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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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誕生日プレゼントもらっちゃった〜

相変わらず停滞しまくりの当サイトですが、やなみきさんからお誕生日プレゼントをいただいてしまいました。

うっふっふっふ〜 デネブ姐さんですよ。コケティッシュな魔女ですよvv

しかし、これは「いつまでも本編放っておかないでさっさと書きなさいね」な意も暗に込められた眼差しかもしれません… 「秘史 Stage 14」は、ただいま校正中〜

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無言歌

監督:王兵
出演:李民漢(ルウ=イエ)、顧(菫の妻)(シュー=ツェンツー)、菫建義(ヤン=ハオユー)、草の種を拾う老人(リー=シャンニェン)、ほか
見たところ:川崎アートセンター アルテリオ・シネマ
原作:告別夾辺溝
2010年、香港・フランス・ベルギー

1957年の中国・ゴビ砂漠の夾辺溝農場。右派と批判され、過酷な労働にあえぐ男たち。中国を襲った飢饉のために労働は一時中止となるが、毎日の粥は薄く、男たちは次々に死んでいく。家族に手紙を書くことが許されてはいるものの、それが届くあてもない。そこに夫を訪ねて、1人の女性が上海から現れた。彼女の夫はすでに亡くなっていたが、葬られた場所を探す彼女の姿に、男たちの心は揺れ動くのだった…。

重い話です。文革の批判は、さすがにタブーではなくなった中国ですが、こちらはそれ以前の問題で、かの毛沢東が現役ばりばりのころにやっちゃった(最初に「好きなこと言っていいよ〜」と言ったのに、翌年には言った人びとを右派と批判して、労働改造所に送り込んだ)事件なもので、毛沢東を未だに神聖視したがる中国ではタブーなんだそうです。だから、この映画、中国でロケはしてますが、未だに上映できません。という話は、映画を見た後で佐藤忠男さんのトークがありまして、話してもらいました。

よって、この映画はフィクションの形を取っていますが、原作があり、生存者へのインタビューも行い、特別出演の「草の種を拾う老人」役の方は生存者のお一人なんだそうです。
だから娯楽色は一切なし。音楽もラストにかかるぐらいで、笑いたくなるシーンがまったくありません。「酔っぱらった馬の時間」にも共通するような事実の重さです。

ですが、たきがはは基本、日本人ですし、どうやら311以降、常に日本に引きつけて考えずにいられないのですが、この夾辺溝にも匹敵するような日本でのタブーといったら、何があるでしょうか? 南京大虐殺? 昭和天皇? 731部隊? そういう映画を日本で撮りたいと思ったら、まず撮ることができるだろうかと思うのです。それを上映できるかどうか以前の問題です。そう考えた時に、少なくとも中国では、上映することは許さなくても撮ることは許している。日本で同じようなタブーに踏み込もうとした時にどうだろうか? まず、右翼の妨害に遭って、撮ることもできないんじゃないだろうか? 中国が、この映画の上映を許さないからといって、日本人がその国をあげつらうことなどできないのではないだろうか?

文革の前哨戦とも言われるこの事件の重さを噛みしめながら、同時に日本という国の、世界的に見ても遅れているところを考えずにいられませんでした。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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花奈ガーデンに行ってきた

平塚の花奈ガーデンに行ってきました。バラが満開だというので、厚木のちゃんこ屋に行くついでに寄ってきたのです。バラも満開で見頃、付属のレストランのピザも美味く、ドリンクバーとは思えない珈琲もまずまず、ショップも見応えがあり、ついでに隣のJAショップにも寄って、今年の新生姜を仕入れた上、平塚産の胡瓜も手に入れて、なかなか充実した感じ。

とりあえずデジカメは持っていったんで、バラの写真を電池の許す限り、撮りまくってみました。
この時期のみの豪華絢爛な花の宴、お楽しみください。

入ってから、ずーっとぱちぱち撮っていたんで、何枚になったのか知らなかったんですが、ブログにアップしようとデジカメからコピーしたら、100枚を越えてやがったんで、あとは続きを見てねん。

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幻夜&銀鈴(エマニュエルとファルメール)

もう一人の主人公というか、父親から大きな遺産を負わされたという点においては大作と表裏一体をなす人物です。ただ、DVD-BOXの今川監督のインタビューには、幻夜は大作がなるかもしれない未来像であり、その場合は悪のように言われてもいますから、まぁ、もう一人の主人公というとらえ方でおおむね間違ってないだろうと思います。

