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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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継続的な監視

TBS JNNのライブ映像です。



リンク先は時々変わるようなので注意が必要みたいですが、TEPCOの1時間に1回、それも日中だけの監視カメラと違い、丸一日監視(夜間も暗視カメラ?)しているので今の原発の様子がずっと近く(TEPCOのはこんなに大写しじゃない)に見えます。

今日は朝から真っ白だけど。

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石巻へ行ってきた

たきがはは1995年の阪神大震災も、1986年のチェルノブイリ原発事故も覚えている年寄りなのだが、実は1995年当時、阪神大震災の被災地に知り合いがいたにもかかわらず、ボランティアに行き損ねたという負い目をずっと引きずっとったもんで、今回の東日本大震災は何が何でもボランティアに行かねばならぬ!という強い思いがあり、幸いというかなんちゅうか、プー太郎なご身分になってしまったので、失業保険なんか放っておいて、就職活動も二の次でそれっと勢いだけで石巻へ行った。一応、インターネットでボランティアについて調べて、素人のボランティアも受け入れられるようになったのを見計らって、でも、なにしろそういうわけでボランティアに関しては全くのド素人だったもんで、最初の一歩ぐらいはボランティアを募集している団体に参加しようと考えて、某ピースボート(以下PB)に参加したので、行き先はたきがは自身がいちばん熱望している福島県ではなくて、必然的に宮城県石巻市になった。
期間は4月22日の夜に出発して23日から活動を開始し、30日に帰ってくるという1週間コースで、いろんな人に知り合ったり、ネットでいろいろな写真を見て、いろいろな活動を見て、わかってるような気になっていたけど、やっぱり実際に被災地に足を運んで、見ないとわからない現場というものを見てきたのだった。

でも、たきがはは石巻市がちょっとでも復興できるようにお手伝いに行ったつもりだったので、いつものように見る物全てを写すというわけにはいかず、大した写真は撮らないで帰ってきた。

実はファンではなかったので現地に行くまで全然知らなかったのだが、石巻は漫画家の石ノ森章太郎氏縁の地だというので、市内にはあちこちに石ノ森氏が生み出したキャラクターたちの像が建ち(津波で2体さらわれたそうだが、それも破損したもののちゃんと見つかり、全体揃っているそうだ)、アーケードに行けば、石ノ森氏のキャラが描かれた暖簾?(ビラ?)が下がり、復興のポスターにはキャラが使われと、町中、石ノ森ワールドにどっぷりとひたれるのだが、とうとう、そういうものも一枚も撮らなかった。

ちなみに、石巻市のボランティアセンターは石巻専修大学にあるので、たきがはのようにPBに参加しても個人で参加しても拠点は石巻専修大学になったようであるが、たきがはが到着した時にはちょうど桜が満開で思わぬ花見ができたが、今年はなにしろ震災直後からこれほどの桜きちがいが桜どころではなかったので、桜を見ても写真は一枚も撮らないできてしまった。

その代わりというわけではないのだが、たきがはは桜と同じくらいタンポポも好きだったりするので、石巻専修大学のグラウンドに咲いていた一面のタンポポに感動して、晴れの日を狙って写真を撮ってきたのであった。



むむむ… 芝を埋め尽くす黄色がよく見えない。



アップにするとこんな感じ。
石巻市は地元の人によると、かなり強風が吹く土地柄なので、タンポポの背が這うように低いのはそのせいだと思う。



上の2枚は夕陽のタンポポを撮ったので、今度は朝のタンポポも撮ってみた。



黄色の濃いところに行くと、足の踏み場を探すのも大変なくらい、タンポポが咲き乱れているのだった。



そんなこんなで8日ほど、石巻専修大学にてテントを張っていたわけなのだが、そればかりでも芝はこんなに変色してしまいました、という図。1ヶ月もいるともっと黄色くなるのであった。

