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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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なぜか、海

永山則夫著。河出書房新社刊。

捨て子ごっこ」の続編で、中学を卒業して集団上京する表題作と、その前日譚の「残雪」を収めてあります。

「残雪」は家出したりして、すっかり学校に行かなくなっていくものの、担任の先生の温情とかもあって卒業させてもらえるまで。
「なぜか、海」は上京して渋谷にある西村フルーツパーラーに就職したNが最初のうちこそ順調に勤めていたものの、上司らに青森時代(つまり「残雪」の頃)に盗みをしたことがばれていたために働く意欲を失い、最後には三兄の下宿に転がり込むまでを書いてます。

今で言うネグレクト、育児放棄を受けて育ったNは、わしらが見ると些細なことでつまづき、やる気を失ってしまいます。これは小さい頃からNが自分を肯定してもらえなかったことに影響があると思い、本来ならばその役目をするはずだった両親が不在というのはすでになされた分析かもしれません。Nを無条件で愛した長姉セツが精神に異常を来し、長く精神病院に入院しているという状況はNの成長に大いにマイナスであったろうと。それでも西村フルーツで仕事を要領よくこなしていくNの姿には青森時代の卑屈さがなかっただけに、上司の無理解な台詞とかがやがてNが引き起こす事件につながっていくのが見えてしまって何ということかと思いました。誰かが手を差し伸べれば、どこかで何かが変わっていたかもしれない。N、永山則夫氏はあんな犯罪を犯さないで済んだかもしれない。そう思えてなりません。

そんなNが「なぜか、海」を見に行って安らぐのは、セツ姉さんと過ごした網走時代の記憶のためだったのでしょうか。

そういや「死刑囚042」でも主人公のカウンセラーが「隣の人にちょっとだけ気を配ってほしい」と訴えた最後の方のシーンが思い出されました。

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否定と肯定

監督:ミック=ジャクソン
原作:デボラ=E=リップシュタット
出演:デボラ=リップシュタット(レイチェル=ワイズ)、デヴィッド=アーヴィング(ティモシー=スポール)、リチャード=ランプトン(トム=ウィルキンソン)、アンソニー=ジュリアス(アンドリュー=スコット)、ほか
見たところ:アミューあつぎ映画
アメリカ・イギリス、2016年

原題は「Denial」、作中の様々な否定を指す言葉です。原作者であり、アーヴィングに訴えられた被告ともなったリップシュタット教授や制作陣が事実として認めるホロコーストを否定するアーヴィングや彼に同調する者、それらを否定する言葉でもあり、邦題の「否定と肯定」は工夫が欲しかったというより、まるでホロコーストの否定論者と肯定論者がいるような印象さえ与えてしまうので、むしろマイナスでした。

ホロコースト研究者のデボラ=リップシュタットは「ホロコーストの真実」という著書のなかでホロコーストを否定し、ヒトラーを崇拝するイギリスの歴史学者デヴィッド=アーヴィングに名誉毀損で訴えられてしまう。しかしデボラの住むアメリカと異なり、イギリスでは名誉毀損の裁判は被告側に認証義務があると言われ、デボラはイギリスの敏腕弁護士アンソニー=ジュリアスに弁護を依頼し、アンソニーは大弁護団を組む。この裁判はアーヴィングやデボラ個人の名誉ばかりでなくホロコーストがあったことを否定するものだと考えたからだ。ところが法廷弁護士であるリチャード=ランプトンから弁護団の方針としてデボラやホロコーストの生存者を証人として呼ばないと言われてデボラは戸惑い、弁護団への不信を募らせてしまう。デボラは裁判を傍聴に来ていた生存者たちに証言台に立たせると約束するが、アンソニーやリチャードに拒絶され、過去の裁判で証言した生存者たちが、些細な記憶違いからホロコーストそのものを否定されたことを知り、受け入れざるを得なくなる。アーヴィングの優位に進むかと思われた裁判だったが、このためにドイツ語を学び、アーヴィングの20年に亘る日記のほかに膨大な史料を読み込んだリチャードが反撃していきます。その的確さに弁護団に自分の良心を預けることを決意したデボラはようやく弁護団を信頼するようになる。42日の審理のはて、ついに判決の下る日がやってきた…。

