監督:ジュリオ=リッチャレッリ
出演:ヨハン=ラドマン検事(アレクサンダー=フェーリング)、マレーネ(フリーデリーケ=ベヒト)、グニルカ記者(アンドレ=シマンスキ)、ハラー検事(ヨハン=フォン・ビューロー)、バウアー検事総長(ゲルト=フォス)、シモン(ヨハネス=キルシュ)、検事正(ロベルト=ハンガー・ビューラー)、シュミッテン秘書(ハンシ=ヨクマン)、ほか
ドイツ、2014年
敗戦後も生き延びたナチスの党員たちをドイツ自身が逮捕するようになった歴史の転換、1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判開廷までを実話に基づいて描いたフィクションです。
同じ状況の日本に比べると、ラドマンは日本にいないのかと思って観てましたが、最後まで観ると、ラドマンを支えた秘書のシュミッテンさんや、総責任者であるバウアー検事総長、一時、戦線を離脱したラドマンの後を支えたハラー検事、ラドマンとは親友のようなグニルカ記者、ラドマンを踏み込ませた収容所のサバイバー、シモンさんなどなどの支えがあり、また元ナチスの反発もあったろうけれど(グニルカが「大反響だった」と言うのは決して好意的な意見だけを言っているのではないと中盤で示される)、真実を知りたいとするラドマン自身の正義感とか、過去の罪に眼をつぶらなかった、陸続きで周囲を元連合国に囲まれ、直視せざるを得なかったドイツ自身の姿なんかもあって、現在のナチスの罪をとことん追求しようとするドイツの姿勢というのは一朝一夕で作られたものではないんだなと。
それだけに島国であり、アメリカの庇護を受けたことに安穏とし、過去の罪を未だに清算できないでいる日本という国の醜さが鏡のように映し出されて、わしは恥じ入ってしまいます。
なぜ日本では過去の罪を見つめ直そうとしないのか。なぜ自ら過去の戦争犯罪を裁かないのか。そう思いながら、この映画を観た人がどれだけいたのか、正直、疑問であります。
ヒロインのマレーネは「ハンナ・アーレント」で若きアーレントを演じた女優さんでした。道理で見覚えがあると思ったら…。違反切符を切られたのが縁でラドマンと知り合ったけど、元ナチスだった父親のことで和解できなかった模様。わりと若いドイツ人像に近いのかもしれません。
同僚のハラーさんは、ラドマンが父親もナチスだったと知って、途中でリタイアしたのに、途中から参加で、でも本人はそんなのは希望してなくて、でも頑張ってたところが良かったです。
秘書のシュミッテンさんはラドマンの秘書だけじゃないんですが、やっぱり働き者です。しかも収容所のサバイバーたちの話に涙しながら、それでも仕事を辞めないという侠気はなかなか見せられるものじゃないと思いました。それだけにリタイアしたラドマンに向けた「軽蔑する」という台詞はなかなか重かったです。
検事総長のバウアーさんが、わりと話の発端。まぁ、ラドマンが持ってきたから重い腰を上げたのかもしれませんが、やると決めたからには全面的な味方というところが頼もしい。しかしご当人、「ばれたら、この国にはいられない」って、どういう理由があったのか、最後まで明かされませんでした。
ドイツ映画らしい実直さと、誇りとともに差し出されたであろう上質の映画でした。
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