ナヌムの家は京畿道の広州(グァンジュ)にあります。江原(カンビョン)駅前のバス乗り場(1番出口を出て、交差点の向かい)から広州行きのバスに乗り、Eマート(広州のバスターミナルです)で下りて、タクシーで15分くらいです。近所にバス停がありましたが、帰りのタクシーも呼んでもらったのでバスは使いませんでした。まぁ、ターミナルに行くとは限らんし…。
こちらが併設の日本軍「慰安婦」歴史館の入り口です。
今まで行った日帝関係の歴史館はどこも入る時には敬虔な気持ちで見学させてもらってきたのですが、ここは被害者の方がいらっしゃるので格別です。ただ、映画の「ナヌムの家」を見てから、20年以上も経ってしまい、あの時、すぐに伺っていれば、わしの人生もまたいろいろと変わっていたかもしれませんが、わりと冷静に見学しました。
でも、わしの中で、従軍慰安婦という世界でも稀な恥ずべき制度という考えはまったく変わっていませんし、その責任を日本政府が取るべきという考えも同じままです。「
赦すこと」のレビューで書いたように、日本はただひたすらに被害者の方々に謝罪をしなければなりません。損得もプライドも横において、ただただ赦していただける日まで謝罪をするべきです。被害者の方々の一生を踏みにじってしまった国が、ただ一つできる謝罪の方法です。それをして、初めて日本は国際社会の一員だと胸が晴れるのだと思います。冷戦中とはいえ、アメリカの生ぬるさ、いい加減さは無責任過ぎると思いますが、朝鮮戦争でなしたこと(ほぼ全土を焦土にした)を思えば、無理もない。だからといって、敗戦国・日本がそのぬるさにおんぶにだっこではいけないのだと思います。
全ての被害者に謝罪をしない限り、自分の生まれた国ながら、
日本はいちばん信じられない国というわしの考えは永久に変わるまいと思います。
「ナヌムの家」三部作を見た時に、いちばん印象が強かったカン=ドッキョンさんの慰霊碑です。
カン=ドッキョンさんは絵を描かれていて、素朴な絵柄ながら、慰安婦という想像に絶する体験を写されていたところが、その絵とともに記憶に残ったのです。
その後で日本語のビデオを見せてもらい(カン=ドッキョンさん追悼のドキュメンタリーも!)、ボランティアをしているという日本人の女性のスタッフさん(メールで対応もしてくれた方)とタクシー待ちの間に話をさせてもらいまして、韓国の地下鉄のバリアフリーなことや、ほぼ完璧なホームドアの設置とか、喫煙率は高いけど迷惑だと思ったことは少なめな喫煙事情とか、交通カードの万能性とか、まぁ、いろいろな話をしました(久しぶりに日本語が通じる相手だったんで)。近くで日本語の教師をされているそうです。
これからも頑張ってください。
さて、ソウルに帰ってから、世宗(セジョン)文化センターに立ち寄ります。
ジュンウォンとジャンギル、ミョンヒョンが観劇したところです。美容院に寄ったミョンヒョンを待って、3人で駆け上がっていた階段はここだったのかぁ…
翌日、「
シュリ」の残りのロケ地巡りをしましたが、どこもわからずじまいで、つくづく来るのが10年遅かったと思いました… orz
その後、DMZと板門店に行くつもりでしたが、南北間の緊張もあり、8月いっぱいは軍事教練で板門店に行けないと言われてしまいます。DMZは行けますが日本語のツアーは2人以上だそうです。時は8月下旬に入ったばかり。今のレジデンスは安いですが、オーナーはチェックインした時にしか見たことがない上、延泊する気はさらさらありません(なにしろ暑いから)。だったら、不本意ながら、いったん帰国して9月になってから出直すことにしました。まぁ、記事は全部帰ってきてから書いてるんで、韓国行きはまだ続きます。
[0回]
PR