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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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緋色の時代

船戸与一著。小学館刊。上下巻。

アフガニスタン帰りのロシア兵、通称アフガンツィが、ウラル山脈の麓の町エカテリンブルクで起こす血で血を洗う闘争。

「黒旗水滸伝」を半端に読み始めたのだが、図書館に返さなくちゃいけないし、ほかにも読みたいの溜まってるので上下巻を一気読み。あ〜、疲れた。

ソ連邦崩壊後のロシアの状況が、あまりに凄惨で救いがないのだけど、これは船戸さんのことだから、かなり事実なのだろうなぁ。いちばん救いがないと思うのは、アフガニスタンで同志となった4人が敵味方に分かれて戦うことではなく、彼らが戦って命を落としても、その上の組織が全て、美味しい汁を吸ってしまって、彼らの死が無駄死にに過ぎないってことだ。

船戸さんの小説は、「山猫の夏」みたいに読み終わってすかっとするのもあるんだけど、デビュー作の「非合法員」みたいに読み終わっても登場人物皆殺し状態で、血なまぐささとやりきれなさしか残らないのも多い。この話は明らかに後者だ。
でも、もっとやるせないのは、こうして性格が壊れてしまったアフガンツィたちの悲劇よりも、さらに内部分裂し、アメリカ軍に今も蹂躙されているアフガニスタンという国なのだ。

だから、わしは「カブールの燕たち」を読んだ時に、そのあまりに一方的な西洋諸国からの見方を嫌悪し、今もアフガニスタンを苦しめる米軍を唾棄すべきものだと思うのだ。ちゅうか、オバマ大統領になって、少しはましになるかと思ったのに、ブッシュの時よりも増兵ってどうなのよって思うんだけど、それはまるで対岸の火事よろしく、日本という国にいて、平和を満喫しているわしが言うことではないのかもしれない。

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走れ、オプ子ちゃん!(長野無言館と上田城の桜紀行)

それは冷たい雨の降る4月16日(金)、たきがはは7時に起きて、8時にうちを出た。長野の無言館という美術館に行くためだ! Mapfanによるルート検索では推定4時間1分、途中で迷っても13時くらいには着けるはず?と踏んでの早起きだった。

まずは国道1号線を北上し、横浜新道に乗る。先日、房総半島一周の旅に出た時にはうっかり三ツ沢ICで下りてしまったものだが、今日は湾岸ルートではなく、第三京浜ルートなので、そのまま玉川ICで下ろされるまでひた走る。ぶいぶい

しかし、うちを発ってから1時間で神奈川県を脱出できず、早くも前途に暗雲が立ちこめる。その後、玉川ICを下りて、環八道路を北上、目指すは関越道路の入口、練馬ICだ!
ところが、なにしろ平日で雨のため、道路は止まりこそしないものの、だらだら走行。時計と地図とをにらめっこしながら、10時ぐらいには関越に乗れたらええの〜と適当に推測しつつ、ひた走る。

結局、10時ちょい過ぎに関越に乗れたので、今度は上信越道、東部湯の丸ICを目指してかっ飛ばす。すっかり高速道路走行時は120km/hが標準仕様になったわたくしめ、たまに真ん中の走行車線を走ることはあるものの、飛ばせるところではひたすら追い越し車線を走るという軽自動車(しかもターボでも何でもないオプティ・クラシック)にあるまじき暴挙に出る。
関越から上信越道に入るには、藤岡JCTで分岐。そこからぐっと車の数が減り、東部湯の丸IC目指して走るオプ子ちゃん。ぶいぶい

途中、横川SAで休憩。玉こんを食べ、玉こん大好きの妹さんにお土産を買う。ここに来て雨は小雨模様。持っていった大きい傘は、結局、一度も開かれずじまいであった。
さらに長野県に入ったあたりで雨は止んだものの、佐久ICまでの10個のトンネルがある区間では濃霧が発生、ヘッドライトをビームにして、ひた走る。ぶいぶい

群馬県に入ったりしながら、ようやく東部湯の丸ICで高速を下りる。

しかし、問題はここからだ。無言館は高速の入口から遠いので、ルート検索の案内マップを印刷してきていたものの、見慣れぬ道とて、どこをどう曲がるのかいまいち当てにならぬ(役に立たないじゃん!)。よって、首都圏と周辺の地図と首っ引きで、現在地を確認、まずは県道81号線に乗ればいいということが判明したので、走る。ぶいぶい

