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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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雪の華(番外)

前から気になってた琉球市場(元三越)とマックの間を西に抜けていくところにある沖縄ぜんざい屋です。

種類は沖縄ぜんざいとホットぜんざい、ずんだぜんざい、紫芋ぜんざいくらいでしたが、基本の沖縄ぜんざいを頼みました。暑かったから。



氷の感触が韓国で食べたピンス(記事はソウル歴史博物館ですが)そっくりで、美味かったです。きな粉と黒蜜と抹茶がかけ放題だそうで、元々かかっているので足りなくなったら足すといいと思います。
サイズが大中小とありましたが、暑かったので問答無用で大を頼みました。

金時豆の甘さと氷のふわっとした口溶け感がシンプルながら、なかなか美味かったです。氷で隠れてますが、白玉団子が色違いで三個ついてます。味はどれも変わりません。

梅雨が明ければ、いよいよ沖縄の夏がやってきます。ぜんざいの季節です。

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ゴッド・ファーザー

監督:フランシス=フォード・コッポラ
出演:ドン・コルレオーネ(マーロン=ブランド)、マイケル=コルレオーネ(アル=パチーノ)、トム=ヘイゲン(ロバート=デュヴァル)、ソニー=コルレオーネ(ジェームズ=カーン)、フレド=コルレオーネ(ジョン=カザール)、ケイ(ダイアン=キートン)、ジョニー(アル=マルティーノ)、ソロッツォ(アル=レッティエリ)、ルカ(レニー=モンタナ)、クレメンツァ(リチャード=カステラーノ)、テシオ(エイブ=ヴィゴダ)、コニー=コルレオーネ(タリア=シャイア)、カルロ(ジャンニ=ルッソ)、アポロニア(シモネッタ=ステファネッリ)、マクラスキー警部(スターリング=ヘイドン)、映画プロデューサー・ウォルツ(ジョン=マーリー)、ドン・バルジーニ(リチャード=コンテ)、ボナセーラ(サルヴァトーレ=コルシット)、ドン・トマシーノ(コラード=ガイバ)、ほか
原作:マリオ=プーゾ
見たところ:シネマ・パレット
アメリカ、1972年

頭から通しで見たことがなかったんで、大まかな粗筋は知ってました(マイケルが末っ子でカタギとか、兄貴がマシンガンで壮絶な死を遂げるとか)が、午前十時の映画祭でかかったんで見に行きました。

ニューヨーク・マフィアの一角を占めるヴィトー=コルレオーネの娘コニーの結婚式が豪華な屋敷の庭園で行われていた。そこに海兵隊に所属する三男のマイケルが恋人のケイとともに帰宅する。その合間にもヴィトー、ドン・コルレオーネは来客の対応に忙しくしていた。政治家や判事にもパイプを持つコルレオーネ・ファミリーは五大ファミリーのなかでもリーダー的な存在で誰もがドン・コルレオーネには一目置いていたが、平穏な時代はドンが麻薬組織のソロッツォとの取引を断ったことで無惨に打ち砕かれていく。新聞記事で父が重傷を負ったことを知ったマイケルはファミリーに戻るが、血気盛んな長兄のソニーはソロッツォのバックにいるタッタリアの息子を父の報復として殺害する。警察の幹部マクラスキーを抱き込んだソロッツォは容易に殺せない。マイケルはソロッツォが再度取引を持ちかけたことでソロッツォとマクラスキーを暗殺し、ドン・コルレオーネの故郷シチリアに逃亡するが、ファミリー間の抗争は激しさを増す一方だった。マイケルはシチリアでアポロニアという娘に一目惚れしてしまい、彼女と結婚するが、ニューヨークではソニーが何者かに襲撃されていた。そしてアポロニアもマイケルの代わりに殺されてしまう。ドン・コルレオーネは五大ファミリーのボスとの会合をセッティングし、抗争を終わらせようとするが、タッタリアの裏にコルレオーネ・ファミリーに取って代わろうとするバルジーニがいることを察し、ソニーに代わって後継者となったマイケルに忠告する。しかしその後、ドン・コルレオーネは亡くなった。父の葬式で妹のコニーから娘の名付け親になるように頼まれたマイケルは古株のテシオからバルジーニとの会合を告げられ、彼が裏切り者だと知る。洗礼式の日、マイケルの命でコルレオーネ・ファミリーは五大ファミリーのボスたちやラスベガスのモー=グリーンらを次々に殺害し、ソニーの死に関与したコニーの夫カルロも殺された。マイケルの妻のケイはカルロの死への関与を問い質そうとするがマイケルに激昂され、否定される。けれども彼女が見たのは新たなゴッド・ファーザーとなったマイケルの姿であった。

