監督:チャン=フン
出演:キム=マンソプ(ソン=ガンホ)、ピーター(トーマス=クレッチマン)、ファン=テスル(ユ=ヘジン)、ク=ジェシク(リュ=ジョンヨル)、ピーターの友人の記者(チョン=ジニョン)、ほか
見たところ:横浜ブルク13
韓国、2017年
ソン=ガンホの新たな代表作となる傑作映画です。監督は「
高地戦」を撮ったチャン=フンさん。共演は「
戦場のピアニスト」で印象的なナチスの軍人を演じたトーマス=クレッチマンさん。さらにテスルとジェシクもいいのですが、脇まで固いのが韓国映画のいいところ、「
7番房の奇跡」や「
達磨よ、遊ぼう!」のチョン=ジニョンさんがソウルでピーターを助ける韓国人のジャーナリストで登場、さらに題材は韓国現代史最大の悲劇・光州事件ですから冒頭から興奮が収まりません。
個人タクシーの運転手キム=マンソプは妻に先立たれ、11歳の娘を養っているが、生活は苦しく、10万ウォンも家賃を滞納している。しかし、光州に外国人の記者を乗せて帰ってくるだけで10万ウォンもらえると耳にして、マンソプはまったく事情を知らないでその客を横取りする。1980年5月、ソウルでは全斗煥政権に対し、民主化を求める学生を中心にしたデモが多発しており、マンソプはそのために引き起こされる渋滞を苦々しく思っていたのだった。高速道路の通行禁止を乗り越え、ようやくたどり着いた光州では軍隊によるデモ隊の武装鎮圧が頻発しており、精力的に取材を始めるピーターに対し、事情が呑み込めないマンソプは一度は光州を離れてしまう。だが同じタクシー運転手のテスルや学生のジェシクらと一緒だった時に見た、軍隊に暴力を振るわれる民衆の姿に鼓舞され、約束どおり、ピーターを金浦国際空港に連れていくことを決意して光州に戻るのだった。ピーターの撮った映像は世界中に流され、2003年、再び韓国を訪れたピーターはマンソプを探すが、再会することはできぬまま、ピーターは2016年に亡くなった。
というわけで公開前から題材と主演だけで期待150%ぐらいで見に行きましたが、これが裏切られることない出来で2時間半の長丁場を引っ張ってくれたんですから絶賛するしかありません。しかも「
光州5・18」と光州行きで予習はばっちりです。作中、何度も何度も涙が止まりませんでした。
民主化を望む平和なデモが催涙弾を撃ち込まれ、銃で撃たれ、人びとが傷つけられ、倒されていく。作戦名「華麗なる休暇」はそうして1980年5月18日〜27日まで続きました。
ピーターとマンソプを逃がすためにジェシクが犠牲になり、海外からやってきた記者だとピーターを歓迎してくれ、「腹が減っては」と言っておにぎりをくれた女性も傷つけられ、最後、ピーターとマンソプをソウルに行かせるためにテスルたちタクシー運転手たちも私服軍人と戦って倒されていった。そんな彼ら彼女らは一人として特別な英雄なんかじゃなくて、私たちと同じような市民であり、父であり、子であり、母であり、娘だった。隣りにいるかもしれなかった、私たち自身であったかもしれなかった人だった。ただ彼らは光州で時の政権に民主化を要求したに過ぎなかった。それが殺されるほどの、命を奪われるほどの罪だったのか、そうではないだろうという問いと答えがぐるぐると頭のなかを駆け巡るのです。
そして、テスルが言った「
あんたは悪くない。謝るべき連中は別にいる」という言葉の重さは、すぐに被害者に責任を転嫁しがちな今の日本社会にあって、決して忘れてはいけない人の心、人情として、別の理由でいちばん心にしみました。
そういう意味では主役はあくまでもマンソプとピーターなんですけど、本当の主役はテスルやジェシクのような光州の人たちで、「光州5・18」以来、1980年の光州の人たちが他人とは思えない片思いを抱いているわしには、そんな彼ら彼女らが傷つけられるシーンが本当に辛くて、悲しくて、だからこそ、マンソプには無事にピーターを金浦空港に届けてもらいたいと思いましたし、光州に戻ったマンソプが、ジェシクの死を前にして取材ができなくなったピーターを逆に励ますようになる、その過程にもいちいち涙があふれました。
でも、いい映画だったね〜では終わらせずに考えたいのです。わしがこの映画を見に行った2018年4月27日は南北首脳会談が行われた日でもありました。それもこれも、元をたどれば、全部、日本が朝鮮半島を植民地化した、そこに行き着くんですよ。それだけは忘れてはいけないと思うんです。日本による植民地化がなければ、朝鮮半島が今も分断されているような事態にはならなかったろう、朝鮮戦争も起きなかったろう、ならば、民主化を求める光州事件も起きなかったのではないかと思わずにいられないのです。
南北首脳会談に続き、6月には米朝首脳会談が開かれる予定です。その時、日本はどうしているか、今こそ、過去を謝罪すべき時だと思いますし、そうしない日本と話し合う余地はないと共和国は断言しているとも聞きます。
世界中を敵に回した愚の二の舞を演じるのか、今度こそ、過去を謝罪して訣別するのか、余談は許されないのではないでしょうか。
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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