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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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琉日戦争1609

上里隆史著。ボーダーインク刊。

サブタイトルは「島津氏の琉球侵攻」です。一応、史実として独立王国だった琉球を島津氏が征服、以後、琉球は日本の一部として近世を迎えるというのは知っていましたが、その具体的な流れを知らなかったので読んでみました。

すると琉球王国が知られたような形になるまでの、いわゆる三山時代から始まり、統一に至るまで、さらに島津氏が現在、知られているような形になるまで、さらに秀吉の朝鮮侵攻と徳川幕府の成立、そして島津氏による琉球征服、敗残の王となった琉球王・尚寧が江戸まで行かされ、首里に戻るまでと現在、沖縄の文化として知られるものの成り立ちと近代・琉球までが詳細に語られ、クライマックスは当然、1609年の島津氏による琉球征服なんですが、そこに至るまでの流れが詳細に綴られた良著でした。

琉球王国の時代に琉球の航海を技術面で支えた帰化人たちが住んでいた久米村の跡地だそうです。県庁前駅から海側に歩き、福州園の向かいです。(2018/7/22追記)


特に韓国に行った時にあちこちで見た壬辰・丁酉倭乱(いわゆる文禄・慶長の役の朝鮮での呼び方)などが琉球という第三国が加わることで見方が大きく広がったのは目から鱗でした。

あと、後の日中戦争でもそうでしたが、いけいけどんどんで勢いに任せて突っ込んでいって、自分の力量を超えたことにも気づかずに泥沼にはまるというパターンはこの時代から変わってないんだなぁと、日本人の頭の悪さに愕然としました。全然、歴史に学んでないよね。

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13回忌

今日でまいさんが亡くなって丸12年が経ってしまいました。

月日の流れるのは早いものです。まいさんはいまもわしの中で燦然たる存在感を持ってそこにいるのに、現実に君がいないことがもう12年。あれから、わしもいろいろありました。一生、いると思ってた水俣には居着けなくて、早々に出戻ってしまいましたし、東日本大震災もありました。まいさんと一緒に海外に行って、いろいろなことも知らされました。いまも、いろいろなことを知らなければなりません。

そう言えば、いまでこそ、当たり前になりましたが、わしが添加物とかを意識して、手作りをするようになったのはできるだけまいさんの身体にいいものを食べさせてあげたかったからでした。独り暮らしに分不相応などでかい冷蔵庫(400リットル超)を買ったのは、フロンガスを使ってないのが決め手になったPanasonicでしたが、まいさんのために買う野菜がどんどん消化しきれなくなっていくからでした。

いまのわしがあるのは、やっぱりまいさんのおかげで、それはまいさんの体重35グラムよりもずっと重いのです。だから、わしはたかが1匹のハムスターとはとても言えない。まいさんの重みはわしにしかわからなくても最近はそれでいいと思います。

わしが全面的に唯物論に傾かないのは、死んだらまいさんと同じところ!という励みがあるからで、そんな阿呆らしと思っても、やっぱり心のどこかで期待しています。まあ、たぶん、死ぬ時にそれだけをお題目のように唱えて逝くんだと思います。

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キムチチゲ定食

釜山市西面(ソミョン)にある居酒屋も兼ねた定職屋で食べたキムチチゲと、おまけでついてくるおかずの数々。



この中で、わしが頼んだのは左奥の欠けてるキムチチゲだけでして、後は全部セットのおかずなのでした。

手前から、エボダイだったかの開き炙り、春雨の確かナムル、チヂミ、じゃこサラダ。
奥がキムチっぽいけど不明、菜っ葉のおひたし、青唐辛子のたぶん生、白菜キムチ。

どうです、この豪華さ。確かこれで8000ウォン(約800円くらい)だったはず。

このお店は店頭に日本語のメニューが併記されていたので、まだハングルの読めなかったわしが行ったのでした。

アジュマ(おばちゃん)がやってない店でしたけど、普通に美味しかったです。むしろ、韓国で食べたもので不味いのを探す方が大変。

いまさら写真整理のためにアップ。

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那覇の猫

野良猫から地域猫か飼い猫か。



ちょっと日陰にもなるベンチを巡って縄張り争い勃発寸前か、ってほど凶悪な雰囲気ではありませんでしたが、2対1で3匹目の入る余地はなさそうな感じ。

猫が多いせいか、外を歩いていると必ずと言っていいぐらい、ゴキブリの死骸を見かけます。沖縄のゴキブリは本土のチャバネゴキブリより強いと聞いていたのですが… 猫にはかなわんわな…