ちゅうわけで最後まで粗筋書きましたけど、少々中だるみしました。わし的に。3時間の大作で、それでも「風と共に去りぬ」に比べれば短い方なんですけど中盤がたるかったです。

まず登場人物が多いので覚えるのが大変てのもありまして、どいつもこいつも背広着てるし、おっさんだし、だったんでドン・コルレオーネが撃たれてから、マイケルがニューヨークに戻るまでがけっこう長かったです。兄貴のソニーと妹婿のカルロの見分けがつかんかった…
アポロニアの登場シーンはさくっとカットしていいんじゃないかとも思いましたが、そうするとカタギのマイケルを暗黒街に戻すには動機が薄くなるので入れたんでしょうが、平穏なシチリアと物騒なニューヨークの対比もあるんでしょうが、ソニーのキャラが典型的な二世で、武闘派であんまり考えないタイプだったんで余計退屈でした。どうして二代目って、どいつもこいつもお馬鹿なんだろう… あと、個人的に次兄のフレドっていなくてもよかったんじゃあ… モー・グリーンとの取引もなくてもよかったんじゃあ…

個人的にはドン・コルレオーネに息子同然に可愛がられてるトムが好きでしたが、頭脳派と見せつつ、ウォルツに馬の首を送りつけたのはトムの指示だったんだろうから、そこはやっぱりマフィアの弁護士なんだなぁと思ったりしました。

主演男優賞を取ったマーロン=ブランドは、どうもこの映画のイメージが強すぎて「ラスト・タンゴ・イン・パリ」ではおっさん臭が強かったんだと思いました。ただ、口のなかに綿入れてるのはバレバレだったんで、あんまりうまくねーなとも思いました。

トム役のロバート=デュヴァル氏は「勇気ある追跡」や「アラバマ物語」、「鷲は舞い降りた」にも出演してて、何の役かと思ったら、「勇気ある追跡」では仇のネッド、「アラバマ物語」では隣人のブー、「鷲は舞い降りた」では主人公の上官でした。芸幅広いなぁ…

この後は三作、わしの無関心な映画(「日本の一番長い日」「八甲田山」「愛と青春の旅立ち」)ばかりなので、「ブルース・ブラザーズ」までお休みです。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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風と共に去りぬ(何度目か)

監督:ヴィクター=フレミング
原作:マーガレット=ミッチェル
出演:スカーレット=オハラ(ヴィヴィアン=リー)、レット=バトラー(クラーク=ゲーブル)、メラニー=ウィルクス(オリビア=デ・ハビラント)、アシュレー=ウィルクス(レスリー=ハワード)、ジェラルド=オハラ(トーマス=ミッチェル)、エレン=オハラ(バーバラ=オニール)、マミー(ハティ=マクダニエル)、スエレン=オハラ(イヴリン=キース)、キャリーン=オハラ(アン=ラザフォード)、ミード医師(ハリー=ダベンポート)、プリシー(バタフライ=マックィーン)、インディア(アリシア=レット)、チャールズ=ハミルトン(ランド=ブルックス)、フランク=ケネディ(キャロル=ナイ)、ベル=ワトリング(オナ=マンソン)、ビッグ・サム(エベレット=ブラウン)、ピティパット=ハミルトン(ローラ=ホープ・クルーズ)、ほか
見たところ:シネマ・パレット
アメリカ、1939年