そして、石巻市の花見の名所、日和山公園に上がって、被害のいちばん酷かった海側を見下ろしたところ。



たきがはの従事していた仕事は倉庫内の支援物資の仕分けだったので、海際に行く機会はなかった。
しかし、たきがはは愛車オプ子ちゃんにて石巻市に乗り込んだので、ドライバー以外には3人しか乗れない上、35歳以上・本人と配偶者限定保険のため、たきがはしか運転できない限定車であったにもかかわらず、自家用車で来るボランティアはそれなりに貴重というか稀少であったのか、たきがはは2日目から毎日、町中にヘドロ掃除に向かうボランティアさんたちの送迎アッシーにも従事したのであった。
オプ子ちゃんは、うっかりすると瓦礫の山で片側車線の埋まった、いろいろと不自由な石巻市内を軽快に走り、1週間で400km以上は走ったと思う(そんなに厳密にメーター見てないから)。軽のため、車内もお世辞にも広いとは言えなかったが、よく働いてくれたのであった。
帰ってきてから、外も内も洗車してもらいました。

そういうわけで、たきがはは町中に行く機会は同じ班の人に比べるとそれなりに多かったものの、ボランティアが行けるような場所は瓦礫がそれなりに片づいた町中であるため、石巻市の受けた被害でいったら、2〜3番目くらいのところばかりであった(重機は自衛隊とか消防とか、プロじゃないと扱えないので、そういう物を持たない素人の出番は、瓦礫のあるところにはまだない)。
でも、石巻まで来たのだから、海側のいちばん被害の酷かったところは見ておけというわけで、その地域が一望に見下ろせる日和山公園に登ったわけなのであった。



石巻市の海側をもうちょっとアップで撮ってみた。



日和山公園で見かけた石巻市民憲章。



日和山公園から北上川を見下ろしたところ。中州の被害も酷い。赤い円内が石ノ森萬画館。5月の開館を目指していたけど、無事にオープンできただろうか?
怖いのは石巻市を流れる北上川、旧北上川が両方とも水面がやたらに上がっていること。土手がほんの数十センチというところも珍しくなく、この写真で見るともっと近いところも見受けられる。これでは大潮になったり、梅雨が来たら、あっという間に川が氾濫しかねない。
こういうことは大きな被害を受けた地元自治体ではなく、国がしっかりと対策すべきだと思うが、地元が声を上げないとそもそも国も動かないのだろうかなぁ。

一度行ってみて思うのは、1週間の間に石巻市が少しずつ復興していっているのだけれど、まだまだ全然足りないということ。
また同じところに行くとは限らないけれど、同じ東北のどこか、できたら福島県に行きたいと思った。
それは、わしはこうして娑婆に帰り、自分ちの布団で寝られることをとてもありがたいと思ったけれど、被災地の方にとっては被災地こそが娑婆なので、一日でも早く、その普通が戻ってくるように、わしも何かできないかと思うからでもある。

そう言えば、現地で「被災者の方に寄せ書き」なんて募集してた人がいたけど、わしは「被災者に折り鶴を送るのは迷惑千万、送る側の自己満足以外の何物でもない」というツィートを読んでいたので、はて、寄せ書きなんて被災者の方は喜ぶのだろうかと疑問を抱いてしまい、何も書かないできたが、実際のところはどうかわからないんであった。

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しばらく留守にします

4月22日〜4月30日まで留守にします。

コメント、拍手へのお返事は5月1日以降となりますので、悪しからずご了承ください。

ええ〜、ちょっくら、宮城県石巻市へ行ってきます。

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今日のつぶやき

日本でデモが広がらない理由とか、このままでは福島の原発はいずれ収束するとしても、他の原発は1基も止められない理由とか、つぶやきをまとめてみたよ。

=====つぶやき開始

デモは自分の感性ではなく、組織的に動かねばならない。闇雲にデモを打っても勝てない maruco2271さんのツィートをリツィートして。

こういうことを書くと連合赤軍とか思い出して反発されそうな気がするんだけど、本当に原発を止めたければ、むやみにデモをするのではなく、主催する側が意識して、組織を作り、反対しなければ勝てないんじゃないか。デモが主催者の自己満足に終わってはいけないんじゃないか。