ところが、いつまでも81号線に乗っていてもいいわけではない。そのうちに「諏訪」なんて看板が見えてしまい、いや〜ん、諏訪っていったら、南長野の諏訪ですか? 諏訪湖のほとりにある北澤美術館には、たきがはがいっとう好きなエミール=ガレ作のつきよだけのランプ(リンク先は北澤美術館のサイト)があるのです〜v もう、そのままお持ち帰りしたいぐらいの幻想的な美しさで、これを見ると、美術品のために犯罪犯す奴の気持ちがわからなくないと思う(←をい)ぐらい惚れ込んでいますの。おほほほ
という点は置いておきまして(よっこらしょ)、本日の目的地は無言館ですので、諏訪は全然別方向です。むむ、そろそろどこかで曲がらねばなるまい、と信号の合間に地図を見ますと、国道152号線を経由して、県道82号線に入らなければならないようです。ふぅむ、この地図、全ての交差点名が書いてないのがわかりづらいんだよな〜 たきがはは首都圏近郊だけでも、全ての交差点名が書かれた地図が欲しかったのですが、衝動的に地図を買った時には置いてなかったのさ。コンビニだったから。ただ、日々、道路が建設されていく以上、いずれ地図は古くなりますので、そのうちにもっと大きいのを買おう。その時には交差点名が載ってるの、買おう。高いけど。絶対にわかりやすいし。
で、曲がるところを案の定間違えまして、もう、山勘で走らせます。おっと、それっぽい道路に出たぜ、いえ〜い。なに、誰に気兼ねすることのない一人旅です。そこら辺は間違っていたら、おとなしくUターンして、戻ってくればよいのですよ。幸い、オプ子ちゃんはUターンしやすいし。
としたところで、たきがは、空腹でした。ここで適当な選択をしたのが悪かった。見つけたチェーン店っぽいラーメン屋に入り、味噌ラーメンを食すも、いまいちだな〜とがっかり。無言館まで行ってからご飯にしようと思ってたんだけど、無言館の周りにレストランあるとは限らないし、いつ着くか怪しくなってきたし、と適当に決めたのが悪かったな〜

ちなみにたきがはのラーメンの美味しさ基準。

・スープを残す→うまくない
・スープを飲み干す→美味い

です。味噌、醤油、塩の順に好きで、九州にいた時にとんこつをさんざん(当社比)食べたので、とんこつはもう一生分食べちゃったから、今後は二度と食べなくてもいいかな〜と思うぐらい、とんこつは好きではありません。だから、最近、はやりの家系ラーメンてのが苦手(家系ラーメンは、わしの記憶が正しければ、90%以上の確率でとんこつ醤油味が基本)です。で、とんこつも食べるなら、博多系のあっさりとんこつは好きですが、熊本系のこってりとんこつは駄目です。
人生でいちばん美味かった塩バターラーメンは、洞爺湖畔のドライブインで食べたやつ。
味噌ラーメンは基本、どこで食べてもそれなりに食べられるので、初めての店では味噌ラーメンを注文することが多し。いちばん美味かった味噌ラーメンはいずれももうない店。
人生でいちばん美味かった醤油ラーメンは、横浜駅の西口で食べた屋台のラーメン。

閑話休題。

ま、大してうまいラーメンではなかったけど、腹はくちくなったので、先へ進みます。その時、自分がこのラーメン屋に入るように進んできた方向が逆だとわかったので逆進。やっとこ152号線に入りました。
その後、狭い道で観光バスとすれ違い(横川SAでも学生と遭遇した。旅行のシーズンには早いと思うのだが、最近の学校は始まってすぐに旅行行くのかにゃ〜)、地図を確認しつつ、13時過ぎにはまだ県道82号線を走っているような有様でした。
でも、ここに来て、やっと無言館の文字を標識に発見! 当日、わしはずーっとtwitterで実況中継(車を運転しながらなので、多少のタイムラグはあるが)をしていたので、13時半には無言館の駐車場にオプ子ちゃんを止めたのでした。



