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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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ニュースキャスター

中公新書刊。田草川弘著。

副題に「エド・マローが報道した現代史」とあるように、「グッドナイト&グッドラック」の特典冊子です。特典といっても、もともと中公新書の1冊を復刻したようで、ボリュームとしても十分、新書です。
エドワード=R=マローの伝記にからめて、第二次世界大戦以前からの報道史を描いた1冊。映画ではマローの功績はごく一部しか語られていないわけで、これにて補完することができます。著者曰く、マローの評伝としては日本語のものは唯一だそうで、今のテレビに限らずメディアというものは、マローの精神に学ぶことはすごく多いと思いますので、ぜひ、この本に限らず、エドワード=R=マローについての評伝が、「グッドナイト&グッドラック」とともに増えることを願ってやみません。

アメリカに追いつけ追い越せの精神で発達した日本のテレビ界。2011年に一方的に地上波アナログ放送の終了を迎えようとする昨今、マローの精神とはまったく逆方向に突き進んでいるような気がするのは、わしだけではありますまい。

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地球の燃え尽きる日 第4巻

たきがはの多大な期待に反し、表紙は書き下ろしの大作、林冲、サリー、ロボ、残月でした。裏表紙に早くもケリーとドラグネット博士登場、紫のシャツとコートって、親子揃ってでーはな方たちです。

しか〜し! 十傑衆勢揃いのイラストはカラーで中表紙に登場! うはうはな感じっす。この巻までは残月の出番が多いので扱いも大きいのはわかりますが、いかした変態さん、ヒィッツカラルド、リーダー樊瑞が大きいのもこの巻での活躍を思えば頷けるところであります。ああ、格好いいなぁ、十傑衆は。そういや、樊瑞出てきたんだけど、弟弟子にして、師匠から樊瑞を山に帰すよう命じられていた(というOVAでの設定のあった)一清道人はまだ出番がありませんが、どーなるんでしょー? BF団はわりとOVAと差がないんで安心して見られるんですが、国際警察機構ならぬ連合はむちゃくちゃ変わってるからな〜 心配。そんな中、呉先生だけ前と変わらんで登場してるんですけど、ほかのキャラはどーしたのかなー?

まずは2話分、白昼の残月編の最後のエピソードが語られ、幻夜のポジションがOVAとは異なり、どーやらさらに強力な力の持ち主、と位置づけられているのが伺えます。幻夜の台詞廻しにはOVA同様、小川真司さんのいかすボイスが脳内で再生するわけでありますが(すでにヒィッツカラルドを変態呼ばわりできないほど自分が変態であることに気づけ、たきがは)、悲劇的な最後を迎えたOVAの幻夜に比べると、こちらはなんか国際警察連合もBF団も一目置く存在のようですな。能力的にはテレポートとは大差ない気もしますが、中国大陸を燃え尽きさせられたほどの光球を「開け、天国の門!」の言葉とともに大気圏外へテレポートさせるとは、そのパワーアップぶりが凄い。さらにこれはたきがはの推測に過ぎませんが、OVAでは己の命を削って使われたテレポート能力を幻夜は立て続けに2回(上海から梁山泊、光球を飛ばす)使っており、どうもリスクは負わないで済むような気も。
ただ、強くなった分、気持ちも強気で、国際警察連合に「恩を売った」と言ってしっかり取り立てると宣言するあたり、この取り立て巡って、果たしてどんなドラマが展開されるのか、わくわくするところ。しかし、現状の国際警察連合においては、その恩も中条長官と韓信元帥あたりが大作に転嫁しちゃいそうな気もしますよ、わしは。「元はといえば、ロボができなかったのが問題なんだから云々」とか言って。頼むから、これ以上、大作とロボを苦しめないでくれよぉ。
それと幻夜、気になるのは相変わらず、登場人物の大作への勝手な物言いです。これは大作への救いの言葉と読むべきなのか、それともさらに混乱させるだけの言い方なのか?
今回、村雨竜作が大作を村雨一家から破門するわけなんですけど、その前に言うべきことを言ったのか、おっさん?!とわしは言いたい。大作の混乱に輪をかけまくるようなことだけ言っておいて、誰一人として大作を導くようなことは言ってないじゃん、と思うんですが、OVAからの大作&ロボ贔屓がすぎるのかな〜?
で、大作にとって唯一、信頼できる大人かと思った林冲さんまで「君に言っておかなかったことを言おうと思うんだ」とか言い出すし。しかも「一つだけ」ってことはまだあるのか〜?? 現在、カナーリの牢獄編において、死亡フラグ立てまくりの林冲さん、頼むから、言うべきことは全部言ってから死んでくれーッ! 間違ってもフォーグラー博士のような過ちはッ(げふんげふん)