なぜなら、我々が組織立てている以上に敵はがっちりとスクラムを組んでいるからだ。個々にデモをしているだけでは散発的な攻撃に過ぎず、それでは決して勝てない。昨日の野菜デモで「一緒に歩こう」とシュプレヒコールを上げても、加わった人はいないだろう。

なぜなら、それは主催者の自己満足に過ぎないからだ。個々の反原発デモも団体も個人も全てがつながらなければ勝てないほど、敵は大きい。ドイツのデモは市民教育も兼ねていると言う。日本のデモがなぜそうならないのか。デモの側にいる人間の上から目線はあるのではないか。

長くメディアに飼い慣らされた日本人が今、手の届かないスターよりも身近さを感じるアイドルを好むように、市民感覚まで降り、話す覚悟がいるのじゃないか。今のままではいくらデモが打たれても、いくらTLで盛り上がっても、決して原発は止まらない。

本当に「止めよう」と思ってもらわなければならない大多数、石原慎太郎に入れたような層、選挙に来ない層にその声が届かないからだ。日本のNPO、NGOは、そういう市民教育に失敗してきたことを認めなければならない。このままでは原発は止まらない。

違うかな? ただ、おいらは何が何でも今の福島の原発を収束しなければならないと思うので、そのためならば、外圧だろうが占領だろうがありだと思っているけど、それでは他の原発は絶対に止まらないだろう。いくらドイツで脱原発が進んでも日本に原発を推進させたのはアメリカなんだから。

日本は福島を収束させても、粛々と原発を作り続けるだろう。それを止めるためにはデモに参加しない人、twitterやインターネットで情報を収集しない人、選挙に行かない人、そういった層を巻き込むような流れを作らなければ、作れなければ、上関にも原発は作られ、柏崎の原発もまた動き出す。

=====つぶやきここまで。

で、何ができるかを考えなければなりません。少なくとも、今のデモの形態では日本が変わるとはとうてい思えません。

昨日の野菜デモで千葉の農家の人が言っていた。「原発推進派が40年かけてこの国に原発を推進してきたのと同じくらいの時間と手間をかけなければ、勝てない」と。昨日のデモに、少なくともわしは、その気概は感じなかったよ。

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今度は大丈夫

昨日の日記を受けて、たきがははまいたんを自力で火葬すべく、茅ヶ崎海岸に走りました。途中でガスライター買って、新聞紙も持って。

ところが、4月15日は湘南一帯を強風が吹き荒れ、自宅にいて、窓を全部閉め切っていてもすきま風がびゅうびゅう五月蠅い一日でした。

良さそうな場所を見つけ、石を組んで竈状にして風よけをしようとしましたが、全く火がつきません。紙につけてもちょろちょろと煙が上がるばかりで、燃えません。

あかん…orz

たきがはは考えを改めて、いったん帰宅することにしました。

さて、帰りにキャンプ用の燃料を買い、自宅の北側ベランダ(風が南風だったので当たらないかと思い)にてやってみましたが、これもうんともすんとも言いません。ちょろっと火がついて、それっきりです。

どうやら、自力で火葬するのは日が悪いようですが、土から出したまいたんの腐敗が進むのは目に見えています。

たきがははプロに頼むことにしました。

ネットで「ペット 火葬 神奈川」と入れて検索してところ、いろいろとヒットするのですが、どれも要らない物がついてきます。骨壺とか、骨袋とか、焼香とか、無信心で初詣行ったってお賽銭の1つもやらんわたくしにはどれも無用の長物です。それに携帯性も皆無だし。

「火葬のみ」とキーワードを変えて探してみたところ、1件だけヒットしました。早速電話すると、自宅まで火葬のできる車で来てくれて、骨壺とか骨袋とか位牌も辞退できて、骨も拾えるそうです。

で、7時ちょい過ぎにまいたんを引き取ってもらって「1時間ぐらいで帰ってくる」と言うので待ちます。

実際には1時間半くらいかかりました。
まいたんの骨を1本ずつ拾って、骨壺に収めました。
係のおじさんとまいたんの話をして、骨壺は昨日のとおり、ジョン=ローン様のケースに収めました。↓これ



今度は大丈夫。

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