イギリスの法廷では弁護団のリーダーともいえる事務弁護士と、実際に法廷で戦う法廷弁護士に役割が分かれるんだそうで、アンソニーが事務、リチャードが法廷となってます。なので法廷で弁護するのはもっぱらリチャードの役目で、舌鋒鋭いところなんかが個人的にはいちばん好きでした。というか、こういうおっさんキャラが好きな向きには最初からリチャードが良かったです。特に裁判のためにアウシュヴィッツ・ビルケナウにまで行ったところで、「死者に敬意を払え」というデボラと「自分は裁判のために来ている」と言うリチャードを見ていたら、デボラの方が演ずるレイチェル=ワイズの若さもあってか、かなり頼りなく思えてしまいました。特に裁判初期、つい思ったことを口にしちゃったり、しょっちゅう振り返ってアーヴィングを見ていたりする辺りなんかは彼女が証言台に立たなくて良かったなぁと思うほどでした。デボラが自分の名前の由来をアンソニーに説明する辺りなんかも強烈なプライドは感じましたがあんまり共感はしませんでした。
ただデボラ自身は自分がアーヴィングのターゲットになった理由を「ユダヤ人で女性だから」と分析しており、それは的確だと思いましたし、ホロコーストには直接遭っていないものの、ユダヤ系(のアメリカ人)としてはその被害は当然知っているのでアウシュヴィッツでガス室で祈らずにいられぬところとか、ガス室の扉の写真を見て、チクロンBで殺される人びとの姿を連想しちゃうところなんかは無理もないと思われ、それだけに感情的になってしまうのも致し方ないとも言えます。

しかしラスト、裁判に負けたアーヴィングがテレビに出て、実は勝ってた的な自論をぶちまけているところは歴史修正主義者かくあらんで、とことんいやらしかったです。そういう意味では今の時代にふさわしい映画ではありました。

10年以上前に行ったきりのクラクフとアウシュヴィッツの映像がとても懐かしかったのは嬉しい誤算でした。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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あゝ、荒野

監督:岸善幸
原作:寺山修司
出演:新宿新次(菅田将暉)、バリカン健二(ヤン=イクチュン)、芳子(木下あかり)、堀口(ユースケ・サンタマリア)、馬場(でんでん)、健二の父(モロ師岡)、新次の母(木村多江)、宮本社長(高橋和也)、ほか
日本、2017年

親が見ているのにつき合っちゃったシリーズ。前後編で合計5時間の長編でしたが、ぶっちゃけ、自殺(を考える)サークルのエピソードを削り、健二の父親のエピソードと、無駄に多いセックスシーンを整理すれば1本で収まる尺だと思いました。
それにしても日本映画のセックスシーンというのは、どれもべたべたなのは、もはやお約束のレベルなんでしょうか?

父は自殺し、母に捨てられた新次と、韓国人の母が死に、日本人の父の暴力にさらされて生きてきた健二。2021年、2人の若者は新宿で出会い、ともにボクシングを始めることで分かちがたい友情で結ばれていくが…。

この物語全体を貫いているのは新次と健二の友情譚なわけです。原作だと健二のが主役っぽいですが、映画でもW主演とか謳ってますが、ラストの新次vs健二でようやく健二のモノローグが入ったように、どっちかというと主となってるのは新次の方で健二は副という印象でした。というか無理にW主演とか言わないで新次、というか菅田将暉で売りたかったら、新次にエピソードを絞り込めばもっとすっきりしたんじゃないかと思いますので、まぁ、脚本が駄目です(ちなみに書いたのは監督)。

そこに加えて駄目さ加減を押し上げているのが、よくわからない「西北大学自殺研究会」というサークルと、2021年という舞台設定、さらに奨学金を返せない人に強制的に自衛隊か介護をボランティアさせるという新法とそれに反対するデモ隊で、ここら辺の主人公2人に関係ない(自殺研究会の方は健二の父親が関わっていなくもないんですが。別に関わらせる必要性も薄いんで)エピソードを合間合間に挟んでいるせいで展開が間延びしていくのでした。