幻夜の場合、大作が最終決戦まで父親の遺言について悩み、惑い、迷い、それでも決してぶれることなく考えているのに対し、フォーグラー博士の「シズマを止めろ」という遺言を復讐と思い込み、99%達成したところで大どんでん返しを喰らうという点では、地球静止作戦のぶっちゃけ諸悪の根源でもあるのだけれど、10年間が報われると思った寸前だっただけに、よけい、落としぶりが酷く、ましてや実妹・銀鈴を撃ち殺しての真実に至っては、もはや何の茶番か悪い冗談かと一転して気の毒になったものであります。

しかし、たきがはの場合、ここら辺から例によって妄想が働き始めるのですが、幻夜の行動は基本、フォーグラー博士と銀鈴を外して考えることはできません。そして、まずわしが考えていたのは、幻夜のことではなくて銀鈴のことを考えていたのがきっかけでありました。

Episode 6のラスト、催眠カプセルに閉じ込められた銀鈴は、大作の必死の叫びもあったのでしょう、ついに目覚め、大テレポートで梁山泊を聖アーバーエーに移動させます。その時とLast Episodeで大作に繰り返し語ったのは、「お父様を愛しているの」「お父様を信じているの」ということでありました。
さらに大怪球に入っていった銀鈴は、恋人の村雨健二に先へ進む助けとなってもらい、「そのサンプルはおまえの信じるように使えばいい」「なぁに、おまえは間違っちゃいないさ」と言われて、明るい顔で頷いています。もっとも、この時に彼女が何を考えていたのかは不明のままですが、最初に大作に「お父様を信じている」と言ったように、また再三、大作が「銀鈴さんのお父さんが、そんな恐ろしいことをするわけがないじゃないか」と言っていたように、3つのアンチ・シズマ・ドライブが揃った時に「地球の酸素が失われる(視聴者にもこうミスリードさせるよう、オープニングから周到ですよ、監督)」や、「バシュタールの惨劇を再び」と考えていなかったのではないかと思えるわけです。村雨に見せた笑顔と「お父様を信じている」という言葉からの推測でしかありませんが。
ところが、ようやく兄のもとに至った銀鈴は、幻夜から3つめのサンプルを渡すよう迫られ、これを拒みます。もしも彼女が、大作の言ったように「アンチ・シズマ・ドライブが3本揃った時に恐ろしいことは起こらない。つまりフォーグラー博士はそんな恐ろしいことを企むような人物ではない」と信じているのならば、何もここで幻夜にサンプルを渡すことを拒む必要はないわけです。素直に渡して、何が起こるのかを幻夜と見守れば良いのですから。しかし、彼女はこれを拒んだばかりか、大テレポートにより半身を失った自分を恐れる幻夜の目前で、「こんな物、10年前に壊れてしまっていれば良かったのよ」とサンプルを壊そうとするのです。結果、銀鈴は取り乱した幻夜に銃で撃たれて絶命、ついにアンチ・シズマ・ドライブを3本揃えた幻夜は、ようやく父の真意を知るという結末に至るわけですが、ここで銀鈴の言動に疑問を覚えた諸氏は少なくありますまい。わしが言ったように、本当に「お父様を信じている」のなら、幻夜にサンプルを渡して何が起こるか見ていれば良いのですが、彼女はそうしようとはしなかったからです。
さてここで、なぜ銀鈴がこんな行動を取ったのか、考えてみました。

銀鈴は確かに父フォーグラー博士の善意を信じていました。Episode 6で「明日への希望」をバックに子どもたちに明るい未来を信じ、語るフォーグラー博士は、良心的な科学者であり、善意の人でした。バシュタールの惨劇で呉学究とともに一命を取り留めた銀鈴は、父と兄が助かったことも知らぬまま、国際警察機構に身を寄せます。彼女はEpisode 5で幻夜から父の最期を知らされるまで、父がどんな死を迎えたのか知らずにいましたが、父の遺言(と幻夜が思っていた)を知らされて心が揺れ、催眠カプセルに閉じ込められてしまいました。でもEpisode 6での十傑集による梁山泊襲撃に遭い、大作の必死の呼びかけに応えて、大テレポートを決行します。
しかし、いくら信じていても、いくら愛していても、フォーグラー博士は故人です。銀鈴にとり、父と同じくらい敬愛していたのが兄エマニュエルだったのではないでしょうか。しかし、10年ぶりに再会した兄は、復讐の鬼となり、父の遺言と言って世界を破滅へと導こうとしていました。
Last Episodeで、ジャイアントロボに総攻撃を受け、ぼろぼろになった大怪球へのダメージは、すでに内部にいて、兄の元へ向かっていた銀鈴にも知られたことでしょう。それまで手も足も出なかったはずのジャイアントロボに、半壊にされてしまった大怪球。これまで国際警察機構に身を置き、BF団との激しい戦いをくぐり抜けてきたであろう銀鈴には、もはや大怪球と兄の敗北を知ったはずです。起死回生の手段などない。致命的な敗北だと悟ったはずです。
ところが、ようやく兄のもとにたどり着いた銀鈴の持つサンプルを目にした幻夜は、まだ間に合うと言って復讐を諦めません。すでにこの時、大テレポートの影響で半身を失っていた銀鈴には、そんな兄の往生際の悪さは、最後の土壇場で改心してほしい、こんな恐ろしいことを止めてほしい、復讐なんて忘れてほしい、優しかった兄に戻ってほしいと思っていたであろう銀鈴にとり、思わず絶望するようなものだったのではないでしょうか。兄妹仲良く、失われた10年間を語り合う時間も銀鈴には許されていないのです。そのことは半身を失った彼女がいちばんよくわかっていたはず。それなのに、やっとたどり着いた兄は復讐に凝り固まり、自分の姿を見ても脅えるだけ。そのことが彼女に第三のサンプルを壊そうとさせるほど絶望させたのではないか、そう思ったのでした。
だから銀鈴は大作に語った言葉に反して、サンプルを壊そうとしたのではないか。その結果、彼女は兄に撃たれて絶命することになってしまったのではないかと。

