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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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スペシャリスト〜自覚なき殺戮者

監督:エイアル=シヴァン
見たところ:渋谷ユーロスペース
イスラエル・フランス・ドイツ・オーストリア・ベルギー、2000年

エルサレムで行われたアドルフ=アイヒマンの裁判の膨大なビデオを、ハンナ=アーレントの「エルサレムのアイヒマン」に基づいて編集し直したドキュメンタリー映画です。

2000年頃にたぶんBox東中野(現・ポレポレ東中野)で上映されたのを見に行きまして、途中でつぶれたので、今だったら寝ないで済むかな〜と思って再見してきましたが、やっぱりすごく眠かったです。何とかつぶれないで頑張りましたが、たきがはの外せないジャンル・ホロコースト物であるにもかかわらず、この眠気を催す映像は、もはやアイヒマンの「悪の凡庸さ」のせいだと断言します。

あと、「不正義の果て」を撮ったクロード=ランズマン監督はこの映画も見てないだろうと思いました。終盤、ユダヤ人評議会が批判されるシーンがあるから。だいたい、この映画はアーレントの説に沿ってるから。
ただ、「不正義の果て」のレビューでも書きましたけど、ユダヤ人の長老から見れば悪魔的な人物も、実際にやってることは役人根性丸出しの機械的な実務の遂行であってラストでアイヒマンが認めざるを得なくなったように、結果的にそれはユダヤ人やロマといった大勢の人びとの大量虐殺に繋がるものだったわけです。問題はそれがアイヒマンではなくても起こり得たことだったのだと思います。
そしてユダヤ人の長老という立場は単純な被害者とは言い切れないことは生き残った人たちからの言葉にも表れているのではないかと思うわけです。

ずいぶん意図的な映画だと思いますが、それが映画の、特にドキュメンタリー映画のあるべき姿だと思うので、わし的にはありです。

それにしても席と席の間が狭すぎて、後ろの兄ちゃん(背が高い人だったので文句を言うのも悪いかと思って遠慮した)が無意識に座席を蹴るのは何とかならんのか…
あと、この後に見た「弁護人」でも同じ席に座ったんですけど、わしの座った席だけカバーが破れていて、先に座席を指定するのも善し悪しだなぁと思いました。

ついでにオンラインでチケットを買っているとアンケートも寄越さないのもどうかと思いました。たぶん、頼めばくれたんでしょうけど。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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オイディプス王

ソポクレス著。藤沢令夫訳。岩波文庫刊。

筋は知ってたけど初めて読んだ「オイディプス王」です。オイディプスといったらスフィンクスを退治した知恵者として知られていますがテバイに行ってからが大変で、何がそんなに神々に恨まれたんだかわからないくらいです。続編の「コロノスのオイディプス」も借りてきたんで、そっちで落ちがつくといいなぁ。
と思ったら解説で別の作者の「オイディプス」だと、そもそもオイディプスの父親のライオスがアポロンの神命を三度無視したのがそもそもの発端みたいに書いてあったので、じゃあ、ライオスがオイディプスに殺されたのは自業自得とか、しかし、そのためにオイディプスが父殺しと生みの母親と結ばれるというのはどんな呪いなのか、アポロンの呪いが強すぎるだろうとかいう話になったので、ソポクレスの続編をこれから読みます。

ギリシア神話は大昔、それなりに読んだのでたいていのエピソードの筋は知っているんですが、明るさと残酷さが同居しているのがまた独特のカラーだったよなぁ。あと、人間がからむと特に神々が残酷になるあたり、ギリシア固有だったのか、ほかの神話にも共通するところなのか興味深かったりしますが、最近は神話関係にはとんと食指が働かないのであんまり手を出さなくなりました。学生時代に「世界神話全集」みたいなのを読んで、その後、変則的に「メガテン」シリーズに流れて飽きちゃったせいもあるんでしょうが。

