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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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青梅雨・手袋のかたっぽ

永井龍男著。昭和文学全集10。小学館刊。

まだまだ続く車谷さんの小説。「青梅雨」です。

ある初老の夫婦が、その姉、養女とともに借金を苦に一家心中をした日の晩を描いた短編。とかくセンセーショナルに扱われがちな一家心中の裏にある、一家の心のひだといいましょうか、とてもこれから心中しようとしている人たちとは思えないような穏やかなやりとりが描かれてました。むしろ、もう死ぬと決めたから、この人たちはこんなに穏やかでいられるのかもしれません。自己破産とかなかった時代の話かな。

「手袋のかたっぽ」は、日本が中国東北部に満州という傀儡国家を築いていた時代、著者が北京に行き、たまたま知り合った商社の男性と昵懇になり、中国に来ることになったきっかけを語った話、だと思うんですが、短いなかにけっこうあれこれ詰め込まれていました。

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楼蘭

井上靖著。昭和文学全集10。小学館刊。

同じ巻に井伏鱒二、永井龍男、宇野千代も入ってます。長編は収録してませんが、代表的な中編・短編をまとめて読むにはいいシリーズなのです。たきがは家では本棚の肥やしとなってますけど。

というわけで歴史物の井上靖です。最近、寝る前に何か読んで寝る習慣がついているので、短い「楼蘭」を読んで寝ました。

「楼蘭」の名が日本でメジャーになったのは、なんといっても砂漠で発掘されたミイラの少女が日本に来た時ではなかったかと記憶しておりますが、わしも多分に漏れず、これで「楼蘭」を覚えました。桜に蘭とは、またきれいな字面の町だな〜と思ったことを覚えとります。

ただ、実際の楼蘭はそんなにきれいな町ではなくて、中国が漢だった時代、北に匈奴という中国の歴史の中でも最大の強敵がいた頃、ロプノールのほとりにあった小国は東に漢、北に匈奴という大国に挟まれて、いろいろと苦労していたんだよ、という話でした。しかももともとの楼蘭の場所から移動させられ、楼蘭といったらロプノールのほとり以外には考えられなかった楼蘭の人びとは、新しい町を鄯善と名づけ、いつか楼蘭に戻る日が来ることを願っていたというくだりになりますと、島国日本には経験のない、地続きの大陸ゆえの悲劇というのは、ヨーロッパでもどこでも変わらぬものだなぁと思いました。

楼蘭で見つかった少女のミイラの正体については、「シルクロード」シリーズの神坂智子さんも推測していたなぁと懐かしく思い出した次第。

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遙拝隊長・山椒魚・さざなみ軍記・屋根の上のサワン

井伏鱒二著。昭和文学全集10。小学館刊。

戦争で負傷し、気が狂ってしまったために、今も戦争中だと思い込んでいる男の姿を描く。

遙拝というのは天皇のいた方向を拝むことかと思ってたら、広辞苑を調べたら単に「遙かに遠いところから拝むこと」と読んで字のごとしでした。
まぁ、南方の戦線から拝んでるんだから合ってるのか。

「山椒魚」もそうですが、全然救いのない話で、なにしろいまだに戦争中だと思っていて、村の人も部下だと思い込んでいるところもあって、いろいろと周囲とトラブルを起こすんですが、まぁ、同じ村の人なんかは同情半分もあるようで、そこはそれ、なぁなぁとまではいかないんだけど、丸く収まっちゃうんですな。それが救いと言えば救いか。

しかし、この主人公の場合は気違いですから戦争中だと思ってますが、「はだしのゲン」とか読んでると、戦後だというのに戦争中の意識丸出しのおっさんとか出てきたりするんで、そっちのがずっと怖いよね。
あと「731」関係の本を読んでいると、戦争中に上官だった奴って、戦後になってもずーっと威張りちらしてますよね。時代錯誤も甚だしいていうか、救いようのない馬鹿っていうか。
そう考えると、戦争で時間が止まってしまった気違いと、どっちがいいのかと思ってしまいますよ、わしは。