と、悲劇のヒロイン銀鈴の行動にもっともらしい理由をつけてみたわけです。

しかし、そこで止まらないのがオタク道。では何が幻夜にそこまで復讐の鬼をなしたのか? そこからようやく本日の本題「幻夜」に至ります。

まぁ、長いんで、お茶でも飲んで、一休み。(* ̄∀ ̄)_且

さて、幻夜を語るに当たって、忘れてはならないのがEpisode 5で語られる過去話です。ここのシーンは、その前の「真実のバシュタール」から緊迫感あふれて、音楽の効果も相まって好きなシーンの1つなんですが、幻夜が語るフォーグラー博士の最期は、何回見ても狂気と絶望感にあふれていて、ぞくぞくしちゃうのです。
前にわしは言いました。「フォーグラー博士の死に立ち会ったのはエマニュエルだけ。彼が語ったことが脚色されてないとは言えない(元ネタが見つかったのでリンクを張りました。コメントたぁ、予想もしなかったわい)」と。その考え方をもう少し進めてみます。
この考え方は、もともとフォーグラー博士の「遺言はちゃんと残せや親父!」に、ちょっぴり異論を唱えるものであるですが、あくまでこういう考え方もあるという程度に受け取っておいてねん。
Episode 5で「人知れぬ涙」がコーラスなしで流れるシーンの絶望感は、「ジャイアントロボ The Animation〜地球が静止する日」においても屈指のものであります。まぁ、そもそもそんなにないんだけど。では、その絶望感は誰のものでしょうか? 完成したシズマ・ドライブを見るなり、研究室に閉じ籠もってしまった父を、「待つことしかできなかった」と語るエマニュエルのものであるのは間違いありません。少し話は飛びますが、この後、フォーグラー博士が亡くなり、孔明に見出されたエマニュエルは、10年後、復讐鬼・幻夜となって地球静止作戦を敢行します。父フォーグラー博士を「世界の破壊者呼ばわり」する世界、父に全ての罪を押しつけたシズマ博士たちに復讐をするために。けれど、その発端は本当に父の「シズマを止めろ」だけだったのでしょうか? ただ父を待つエマニュエルは、父の身を案じると同時にいろいろなことを考えていたでしょう。生き別れた妹の安否もそのなかにはあったに違いありませんが、いちばん強かったのはシズマ博士たちに対する怒りだったのではないでしょうか? 世間から身を隠し、人びとが「忌まわしい地」と忌み嫌うバシュタールの地下に隠れ住んでいる自分、本当ならばシズマ・ドライブ開発の栄光と賛美を手にしているはずだった父、幸せだった暮らしを足下から全て破壊した張本人たちが浴びている賛辞、そうしたことの元凶に対する怒りは相当なものだったはずです。幻夜自身は「本来ならばクラシックとワインを愛する穏やかな性格」というのが公式設定ですが、おとなしい人ほど怒ると怖いと言いますでしょ? エマニュエルもそういうところがあったんだろうと思います。
そう、誰よりも復讐の意志に凝り固まっていたのは、フォーグラー博士ではなく幻夜、すなわちエマニュエル=フォン=フォーグラーであったろうと思うわけです。
ここで話がLast Episodeまで飛びますが、真実を知った幻夜が銀鈴を抱いて泣き叫ぶシーンがありますでしょ? 「こんな恐ろしい物、僕にどうしろっていうのさ?」と嘆くシーンです。わし、ここは実は幻夜の心理を表わす重要なポイントだと思うんですが、ふだんの幻夜って「わたし」なんですよ、一人称。「僕」なんて言ったのは後にも先にもここだけなんです。
これはわしの持論なんですが、「Gガン 第44話」で、ドモンがシュバルツに「キョウジごとデビルガンダムを討てぇっ!!!」と言われて「僕にはできない!」と返すシーンがあります。ドモンの一人称もふだんは「俺」です。「僕」なんて言ったのは、子ども時代を除くとここだけなんです。ここはドモンの声を当てた関智一さんのアドリブなんだそうですが、このシーンを見た時にドモンはキョウジの前では別れた10歳の弟のまんまなんだなぁって思いました。第44話で吊り橋を渡るのに兄にしがみついてべそをかいていたドモンまんまなんだなぁと。それを「僕」の一言は表現してるんだと思いました。
幻夜の場合もそれと同じなんです。立派な大人になった幻夜ですが、実は心のなかは18歳、父を失った時のエマニュエルのまんまなんだと思うのです。それが「僕」。優しい、立派な科学者であるお父様がいた子ども時代のエマニュエル、そのお父様を「世界の破壊者」と罵る世界、そんな冤罪を押しつけたシズマ博士たちへの怒りを抱いたエマニュエル、それが幻夜の真実の姿であり、3本のアンチ・シズマ・ドライブの目的を知らされた時に、それまでかぶっていた復讐鬼の仮面が外れてしまったのではないかと思ったのです。

