監督:ピーター=カソヴィッツ
原作:ユーレク=ベッカー
製作総指揮:ロビン=ウィリアムズ
出演:ジェイコブ(ロビン=ウィリアムズ)、キルシュバウム医師(アーミン=ミューラー・スタール)、リーナ(ハンナ=テイラー・ゴードン)、ミーシャ(リーブ=シュライバー)、コワルスキー(ボブ=バラバン)、フランクフルター(アラン=アーキン)、ローザ(ニーナ=シマーシュコ)、ほか
見たところ:うち
1999年、アメリカ
わしが思うところのホロコースト物・二大傑作の一本(もう一本は「
灰の記憶」)であり、ロビンさん追悼で観ました。
「笑ってごらん、命をかけて…」というこの映画のキャッチフレーズが、喜劇俳優だったのに鬱病を患い、ご自分の命を絶ってしまったロビンさん自身と重なって初っぱなから涙涙の連続でした。
基本的にこの映画は、ひょんなことから嘘をついてしまったパン屋のジェイコブが、閉じ込められたゲットーで友人たちや知人、強制収容所送りの貨車から逃げてきたリーナたちに、そして時としてジェイコブ自身に希望を与えるために嘘をついていくという話なので、ホロコースト物としてはユーモア色が強いんですよ。冒頭からしてヒトラーの命日=ユダヤ人の祝日とブラックユーモア満載で、人はこんな絶望的な状況の中でもユーモアによって心を支えていくことができるというのが、一人として偉人や英雄のいない、この映画の主要なテーマなわけです。ただ、ジェイコブも言っておりますように「俺が発明した物はジャムパンだけだ。それとポテトパン」なので、ついている嘘もいつばれないかとはらはらして観ているんですが、そのうちに、みんな、ある程度はジェイコブの言うことが嘘だと疑いつつも、でも心のどこかで本当だと信じたく、希望をつないでいるというのがわかってきて、個性豊かな登場人物たちが愛おしく、身近になってくるのです。
何かというと、すぐに暴力を振るうゲシュタポはいたけれど、それでもまだわずかばかりの自由と望みのあったゲットーでの生活は「皆殺しのハートロフ」と異名を取る指揮官の就任で急速に死へと進められてしまいます。
心臓を患うハートロフの治療を断り、死を選ぶキルシュバウム医師。
そのことに激怒したハートロフは、ゲットー内でまことしやかにささやかれる「ラジオがある」という噂の元を絶つべく、大規模な捜索を開始させますが、それはすなわち、ゲットーでの生活の終わりと強制収容所へ送られることでありました。
10人の人質を取られ、ジェイコブは親友コワルスキーに事実を打ち明け、自ら出頭します。ですがジェイコブの手元にラジオはないのです。たった1台きりのラジオは、ジェイコブがラジオを持っていると勘違いしたフランクフルターによって壊されてしまったのですから。
ジェイコブはゲシュタポの本部でラジオを聞いたことを正直に話しますが、ゲシュタポと取引をできるほどではありません(この時、ジェイコブにうっかりラジオを聞かせてしまったゲシュタポの士官が、キルシュバウム医師には尊敬の念で当たるというのが妙に人間臭いです)。
広場に集められた人びとの前に引き出されるジェイコブ。
拷問を受けた痛々しい姿を見つめるリーナ、ミーシャ、フランクフルターたち。
ジェイコブは何かを言おうとしますが、何も言えず、ただ困ったように笑って皆を見つめるばかり。ゲシュタポの命で皆に「ラジオはなかった。ソ連軍のことも嘘だった」と言わされるはずだったのですが、ハートロフにも微笑みかけたジェイコブは、その場で射殺されてしまいました。
と、ここで終われば、他愛もない悲劇、多数のゲットーを襲った無数の悲劇に過ぎないと思うのですが、この映画のどんでん返しは誰もが、当のジェイコブさえ信じたくて信じられない嘘が真実になったところで来ます。
収容所に向かう列車を止めるソ連軍の戦車。そこに流れ出す「ビヤ樽ポルカ」の軽快なメロディ。ジェイコブがリーナを励ますために躍ったポルカです。
ジェイコブが命をかけた嘘は、こうして最後に真実となって仲間を救ったかもしれない。その希望に、わしは毎度、涙があふれてしまうのです。
ロビンさんの冥福をお祈りします。
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