監督:新藤兼人
出演:石川孝子(乙羽信子)、岩吉(滝沢修)、咲江(奈良岡朋子)、孝司(宇野重吉)、おとよ(北林谷栄)、船長(殿山泰司)、馬喰(東野英治郎)、ほか
音楽:伊福部昭
原作:原爆の子〜広島の少年少女のうったえ(編集:長田新)
1952年、日本
「
ひろしま」と原作を同じくする新藤兼人監督の映画です。
瀬戸内海の小島の小学校で教師をする石川孝子は、夏休みを利用して広島に帰郷する。戦中、幼稚園の先生だった彼女は、かつての教え子たちに再会したいと思っており、孝子自身も両親と妹を原爆で失った被爆者であった。今も瓦礫のままの実家に寄り、1945年8月6日当時のことを思い出す孝子は、広島の町を歩いていて、かつて石川家の下働きをしていた岩吉と再会する。被曝して大火傷を負い、目が不自由になった岩吉は物乞いをして暮らしており、今は孤児収容所に預けた孫の太郎とともに暮らすのだけが生き甲斐だった。孝子は生き延びた3人の教え子に会うが、サンペイは父を原爆症で亡くしたところで、トシコは原爆症で死を迎えようとしており、唯一、ヘイタだけが両親は原爆で失ったものの、兄2人と姉と暮らしており、その姉も原爆の後遺症で少し足が不自由になったものの、孝子が訪ねた晩に嫁にいくということだった。孝子は孤児収容所で重労働に従事する太郎を見、岩吉に太郎を引き取りたいと懇願するが、岩吉は頑としてこれを拒むのだった…。
「
ひろしま」でかなり批判的な記事を書きましたが、たきがは、散発的な映画は嫌いです。映画にはたいてい、監督や製作が言いたい・盛り込みたいテーマというものがあって、そのために脚本を書き、演出をするものだと思ってますので、その言いたいことが何だったのかわからない映画というのは、映画として失敗とまでは言いませんが、わしの好み的には嫌いです。なかには「問題が定義できればいい」とか「観客が見て何か感じてくれればいい」という監督もいると思いますが、わしのなかでは評価に値しない映画です。
そういう観点というか好みの人ですんで、この映画が石川孝子という女性の視点で、4人の子どもたちに焦点を絞ったのは(やや太郎と岩吉関連のエピソードが長いですが、岩吉は元々石川家で働いていたので、孝子にとっては身内も同然な扱いなので、当然と言えば当然と言える)、正解だし、わかりやすいと思いました。
原爆の悲劇というのは、100人いれば、100通りの悲劇があるわけで、十把一絡げに「犠牲者100人」と言えるものではないはずです。しかし、その中からどれを選ぶかは監督や脚本の主観が入るのも当然で、だからこそ、わしはいろいろな原爆に関する映画を見、本を読むわけでして、どれを選んじゃいかんとかそういう話ではないのです。たかだか2時間足らずの映画で全てのエピソードを描ききることなどできるはずがないのだから、その中からいくつかのエピソードを選んで、それで映画を撮ってもらいたいと思ってるのです。
終盤、孝子から再三、太郎を引き取りたいと言われ、「武士は食わねど高楊枝」よろしくかたくなに拒否する岩吉。太郎自身も祖父と暮らす日を楽しみにしており、離れたくないと泣きます。でも、7歳の子どもが就労するにはあまりに酷な環境、いつ倒れるかわからない被爆者の自分、寒くなると火傷の痕が刺すように痛むと言った後遺症など、まさに断腸の思いで太郎を孝子に託す岩吉は、滝沢修さんの名演もあって、胸が詰まりました。
キャストに「大瀧秀治」の名前があったので、てっきり大滝秀治さんが出演してるのかと思ったら(劇団民芸だし)、WikipediaにもGoo映画にもキャストに載っておらず、Wikipediaの大滝さんのページで「映画デビューは1955年」とあったので、同名の別人らしいと判明しました。な〜んだ (´・ω・`)
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