無言館の看板。



無言館の建物。中に入るとわかりますが、実は十字になってます。あんまり広いところではありませんが、じっくりと書かれた物を読んでいくと、1時間以上はかかるんじゃないかな。



桜がきれいだったので、建物を後ろに駐車場。赤丸がオプ子ちゃんです。

さらに第二展示館の失われた画布のドームにも行きます。

絵もそうなのだけど、本当はもっと絵を描きたかったのに、徴兵され、異国に、あるいは故郷に戻っても戦地でかかった病のために命を落とした人たちの1人ひとりの真実に打たれました。その年齢もみんな、今のわしよりも年下で、20代、30代の人が圧倒的に多い。中には奥さんや子どもがいた人もいるけど、結婚してわずか数ヶ月、数週間で出征しなければならなかった人たち、尊い犠牲と言うには、わしはやっぱり引っかかる。本当にこの人たちは死ななければならなかったのかとわしは思う。この人たちの死を、わしらはどんな教訓としてきたのかと思う。改めて、たとえ、その死が死ななくてよかった死だったとしても、この人たちがこうして絵を遺してくれたことを感謝して、わしはその死に恥じない生き方をしなければならないなぁと思った。

第二展示館には図書館も併設されていて、主に美術関係の本がたくさんあったのだけど、寒さがきつく、そろそろ温泉につかりたいのが本音です。で、手近な別所温泉に行こうと思っていたところ、「上田城千本桜祭」のパンフをはけ〜ん!
なにしろ、あちこちで書いて、このブログでも腐るほど書いてますが、たきがはは重度の桜きちがいです。そうでなくても今年は三春の滝桜が見たいんじゃ〜!と思っていたのに、この寒さでいつになったら満開になるのか戦々恐々としている有様です。そんな矢先の上田城千本桜だって! 見に行かなくちゃ! 桜だもの。
というわけで地図を見、上田城が意外と近いことを確認して、れっつごー上田城!



第二展示館を出たところにあったモニュメント。細長い溝に筆が埋まってます。
赤いペンキが印象的で、もしや、無言館に収められた画学生たちの筆か〜?と思ったのですが、そこまで大げさなものではなくて、現代の画学生の絵筆だそうな。確かに遺品とかだったら、風雨雪で傷むから、現実的ではないな。ペンキは、無言館の看板にペンキを塗られた事件が前にあって、いろいろな立場の人がいる中に建っているという意識のもと、復活させたそうだ。

無言館から上田城までは、駐車場を探す手間とかもありましたが、40分くらいで着きました。いや〜、なんか小雨ぱらついていて、寒いんですけど〜ッ?!

 

町中の桜。



街灯。電気じゃなくてガスってのがレトロっぽくて良い。なにより、この形が格好いい! ちなみに灯が入るとこう。↓



上田城でちょっぴり開いていた物産展で野沢菜と桜石けんを買う。真田十勇士の手ぬぐいはどうしようかと思ったのだが、十勇士と言われても、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道しか思いつかなかったので諦める(あとの7人は穴山小介(穴山小助)、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎が基本だそうで、いろいろバリエーションがあるっぽい)。ま、わし、戦国大名って、特に誰が好きってわけでもないしな(だから、基本、戦国の多い大河に興味が湧かない)。
城内をぶらついて、桜を楽しむ。



入口。



埋め立てられた外堀を見下ろしたところ。



見事なソメイヨシノ。



この木は大振りなのがよい。



といったように、城内の桜はソメイヨシノはほぼ満開。しだれ桜、八重桜が寂しかった。



内堀の桜。そう言えば、千曲川沿いにも立派な桜並木があったけど、木はまだ小振りだったので、成長したらいいだろうな。



写真を選別しないのが、写真を趣味としていない人間のがさつさであると思う。



アップも。先日、日大藤沢に桜を見に行った時に、妹さんと「桜もすね毛みたいに、下の方でちょんぼり咲いているのがいいよね〜」と同意しあったものだ。



これは櫓跡の手前から振り返ったところ。上田城には天守閣が残っていないので、見学できるのは併設の歴史資料館と美術館、櫓跡のみです。



これは真田神社の桜。神社と聞いたら、交通安全のステッカーじゃ〜!と思ったのだが、もう閉鎖されていたので買えませんでちた。



上田城からの抜け道となっていた井戸。

というわけで、1時間ほど遊んだところで、寒さが限界に達する。スパッツ履いていたのだが、寒い!
駐車場に戻り、地図を確認。いちばん近い温泉はどこじゃ〜ッ?! ええと、上田バイパス沿いに発見。
早速、向かう。
ところが、この温泉、すでに影も形もなく、途中で見つけた太郎山温泉にUターン。
30分ほどつかる。