そしてついに第三部「カナーリの牢獄編」が開始。そういや、わし、ここからRED買ったもんで、雑誌掲載時とどこが変わってるのか比較してみよーと思います。

コミックス68ページ2コマ目。
「(最強の集団・十傑衆)の集結を見」が「(最強の集団・十傑衆)が現れ」

3コマ目。
「この世界の全ての能力者を」が「更にこの世界の全ての能力者を」

69ページ1コマ目。
「国際警察連合 九大天王・無明幻妖斎が身を呈して その鉄壁の守りを貫き通す」が「国際警察連合 無明幻妖斎が身を呈して その鉄壁の守りを貫き通した」

3コマ目。
「お前はBF団と戦うために……そうでなければ そうでなければ…!!」が「僕は……僕は……」

4コマ目。
「君のロボに対する複雑な気持ち −−…私にも」が「君の複雑な気持ちは」

70ページ1コマ目。
「居たとはいえ のちBF団に鞍替えし世界を燃やし尽くそうとした」が「居たのに 草間の乱を起こしBF団に鞍替えした」

2コマ目。
「父上」が「極悪人」

71ページ3コマ目。
「(罪)なのか!! わかるために!!!」が「(罪)か!! 確信を持つために!!!」

4コマ目。
「約束通りロボは(預かっておくよ) (ただし『カナーリの牢獄』へは死の覚悟が必要)という−−!! 気を付けて行ってくるんだね…!!」が「ロボは我々が((預かっておくよ) (ただし『カナーリの牢獄』へは死の覚悟が必要)−−!! 気を付けるんだよ」

72ページ1コマ目。
「大作君−−確かに(アンチエネルギーシステムは世界を滅ぼしかけた)恐ろしいシステム…」が「確かにロボの(アンチエネルギーシステムは世界を滅ぼしかけた)…」
「(あのロボを造ったのでは)ないと思うよ」が「(あのロボを造ったのでは)ないと私は思う」

2コマ目。
上に「パカッ パカッ」が追加

73ページ2コマ目。
「(林冲さん「カナーリ)の牢獄」に居るっている…」が「(林冲さん「カナーリ)」に居る…」

3コマ目。
「(技術者)だった…」が「(技術者)」

4コマ目。
ゴオオオオオが追加

74ページ2コマ目。
「(そこから)脱出して(来たんじゃあ…!!)」が「(そこから来たんじゃあ…!!)」

3コマ目。
「『カナーリの牢獄』は」が「目的地は」

4コマ目。
モコッモコが追加

5コマ目。
あ…が追加

78ページ
「ああー あっ」が追加

85ページ2コマ目。
「そして10年前『草間の乱』の折に 我らBF団が生き残るのに一役買ってくれたのも事実」が「そして あの瞬間移動…我々特殊能力者の間でも長年その存在を否定されていた特別な力を持つとは…」

138ページ4コマ目。
「(あれが誰か)…」が「(あれが誰か)わかるの!?」

5コマ目。
「わかるのっ!?」が「あたぼうよ!!」

139ページ2コマ目。
「ああっ!! わかるとも!!」が「この場面で『パトカー』といったら…」

3コマ目。
「『パトカー』から『手』と『足』が出たっ…!! そして(その『顔』はっ……!!!)」が「そうっ とんでもない奴が来やがったっ!! (その『顔』はっ……!!!)」

141ページ目3コマ目。
逮捕状の中が描いてある

187ページ。
「見ろ…!! あの『メカ』は…!!」が「ギ…『ギルバート』!!!」

188ページ1コマ目。
「『ギルバートッ』!!!」が「『ギルバート』だっ!!!」

ちゅうことでした。あとは背景とか影のトーンがたくさん貼られてて、より深みのある、迫力ある画面になっております。
それにしても、こう、1コマずつ見比べながら、ねちっこく鑑賞するのもまた楽しいです。今となっては遅いですが、最初からやれれば良かったにゃ〜

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「復讐するは我にあり」

や「必殺仕掛人」「鬼畜」「砂の器」などなど、数々の映画・テレビドラマ・CMに出演され、その確かな演技で我々を魅了してくださった緒形拳さんがお亡くなりになったそうだ。
Wikipediaを読んで初めて知ったのだが、芸名は「けん」じゃなくて「こぶし」なんですってね。でもずっと「けん」で覚えてました。

