瑞慶山茂責任編集。宇都宮軍縮研究室編集協力。高文研刊。
サブタイトルは「日本とアジア・和解と恒久平和のために」です。
600ページもの大著ですが、責任編集とあるようにいろんな弁護士が、自分が担当したそれぞれの裁判を解説する内容になっているので1つ当たりの記事は10〜20ページ足らずで、わりとすらすら読めました。法律用語の難しさを棚に上げれば、ですが。ただ主題が同じだとかぶる部分も多かったのは、読んでて少々くどかったです。まぁ、我慢できるレベルでしたけど。
あと、例によってタイトルだけメモしていたのですが、戦争責任といったら、基本的に日本が加害者の「従軍慰安婦」や強制徴用、南京大虐殺や731部隊などが思い浮かびますけど、被告が国だという理由で最後のパートが日本人の戦争被害に割いていて、これが全体の1/4を占めるのは多すぎるんじゃないかと思いましたし、そもそも趣旨が合わんようにも思いました。
特に責任編集の瑞慶山茂の書いた分が全て「書き下ろし」となっていて、他は全て「軍縮問題資料××年×月掲載」とあるので、要するに瑞慶山茂の書いた物だけだとボリューム的にも話題的にも物足りないので(良作を出版することでは定評のある高文研ですが)他の資料を同様の内容のもので付け足した感が否めないように邪推しました。
特に南洋諸島(パラオとかサイパンとかフィリピン)で被害に遭った方々の訴訟というのが沖縄県民だけに偏っているのはどうかと思いました。割合的に沖縄県民が多いとは言ってますけど、人口比ぐらい載せようよ。
まぁ、わしも被害者という点では中国や朝鮮の方々と日本人が立場が違うとは思いませんし、やはり同じように救済されるべきだとは思ってますけど、やはりまず加害者としての責任を果たしてから自国の被害者というのが順番だと思いますので、前書きで上記の言い訳をしているのを読んだところで本編はだいぶ引いて読んでいました。
一部の裁判を除いて、原告の敗訴がほとんどという、本当に読んでいるうちに
いつまでも戦争責任を取らず認めようともしない日本、とっと滅びろFuck You!!!な気分になったのは置いておきましても、ほとんどの著者が「裁判で負けても裁判所が日本の加害事実を認めたことには意義がある」とか、「一歩前進」とか、あげくの果てには批判の多い花岡事件の和解についても好意的な書き方が多いのを読んでいると、何でそこまで裁判官に対して下手に出るのか、裁判官の裏の意図までくみ取らなければならないのか、全然、理解できませんでした。まぁ、そこんところは法律に詳しくない素人の判断なのかもしれませんけど、原告の方々、つまり被害者やその遺族の方々に「裁判では負けたけど(日本での)支援者に会えたのがいちばんの喜び」とか言われて真に受けてんなよ馬鹿野郎とか思いました。
結局、日本の司法に期待が持てなかったから韓国で強制徴用された方々が起訴したんじゃないかと思うのですけど。
また、なかには敗戦を「終戦」と言ってる著者も何人かいて、本当にこの人がこの裁判を担当したのは正しかったのかと疑問符がつくような歴史認識だと思います。あと一人だけ、天皇陛下とかぬかした奴がいたんで、その時点で一歩どころか二、三歩後退したのはここだけの話です。
あと、わりとルビの振り方に統一性がなかったので、特に法律用語なんかは振っておいてほしかったですね。人名の読み方とか地名とか。
こっそり告白しちゃいますけど、まともに読んだことのなかった村山談話や河野談話をちゃんと読みましたが、右翼が攻撃するほどいいことを言ってるわけでなし、言って当たり前の謝罪を述べているだけで、こんなの撤回しろとか言われてもなぁと思いました。
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