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寝ぼけ署長

山本周五郎著。新潮文庫刊。

山本周五郎氏唯一の推理物です。

罪を憎んで人を憎まず、寝ぼけ署長のあだ名をとる五道三省(ごどう さんしょう)の携わった10の難事件を、その秘書の語りで綴る人情味溢れる推理物。「中央銀行三十万円紛失事件」「海南氏恐喝事件」「一粒の真珠」「新生座事件」「眼の中の砂」「夜毎十二時」「毛骨屋親分」「十目十指」「我が歌終る」「最後の挨拶」の10の短編集です。

しかし推理物といってもそこは山本周五郎、犯人探して逮捕で終わりではありませんし、そもそも犯人が明示されない話も少なくありません。また事件なんて起こってない話さえあって一筋縄ではいきません。

風貌は冴えない寝ぼけ署長ですが、頭脳は明晰、肝心な時には動作も俊敏なできる人物です。また弱きを助け強きをくじくを地でいく優しさを貧しい人びとに寄せ、転任が決まった時には市をあげての留任を求める騒動が起こったくらいです。

なかなかの快作といっていいでしょう。

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イースター・パレード

監督:チャールズ=ウォルターズ
出演:ドン=ヒューズ(フレッド=アステア)、ハンナ=ブラウン(ジュディ=ガーランド)、ナディーン(アン=ミラー)、ジョニー(ピーター=ローフォード)、ほか
音楽:アーヴィング=バーリン
アメリカ、1948年

ジュディ=ガーランドとフレッド=アステアのロマンチックなミュージカルです。

1912年、ブロードウェイのダンサーであるドン=ヒューズはイースター祭のプレゼントをパートナーのナディーンに贈るが、彼女はドンからの独立を志して、折良く大物興行師に声をかけられてドンのもとを去ってしまう。失意のドンは酒場へ行き、たまたま視界に入った踊り子のハンナに名刺を渡す。親友のジョニーに「どんな素人でもプロのダンサーに仕立ててみせる」と見得を切ったドンだったが、そうとは知らぬハンナはドンにダンスを仕込まれる。しかし二人の初舞台はさんざんな評判だった。ハンナは歌手の方が本業でダンスは素人だったのだ。そのことをナディーンから指摘されたドンは、ハンナの才能を生かそうと路線を変更し、二人はブロードウェイのスターになっていく。いつかドンを愛し始めていたハンナだったが、ドンが今もナディーンを愛しているのではないかという疑いを消せないでいた。だがジョニーの助けもあってドンとハンナは仲直りをし、イースター・パレードに繰り出す。1年前はナディーンが注目を浴びていたが、今、皆の注目を浴びるのはドンが予言したとおり、ハンナであった。

アステアさんがわりと老け顔なもんですし、実際のところ49歳なんで、26歳と若いジュディと並ぶとカップルというより親子な感じもしなくもありませんが、まぁ、そこは眼をつぶれるレベルです。むしろ、稀代のダンサー、フレッド=アステアと、天才歌手のジュディ=ガーランドの夢の共演をたっぷりと楽しむのが良いです。

途中、ハンナの才能を認めるまでのドンがわりと鼻持ちならない高慢ちきなおっさんだったりしますが、それも後のラブコメを思えば許せる展開。むしろ、二人で仲良く主題歌「イースター・パレード」を歌いながらニューヨーク5番街のイースター・パレードに繰り出すラストシーンは素晴らしい出来でした。
そう、タイトルの「イースター・パレード」というのはただの、そんじょそこらのイースター・パレードではなく、有名なニューヨーク5番街のイースター・パレードなのでした。だから、そこで注目を浴びるというのは並大抵のことではなく、まさにスターの証なわけです。

そして、ドンのおかげでいいダンサーになれたにもかかわらず、ドンから独立したいと言ってパートナーの席を蹴ってしまうナディーンは、ちょっと高慢ちきなやな女だったりしましたが、演じたアン=ミラーさんの裏話(という特典)を聞くと、また見た目が変わってしまうものです。彼女、背骨を骨折した後のお芝居で、痛みをこらえての熱演だったそうなんです。それもこれもフレッド=アステアと踊りたいためとあれば、アステア冥利に尽きるじゃありませんか。そう思うと自信満々に微笑んで歌い、踊るナディーンがすごい努力家に見えてきました。実際、彼女はドンという保護者を離れて独立することを選んだのですから、すごい努力家なんです。彼女は彼女の力でスターの座を得たのです。

