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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~

監督:イ=ジュニク
出演:伊東柱(カン=ハヌル)、宋夢奎(パク=チョンミン)、ほか
見たところ:横浜シネマリン
韓国、2015年

非業の死を遂げた、朝鮮の国民的な詩人、伊東柱(ユン=ドンジュ)さんの27歳の生涯を描いた映画です。

タイトルからいったら伊東柱さんが主役っぽいですが、さにあらず、実質的な主役は宋夢奎(ソン=モンギュ)さんになってしまっており、伊東柱さんは単なる巻き込まれにしか見えなかったのが難しいところでした。これは「伊東柱 青春の詩人」にもそのように書かれているので事実なんだろうと思うのですが、治安維持法で検挙されるようなことは、要視察人だった宋夢奎さんの方に理由が多大にあったので、検挙が主体になっちゃうと、どうしても伊東柱さんは巻き込まれにしかならないのだと思います。
しかし、映画のなかで描かれた、徴兵制度を逆に利用して、日本国軍のなかに朝鮮の兵士を育てるという宋夢奎さんの活動も、実際のところはほとんど行われていなかったはずです。そうでなかったら、検挙された時に伊さん、宋さん、高煕旭(コ=フィウク)さんの3人しか逮捕されなかったとは考えづらい。ましてや、映画のなかで大勢の学生たちの秘密裏の集会で演説する宋さんというシチュエーションはあり得ないでしょう。
となると、取り調べを受けた宋さんがいみじくも漏らしたように「そうできなかったことが悔しい」という方がよほど事実に近かったのだと思いました。

ただ、そうして主体的に朝鮮独立のために動き、戦った宋さんに比べ、伊さんはあくまでも詩人ですから、運動にはほとんど加わらなかったし、詩を通して朝鮮民族の誇りを取り戻し、独立を訴えようとしたにしても、それは間接的なものだったし、即効性のあるものでもありませんでした。
だったら、タイトルのように詩人の伊東柱さんを描きたいならば、彼の詩作にスポットを当てるべきだったのではないかと思った次第。
そう考えると、映画の半分くらいを占める取り調べのシーンは蛇足だったんじゃないかと思いました。むしろ、彼の詩を交えることで、その言葉遣いの美しさに目を見張り、朝鮮の独立を願った心に思いを馳せ、なぜ彼のような人が日本で非業の死を遂げなければならなくなったのか、その生涯を考える、そういう映画になったんじゃないかと思います。

あとtwitterでもつぶやきましたが、特高の取り調べがもっと苛烈ではないかと思えて、年齢制限とか日本の市場とか、いろいろと気遣ったんでしょうけど、逆にリアルな方が良かったんじゃないかと思いましたが、2年の刑期のうちに伊さんも宋さんも亡くなっているので取り調べそのものを描きたいわけでもないんでしょうけど、それにしては映画のけっこうな部分も占めるのでかなり気になってしまったのでした。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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41回忌 横浜市緑区米軍機墜落事件

ちょうど40年前の今日、住宅街に米軍機が落ち、多くの方が犠牲になりました。

朝鮮半島情勢が緊迫するなか、たきがは家の上空を今日も米軍が我が物顔に飛び回っていますが、緊迫化させているのは、朝鮮民主主義人民共和国ではなく、世界中で警察顔をしている米軍と、それに考えなしに追従する日本や韓国の方だと思います。

忘れてはならない事件の1つとして記憶していきたいものです。

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消えた細菌戦部隊

常石敬一著。ちくま文庫刊。

サブタイトルが「関東軍第七三一部隊」とあります。もちろん、それなので、わしも興味を覚えたのですが、たぶん、これもtwitterでまわってきたと思います。
ただ、わしのスタンスとしては森村誠一さんの名著「悪魔の飽食」シリーズが念頭にありますので当然、それと比較して読みますので、点数はかなり辛いです。