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赤瓦の家

川田文子著。筑摩書房刊。

サブタイトルが「朝鮮から来た従軍慰安婦」。それだけでもう手に取らずにいられませんでした。

沖縄で特別在留許可を得たポンギさんの記事を読んだことで著者は30歳で沖縄の渡嘉敷島に従軍慰安婦として連れてこられ、その半生を知ることになります。

小作人でさえなかった父親、8歳の時に他家に奉公に行かされた2つ年上の姉、母もおらず、3つ年下の弟と近所のお情けでかろうじて生き延びた子ども時代、やがて姉と同様に他家に奉公に出され、ただでこき使われるうちに17歳で結婚、しかし相手の男がだらしなかったために友人と逃亡し、流れ流れて現在は北にある興南(フンナム)へ、そこで女子挺身隊の話を聞き、釜山へ、やがて鹿児島に渡り、沖縄に行かされ、慰安婦として性をひさぐうちに米軍の攻撃で慰安所は閉鎖、本隊と行動をともにするうちにやがて迎えた敗戦。食糧の乏しい収容所時代、そこから始まった放浪、どこにも居着けないままに、また性を売り、荒れた生活の無理がたたって生活保護を申請する段になって初めて定住、その時のことが新聞に載ったわけです。ここまでが第1部。

さらに著者は渡嘉敷諸島(渡嘉敷、座間味、阿嘉)にあった3ヶ所の慰安所を時にポンギさんとともに、時に幼子を抱えて訪ね歩き、日本に連れてこられた女性たちの運命を知ろうとするのが第2部。

そしてポンギさんの生まれ故郷、忠清南道(チュンチョンナムド)の新礼院(シルレウォン)へ行き、戸籍などの手がかりから姉のポンソンさんの行方を捜し当て、ポンソンさんに会って、その報告をポンギさんにしたところで第3部。

なかなかの力作で、取材した範囲の広さを思えば、個人でこれだけ調べ上げるのは大変だったろうと思います。
また著者の眼差しが終始一貫、変わらずに女性として最も酷なことをさせられたポンギさんたちに優しく向けられているのがとても安心して読むことができました。著者にしろ訳者にしろ、そういう方たちへの優越感とか差別感を感じるのはすごく気分が悪いので(松本清張とか松本清張とか…)。それでも後書きで、ポンギさんが決して明かさなかった母不在の理由について書いてしまったことを「決して許されはしまい。深く頭を下げるしかない」と記したことに作家としての深い業を感じます。
そこはやはり、「ナヌムの家三部作」を撮ったビョン・ヨンジュ監督とは同国人で、加害者である日本人との違いもあるのだろうかと思ったりもしましたが、少なくともポンギさんは過酷な半生を著者に語るほどに信頼してくれていたわけですから、その信頼を裏切った形になることへの謝罪もあるのだろうとも思います。

第3部でポンソンさんを探す著者に、韓国のアジョッシ(おじさん)たちが荷物持ったりして一生懸命に協力してくれる姿に、実際にわしもたくさんのアジョッシやアジュマ(おばさん)たちの優しさに触れているので懐かしくなりました。反日とか、そんな生ぬるいものじゃないんですよ、彼ら彼女らが日本が戦争犯罪についてほおかむりしていることを追求するのは。人としての問題なんです。やったことを謝れというもっと本質的なものなんです。だから、彼ら彼女らはその加害国から来た日本の観光客にも優しいんですよ。中国の指導者(誰だったか忘れた)が言ったでしょう、「日本軍のしたことは忘れないけど日本人は許そう」と。いつまでもそれに甘えてちゃいけないんですよ、わしら日本人は。

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