また、そんなドンとナディーンを見守るいい人ジョニーは、最初から最後までいい人でした。ハンナにもふられちゃったんで、せめてナディーンとくっついたらいいと思いました。

音声解説の特典がついていましたが、「巴里のアメリカ人」みたいに一本まるまるだと大変なのでまた今度。

期待どおりの名作ミュージカルでした。

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大いなる幻影

監督:ジャン=ルノワール
出演:マレシャル中尉(ジャン=ギャバン)、ド・ボアルデュー大尉(ピエール=フレネー)、エルザ(ディタ=パルロ)、ラウフェンシュタイン大尉(エリッヒ=フォン・シュトロハイム)、ローゼンタール中尉(マルセル=ダリオ)、カルティエ(ジュリアン=カレット)、ほか
見たところ:川崎市アートセンター
フランス、1937年

どん底」「フレンチ・カンカン」のジャン=ルノワール監督が第一次世界大戦の西部戦線を背景にしたドイツ軍の将校専用の捕虜収容所を舞台に撮った反戦映画です。わしはジャン=ギャバンの若い頃の映画だっていうんで喜び勇んで見に行きました。そしたら同じ監督の「恋多き女」というのを3月から公開なんだそうで、こちらはイングリッド=バーグマンさん主演のロマンチックコメディなんで見に行こうと思ってます。

第一次世界大戦のフランスとドイツの戦いを背景に、ドイツ軍の捕虜となったフランス軍将校たちの収容所生活と脱走、フランス軍大尉とドイツ軍大尉の国境を越えた友情を描く。

このうち、ド・ボアルデュー大尉がフランス人の貴族で、ラウフェンシュタイン大尉がドイツ人の貴族で、この二人のあいだに友情が育まれるわけですが、ド・ボアルデュー大尉は捕虜、ラウフェンシュタイン大尉は収容所の司令官とまるで異なる立場にあるもので中盤、マレシャル中尉とローゼンタール中尉の脱走を助けるためにド・ボアルデュー大尉は犠牲になり、ラウフェンシュタイン大尉に撃たれて死んでしまいます。
また、マレシャル中尉とローゼンタール中尉の脱走してからが長く、ドイツの未亡人エルザに匿われた時は、この映画の落ちはどこなのかと思ってしまったほどでしたが、ラストはマレシャル中尉とローゼンタール中尉はドイツとスイスの国境を越えていくのでした。

第二次世界大戦と違って戦争といっても牧歌的な雰囲気で、そこは監督が敢えてしたんでしょうけど、戦闘シーンは描かれず、マレシャル中尉とド・ボアルデュー大尉も登場して飛行機で偵察に行くことになったら、もう次のシーンでは撃墜されてたりと徹底してます。舞台の大半は捕虜収容所なので脱走に失敗して撃ち殺された死者は登場しますし、ド・ボアルデュー大尉も最後は死んじゃってますけど、それだけに抑えた感じです。
またマレシャル中尉といい仲になるエルザが、夫も兄弟も皆、戦争で殺されて娘と二人で暮らす未亡人というのも監督の強い反戦メッセージを体現してます。マレシャルが「戦争が終わったら迎えに来るから一緒にパリで暮らそう」と言って、それでも戦場に戻っていかざるを得ない辺りなんかも。
さらにラスト、ついに国境を越えたマレシャル中尉とローゼンタール中尉をドイツ兵が「もうスイス領だ」と言って見逃す辺りは後のナチス・ドイツの描き方なんかを鑑みるにずいぶん紳士的だったりします。

この映画を見ると「戦場にかける橋」での日本軍の捕虜になった将校への扱いの酷さというのがよくわかっちゃったりします。まぁ、味方に「生きて虜囚の辱めを受けず」とか教えちゃう世界でも例を見ないお馬鹿軍だったりしますから、ジュネーブ協定何それ美味しいの状態だったんでしょうけど、イギリス軍将校にとっちゃ、こうだったんだろうなと。

そこら辺も含めて、いろいろとおもしろい映画でした。ジャン=ギャバンは若造でもよし。わし的にはド・ボアルデュー大尉のが好きでした。

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