勝之介にほだされて駆け落ちしようとしたところが捕まって、御所に仕える身でありながら身分違いの恋に落ちるとは何事かと親子ともども御所を追放されてしまいます。で、勝之介は打ち首になり、お春に呪いのような遺言を残します。「真実の愛をつかんで幸せになれとかかんとか」という。そのせいで打ち首になってんのに、まだそんな寝言言ってるのか、この若造は、とわしは思いましたが、それに従いたいけど、親の言うことにゃ逆らえぬヒロインは、気が進まぬながら、松平家の正妻が病弱で子どもが産めず、このままではお家取りつぶしだというんで老臣が嫁探しに来たところ、お春に目をつけまして、嫁ぐことになり、無事に後継ぎを産みます。
まぁ、ここのやりとりが、親父の身勝手さもさることながら、松平家の殿の注文というのがまた無茶苦茶でして、このまま跡取りができなければお家断絶の一大事だってのに、目がどうの鼻がどうのと上から下まで細かく(実に細かく)注文をつけて、老臣をてんてこまいさせるわけです。もっとも、この場合、お春が合致したんですから問題はなかったのかもしれませんが、お家の一大事よりも自分の趣味が大事って殿様に、わしは素直にこんな家、とっとと取りつぶされてしまえと思って見てました。我が儘言うにもほどがあるだろうと。
この時の年齢の条件に15〜18歳とありまして、どう見ても30過ぎの当が立った(失礼)としか思えぬ田中絹代がその年齢には見えなかったわけです、わしは。
だから、初々しい若い娘の演技してるつもりなんでしょうけど、どう見ても貫禄がにじみ出るんですよ。だって田中絹代なんだもん(もっと失礼)。世間知らずの、親に従うしか能のないような小娘にゃ見えなかったんですよ。
なもんで、今にも無理難題を言う父親に「親子の縁を切らしていただきます」とか言い出しかねない貫禄がある娘なんだけど、嫌よ嫌よいいながら、最後は親の言うとおりになる娘というのがむっちゃ無理があったのでした。いや〜、ここら辺だけでももっと若い女優にやらせりゃ良かったんに…

ところがお春さん、めでたく若殿のお腹様になったのに、用なしだっていうんでお暇を出されてしまいました。ひでぇ。もっとも、これには理由があり、殿様の寵愛もめでたく、正妻を放置していたのと、お春に入れ込みすぎて、殿様が体調を崩すという、夫婦揃ってどんだけ病弱なんだよ!なことになったので、お家来衆としてはお春を追い出すことにしたのでした。それでもひでぇ。

ところが、もっと酷いことに、大役を果たして実家に帰ったお春が、さらに出世するものと決め込んだ馬鹿親父(後の展開を知ってるのでこう言いますが)、その時の給金を当て込んで多額の借金を抱え込んでおりました。思ったでしょ? 馬鹿だって思ったでしょ? で、借金の片にお春を島原(吉原じゃないところが溝口の個性か?)に売り飛ばす馬鹿親父(大事なことは大きく)。

それから何年(たぶん)か経って、太夫にまで出世したお春。ところが越後からやってきたという成金親父に見受けられそうになったのに、ばらまいていたお金が偽金だったというんで、親父は捕まってしまいます。

また実家に帰ったお春(これだけ親に酷いことされていても、まだ実家に帰るしかないのがこの時代の女性の悲哀というか、もうしょうがないというか…)は、笹屋嘉兵衛の店で女中として働くことになりますが、ひょんなことでお春が島原で太夫として名を上げていたことがばれてしまい(加東大介さんのせいなんですが)、夫婦に冷たく当たられてしまい、また実家に帰ります。その前に猫にささやかな復讐を手伝わせるシーンは唯一、この映画のなかで痛快なところでしたが、後は全編、お春の数奇な生涯が悲痛って感じなのでした。

しかし、苦あれば楽あり、実家に帰ったお春を待っていたのは真面目さが取り柄の扇職人、弥吉のプロポーズでした。最初、笹屋の番頭の文吉が宇野重吉さんかなぁと思ってたんですが、キャラ的に似合わないと思って見ていたら弥吉が登場したので、やはりこちらでした。しかし、幸せは長く続かず、弥吉は物盗りに殺されてしまいます。佳人薄命とか思って見てたら、ほんとにそうでした ((((;゜Д゜))))))) まぁ、初っぱなで夜鷹なんで、弥吉が長生きしないのはわかりきってるんですけど、それにしても酷い。

絶望したお春は尼寺に駆け込み、尼になりたいと訴えますが、文吉との繋がりを断ち切れずにおり、笹屋嘉兵衛に足をつかまれて手込めにされてしまったことで、尼に絶交を言い渡されるのでした。酷い。

