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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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通潤橋 超簡単図解

ちゅうかマウスで字を書くな。



なんとなくイメージをつかんでいただければ幸い。

もうちょっとキャンバスが大きいというのはわがままでしょうか?

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通潤橋を見に行こう

仕事を辞めたもんで、毎日が日曜日、我、何様のつもりじゃい、なたきがはです。ご機嫌いかが?

ちゅうわけで、今日は全国でも珍しい、熊本県通潤橋の放水を見に行ってきました。場所は熊本県上益城郡山都町。九州自動車道を松橋インターチェンジで下りて走ること1時間、道の駅 通潤橋の真向かいにある、現在も生活用水路として頑張ってる江戸時代に作られた石橋でやんす。
もちろん、たきがはも欲張りなもんですから、途中、あちこちを見てきました。昨日に引き続き、長い記事なんで各々方、覚悟はよろしいか?

松橋インターチェンジを下りて、国道218号線(熊本県から高千穂を経て、宮崎県延岡市に行くやつね)をひた走る。通潤橋とまではいかなくても、実はこの近辺、石橋が多いそうだ。
で、通潤橋よりも手前の霊台橋で早速、記念撮影。と言ってもたきがはは写真嫌いなので自分が映った写真を持つことは稀だ。霊台橋の手前に霊台公園ちゅうのがあって、まずはそこからの眺め。



さらに近づいてみた。昭和の時代まで実際に車もトラックも走っていたという現役ばりばりの橋だが、江戸時代の建造物なのと、奥に鉄橋ができたので保存のために使われなくなった。



しかし、いまも人間の通行は可能で、歩ける。上はこんな風。



さて通潤橋を目指そう。通潤橋はこの時期は土日の正午から15分だけ放水しているのだ。しかし12時にはまだ時間があるので、もうちょっと見学してから行くのがよかろう。
ちゅうわけと、途中で看板を見かけたもんで、立ち寄ってみた内大臣橋。
からの眺め。たきがはは高所恐怖症ではない(ただし、フリーフォールのたぐいは絶対に駄目だ)のでこんな写真を撮ってみた。



さらに橋を横から見たところ。ふつうの鉄橋だ。石橋でないのが残念だ。



しかも何が致命的って、橋を眺めるのにいいポイントがないことだ。



ちゅうわけでやってきました通潤橋。時刻は11時半ぐらい。正午の放水までそこらへんを見学しようと思っていたら、なぜか放水しとる〜??



しかもすぐに終わっちゃったし。
通潤橋の放水は実は金を払えば時間外でもしてくれるそうだ。しかしわしは正午まで待つ。
まずは道の駅に車を停めて、お堀を渡る。そこにたくさんの真鯉がいた。でかい。50cm以上あるのが何匹もいた。きっと餌が豊富にあって、敵がいないんだろうな。



で通潤橋の設計者、布田保之助の銅像。もとは地元の庄屋だったが、通潤橋のできる前、ここら一帯は水がなくて米が作れず、貧乏だった。領民の窮状を知って、通潤橋を建築したそうな。そのおかげで100ヘクタールもの土地に水が送られることになり、さらにいくつもの橋を建てたとか。



いよいよ近くまでやってきました通潤橋。さっきの放水の名残か水が滴っているが、本物の放水はこんなものではなかろうもん。



滝の音がするので何かと思ったら、通潤橋の脇に流れる人工の滝。



脇から通潤橋に上がることができる。



さらに上がってきた。



じゃん! 通潤橋の上はこうなっている。人間が歩けるようになっており、対岸に渡れる。水道路なので、石畳が3本並んでいるのがそれだ。



たきがは、実は高いところから下を見るのが好きなのだ。通潤橋の上から川面を見下ろしてみた。さっき鯉のいたお堀はこの川につながっている。赤線から下が通潤橋だ。



で、これが栓だ。つまりこいつを引っこ抜くと放水が始まる仕掛けだな。しかし、何のために放水するのか? 看板はいくつもあるのに不明。



対岸に渡ってみた。可愛い花が咲いていたのでそうでなくても華のないブログなので載せてみる(笑った君、前に出たまえ)。しかしたきがは、植物音痴なので何の花かわからんちん。鈴蘭に似てると思うんだけど、こんな木じゃなかったような気がするんだが?