たきがはがハリウッド映画史上の最高傑作を自認する大作映画です。午前十時の映画祭でかかったので、そろそろ見た回数が両手の指では足りなくなってきた感もありますが、まぁ、あんまり真面目に数えてないので正確なところは知りませんが、また行ってきました。そうなんだよ、またかと思ったって行きたくなる映画なんですよ、こいつは。何度見てもいいものはいいんですよ。

で、今回はまたいろいろと発見があったので、つらつらと書き連ねてみようと思います。

・レットのスカーレットへの愛情が冷めたのは、スカーレットが「もう子どもは産みたくないからセックスも嫌(意訳)」と言った当たりから下り坂になってた

この後、酔っ払ったレットが勢いでスカーレットとやっちゃって、スカーレットは逆に満たされて明るい顔になっているのに、そうと気づかずに冷酷にボニーを連れてヨーロッパへ行くなどと言い出したのは、だいぶ愛情が冷めてきたせいなんだろうと思いました。その後、ボニーを失って二人の仲は破局に向かっていきますが、メラニーの死でスカーレットがアシュレーの世話を頼まれたことでレットが二人の仲を勘ぐり、とうとう出ていくのはスカーレットの自業自得もあるだろうけど、レット自身にもだいぶ責任があるなと思いましたが、スカーレットは何しろ映画の初っぱなですでに男にちやほやされるのに慣れてる高慢ちきなもんで、レットみたいなタイプの男性はほとんど初めてなんですな。なので彼が未だに自分を愛してくれてると思って気を遣ってやるとか優しい言葉をかけるとか、そういうことができなかったのもレットがスカーレットを愛するのに疲れさせてしまったんだろうなと。
あと、「スカーレットの代わりに甘やかしていた」と言った愛娘のボニーを失ったことも大きかったのは言うまでもないでしょうが。

・アシュレーの中途半端な態度も悪い

まぁ、これはさんざん言ってるんですけど、スカーレットがなにしろ色眼鏡をかけてアシュレーを見てるもんで、格好良さが本来よりも当社比500%くらいの割合で急上昇してるんで、ほんとはもっと優柔不断な決断力のない、でも優しい男なのにそう思わせないところが小ずるいというか、意外と立ち回りは巧いというか、四六時中猫かぶってて、本音を言えるのはレットとほぼ召使いだけというスカーレットなんかにはアシュレーのそういう汚さって最後までわからなかったんだろうなぁと思いました。
安全パイというより、なにげにスカーレットの好意も残しつつ、でもメラニー愛してるなアシュレーはけっこうあくどいなと。

・スカーレットとレットは本人たちが言うほど似てない

どっちも自己中で我が儘でタフであんまり品はないタイプだと思いますが、スカーレットの根っこにあるのはタラで、レットのような旅生活というのは無理だなと中盤で思いました。この違いは大きいかと。まぁ、これでスカーレットがメラニーよろしく旅に出たレットを待ち、大きな心で迎え入れる性格だったら、めでたしめでたしなんでしょうが、そうじゃないのがこのヒロインのいいところにして欠点でもあるので、万事が自分中心じゃないと気が済まないし、間違っても「私待つわ」タイプじゃないので無理なんですが。逆のがいいのかもしれませんけどタラ抜いたらスカーレットじゃないしね。

・黒人たちの役柄は「アンクル・トム」

ただ、これは映画だとだいぶ差別はなくされているそうでして、そこはプロデューサーのセルズニックがかなり気を遣ったそうです。というか、スカーレットの周囲にいる男性のほとんど(レット除く)がKKKの一員だとか、原作を読んだら引っ繰り返りそうな展開みたいです。Wiki情報ですが。
それでもマミーやビッグ・サム、プリシーらの献身ぶりは奴隷の延長まんまで、原作の舞台がそういう時代だったとはいえ、見ていて気になるところではありました。