何しろ多彩。何しろ芸達者。主役・脇役・悪役・被害者役・コメディ・シリアス何でもござれ、何をやっても外さない、安心して見られる俳優さんでした。Wikiで出演作見ていたら、もうわしが知らないのばっかりで改めてその多芸っぷりに驚いた。

また一人、偉大な俳優さんが亡くなられたのだなぁと思うと寂しいです。ご冥福をお祈りし、代表作を見てみたいな、と思いました。ちゅうか、まじで「鬼畜」とかかけてくれんか。

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この子を残して

監督:木下恵介
出演:永井隆(加藤剛)、永井緑(十朱幸代)、緑の母(淡島千景)、ほか
原作:永井隆

「カルメン故郷に帰る」とか「二十四の瞳」とか「喜びも悲しみも幾年月」など人情物を得意とされた(と記憶している)名匠・木下恵介監督の原爆物。ラスト、エンディングとスタッフロールで流れる「原爆詩集(峠三吉)」と「水ヲ下サイ(原民喜)」の合唱が大変印象強く、20年ぶりぐらいに再鑑賞となった。
テレビ放映は1985年だった(放映前に戦後40周年記念と流れるので。そういや、わしが子どものころは敗戦記念日や原爆の日などにはこの手の映画やドラマがいつもかかっていたもので、そういう流れで「黒い雨」とか「ひめゆりの塔」とか見たものであった。そして、こうした映画を通じて、戦争がいかにむごいものかを知り、さらに興味を覚えたたきがはは、戦争のむごさ以上に、戦争を起こす人間のエゴイズムとか、ヒロヒトに代表される権力者の自己保身、さらには沖縄戦で証明された、軍隊が民衆を守らないことなどを学んでいくんである。だから、こういう映画をかけることは大事なのだ。ラストで放映当時のローマ法皇ヨハネ・パウロ二世の言葉が紹介されているが、
「過去を振り返ることは
 将来に対する責任を
 になうことです」

とは至言であると思う)。

どーでも良くないのだが、主演の加藤剛さん、たきがはも好きな俳優さんの一人なのだが、この方の俳優としての経歴の中で、1回、ヒロヒトを演じたことは生涯の汚点であると言っていいと思った。

加藤剛さんの魅力は、なんちゅうても知性溢れるきりりとしたたたずまいであろう。なんちゅうか、背筋がいつもぴしっと伸びている。間違っても粗野な役はやらない。ちゅうか、この方が演じると粗野にならんのではないかと思う。「砂の器」の犯人役然り、大岡越前然り、である。
演じる永井隆博士は、長崎大学の教授で医師。被爆する前にレントゲンを長年使い続けたため、当時の技術レベルが低かったためだと思うのだが、微量の放射線を被曝しており、余命いくばくもないことは察していた。しかし、運命の8月9日、皮肉なことにと言うか、先にこの世を去ったのは、原爆に殺された妻の緑であり、博士自身も被爆したものの、生き存え、誠、茅乃の2人の子ども、妻の母と再会を果たす。そう言えば、娘さんの茅乃さんが亡くなられたというニュースが今年の2月に流れたので、覚えている人もいると思う。ちなみに原作となった「この子を残して」を、映画を見た後に読んでみたが、永井博士の宗教観が前面に打ち出され、わしはなじめなかった(真顔で「世界を神様が作られたと信じるね」と言われても、わしは決して「はい」とは言えないし、言わんので)。映画は、おそらく木下監督の意向だろうが、あるいは脚本家かプロデューサーか、そういった宗教色は極力消しており、作中で、被爆者の治療に当たる永井博士が、「私はもう駄目です」と言った女性に「天国でお会いしましょう」と別れの言葉を告げるところ(こういうのを見ると、つくづく宗教というのは死者ではなく生者を救うためのものなのだと思う)、カトリック信者の合同慰霊祭で代表となって弔辞を読むところ、その時に妻の墓碑に「マリア」というおそらく洗礼名と思われる名が書いてあるところ、さらにおばあちゃんもカトリックなので、母の身を案じる誠に「おばあちゃんが毎日マリア様にお祈りしてるから」と答えるところとか、被爆前日の夫婦の会話に「カトリック信者として静かに死を迎えよう(この時に永井博士は自分の死期を悟っており、妻にそう告げる)」と話すところ、永井博士自身の著作にある「長崎の鐘(これはほぼ爆心地の浦上天主堂の鐘のことだと思いますが)」を掘り起こすところ、クリスマスを迎えて、いわゆる、現代のわしらが想像するような騒々しいクリスマスでなく、キリストの生誕を祝う厳かな宗教儀式としてのクリスマスの朝を迎えたことを喜ぶシーンなどに見られるのみで、やたらに長くなってしまって何がなんだかわからなくなった方のためにもう1回書くと、熱心なカトリック信者だったと思われる永井博士の宗教観は、これらのシーンに伺えるぐらいである。わしも信者じゃないんで見落としがあるかもしれませんが。
ただ、妻の最後の会話となった自身の死期についての話から察せられるように、敗戦後も自身の死を「3〜4年以内」と考えていた永井博士は、いずれ孤児になる2人の子どもたちに強くなれと願い、育てようとする。その悟り方はやはり強い信仰心があってのものか、それとも博士自身の気質によるものかと言ったら、たぶん両方なんだろうと思うのだが、その姿勢は11人もの親族を原爆で失ったおばあちゃんにはかなり冷徹なものと写っていたようだ。
やがて、せっかく建てた家も妹夫婦に譲って、自身と2人の子は如己堂(にょこどう。「己の如く人を愛せよ」という意味でつけた)と名づけた2畳の家に住み、寝たきりの生活を送りながら、著作に励むようになる。初めて長崎に行った時に記念館と原爆資料館に寄りましたよ、わしは。しかし駆け足の旅行だったんで、また行きたい。