これは対岸だ。通潤橋を流れた水はこちら側に出て、さらに各地に流れていくのだろう。



ついでに対岸に下りて通潤橋を見上げてみた。残念ながら、対岸から反対側に戻れない。いま来た道を戻れってことだ。それにしても我ながらはしゃぎすぎだ。



何だかわからないけど、大きな木が目にとまったので撮ってみた。



3つ上の写真の反対側、通潤橋に流れ込む方の堰だ。通潤橋には1日で15000立方メートルの水が流れていく。と言われても、どれぐらいすごいのか、わからないんだよ、ままん。
で、こっちの側には城跡があった。なんでも鎌倉時代に建てられ、江戸時代初期に一国一城を理由に取り壊されたそうだ。いまは跡ぐらいしか残ってないみたいだ。通潤橋に注ぐ流れはお堀になってた。



茸が珍しいので撮ってみた。取らなかったけど。



たきがは、好きだと公言しているわりに写真に撮ってもらえないたんぽぽだ。うちのサイト名が「たんぽぽ」に由来していることは知ってたかな?



また通潤橋から川面を見下ろす。ちなみに反対側、つまり裏だ。



少し落ち着けや、ぢぶん。ちゅうわけで通潤橋周囲の田畑。休耕田ぽいのが目立つのが残念。しかしどこに行っても菜の花が目立つ。
ちなみに生活用水なので、通潤橋の放水は田植えの時期はない。



やがて正午がやってきた。係のおじさんが栓を抜くのを見守る観光客。その動きは動画で撮ったんだが、たぶん、忍者ブログにアップできる512kb切れないと思うので載せないことにする。
その代わりに、栓を抜かれて水の噴き出した口。こっちは裏。2個あるのが表。



勢いよく流れ出す水。上から見るか、下から見るかという話になって、たきがは、上から見ることにした。単に後で階段昇るのがしんどかっただけだ。



真上から吹き出すところを撮ってみる。



下に行くことにして、脇から撮った。一応、場所を変えている。なんちゅうか楽しいっす、これ。



ちょっぴり肌寒い上に、水しぶきが飛んでくる。それだけ近づけるわけだな。それにしても何でこんなに楽しいんだろう? 夏だったらさぞやいい気持ちだろうなぁ。
せっかくなんで三方向から出る水をとらえてみた〜い。



この角度ならどうやっ!



おお、忘れてはいけない。川面に落ちる水。



だんだん勢いの弱まっていく放水。十中八九間違いないと思うんだけど、上流を堰き止めてるんじゃないかと。



実際はここから水が出てる。さっきの栓もここにはまってた。勢いがあるうちは壁面の穴まで水がいくわけだが、だんだん勢いがなくなってくると



こんな風になっちゃうわけだ。上の穴からはもう出なくて、下から出る。



裏も勢いがありまへん。こっちはもともと1つだけなんだけど。



川面もだんだん静まってきた。



これが栓だ。木の栓にタオルが巻いてある。こっちは表ので、金網はふだんは閉じている。



おじさんが栓を木槌で20回ぐらい殴って、なお木のつっかえ棒もしたところ。最初に見た時はこの木の役割に気づかんかった。



戦い済んで日が暮れて、ではないが、放水の済んだ通潤橋。



さらば、通潤橋。楽しいものを見せてくれてありがとう。これからも頑張ってな。



ちなみに後で調べたところによると、通潤橋の放水は通水管のゴミを掃除するためだそうだ。
で、ずっと上の人工の滝は、放水のあいだも勢いが弱まらなかった。それだけ水が勢いよく流れているということかなぁ? わしは止まるかと思っていたんだが。

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魔女の血を引く娘

理論社刊。2冊。セリア=リーズ著。亀井よし子訳。

アメリカがまだイギリスの植民地だった時代。祖母を魔女裁判にかけられて殺されたメアリーは、謎の貴婦人に助けられ、清教徒たちの移民船に乗って新世界アメリカに渡る。けれど、そこでの生活は楽なものではなく、天涯孤独のメアリーはやがて魔女として告発されることになった。(1冊目)

現代のアメリカ。メアリーの残した日記、キルトに隠されたメアリーズ・ペーパーの研究をするアリソンは、メアリーについて本を書いた。先住民の血を引き、呪術師の叔母を持つアグネスは、アリソンの本を読んで、自分がメアリーのことを知っていると確信してコンタクトを取る。叔母の導きでアグネスは逃亡後のメアリーの体験を夢に見る。(2冊目)

