松本清張著。昭和文学全集第18巻収録。小学館刊。
伊東柱さんの著作を読んだ時にtwitterに流れてきた批判的な記事でしたが、うちにちょうどあったので読んでみました。
実際の朴憲永(パク=ホニョン)、李承燁(リ=スンヨプ)といった南から北に行った朝鮮共産党の活動家の人びとが金日成一派によってアメリカのスパイという疑いをかけられ、粛清された事件を、そのうちの一人である林和(イム=ファ)という詩人を狂言回しに描いた歴史小説です。
しかし、松本清張の歴史物は正直、「西郷札」とか「或る『小倉日記』伝」とか読みましたが、おもしろくない。主人公がちょっと障害を持っていて、世に偏屈な思いを抱いており、正当に評価されないという筋はどっちも似たような話でつまらなかったです。
で、この「北の詩人」ですが、おもしろいかと言われるとつまらないです。まず、清張が朝鮮について関心があったかというと、ほかに目立った著作はありません(たぶん)。むしろ、日本の社会的な問題に斬り込んで、その暗部を描くサスペンスの巨匠というのが、わしも含めてたいがいの人が抱く松本清張という作家ではないかと思います。まぁ、サスペンスが社会派でもいいんですが。
そんな人が朝鮮民主主義人民共和国の前身、朝鮮戦争末期の共産党内部で起きた粛清について書いても何がそんなに清張を引きつけたのか、言いたいテーマが見えませんでした。
しかも描いた人物がどれも魅力的ではありませんでした。林和は日帝時代に日本の手先となったことを仲間や慕ってくる若い者たちに隠しながら文学者として大成している人物ですし、李承燁も「解放日報」の編集長でありながら保身のためにアメリカに協力している人物です。林和は肺病持ちのため、自分に言い訳をしていますが、その描き方は卑屈で、魅力的とは言えません。
つまり、著者は、何らかの興味を抱いてこの事件で粛清された人物たちを書いてみたけれど、別に共感を覚えたわけじゃないんだろうなと。だから金日成一派が主張したような「アメリカのスパイ」という部分だけを膨らまして書いているんで、言ってみれば民族的な裏切り者とされた林和たちがどうしてそういう心境に至ったのか、ただ卑しい人物だという印象しか残りませんでした。そして、そういう描き方をした著者自身が卑しいとわしは思いました。
この小説が書かれたのは1962年で、ほかに「
けものみち」などを発表しているので作家としては脂がのっていた頃ではないかと思います。ただ、その名声にのって面白半分に日本がその分断に多大な責任を負っている朝鮮民主主義人民共和国という近くて遠い国の事件を書いたことはまだ名前を売らないと足らないのかとでも言いたいような、日本の責任を何だと思っているんだと問いたいような、そんな気持ちにさせられました。
あと1949年に暗殺された民族主義者の金九(キム=グ)についても李承晩(イ=スンマン)と同列の右派という描き方なのが朝鮮について知らなさすぎて何だかなでした。
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