・スカーレットの初婚の相手チャールズ(メラニーの兄)は気弱なザエボス=ローゼンバッハ

に見えたという話です。もちろんSFC版。

・旧日本軍って劣化南軍だよね

初っぱなのオークス屋敷(アシュレーの実家)で男たちが気勢を上げるシーンがありますが、レットが冷静に「北軍には大砲もあるから負ける」と言ったのを根性じゃなくて気品で勝つ!と一蹴したのを見て、レットには冷笑されますが(その前に自らの無礼さを謝ってますが)、ああ、どっかの軍隊そっくしと思いました。
あと、前半ラストに近いアトランタ駅での負傷兵たちの様子(スカーレットがミード医師を探して歩いていく)がだんだん俯瞰していって、そのうちにスカーレットも見えなくなり、でも、まだ画面からはみ出すくらいの負傷者というのは、こんなに広い場所じゃなかったろうけど沖縄戦での陸軍病院壕とかを彷彿とさせるシーンでした。
その時点ではもう薬も包帯もないとか言ってたのでさらに。麻酔なしで足を切っちゃって、切れたスカーレットが家に帰るシーンなんかもありましたし。

アメリカ軍が負けた日本に甘くて朝鮮に厳しかったのは地理的な要因もあるのでしょうけど、こんなところで共感とかしてたんじゃないですかね。

・ベル=ワトリングはほんとにいい女だった

レットとつき合いの長い酒場の女性です。作中では唯一、彼女に冷たくしなかったメラニーと2回会い、レットを最後に「あんたはそれだけ彼女(スカーレット)に惚れてるんだ」と突き放すシーンが印象的でした。

これぐらいでしょうか。

あとはスカーレットのいつも自己中エゴイスト我が道を(たとえ障害物があっても破壊してでも)突き進むのと、メラニーの聖女っぷり、レットの前半の問答無用の格好良さと後半の零落っぷり、アシュレーのいい人に扮した悪っぷり、スカーレットの妹たちの話が進むに従って影が薄くなっていくところ(最後の3/4には名前も聞かれないし顔も出ない)を堪能しました。

もうちょっとね、もうちょっとスカーレットにレットへの思いやりがあったら、きっとうまくいったんだろうなぁと思うんですよ。
でも、レットはきっとというか絶対、そんな高嶺の花(と言いつつ、自分と同類と見なしていた)なスカーレットを手に入れるまでが楽しくて、一生懸命で、逆に手に入っちゃったら、急に冷めていったようにも思えました。まぁ、スカーレットも悪いんですけど。いつまでもアシュレーに未練たらたらとか。
だけど、やっぱり、いちばん好きなヒロインという位置づけはこの先も変わらないように思います。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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ラスト・タンゴ・イン・パリ

監督:ベルナルド=ベルトルッチ
出演:ポール(マーロン=ブランド)、ジャンヌ(マリア=シュナイダー)、トム(ジャン・ピエール=レオ)、ほか
見たところ:桜坂劇場
フランス・イタリア、1972年

偶然出逢った中年男と若い女が自堕落なセックスにふけるようになるものの、男、ポールは妻を自殺で失ったばかりで女、ジャンヌにも若いTVディレクターのトムという恋人がいた。互いに名も名乗らず、素性も言わない関係だったが、ある日、ポールは突然、その関係を一方的に断ち切り、トムに求婚されていたジャンヌも諦める。だが、再度、出逢ったポールは再びジャンヌに関係を迫るが彼女に拒絶されて追いかけたものの、とうとう彼女に撃たれてしまうのだった。

まぁ、そろそろ古典の域に入ってる年代なんで最後まで粗筋書きました。

桜坂の会員特典でお誕生日月限定の無料券もらったんで前から興味のあった、こちらのタイトルを見てきましたが、どうも、わしは無料で見た映画は外す傾向(二回目ですが)にあり、これもあんまりおもしろくなかったというか、全然ポールに共感しませんでした。