1冊目は「メアリーズ・ペーパー」なんでしょう。終始「私」の語りと視線で物語は進むんで。おばあさんが魔女裁判にかけられ、殺されていく過程は迫力があります。現代人のわしらから見ると、ありねーよっ!な疑いが、まさにねじこまれ、無理無理押しつけられ、魔女として裁かれてる方よりも裁いている方が明らかにおかしかったり。
さらにアメリカに渡る移民船の中で、治療師マーサと知り合ったメアリーは、彼女の保護を得られるわけですが、結果的には保護者になりきれなくて、終始メアリーの味方であり、ひいてはメアリーズ・ペーパーを残してくれた功労者の一人でもあったわけですが、あんまり深入りしないというか。マーサもメアリーがビューラの町を逃げ出してしばらくしてから、同じ治療師の技を持つ、ジョウナと町を出ていってしまっているので、とかく居心地の悪いところだったんだろうなとか。
しかし、祖母の影響で森に行くことをためらわず、清教徒のふりをし、先住民とつき合うメアリーは、なんか当人の自覚のないところでずぶずぶと深みにはまっているのが読んでてもどかしかったり。まぁ、魔女狩りの結果とか知ってるからそう思うのかもしれませんが、どう見ても清教徒よりも先住民とつき合ってる方がメアリー向いてそうだし、いっそ町を離れて先住民と暮らしてしまえばいいのに、と思って読んでたので、1冊目のラストはなかなかはらはらしました。

で2冊目。ええと、これはどこまで信じていいのでしょう? 霊感ゼロのたきがはとしては、メアリーの体験を夢に見たというアグネスの話も、メアリーの周囲にオオカミやウサギとなって現れるおかあさんやおばあさんの霊というのはなんとも信じがたく。アグネスは特に霊感が強いと言われても、実際にはい、そうですか、と言ってしまっていいのだろうかと。うーん、アグネスの見たメアリーの夢が、あまりに理路整然とメアリーのその後を再現してるもんで、まぁ、整理した部分もあるんだろうけど、そんなにわしらと死者の霊というのは簡単に行き来できるもんかとか。いや、別にアグネスも簡単にできてるわけじゃないんですけど、なんかそこらへん、おばさんの助けがあって、そのおばさんが偉大な呪術師でとか言われても、容易に信じられんといいますか。見たこともないものを容易に信じるわけにはいかんでしょ? とか言いつつ、たきがはも物でも何でも話しかける方ですけど、なんちゅうかな、話しかけてもスムーズに通じると思ってるわけじゃないし、そりゃあ答えがあればいいとは思いますが、あるなんて期待もしとらんし、あるとも思ってないし。どっちかというと、人間の感じるようには植物とか物とか動物って感じてなかろうし。だからといって、それが無駄だとも思ってないし、自己満足なんですかねぇ?
どっちかというと、「死と彼女とぼく」という漫画がありますが、あれって死者が見える女の子とどんな生き物の声も聞ける男の子の話なんですが、あの漫画の死者と生者ってこんなに簡単に行き来してなかったんだよね。死者には心残りがあって、生者には生者の生活があって、その行き違いがドラマになってたかと思うんですけど、あっちの方が感覚的には近いような気がするんですよ。ちゅうか、いくら呪術師の媒介があるからってさ、死者と生者が話をさくさくできたら、なんかこの世の問題ってもっと楽に片づくようなところもあると思うし。あ、でも、その呪術師がいなくなってるんだとか言われそうですけど、沖縄にもなんかいましたよね、名称忘れたけど。恐山だったらイタコとかさ。死者がこの世を見守っているとかあるなら、なんかもっと敬虔にならなきゃいかんようにも思うけど、実際のところ、どうなんすか? いや、いるとか言われても、わし、わからんし。

閑話休題

だからね、1冊目はノンフィクションでリアルでおもしろかったのに、2冊目は急にリアルさが薄くなっちゃったんだよね、と言いたかったんですよ、ええ。いや、これが小説なら良かったんだけど。巻末に資料として、登場人物の残した日録とか手紙とか掲載してるんだけどさ、肝心のメアリーのその後がなんかとってつけたような気がしてしまいましてね。

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鹿児島観光にっき

ちゅうわけで駆け足鹿児島観光の旅2日目。

まずは指宿名物砂むし風呂を体験。ほかほかしてなかなかよろしいんじゃないかと思います。泊まったホテルが時間の関係でできなかったんで、砂楽会館まで行ったさ。



続いて鹿児島中央駅へ。快速なのはなデラックスでごう。
で、鹿児島の方には大変申し訳ないのですが、たきがはの頭の中にあった鹿児島のイメージと言ったら桜島黒豚。で、前日に黒豚しゃぶしゃぶを食い、さらに黒豚のトンカツも食おうと市電に乗る。市電とかシティービューという観光バスとか写真撮っとけば良かったっす。
で、桜島を見に行きたいのだが、渡るのは1日がかりになりそうなんでやめといて、桜島をよく見られるという磯庭園に行く。その途中でザビエル公園を見かける。なんのことはない、ザビエルの銅像と向かいに教会があるだけだが。