というのも、著者の立ち位置が後書きにあるように「最初は部隊の一人ひとりの医者に対して腹が立った。しかし次第に悲しい気持ちになっていった」という、たぶんに加害者にも同情的な書き方をしているせいです。
それで解説を読んで知ったんですが、森村=常石論争というのがあったようで、石井部隊を告発し、加害者の罪状を並べるのが目的のような「悪魔の飽食」と、七三一部隊を通して「戦争とは」「科学とは」「医学とは」を追求しているような本書とは当然、対立するものでしょうが、これは敗戦後の日本人の、自国がなした加害への立ち位置にも共通していると思いました。

わしは、たぶん「悪魔の飽食」を読んだ高校生以降だと思いますが、十五年戦争において、日本が受けた被害だけでなく加害の方にも目を向けるようになりまして、大学を卒業する直前に本多勝一の「中国の旅」などの日本軍の加害を追った一連のシリーズを読んで、原爆とか沖縄戦も確かに興味のある題材だし、決して忘れてはいけないことではあるけれども、そこに向けられる関心と同等以上に、日本がなした加害についても目を向けるべきであると考えるようになっておりました。まぁ、漠然と。そして、そのまま「南京への道」とか読んで南京大虐殺とか三光作戦とかを知ると、当然、興味は植民地となり、強制連行や従軍慰安婦など苛烈な支配を受けた朝鮮半島や、日本に収奪されるだけの朝鮮から逃げ出して日本に来ざるを得なかった在日の人たちに目が向くようになりまして、そんな番組も見るようになったのでした。
今でも忘れられないのは、確か某国営放送のドラマで萩原健一主演、菅井きんさんが在日のおばあちゃん役をやっていたドラマでして、ショーケンの父親が戦中、憲兵隊だったか軍人だったかで、その罪を知るために大韓民国に赴くというあらすじではなかったかと思います。ただ、主役はショーケンの息子と菅井きんさんの孫で、少年たちの国境を越えた友情で終わったような気がしますが途中の展開は、さすがに20年以上も前のドラマなんで覚えてません。今と違ってソフト化もしづらい時代だったしな。
それを観ていたわしに父親が言ったのです。「親父の罪を暴くようなもの観やがって」と。
つまり、それが一般的な日本人の、あの十五年戦争で日本軍がなした戦争犯罪への態度じゃないかと、今は思います。わざわざ国家の恥部、自分たちのご先祖、父親、祖父、叔父や息子の罪を暴く必要はないじゃないかというのが。そして、それこそが、未だに日本人が十五年戦争での戦争犯罪にきちんと向き合えず、国際社会や被害を受けた国々に真摯に謝罪することもなく、信用もされていない理由なんじゃないかと思います。
それは、「顔のないヒトラーたち」で描かれたようなナチスを徹底的に暴き、その罪状を明らかにするドイツの態度とは対照的です。
そして、やっと本書に話題が戻りますけど、この本の立ち位置というのは、そういう大多数の日本人の感情に、意図的にではなくても沿うものだったのではないかと思いました。
確かに「悪魔の飽食」はセンセーショナルな内容です。写真や絵図も豊富に使っており、誤った写真を引用してしまうという誤謬も犯しましたが、「悪魔の飽食」に勝る七三一部隊について描かれた本というのはなかなかないような気もしてしまいます。と言い切れるほど、わしも七三一関連の書籍ばかり読んでいるわけではありませんが、少なくとも侵華日軍第731部隊罪証陳列館に行った時に抱いた感想は申し訳ないけれども「物足りない」でした。
本書に抱く感想は、もうちっと違いますが、「怒りよりも悲しみ」という著者の言葉には賛同しかねます。確かに、あの時代に医者となり、七三一部隊に招集されるような立場であったならば、人体実験を拒否するのは難しかったでしょう。ナチスの犯罪がごく普通の人びとによって担われたように、七三一部隊にいた医者たちも我々が現在、診察を受ける医者たちと、そう変わるものではありますまい。
だからといって後の時代に生きる、しかも本書が書かれた時代にはまだ生存していた元隊員もいたこれ以上ない好条件の時代に加害者に寄り添い、「生きている間に口を開いてもらいたい(あとがきより)」では生ぬるいと思うのです。ナチスの犯罪が人類に対する犯罪ならば、たとえ数が圧倒的に少ないとはいえ、中国やソ連、モンゴルや朝鮮の人を犠牲にした七三一部隊の人体実験もまた人類に対する犯罪です。それは寄り添うような、告白を待つような態度では決して真相を暴くことはできないし、責め立てても口を開かせねばならなかったと思います。そうした当事者の証言があってこそ、初めて、我々、後の時代に生きる日本人は「過ちは繰り返しませぬから」と胸を張って言えるのではないでしょうか? もちろん、それは七三一部隊だけに限ったことではありません。