で、文吉と気が進まないながら駆け落ちしようとしたものの、文吉が笹屋の金を持ち逃げしていたことがばれて捕まってしまい、とうとう三味線を弾いて物乞いをするようになってしまうお春。
この時、自分が産んだ若殿の行列が見られるところで物乞いをして、そっと影から我が子の成長を見守るシーンが涙を誘いますが、物乞いではろくに食えなかったようで、夜鷹2人に拾われたことで、夜鷹の身分に身を落としたお春の現在が、ようやく冒頭に繋がるのでした。

ところがお春の人生、まだ終わりません。わしはここら辺で飽きてきてましたが(爆

五〇〇羅漢と思しき寺で、羅漢さんを見ながら男のことを思い出していたお春でしたが、それまでの無理がたたって倒れてしまいます。
そこへ、夫の言うことを聞くばかりでお春のためには役に立ったとはお世辞にも言いがたい(辛辣)母親がお春の行方を捜し当ててきまして、父親が亡くなったことを告げますが、「最後までおまえ(お春)のことを心配していた」とか言われても、原因のいくつかはおまえだろ!と突っ込みたい気分でした、わしは。もっとも、お春がこれで「おとっつぁんも可哀想」とか言って涙ぐむんで、案外、島原に売られたことも、その前に松平家に身売り同然になったことも、嫌よ嫌よと言いながら、親父のことは恨んでないんだなぁというのが意外でした。まぁ、封建時代だしと思いましたけど、それだけに余計、最初の勝之介との恋愛が違和感あるわけでして、むしろ原作どおりに「好色」にしておいた方が説得力があったというか、無理がなかったんじゃないかなぁと思うのです。
で、母はさらに松平家で殿様が引退し、若殿がお家を継いだので、お腹様のお春と一緒に暮らしたがっていると言いまして、ほいほいと松平家に向かうお春でしたが、夜鷹だったり、島原にいたことはばれてまして、島原にいたのは父親のせいなんでお春に責任はないのに、自覚が足りないとかやいのやいのと家来衆に責められ、以後は謹慎状態になって、殿に申し訳ないと思いながら過ごせとか無茶言われます。

しかし、ここで初めてお春は自我を通し(勝之介との恋愛は勝之介の熱意に押された感があるため)、閉じ込めようとするお家来衆から逃げ出し、巡礼の旅に出たところでおしまいです。
最初はどこの乞食、もとい托鉢坊主じゃいと思って見てたら、お春でした。彼女なりに今まで渡り歩いた男のことを思っての巡礼の旅なのかもしれませんけど、あんまりお春の人生が流され、他人に左右されすぎで、だいぶ気の毒だったので、やっぱり原作のままで良かったんじゃないかなぁと思う次第です。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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東京裁判

監督・脚本:小林正樹
音楽:武満徹
ナレーター:佐藤慶
見たところ:桜坂劇場
日本、1983年

4Kデジタルリマスター版のためか、4時間オーバー(途中休憩を挟むので実質5時間)の映画ですが、けっこうな入りでした。
もっとも、その分、お値段も通常の2本半分(会員だと1000円で見られるため)とくそ高く、また東京裁判といったら、欧米主観の上、ヒロヒトを含む皇族を裁かず、おぽんちなのはわかっていたので見に行こうか直前まで迷っていたのですが、桜坂劇場の9月の予定が見たいのが見当たらず、マ=ドンソク主演の2本は予想に反して上腕筋映画だったので見る気が失せた上、上映時間も遅かったため、しばらく行かないなら、午前10時の映画祭も9月20日頃に開始だった「砂の器」まで予定がないので、2本半とお高くてもいいか〜と思って行ってきました。

もっとも、期待というか、予想どおりに裁判はおぽんちな上、映画も4時間半も必要なかったやろ!と言いたい、蛇足というか、余計な映像のオンパレードで、だいぶ退屈でしたが、予想に反して、あんまり眠くなりませんでした。うーむ、爆睡を予想していったのだが、意外… 映画としては、ずっと出来が上だと思ってた「スペシャリスト〜自覚なき殺戮者」は必ず寝るんだが… (´・ω・`)

わしが突っ込みたいところは下記。

・タイトルに反して「東京裁判」に関係ないシーンが多い。まぁ、そこに至るまでの顛末を描こうと思えば、やむなしなシーンなのは否定しないのだが、それにしても長い。もうちょっと短くまとめてほしい。そのためのナレーターでは?