ここでようやく話が上の銀鈴につながりますが、銀鈴が10年後に再会した兄は、父の語った理想も忘れたような復讐鬼でした。父を信じたい、父が残したというサンプルを信じたいと思うも、兄の変わり果てたと言ってもいい姿に絶望して、銀鈴はサンプルを壊そうとしたのではないか。
それが幻夜と銀鈴、エマニュエルとファルメールという兄妹の悲劇だったのだろうと思います。

ところで、10年も3本のサンプルを持っていたBF団は、3本のサンプルを一度でも揃って動かそうとは思っていなかったんだろうな… そうすりゃ、フォーグラー博士のほんとの遺言、見られるもんね… そうなったら、この話自体が成り立たないもんね、という突っ込みはしないのがお約束!

と、枕ばっかりクソ長くて、肝心の結論はしょぼいような気もしますが、幻夜について思っていたことを、先日、REOさんとオフ会した時にけっこうまとめて話せてすっきりしたので、改めて文章にしてみました。REOさん、ありがと〜 (o ̄∇ ̄)/

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アイシールド21 第13話〜第16話

えらい間が空いてしまいましたが、GW前に見終わってました。第12話で葉柱に恐怖を植えつけられた瀬那が、進のことも思い出して、再びアイシールド21として立ち直り、賊学戦に勝利する第13話、賊学戦の勝利でアメフト部に入部希望者が殺到。ヒル魔は東京タワーを借り切って、選抜テストを行う第14話。アニメ・オリジナルの第15話、第16話です。

第13話は、こうして、ちょっとずつ凛々しくなっていく瀬那が良く、わし的には燃えポイントなのです。好きなキャラはヒル魔、栗田、ムサシなんだけど、瀬那が少しずつ男の子から男の顔になっていくところはわくわくするのでした。

第14話では重要なレギュラー、小結大吉と、雪光学が登場、テストに合格します。なぜかテストに参加してしまったハァハァ三兄弟も、小結と張り合ったことでテストに合格し、入部することに。ラスト、やっと展望台にたどり着いた雪光の袋に氷を入れたヒル魔は、雪光を合格にしますが、アニメのヒル魔、甘いなぁ。原作だと袋のなかに1つだけ氷が残っていて、ヒル魔がそれを見つけたとなってるはずなんですが。それでもいいと思うんだけど。雪光はなかなか試合に出してもらえなくて、ベンチでチームの勝利に涙するという話があって、トレーナーのどぶろくさんが「お前はこれからだ」と慰めているのが印象的だったんだぜ。

第15話、第16話はどっちでもいい感じです。もともと、こういう原作付きのアニメって、原作の再現度がたきがは的には重要なポイントだったりするので、オリジナルな展開は望んでいないんですよ。それよりも王城戦で終わってしまったアニメが、是非、白秋までやってほしかったよとか思うのでした(白秋戦もいろいろあるんだけど、優しいラインマン・栗田が仲間を守るため、怒りに目覚めるというシーンは栗田好きとしては捨てがたいもんで)。

「ジャイアントロボ The Animation〜地球が静止する日」も全7話、GinReiシリーズ全3話も見終わったので、また引き続き、見ていこうと思いますよ。

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