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そして父になる

監督:是枝裕和
出演:野々宮良多(福山雅治)、野々宮みどり(尾野真千子)、斎木ゆかり(真木よう子)、斎木雄大(リリー・フランキー)、野々宮慶太(二宮慶太)、斎木琉晴(黄升げん)、良多の母(風吹ジュン)、良多の父(夏八木勲)、みどりの母(樹木希林)、ほか
日本、2013年

親が見ていたので、つき合って観ちゃいましたが、こんなカンヌ映画祭で絶賛とか、カンヌのレベル低すぎだろう。

子どもを取り違えられていたことを知った野々宮良多とみどり夫妻は相手の斎木夫妻と会う。実の子と育てた子のあいだで揺れ動く良多の葛藤と再生を描く。

要するに、父親面していたけれど父親になっていなかった男が父親になるまでの物語なのでタイトルまんま、ひねりもへったくれもありません。まぁ、それは突っ込みどころじゃないですが。
ただ、サラリーマンとしてはエリートでも父親失格なんで、観ていて共感できませんでした。どっちかというと斎木夫妻の方が子どもにはよほどいい親なんでしょうが、これも絵に描いたような親って感じで、またここにひねりもなくリリー・フランキーを持ってくるあたり、この監督って俳優の選択がいまいちなんだよなぁと思いました。
「海街Diary」とか、それで観なかったし。原作知っててあのキャスティングはねーだろ。

閑話休題。

あと、シナリオが予想どおりで、ひねりもないのがおもしろくなかったです。やっぱり生みの親より育ての親ってところに落ち着いちゃうのがね。
だったら、病院の過失じゃなくて、実は精神的に不安定になってた看護師の犯行でしたってネタはあんまり必要なかったんじゃないかな。これは予想外でしたが、それが生きてるかというと、相手のところに福山が乗り込んで金を返した際、相手の継子に睨まれたところなんか、子どもの面影がよぎるとか、エピソードを生かしてもよかったんじゃないですかね。そうでなかったら、この看護師のせいにする必要もないわけでしょう。

あと、結局、元の子どもにお互いに戻すんだけど、その前の両親のお互いの葛藤が全然描かれなさすぎじゃないですか。子どもの気持ちを考えてるんだか考えてないんだか、主人公は野々宮なんだから、そこのところ、みどりさんと話し合おうよ。まぁ、そういうこともしそうにない主人公なんだから問題なんだけど。

わざわざ、この題材で撮る必要とか、監督の訴えたいこととか、全然伝わらない駄作でした。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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叛アメリカ史

豊浦志朗著。ちくま文庫刊。

副題が「隔離区からの風の証言」です。

豊浦志朗は作家・故船戸与一さんのルポルタージュを書く時のペンネームでしたが、デビュー作「硬派と宿命」と、これだけで終わってしまっているのが残念です。しかもこの本、1977年が初版なもので、さすがに古典ですなぁ。

被抑圧民族、船戸さんが言うところの叛史の担い手たちをアメリカはいかに抑圧し、殺し、暴力を振るってきたのかというルポルタージュ。
アメリカ・インディアン(現ネイティブ・アメリカン)、黒人は有名なところでしょうが、メキシコ、意外なところで日本、さらにヴェトナム難民が揃っております。「革命児サパタ」なんて映画を撮ったのはもはや欺瞞とか通り越して確信犯でしょうな。

正史には決して語られぬ叛史。内容的には古びた感もありますが、原子力発電を主流とするために完全な警察国家にするとか、先を見通した記述もあって、船戸さんの小説を理解するには是非一度は目を通しておきたい本です。

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