しかし、天気予報は伊達ではなかった。太郎山温泉に到着した前後から小雨がだんだんはっきりと見えるようになり、温泉でぬくもって出てきたら、霰が降ってるじゃありませんか! ややや!
だが、これから帰り足である。

再び上田バイパスに入り、上信越道の上田−菅平ICを目指す。むぅ〜 霰はひどくなる一方である。雪にならないだけまし?

しかも、そのうちに高速の電光掲示板が出てきて、佐久−横川SAはチェーン規制とあるし。うむ〜 そのためにオプ子ちゃんにチェーンは積んである。まさか、4月になってチェーンとは… 天気予報は当たったのぅ。

そのまま、高速へ。田舎の場合、併走するルートがあっても、高速を使わないとむっちゃ能率が悪いことは九州で実装済み。多少無理があっても、わしは高速に乗るんじゃ〜!

まずは東部湯の丸SAで給油。むぅ。さすがに長野は遠い。房総半島の時は給油1回で済んだんだけどなぁ。今回はほぼ満タンでやってきたけど、途中で給油する羽目になったか。



見づらいと思いますが、降りしきる霰か雪か霙か。東部湯の丸SAにて。
ここで、ガソリンスタンドのおじさんにチェーン規制について訊いたところ、チェーンをつけているか、スタッドレスタイヤじゃないと入れないよと言うので、そんな検問があるまで、まずは走っていくべぇと走り出す。
雪のために高速も50km/h規制中。わしもふだんの2倍くらいの慎重さで走ります。

ところが、佐久ICを過ぎて、10個のトンネルゾーンに入っても、いっこうに検問が見つからず。
しかも、確かに路面に雪は積もっているが、3月に一般道を走った時のように雪降っておっかね〜!って感じではない。ハンドルを動かさないで済むから? わしの感覚が鈍ってきてるから?
幸いというか、上信越道ではチェーンをつける待避所はけっこうあちこちにあるので、まぁ、やばいなと思ったらつければいいか、と判断して、そのまま進む。

とうとう横川SAを過ぎてしまったけど、雪がやむ気配もないのに、やっぱり規制といってもかけ声だけなもんで、群馬県に入ったことだし、そのうちに雪も雨に変わるじゃろうという甘い見通しのまま、進む。

やがて、藤岡JCTから関越道に合流。雨に変わったので、今までの慎重さ(当社比)はかなぐり捨てて(だって、おなかがすいてきたから)、飛ばす。ぶいぶい

飛ばして飛ばして、なにしろおなかがすいたもんで、飛ばして、高速のSAとかでご飯食べると高いから、できたら、一般道に下りてからにしたい! どうせ、練馬ICからは一般道を走るんだから、そこで晩ご飯食べたい!と決めたものの、時刻はこくこくと過ぎてゆく。7時過ぎ8時過ぎ… しかし、わしの目算では9時過ぎくらいには下りて、練馬IC近くのファミレスに入れたはず〜という記憶を当てにして、走る走る。ぶいぶい

晩ご飯を食べたのは9時過ぎ。

その後、第三京浜からはけっこう走ったので、手前の東名高速に乗ろうと決心。先日、県央道が海老名近辺だけ開通してて、東名とつながっていたらいいな〜という甘いもくろみによるもの。

しかし、東名の入口の案内がわかりづらく(東名という看板を左端の車線に出しておいて、直前で右端の車線にしたのは誰の責任じゃ〜?! 警視庁の馬鹿たれか〜ッ?!)迷ったものの、なんとか乗って、海老名辺りまで走る。もしも県央道とつながっていなかったら、しょうがないから厚木で下りる覚悟で。
だが、わしのもくろみは正しかった! 海老名JCTができていて、東名から県央道に乗れたのだ! やった〜! 海老名の人に聞いていたとおりだったぜ〜!