そのため、映画全体では第二次世界大戦史みたいな流れになっている。正直、ヨーロッパのパートはもうちょっと削ってほしい。入れるなら、それこそ東京裁判関連にしてほしいと思った。
特にニュルンベルク裁判で、さも世界が初めてホロコーストの実態を知ったような演出してるんだけど、エリ=ヴィーゼルの著作とか読めば、そんなことはなかったわけで、1983年なら、先日、わしが読んだ「死者の歌」だって出てたはずで。入れるなら、表面じゃなく、もっと突っ込めよと思いました。

いちばん関係ないと思ったシーン。エリザベス王女の結婚。くっそどうでもええわ ( ゚д゚)、

・終戦なのか、敗戦なのか、どっちかに統一しろ、と思いました。監督のスタンスとしては中立を守りたかったんでしょうか。糞ですね。

・音楽が武満徹というのは稚拙。まぁ、クレジットに「脚本」と書いちゃったんで、純然たるドキュメンタリーではないんですが、いかにもなシーンでいかにもな、しかも武満徹(わしが知ってる曲だと「死んだ男の残したものは」とか)の重たい音楽というのは演出しすぎです。800回以上の公判を4時間半の映画にまとめたわけですし、そこにいろいろ枝葉をくっつけたわけなので監督の主観に則って作られた映画なんですけど(なので「純然たるドキュメンタリー」とは言いがたい)、それにしても感情を音楽で誘導するというのはなしでしょう。もっとクールな作風の人だと思ってたよ。

ヒロヒトの詔書を全文、字幕付きで垂れ流しやがった。その後も特に「平和主義者」を騙ったヒロヒトへの批判的な映像はなかったんで、監督のスタンスはそこなんでしょう。
チラシを見たら、今回のデジタルリマスター版に際して、全文を完全字幕化したんだそうで、そっちに文句言いたいですわ。

拾い物だと思ったのは、「日本無罪論」を唱えたとされるラダビノド=パル判事(インド代表の裁判官)の、とかく被告25人の無罪ばかりが持ち出され、さも彼が日本は無罪だと主張したように言われているのが、別にそんなことはなくて、やっぱりそこはインドの方ですね。欧米が過去になした植民地の犯罪を引き合いに出しただけで、被告25人を無罪にしたからといって日本に戦争責任がないとは言ってなかったことがわかったことでした。しかし遊就館に、パル判事の写真が飾ってあんのは例によって都合のいいところだけつまみ食いしてるからなんでしょうが。

あと冒頭で、25人に被告の謀議とか共謀とかが疑われてたのに、被告の一人、賀屋興宣が「そんなまっとうなものなんかなくて、なんかあれよあれよという間に戦争がどんどん拡大してって、負けちゃったんだよ」という認識が全員に共通したものであろうとのナレーションは、どいつもこいつも自分の責任なんか絶対に認めない、しかも責任者が誰かもわからない、責任者不在のニッポン特有の反応で、おつむのよろしい欧米人にゃあ、理解できねぇだろうなぁと爆笑もんでした。

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朗読劇ひめゆり

新国立劇場演劇研修所公演。
見たところ:国立劇場おきなわ

チラシを見て、興味を覚えたので行ってきました。

朗読劇とはいえ、臨場感の溢れる舞台で、なかなか良かったです。

ただ、飯を食いながら思ったのですが、そろそろ沖縄戦・原爆・空襲の3大悲劇の上にあぐらをかくのは、もういいんじゃないかなということです。特に本土の人間がです。

この3つを扱っていれば、日本人は被害者でいられます。まぁ、沖縄戦の場合は軍が出てきますので、そこは加害者ですが、大多数の日本人は加害者よりも被害者の方に向いてるんで、そこは軍人と一部の政治家しか裁かなかった東京裁判の姿勢そのまんまですが、悪いのは戦犯であって国民は被害者であるという意識に働きかけるには沖縄戦・原爆・空襲は格好の餌だってことです。

しかし、本来の日本人の立場は加害者、それも世界中を敵に回して最後まで戦った加害者であることを忘れてしまってはいけないと思うし、そろそろ、ここを描かないのは信用がならんと思いました。

つまり、戦争は嫌だと言う日本人の平和観の裏にあるのは、戦争の被害者になるのは嫌だ、という自分たちの加害を置き去りにした平和観なんじゃないかと思うからです。
だから、憲法9条(と、拡大解釈してそれを守ってきた日本国民)にノーベル平和賞を、などというとんちんかんな運動が出てくるのではないでしょうか。