2021年というのは一応、東京オリンピックの翌年なんですけど、そもそも原作の小説が1966年に発表されているので時代を現代にスライドさせたのまではわかりますが、2017年ではなくさらにもうちょっと未来にした意図がまったく理解できません。で、そこに「自殺者が増えている」というネタを入れたのは現代社会への風刺なのかもしれませんけど、それ、そもそもメインテーマから外れているよね?というところで駄目なわけで、違くね?と思うわけです。
また、健二の性格というか人格形成を描くのにどうしても父親の存在は欠かせないんですが、それが元自衛隊で、その部下の一人が新次の父親でとなると風呂敷の拡げすぎでして、どうしたって映画の尺には収まりきりません。実際、伏線はいっぱいばらまいたけど、うまく収拾したとは言いがたいです。前後編だから無理に詰め込みましたな感がありありで、最初から削って一本にしろやと言いたいです。

あと「はじめの一歩」ばりに逆転の一発を持ってる健二が、なぜ新次に負けるのか、ラストの2人の戦いにも納得がいきませんし、2021年の設定も生きてません。芳子が東日本大震災の被災者でという設定も蛇足なら、その母親を再登場させたのも無駄です。
さらに言えば、原発事故を起こした東都電力のクレーム対応係の社員も付け足し感がぬぐえず、正直、この話に大震災ネタはまったく不要でした。

「あしたのジョー」でもそうなんですが、というか、この話は寺山修司版の「あしたのジョー」だと思うんですが、だったら男2人の友情と対決に絞ればそれなりに見られる話になると思いました。つまり半分にできると。

あと「そこのみにて光輝く」で、いい奴なんだけど暴力に走っちゃうキャラだった菅田将暉がかぶったので、そこも何とかしてほしかったです。

ユースケ・サンタマリアの堀口と高橋和也の宮本はまぁ良かったです。高橋和也はもともと上手い人なんですが、評価の低かったユースケ・サンタマリアはだいぶポイントを稼ぎました、わし的に。
逆にそれ以外は見所のない映画。俳優さんたちは頑張ってるけど脚本が駄目だから出直せと言いたい。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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伝奇集

J.L.ボルヘス著。鼓直訳。岩波文庫刊。

よせばいいのにラテンアメリカ文学に手を出して見事に玉砕しました。

「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」だけ、かろうじてSFらしいSFというのがわかりました。
あと「バベルの図書館」は「薔薇の名前」のトリックを思い出しましたが図書館というより本の話だったんで、ちょっと違ったかも。
「死のコンパス」はミステリでしたが落ちはいまいちで、「南部」は西部劇の風情でした。
ほかはわしの理解の範疇を超えてました。

何年かたったら、また読み直すかもしれませんが単に忘れちゃうかも。

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武曲 MUKOKU

監督:熊切和嘉
原作:藤沢周
出演:研吾(綾野剛)、融(とおる)(村上虹郎)、研吾の父(小林薫)、雪峯和尚(柄本明)、ほか
日本、2017年

親につき合って見ちゃったシリーズ。脇で半端に見ていたので間違っているところがあるかも。あとうちの親がJC○Mの広告見て観たがったんですが、時代劇かと思ったら現代劇だったという…

剣でしか生きられない男が偶然出会った若者に同様の才能を見出し、父親との葛藤とかも乗り越えて再生するまでの物語。

という話で、正直、時代劇でもよくね?ってネタでしたが、なぜか現代劇でした。
で、剣にしか生きられないんだけど、その剣を教えた父親を植物状態にしちゃった研吾が自分と似ている融という若者に会い、再生するという話なんですけど、現代劇にする必要ないような… まぁ、時代考証がめんどうだったからなんでしょうが。

飄々としたイメージの強い小林薫さんが珍しく剣豪みたいな鬼父を演じてましたが、残念ながら過去話だけで、しかも最後の遺書にいたっては何かいつもの小林薫でちょっと反則臭い…
あと息子には鬼のように見えていた父親が実は息子思いのいい人だったという展開はありきたりだなと思いました。

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