もっとも、海老名ICの降り口で現在地がわからなくて、とりあえず右手に川が見えるから、あれが相模川ね〜と見当をつけて、適当に走って、知った道路に出たのはここだけの話だ。次はもっとスマートに下りるぜ〜い。

うちに帰ったのは11時半過ぎ。そう言えば、房総半島一周の旅の後は、右足のふくらはぎが筋肉痛で痛かったけど、今回はそれはなかった。
味を占めたので、またそのうちに、どっかに行きたいと思います。

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ガンダムウォーズIV ファイティングG

「Gガンダム」関連のムックで、まだ手に入れてなかったのだが、今川監督作のドモンがマスター・アジアに弟子入りした話が載っていると聞いたんで、速攻で買い求める!

モデルグラフィックスの別冊で、大半は「Gガンダム」のプラモデルをカスタマイズした写真とか方法が載っている。うーむ、プラモデルなど、生まれてこの方1つも完成させられたことのないわしには無縁の世界だ…

個人的にはデビルガンダム最終決戦編のネオジャパンコロニーに寄生したデビルガンダムが立体造形化されていたのは感涙物のできであった。いいなぁ、これ…

そして、肝心要の話は漫画原作用のシナリオメモという形で「ドモン出奔す」とあった。なるほど、ドモンが父の方針に反発して家出した、という話はここが出典であったのだな。その過程でマスター・アジアと出会ったというのも納得。そして、わしがこの説でいちばん納得できなかった、ドモンが父に反発して家出し、マスター・アジアに弟子入りしたのなら、第48話でカッシュ博士にあんなに親しげに声をかけるわけないじゃん!という点においては、どうやらこの展開だとドモンは一度、家に帰り、マスターに弟子入りしたいと表明したと思われ(話はその前で終わってる)るので、これはこれで良かったんじゃないかと思いました。

裏表紙のキング・オブ・ハート(最終話でドモンとレインの石破ラブラブ天驚拳から飛び出したおっさん)が立体のレリーフになっていて、うちの玄関にほしいなぁと思ったv

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無言館に行ってきた

場所はこちら(リンク先はグーグルの検索結果)。

先の戦争で亡くなった画学生の絵を集めた美術館です。ずーっと見に行こうと思っていたのですが、長野の北の方とちと遠い印象があったのでなかなか行けずにいました。でも、ぷー太郎で時間はあるもんですから、ちょっとMapFanでルート検索をしてみたんですよ。最近、そうでなくてもオプ子ちゃんであちこち行くのに凝ってるもんで。そうしたら、片道4時間ぐらいと出まして。4時間だったら、うちを9時に出て、およそ13時には着く計算です。1時間ぐらい見学しても18時には戻れます。実際には渋滞とか発生するでしょうし、せっかく長野まで行って、無言館だけというわけもありませんので(たきがははもったいながりやで、めんどくさがりやです)、現地で3〜4時間ぐらい遊んでくるでしょうが、十分、日帰りの範囲です。れっつごー、長野。

で、実際にはまた別に記事を書きますが(ついでと称して、上田城の桜も見てきたからで〜すv)、片道4時間半ぐらいかかり、うちに着いた時には夜中近かった上、上信越道では雪に見舞われるわ、帰りは雨だわとけっこうな道中でしたが、ま、無事に行って帰ってこれたんで、まずは無言館に行ったという記事だけアップします。写真なんかは長野紀行として、また別に。

「きけ、わだつみの声」とか読んだ人には、きっと、ああと思われると思います。絵の才能を持っていながら、不本意にも出征させられて、殺されてしまった人たちの絵です。それは、ただの遺作ではなくて、遺族の方たちが一生懸命守ってきた絵であり、若い命(大半の方が20代で、中には30代、40代の方もいましたが、40代は例外で、30代は十分若いと思います)を散らさねばならなかった人たちの心の叫びでもあるのだろうと思いました。
そして、それらの絵は、残念なことに万全の状態で残されたり、守られたりしてこなかったのがほとんどなので、画布からはがれていたり、しみがあったりしています。逆に言えば、名のある画家たちの絵はご大層に守るくせに、国のために命を捧げなければならなかった彼ら、無名の画家たちの絵を守るために、日本という国が何もしてこなかったことの証拠でもあるのです。確かに、敗戦後、日本は立ち直るために必死で、食べていくだけがやっとだったはずだ、という意見もあるでしょうが、同じ状況にありながら、遺族の方たちが守ってきたことを国ができなかったという事実は厳然として変わることはないのであり、そのための責任は問われるべきだと思います。それは、どんなにトキという鳥が日本の空を飛び、子孫を残しても、日本人が一度、ニッポニア・ニッポンという鳥を絶滅させてしまった、という事実と異なるものではありません。さらに言えば、こうして無言館という施設が建ち、絵を保存し、展示しているのも民間の努力であり、日本の公設のものではないという点からも、日本人が、将来に伝えていくべき事実をこうして見逃しているという明らかな証拠ではないかと思います。しかし、世界的に、こういう美術館というのは稀少なものなのか、わしは知らないので、これ以上の言及は避けておきます。