というか、嫁のローザが自殺して原因がわからないみたいなことを言ってるシーンが最後の方にありましたけど、その前に自分たちの経営するホテルに宿泊するマルセルをローザの浮気相手に焚きつけておいて、それで何で妻が死んだのかわからんとか、こいつ、阿呆とちゃうかと思っちゃったのがケチの始まりでして、その前に何か、唐突に切れ出すんですよね、ポールって。もう、いきなり暴力的になる。妻の母、つまり義理の母親相手にとか、ホテルにやってきた娼婦の逃げ出した客とか、いきなり暴力を振るう。その時点でも、こんな性格では嫁にも逃げられるだろうと思ってたら、マルセルとはポールが煽ったとか言うんですから、自分の方で仕組んでおいて妻が死んだら、めそめそ泣き出すとかわけわからん。まぁ、いきなり切れるのは躁鬱症で、嫁が死んで深い傷を負ってとか理由もつけられますが、何でマルセルと浮気するように仕組んだかと言えば、200年生きてもローザのことが理解できないとか言ってたので、ほんとに相手を理解する気あるのかとか、そもそもどう頑張ったって夫婦なんて赤の他人なんだし、家族だってしょせんは他人なんですから理解しようと思う方が奢りというもので、そこら辺でスタートが間違ってるよおっさんって感じでした。まぁ、年下だったんだけど(爆

かといって、例によって女の子の方に共感するかと言えば、いつもならそっちに向くんですが、ジャンヌが20歳とか言った時点で若すぎだろうと思ったので、その軽薄さというか尻軽さというかもあんまり好きになれなかったので、どっちにも共感できずに見ていたのでした。
ジャンヌの恋人のトムも軽薄な感じだったし。

そのうちにポールの方から一方的に関係を断ち、そのくせ、近くをうろついていたジャンヌを待ちかまえてた時点で、もうストーカーまがいになってたんで、ああ、こりゃ駄目だなと思いましたけど、ジャンヌが誇らしげに言ってたナイジェリアの内乱だったかに従軍していたという亡き父の帽子をでたらめにかぶって、でたらめな敬礼をした時点で、こいつ、よりによって逆鱗に触れるようなことをしでかしやがったよと思ったら、そこで撃たれたので、まぁ、自業自得だよねと。
しかも、とうとう最後までジャンヌはポールの名前も、どこに住んでるかも知らなかったし、ポールは死んじまったしで、正当防衛が成り立って、ジャンヌはトムと結婚するんだろうかなぁと思いましたけど、どうなんでしょうね、そこのところは。もうちょっと思慮深くなってるか、あるいはトムの方から取り下げるかわかりませんが。別に幸せになってほしいと思うような娘でもなかったんで、どっちでもいいですが。

そういや、この映画、ヘア修正なかったけど、年齢指定もなかったんでしょうかね?

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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テロル

鈴木邦男編。皓星社刊。

金子文子の「何が私をそうさせたか」が読みたくて借りてきました。
他の収録は石川啄木「ココアのひと匙」、内山愚道「入獄記念・無政府共産・革命」、安重根「自叙伝(抜粋)・伊藤さんの罪状一五箇条・東洋平和論(序文)」、菅野すが子「死出の道艸(抜粋)」、朝日平吾「死の叫び声」、和田久太郎「後事頼み置く事ども」、難波大助「虎ノ門事件 難波大助訊問調書(抜粋)」、中浜哲「杉よ! 眼の男よ!」、古田大次郎「死の懺悔(抜粋)」、山口二矢「山口二矢供述調書(抜粋)」、三島由紀夫「国家革新の原理 学生とのティーチ・イン(抜粋)・檄」、見沢知廉「民族派暴力革命論(抜粋)」、野村秋介「『十六の墓標』は誰がために」です。

うち、読んだのは石川啄木、内山愚道、安重根、菅野すが子、和田久太郎、難波大助、中浜哲、古田大次郎、金子ふみ子(文子だったり、ふみ子だったり表記が統一されてない感じ)です。