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ハイ・ライフ

監督・脚本:クレール=ドゥニ
出演:モンテ(ロバート=パティンソン)、ディブス医師(ジュリエット=ビノシュ)、ボイジー(ミア=ゴス)、チャーニー(アンドレ=ベンジャミン)、船長(ラース=アイディンガー)、ウィロー(ジェシー=ロス)、ほか
見たところ:桜坂劇場
ドイツ・フランス・イギリス・ポーランド・アメリカ、2018年

月に囚われた男」みたいなサスペンスSF。「スター・ウォーズ」みたいなスペオペはあんまり見ませんが(子どもの時に見た「宇宙からのメッセージ」で満足しちゃったかららしい)ここに「2001年宇宙の旅」みたいなサスペンス要素がからむと興味を示すのは何でなんでしょうかね。

7とナンバリングされた宇宙船で、モンテは娘のウィローと2人きりで暮らしていた。だが、元をたどればモンテは犬を殺されたためにガールフレンドを殺した凶悪犯で、免罪と引き換えにこの宇宙船に乗せられ、ディブス医師の監視下、生殖に関する実験のモルモットだったのだ。だが、生き残ったのはモンテとウィローだけで、モンテは少年時代から今に至るまでのことを思い返しながら、今日も娘の世話をして、とうに太陽系も離れてしまった長い長い航海の途上にいるのだった。ディブス医師も含めて、宇宙船の乗組員たち9人は皆、犯罪者だった。刑務所の代わりに宇宙船に乗り、太陽系からいちばん近いブラックホールに行って実験を行うほか、産婦人科医だったディブスの意向で赤ん坊を作る実験が進められていたのである。だが、放射線の強い宇宙ではなかなか受精に至らず、妊娠にまでいたった黒人の娘は最初の死者となったのだった。それからも帰りのない旅にストレスを覚え、一人、また一人と死んだり殺されたりして、モンテの精子と己の卵子を受精させ、ついに赤ん坊を作り出すことに成功したディブス医師も自殺してしまっていた。己の性欲を抑え、修道士と陰口をたたかれながらも自慰にふけることもなかったモンテとウィローは、ウィローが年頃の娘に成長した頃、ついに目的地のブラックホールに近づく。娘に誘われるまま、小型宇宙船でブラックホールに近づくモンテとウィロー。それは、なおも生きていこうとする2人の意志の表れでもあった。

思っていたほどサスペンスな要素はありませんでした。まぁ、何でモンテとウィローが宇宙船に2人だけで、モンテが途中で冷凍保存されていた死体を宇宙に放り出したのかという辺りは謎めいていますが、ネタが明かされれば、なるほど〜な筋立てです。

しかし、この10年以上(成長したウィローが明らかなティーンエイジャー以上)のあいだで接近した宇宙船は9号のみと、まさに無限に広がる大宇宙に放り出されたモンテたち。しかも9号で生き残ってたのは犬ばかりで何の実験をしていたのやら、モンテたちの事情を鑑みるに、こちらも非人道的な実験であることに変わりはないようです。

あと、「月に囚われた男」の無味乾燥っぷりに比べると、宇宙船に自慰用の部屋(ボックスと呼ばれている)が置かれ、ディブス医師の自慰が描かれるなど、けっこう官能的なシーンがあるのは女性監督ならではの描写でしょうか。また薬でモンテたちを支配していたディブス医師が寝たままのモンテを逆レイプするシーンとか。けっこう見る人を選ぶ映画です。

地球に戻る可能性は皆無に等しく、それなのに生きる手段は最低限あった7号を捨てるようにして(果たして帰還の手段があるのか不明のため。たぶん実験の内容を鑑みるにないと思われますが)ブラックホールに向かう小型宇宙船に乗り込んだモンテとウィロー。それはわしら観客の目には絶望的な旅(その前のシーンでボイジーが自殺同然に同型の宇宙船でブラックホールに近づいて死んでいるため)にしか見えませんが、何が待ち受けているのかわからない、しかもこのまま7号にいても生きてるんだか死んでるんだか半端だし、なモンテとウィローの立場を考えると冒険っちゃとんでもない冒険なんでしょうけど、一か八かに賭けたという意味では2人はまだ諦めたわけでもないと思ったので「生きる意志の表れ」と書きました。

実際、ウィローという心の支えがあったとはいえ、自殺したボイジーや、死因がよくわからないチャーニーなどに対し、モンテは一貫して生きるという意志を持ち続けたのですから。

エンディングがいちばん退屈で寝落ちしかけたのはここだけの話です。
映画は普通におもしろかったです。光速の99%の速さで飛んでるはずの宇宙船の描写がやたらにスローモーな動きをする前時代的な描写も話のテンポに合っていたと思います。

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