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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ぼくの伯父さんの休暇

監督:ジャック=タチ
出演:ユロ(ジャック=タチ)、(ナタリー=パスコー)、(アンドレ=デュボワ)、(ヴァランティーヌ=カマクス)、ほか
フランス、1953年

ぼくの伯父さん(監督・主演)」「イリュージョニスト(脚本)」のジャック=タチさんの監督2作目だそうです。日本では「ぼくの伯父さん」の方が先に公開されたので「ぼくの伯父さん」とついていますが、主役のユロ氏は同じでも作品的につながりはないそうです。

フランスらしいエスプリの効いたコメディで、ストーリーらしいストーリーはありませんが、海辺の村にバカンスにやってきたユロ氏が巻き起こす騒動と、それに巻き込まれる人びとを描いています。フランスらしいのはあんまり腹を抱えてげらげらという笑いではなくて、クスクス笑うようなところでしょうか。「ぼくの伯父さん」もそんな感じだったし。

さすがに1ヶ月もの休暇を楽しむフランスの人たちにとってバカンスに行った先での出会いは大事なようで、休暇の終わりには皆で別れを惜しんで住所も交わし合うような濃密な付き合いが見られました。まぁ、その前にみんなの安穏とした眠りを花火の大暴走で打ち破ったユロ氏は仲間はずれになっちゃってたりするんですけど、それでも別れを惜しむ相手のいないわけでもなく、みんなで海辺の村を去って行くのでした。

出だしのおんぼろな車に乗ってバカンスに向かうユロ氏のシーンからつかみはばっちりなコメディです。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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苦界浄土の世界へ

作家の石牟礼道子さんがお亡くなりになったと聞いて驚いています。確かに、わしが水俣を去る前にはすでにそうとう弱っておられたので、90歳というお歳を聞くと不思議ではないのですが、驚きの方が先に立ちます。

「苦界浄土」という稀な一冊によって忘れがたい方です。特に第3章や4章の文体はその独特のリズムとともに読むだけで涙してしまいます。

ご冥福をお祈りするとともに、何か追悼に読もうと思います。

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風流太平記

山本周五郎著。新潮文庫刊。

娯楽一辺倒のエンタテイメント活劇。

時は元禄、田沼氏が失脚して間もない頃、吉岡万三郎は長崎から江戸に呼び戻され、兄たちを手伝うことになる。紀州徳川家が外国から武器を密輸して幕府の転覆を狙っているというのだ。前代未聞の大陰謀に兄弟の奮闘が始まる…。

という筋立てなんですが、事件解明第一の兄二人、花田徹之助と甲野休之助、そして主人公・万三郎の三人のキャラクターが大変よく、周五郎作品では異例の低評価の本作ですが、わしは肩の凝らない娯楽小説としてとっても楽しかったです。
なんといっても万三郎の末っ子というキャラクターが、今まで読んだ末っ子のキャラクターを彷彿とさせてユーモアに溢れ、それでいて自身を慕う二人の女性に翻弄される優柔不断さというか優しさとか、敵ながら好敵手と認めた相手に無条件で払う敬意とか、自分はけっこうな使い手でありながら暴力を嫌うところとか、なにしろ万三郎がいいです。周五郎さんらしい主人公です。
これに対する兄二人も、よくできた長兄・次兄っぷりが万三郎との対比でおもしろく、「型どおり」という批判を読みましたが、周五郎さんらしいいい兄弟でした。
ちなみに兄弟全員で姓が違うのは弟二人が養子に行っているからです。

この三人に加えてダブル・ヒロインのつなとかよの対比、兄弟を助ける仲間たち、そして万三郎を恋敵とする凄腕の剣士・石黒半兵衛など魅力的なキャラクターが盛りだくさん、浮浪児のような半次とちづのしっかりぶりなんかもいい感じでした。

過去に2時間ドラマになったみたいなんですが、こういうの、1年ぐらいかけてじっくりやってくれればいいのになぁと思います。
休之助のイメージはもろ杉本哲太さんです。万三郎は知らないけど和装が似合う若手にやってもらいたいです。

周五郎さんの小説では「樅ノ木は残った」がダントツに好きですが、先日読んだ「天地静大」や「さぶ」に次いで好きな小説になりました。

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瓦礫の中から言葉を

辺見庸著。NHK出版新書刊。

今度は東日本大震災に遭遇することで「書けなくなった」と言っていた作者が311について書いたエッセイです。

前作に比べると大幅にトーンダウンしているのは故郷の石巻が被災したこと以外にも病気をしたとか、諸々の事情も関わっていそうに思います。それでも何とか表現しようとする著者の作家としての業、かつて読んだ様々な本に求める思考と発想の手がかり、911後よりさらに不穏になった空気を感じ取り発する警告、サブタイトルが「わたしの〈死者〉へ」とついており、本文が始まる前に「死者にことばをあてがえ」という詩が挿入されているように著者は言葉を探し続け、発し続けるのでした。

作中で紹介される小説の世界を「歩く」と表現したところがあって、それはわしが「指輪物語」「ホビット」を読むたびに一緒にそこにいるような気持ちになり、最後のサムの「今帰っただよ」でまたこちらに帰ってくるというのと同じなんだなぁと思いました。

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天地静大

山本周五郎著。新潮文庫刊。

周五郎さんには大変珍しい幕末物です。なんで珍しいかというと、何かと勇ましいことがもてはやされ、英雄扱いされるような人物を輩出した幕末という時代は周五郎さんの関心からは外れていたからです。市井の人物を描くことに専念していた作家にとり、大言壮語を吐くような輩しか闊歩していなかった時代には興味がなかったからです。
そんな時代に、東北の架空の小藩を舞台に、勇ましくもない人物を描いたのがこの「天地静大」という長編です。

四方を会津や仙台といった雄藩に囲まれた小藩・中邑藩。その藩主の弟に産まれ、家臣となった水谷郷臣という人物像を、郷臣に目をかけられていた若者、杉浦透の目を通して描き出す。

そう、主題は水谷郷臣、通称「おみさん」です。

藩主の弟でありながら家臣となって水谷姓を名乗ることになったおみさんには周囲から様々な期待や思惑、疑惑が寄せられ、幕末(まだ井伊大老が殺される前)という動乱の時代を背景に揺れ動くどころか大きなうねりが襲いかかります。これが元禄のような太平な時代ならばおみさんは自分の信念を貫くこともできたでしょう。しかし、開国と鎖国、攘夷と佐幕、勤王といった難しい選択を迫られるなかで小藩・中邑の立場はことさらに厳しいものでした。おみさんは自由気ままではいられなかった、いることは許されなかったわけです。
それでも結果的に自分の信念を貫くために自刃することになったおみさんは、山本周五郎さんが描いてきたたくさんの登場人物たちのなかでも大変魅力的だと思いました。常々、自分の命を絶つキャラには興味がないと言っているわしですが、おみさんはとても魅力的に映りました。
それはひとえに著者の力量の高さでもあると思うんですが、うっかりすると作中で皮肉屋とか自己否定とか言われるようなおみさんを、逆に周五郎さんは魅力的に描き、おみさんの立場を否定するような輩、幕末物に描かれるような志士たちを「はやり風邪どころではない、これは狂気に近いものだ」と言ってのけるところがわしの感性にぴたりと合うからではないかと思いました。

読んでいたら「樅ノ木は残った」をまた読み返したくなりました。こちらの主人公、原田甲斐も颯爽とした人物ではありません。でもやっぱり誰が好きかと言われると原田甲斐だろうと思います。隠れた名作です。

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