空の色がおぴんくなのはデジカメのせいで、この日は一日曇り空、ちょっぴり雨も降りました。
磯庭園というのは通称で、本当は仙巌園というそうだ。島津家の別邸だったのを、明治以降は本宅になったとか。で、横に島津斉彬が工場を作らせたという建物もあって、盛りだくさんなコース。

まずは入ってすぐのところにででんと置いてある21ポンド砲(だったかな)。



園内に飾られている桜島大根。たたいてみたら、堅かった。漬け物も売ってたので食用なんですな。しかしでかいよ。



大河ドラマで島津家の江戸邸宅の門構えの撮影に使われたという門。裏から撮った。なにしろ鹿児島はどこ行っても「篤姫」。ブームというより勝手に盛り上がってるというか。たきがは、大河に興味がないもんで、見に行かなかったので効果のほどはよーわかりませんが。



昔はこっちが正門だったという朱塗りの門。瓦に錫が使われているのは日本では珍しいそうだ。錆びてないのは加工してあるの?



灯籠。上に乗ってるのは獅子。なぜかこの形の灯籠が大小多く、鶴灯籠というそうなのだが、どこが鶴? 鶴が羽根を広げたところに見立てたか? 言われなきゃわからん。



曇りがちの天気のせいか、これ以上はっきり見えない桜島。でも山肌とか見えるんで、かなり見えた方か。それだけ近いだけか。川原泉さんという漫画家さんが鹿児島在住の方だが、鹿児島には「火山灰の日」というのがあるんだそうですが、いまもあるんでしょーか? それだけ桜島の灰がバカにならないってことだな。



薩摩藩は途中で琉球王国も併合していた。その時からか知らないが、琉球から持ってきたという石畳敷きの建物。ここで琉球からの使者と対面したそうだ。



何に使ってるんだかわからないけど、とにかく濡れていたんで、まだ現役だろうと思われる。しかし何の説明もないので何だかわからない。



で、これが問題の鶴灯籠だ。どこらへんが鶴ていすとなのか、ぜひ教えてもらいたい(偉そう)。



この後で尚古集成館というところに行った。そっちが島津斉彬の作らせた工場跡を利用しているようだ。ま、博物館ですな。しかし、島津家が700年も薩摩を支配していたとは初めて知りました。長い。一応、先祖は源頼朝と主張しているようだが、ごまんといそうだからな。それに長いのは政治の中心から遠かったという理由は見逃せまい(それを言ったら、東北の藤原氏も長くても良さそうなもんだが、義経の件で頼朝に目をつけられたからですかねぇ?)。

で、鹿児島名物(というか、たきがははずっと九州名物だと思っていた)シロクマは、氷を食べるには早いということでパス。関東でもけっこう買えましたしね。

ちゅうわけで、駆け足だが、鹿児島観光は終わりだ。

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肥薩線の旅

4月1日〜2日にかけて熊本、宮崎、鹿児島三県をまたがって旅してまいりました。1回、球磨川沿い行ってみたかったのと、なかなか行けなくなるであろう鹿児島に行きたかったのです。
肥薩線というのが八代駅から発車してるんですが、この途中、人吉〜吉松間が観光列車「いさぶろう・しんぺい号」が走ってまして、それに乗り、あとはちんたら各駅停車と快速の旅。1日目は指宿までごう!

まずは肥薩おれんじ鉄道に乗って八代駅へ。



ここで1時間ほど待って肥薩線で人吉駅へ。あ、肥薩線の写真、撮り忘れた。
球磨川沿いを走って人吉へ。



人吉駅前のからくり時計。正午ちょうどにからくりが動くので見られた。見ててなごむ。



「いさぶろう・しんぺい号」の出発時間まで1時間くらいあるので、観光へ。
人吉を流れる球磨川。



数は廻れないので目的地、永国寺へごう。



ここ、西郷隆盛が西南戦争の時に陣を構えたことでも知られるのだが、なんちゅうても有名のはこっちだろう。



幽霊の掛け軸だ〜! これで心霊写真みたいなことになっていたら、たきがはもいままでの行いを悔い改めるところだが、霊感ない歴ン十年、いまさら、そんなに信心深いことなど起きるはずない。しかも、この掛け軸、レプリカだっていうんですよ、奥さん! デジカメのモニタが起動したらぶれたので「ま、まさか、幽霊を写そうという祟りか?!」とびびったのは内緒だ。でも、その後、しょっちゅう起きてる現象だし、色味もおかしいところあるし、どうやらデジカメの寿命ってやつかも。
ちなみに本物は年に1回公開されるらしい。

で、この幽霊の掛け軸、永国寺の和尚の筆になるものだそうだが、その幽霊が出たという寺の裏にある池。雰囲気出てます?