もっと絵を描きたかったのに、日本が起こした戦争のために死ななければならなかった人たち。
ですが、その後ろには、さらに多くの、残すべきものも残さずに死んでいった人たちがいるわけで、亡くなったという事実を確認することもできなくなってしまった人たちがいるわけで、彼ら画学生たちは、こうして絵を残すことができる点において、まだ恵まれているのだなぁと感じました。
そういう意味では「きけ、わだつみの声」に掲載された人たちもごく一部で、さらに言えば、あの戦争で日本軍が殺したアジアの人たちの声にも思い至ってしまうのです。
だからこそ、犠牲者の声は尊く、そこには動かすことのできない事実があるのだとわしは思うのです。声も出せなかった大勢の犠牲者の代わりに、声を上げることを選んだ勇気ある人なのだと思います。

画学生の人たちは全国にいたのですが、やっぱり知っている地名を見ると、親近感湧きますね。
中には敗戦後、戦死とかあって、それもうどうなのよ、と言いたいのですが。部隊長の責任とかをですよ。負け=武装解除じゃないからかな。でも、俺は「硫黄島玉砕」でも書きましたけど、負けとわかっているのに全滅するまで戦わせるトップってどうなのって思うので、おかしーなと思ったんですけど。

最後になりましたが、館長の窪島誠一郎さんが、無言館開館の日に読まれた詩を引用させてもらいます。

あなたを知らない

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ

あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色だ
あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちの誰もが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ

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にあんちゃん

監督:今村昌平
出演: 安本喜一(長門裕之)、安本良子(松尾嘉代)、安本高一(沖村武)、安本末子(前田暁子)、坂田の婆(北林谷栄)、学校の先生(穂積隆信)、辺見のおじさん(殿山泰司)、ほか
原作:安本末子

わし的にはキャスティングに「大滝秀治」とあっただけで、目を皿のようにして見てましたが、高一が夏休みのあいだ、バイトしたうちのおっさんだな。バイト代1400円から雑費と称して200円も引くごうつく親父だ。
あとは西村晃さんとかも出てたそうなんですが、どこにいたの〜?? あ、風呂焚きしてたおっさんか?

10歳の少女、安本末子さんが綴った日記「にあんちゃん」を映画化。そういえば、わしが子どもの頃は「つづりかた兄弟」とかいう、やっぱり貧乏だけど綴り方が上手な兄弟の本とか読んだものですが、あれと同系統か。しかし、あの話、最後はけっこう悲惨だった記憶があるのだが…

炭鉱のある、九州の島で暮らす四人兄弟が、親は亡く、ばらばらになっていっても、くじけないで生きていく姿を描くヒューマンドラマでやんす。

なんちゅうても、タイトルになってます、にあんちゃん(二番目のあんちゃんだから)のキャラが良いです。末子が10歳だから、にあんちゃんはおそらく12歳ぐらいと見ました。知恵が回ります。活発です。兄妹思いです。そして、何より力強く、前向きなのです。
だから、親も亡い、兄弟もばらばらになっていても、でも、話のトーンが全編、陰湿さ、暗さが少ないです。ばらばらでも、兄が、姉が、弟が、妹が、それぞれの家族を気遣い、また周りの人たちも炭鉱が閉鎖し、人が去っていくところを温かく見守る風もある。

ほのぼのというトーンにはほど遠いのですが、前向きでひたむきなにあんちゃんに、ほっとさせられる、暖かい話です。


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