あと「山椒魚」も読んだんですが、これも救いのない話でした。というか、これは何かのたとえ話か? 原子力村=山椒魚、わしら=カエルという読み方をすると、ますます救いがなくなってきますよ。井伏鱒二、半端ねぇ…

「さざなみ軍記」は源平合戦の話。狂言回しは平家の若さまで、平知盛の息子らしいんですが、わしもそこの人物関係を完全に把握しているわけではないので、名前が出てきませんでした。その人の手記を現代語訳した、という体裁を取っています。
歴戦の強者ということで覚丹(かくたん)という僧兵と、宮地小太郎という老兵のおっさんが出てきて、いい味を出しておりますが、何か話が壇ノ浦まで行かないで途中で終わっちゃうのよね。わけわからん。
西方に落ち延びていく平家に対し、覚丹が義経に追われている時に、今のうちに迂回して都を攻めようとか言ってるのに、平家が消極的な策しか取らないとか、負けるべくして負けたのかな、という感じもあるんですが。

「屋根の上のサワン」はいちばん短い話で、傷ついた雁を拾って、サワンと名づけて、風切り羽根を切って飼っていたけど、ある日、サワンはほかの雁と一緒に飛んでいってしまいました、という話。

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黒い雨

井上鱒二著。昭和文学全集10。小学館刊。

原爆を扱った小説としては最高峰に位置する名作。すーちゃん出演で映画にもなりました。重松役は小林敬樹さんだったかと記憶しておりますが…うろ覚え。

原爆症の疑いをかけられて、縁談が次々に破断してしまう姪の矢須子のために、閑間重松が自らの被爆体験を綴った被曝日誌を清書する。それにより、まるで見てきたように広島の町がいかに被曝し、人びとが傷つけられ、狼狽え、死んでいったかを読者も鮮明に知ることができるのは、著者自身の体験もあるのでしょうか。淡々とした描写ながら、内容は壮絶なもので、むしろ、難しい言葉を使わないだけにその怖ろしさが却って目に浮かぶようで、わしは丸木夫妻の「原爆の図」とか、広島の平和記念館で見た遺品や写真を思い浮かべながら、読んでおりました。

重松は姪のために被曝日誌を清書するわけですが、姪は健康なのだと証明したいのに、むしろ綴れば綴るほどそれができないのが見えるようで、姪が表に出てくることはほとんどないんだけど、すーちゃんのイメージと「夕凪の街桜の国」の皆実のイメージとかもかぶさって(全然違うシチュエーションながら、何年も経って原爆症が現れたという事態は同じだったりする)、原爆反対と叫ぶわけでもなく、戦争反対と唱えるわけでもなくても、根底に流れるのはその思いだなぁと感じました。

しかし今の日本、矢須子のように将来、癌を発症する若い人は大勢いると思うので、何のための戦後60年だったのかという一抹の空しさもなくはありません。

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雲の墓標

阿川弘之著。昭和文学全集21巻。小学館刊。

学徒出陣した京大文学部の学生の日記という形をとって、特攻兵の心情や心の変化を綴った小説。

主人公の吉野が中心なのだが、「きけ、わだつみの声」なんかにも出てきそうな日記で、正直、違和感ないのが新鮮みがないというか。むしろ小説なんかより実際の手記読んだ方がよくね?っていうか。
むしろ、戦争に反対しながら、出撃する前に事故死してしまった藤倉の方がよほど共感が持てる。藤倉も恩師への手紙という形で自らの心情を綴っている。
ラスト、おそらく回天だと思うんだけど、吉野たち4人のなかで唯一生き残った鹿島が、死亡フラグ立てまくっていただけに意外。

あと、吉野たちが出水の海軍基地に赴任して、水俣に行って、地元の名家と昵懇になったというエピソードは、水俣だったら名字は「深井」じゃなくて、もっと見かけるのあったな〜と思ったよ。

作者にとっては不本意な読み方だと思うんだけど、吉野の文章があまりに最後まで理路整然としていて、特攻兵の死が美化されているようで、そんな意図はないとわかっているんだけど、もう少し人間くささを見せてほしかったと思った。

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