編者の鈴木邦男は右翼団体の一水会の創始者で、その考えるところとか主張をわしは一切評価してないんですが、県立図書館には「何が私をそうさせたか」はこれしか収録してなかったんでしょうがなく借りてきました。

ただ、そんなわしですので右翼の文章なぞ読みたくもないので、全部すっ飛ばしました。そうしたら、さっさと読み終わっちゃったので時間が空きまして、先に解説でも読んでおこうかと思いましたが(三島由紀夫はそもそも嫌いだし、どの右翼にも興味が湧かなかったため)、そのナルシズム全開の文を読んで辟易したので結局、それでおしまいにしました。
それにしても抜粋が多いのは参りました。どこかでちゃんと全文を読み直すことになると思います。ていうか、要するに薄っぺらな本(400ページ足らず)にいろいろと盛り込んだら、どこかで切り落とすか外すかしなければならなかったので、どっちにもいい顔をするために両方入れました的な商売根性を感じたので鈴木邦男には二度と手を出しません。たとえアナーキストについて書いていてもだ。畜生。

あと編者は彼らがテロルに走ったことは右でも左でも究極的には同じところに行き着いただけとか書いてましたが、すでにそこからが右翼の勝手な思い込みで大きな間違いです。だいたい天皇崇拝の右翼とアナーキスト・共産主義者がどうして同じだなんて論点を繰り出せるのか理解できません。

さらに、ずいぶん前の琉球新報だったか沖縄タイムスで記事になってましたけど右翼なのに辺野古移設に反対して立つ女性ってありましたけど、そもそも沖縄の現状はヒロヒトが沖縄をアメリカに売ったからなんですが、右翼としてそこんところどう考えているんでしょうかね? 鈴木邦男はこちらを見事に否定しやがりまして、歴史修正主義乙って感じでした。だいたいヒロヒトが国民のことを第一に考えていたら、沖縄もヒロシマもナガサキもなかったんですよ。そこんところわかってんのか馬鹿野郎と思ったら、そこはさくっとスルーしました。全く、自分に都合のいいおつむの持ち主ですね。ていうか、だから天皇なんか指示できるんでしょうけど。

あと、若い頃、ソウルの安重根記念館に行った時に先輩の右翼に「韓国の愛国者に日本の愛国者として会いに行こう」と言われて、そんな考えもあるのかと思ったそうですが、馬鹿野郎、おまえら右翼こそ癌だと知れ。

だいたい天皇へーかの周りに奸臣がいるから正しく政道が行われないのだという考え方は226事件で大々的にやって、当の天皇にそっぽ向かれたんですけど、そこはスルーですかね。

だいたいテロというのは権力に立ち向かうための道具だったので(911以降、何でもかんでもテロ呼ばわりですが、そもそも911だって、わしはアメリカの自作自演説に立つのでテロでさえないです。そもそもアメリカという世界最大の権力者に資金援助されてるアルカイダだのISだのはテロリストでも何でもないです。権力の狗ですよ)権力者の側にしか立たない右翼がテロとか言ってほしくないですわ。一昨日来やがれです。

というわけで鈴木邦男のナルシズムはどっちらけでしたが、載ってた文はどれもおもしろかったです。ただ、どいつもこいつも抜粋なんで、ちゃんと読み直そうと思いました。

しかし、今の時代、テロで誰かを殺せば時代が変わるとは思えなくなりました。今日も悶々とする日々です。

2019.5.25追記

金子文子の文のなかで、先日の映画ではスパイ扱いされていた新山初代を「親友」って言ってるんですけど、そこのところは故人の名誉を踏みにじっていませんかね? 監督、「何が私をそうさせたか」を読んだんでしょうか? 読んでたら、ああいう描写にはならないと思うんですが。スパイを入れたくても無名の人物にしておくとか手はいくらでもあったと思うんですが。

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