駆け足で駅に戻り、これから乗る「いさぶろう・しんぺい号」だ! 撮ったのは人吉駅ででないが。



人吉発の場合は「いさぶろう号」となり、人吉着の場合は「しんぺい号」となる。どっちも鉄道の歴史に関係ある人の名前からとられたそうだが、たきがは、後藤新平がこんなところで出てくるとは思わんかったよ。後藤新平ちゅうのは関東大震災の時の東京知事だ。市長だったかも。



「いさぶろう・しんぺい号」のマーク。2004とあるのは、2004年にリニューアルしたから。



車内。レトロな雰囲気が気分出してます。ほとんどの席は指定席。自由席はわずかでボックスではない。



人吉の次の駅、大畑(おこは)駅。観光列車だけあって、1駅ごとの停車時間が長い。観光客はのんびり電車を降りて、写真を撮ったりできるわけです。車内にも記念撮影用のぐっずがあったり、名物弁当売ったりしてました。



で、大畑駅はスイッチバック式で坂を登っていくわけなんですが、さらにループして山を登り、1周したところ。赤い円の中が大畑駅だ。電車には1000mの距離で25m登るような勾配はきついんだそうな。考えた策がスイッチバックとループだそうだ。



大畑駅の次の駅がこの線の最高峰、矢岳(やたけ)駅。



古い駅舎もいい感じですが、矢岳の名物はこれ。D51、たきがはも名前は知ってるでごいち号だ。



特に名物というわけではないけど、火の見櫓も撮ってみた。天気に恵まれたものであったかかった。



観光列車は途中でも止まる。日本で最高の眺め。



矢岳駅の次、真幸(まさき)駅。幸福駅というのが北海道にあって一時流行ったが、真幸も「真の幸福」とかを売りにしているそうだ。真幸駅は宮崎県にある。三県またがったのはここでだ。ちょっぴり足をかけただけぐらいだけどな。



見るものが珍しいからといって線路まで撮らなくても、と思ったあなた。踊る阿呆に見る阿呆じゃないけど、こういうのは乗ったもん勝ちだと思うんすよ。行った先で見るもの楽しんで見た方が楽しいじゃないですか? 海外なんか行くと顕著なんすよね。もう看板でも珍しいという。でもどうせ行くんだから楽しまなきゃ。



で、真幸駅、実は有形文化財かなんかなんです。正しく覚えてなくてごめんちゃい。古い駅舎じゃん、とか思ってごめんちゃい。



幸福が売りですから、七福神ならぬ幸福の神様か。細かく見るには時間が足りぬ。



さらにホームにある幸福の鐘だ。ちょっぴり幸せな人は1回、まあまあ幸せな人は2回、たっぷり幸せな人は3回鳴らせとな。思い切り3回鳴らしてきたともさ。



電車の中に掲示してある全行程の図。真幸の次は終点、吉松。意外と短い。行程はもりだくさんだが。



終点、吉松駅。最盛期には駅の職員600人を数えた(町の人口は8000人ぐらい)という鉄道の町だ。りっちな人はここで特急「みどりの風」(とかいう名前。自分が乗ってないもんでうろ覚え)に乗ると一路、鹿児島中央駅に行ける。たきがははそんなに贅沢ができない旅行なので各駅を待ち合わせ。



吉松駅前にあった機関車、C55号。筒井百々子さんの漫画「空の機関車」に出たのは「いとしのC57」だったなぁとか思ったり。C57と書いて「きふじん」とルビが振ってあったんで、たぶん、車体は違うんだろうと思うけど、機関車詳しくないんでよーわからん。



わからんと言いながら、石炭を置いてあった場所を撮ってみたり。



さらに計器類なんて撮ってみたり。それにしても運転席がすごく狭いのは驚かされた。狭い、煙は有害、機関車の運転士って大変な仕事なんだなぁ。



吉松から隼人へ、隼人から鹿児島へ。だんだん家が多くなっていったけど、電車は撮らなかった。で、今日の宿泊地は指宿なんで、鹿児島中央から指宿へ向かう快速なのはなだ。



ぐでんぐでんになって指宿到着。九州のほぼ最南端、ああ、疲れた。



まだ続く。

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