たきがはが話の筋を忘れていたのは、ラストの「父を返せ」「水を下さい」の合唱があまりにインパクト大だったのに加えて、誠が大村の小学校に行くようになった頃から、突然、大人になった誠の回想という形でナレーションが入るせいではないかと思う。ナレーションというのはあちこちで文句つけてますが、基本的に第三者なもんで、入ると見ている側としては白けてしまうことが多いんである。で、誠のナレーションで進む博士の最後と大人になった誠自身の働きについてはきれいさっぱりすっ飛ばしたものと思われる。
最後、誠は父の遺言を思い出す。「たとえ世界中から裏切り者と罵られても、茅乃と2人、戦争絶対反対を貫いておくれ」と加藤剛さん演じる永井博士の切々たる訴え。そこに被爆した長崎の町を描きつつ(あくまでもセットなんで実際はこの数十倍、数百倍もすごいと思うのだが、それでも日本人にしか描けない光景として、「The Days After」なんて映画を作る前にアメリカ人とか世界中の人が見ておいてほしいと思ったよ)、「父を返せ」の合唱が始まる。壮絶なラストである。

粗筋書いてるんだか、感想書いてるんだか、だんだん境がなくなってきたが、淡島千景さん演じるおばあちゃんについても書く。
永井博士が「尊い犠牲」と慰霊祭で犠牲者に向かって語りかけた後、おばあちゃんは「何が尊い犠牲なものか、緑も静子も原爆に殺されたんだ」と反論する。さすがに11人も失った人である。なかなか反論しがたい重みがある。しかし、永井博士はこれに「わたしは裁くことはできない」と応えるのである。ここが生活人であるおばあちゃんと知識人である永井博士の違いなんだろうかな、と思った。

さらに、浦上の家の跡にバラックを建てて住む永井一家を、米軍がやってきて写真を撮る。被爆地を、被爆者を「ニホンの子ども、かわいいですね〜」とたどたどしい日本語を話しながら、さも無神経そうに撮る。しかし永井博士はこれに快く応じてやっただけでなく、英語で「君たちの国の人、1人でも多くにこの写真を見せてほしい。長崎で何があったのか世界中に報せてほしい」と訴えるのである。兵士たちが思わず敬礼する。決して卑屈になることもない。肩肘張るわけでもない。凛とした姿勢である。

順番が逆になったが、1981年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日、2月23日に長崎を訪れている映像がトップに流れる。横殴りの雪が降る中、日本語で短い挨拶をするのは印象的なシーンだった。
それから本編に入っていくわけだが、8月7日から始まり、運命の日、8月9日、朝からかちこちと鳴り続ける時計の音は、よく使われる手法かもしれないが、緊張感を高めていく。
また、原爆ものとしては、大竹しのぶさん演ずる小学校の先生が被爆した火傷の痕を永井博士のたっての頼みで誠たちに見せるぐらいの負傷しか描かれないのも抑えた感じがして良い。

いろいろとネットで資料を検索していたら、密林ではDVDが売られていないのを知った。こういう名作をこそ、ぜひ、後世に伝えるためにもDVD化でも、ブルーレイでもいいからちゃんと作っておいてほしい。

4月14日に追記。木下恵介監督のDVD-BOX 第6集に入ってました! リンク先は密林。

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青いサルビア?

意外と色がきれいに撮れました。でも風が吹いていたので、ぼけてるかも。



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