岡崎ひでたか著。石倉欣二絵。新日本出版社刊。
図書館へ行ったら、この本が新刊のところに置いてあって目に止まりました。赤ら顔のひげもじゃの兵隊は、旧日本軍の帽子をかぶっていました。第二次世界大戦は、わし的には惹かれるテーマですので手にとってみると、裏表紙裏に「南京攻略戦師団通過図」とあります。先日行ったばかりの侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の記憶もまだ新しいところです。見たところ、子ども向けの本ですが、興味を覚えたので借りてきて、お茶しながら読みました。
草ぼっちと呼ばれる大柄な一等兵と、その分隊長であるわたしの、上海上陸戦(1937年の第二次上海事変)から呉松(ウースン)、蘇州辺りまでの戦場体験と、その死を描いた小説です。小学校高学年向け。
いいじゃないか、大人が小学生向けの本を借りたって。
自分や上官のメンツだけが大事な日本軍の醜さが赤裸々に語られているのは著者が16歳で敗戦を迎え、自分たちが正義のための戦争だと信じていたものが、実は東・東南アジアの人びとを苦しめ、傷つけるだけの侵略戦争だったことを知り、大きな怒りを覚えたことがその原動力となっているためと思われます。
そうした狂った戦争、狂った軍隊の中で、気弱だったわたしと、大柄で力持ちだけれど地蔵を彫ることが生きがいである草ぼっちは、日本人を苦しめると言われた中国の兵隊を倒しに来たつもりだったのに、実はそれが逆で、自分たち日本軍の方こそ中国の無辜な民を傷つけ、殺し、奪う存在であることを知らされ、実際に傷つけていくことで深く傷ついていきます。
けれども、たいがいの人間が狂気に馴らされ、そこに順応していくなかで、わたしと草ぼっちは抵抗し、自分たちの良心に背くまいとするのです。そうすることがどれだけ難しかったか、あの時代、人として生きることがどういう結果をもたらしたかは「
日本鬼子」や「親なるもの 断崖」でも、ほかにも無数に語られています。
それでも、2人は上官に反抗し、中国の人を助けますが、自分たちも負傷してしまい、中国の人たちに助けられます。しかし、草ぼっちは負傷した身体をおして地蔵を彫り、そのために亡くなってしまうのでした。
けれど、賽の河原で子どもたちを守るという地蔵を彫ったことで草ぼっちは従容とした死を迎えられましたが、わたしは自分の罪を償うすべも知らぬまま、帰途につくのでした。
感動ものに落ち着いたきらいはありますが、日本軍の犯した犯罪を子ども向けなので表現は軟らかいですし、強姦なども出てきませんが、まぁ、正面から描いたという点は評価に値する本だと思いました。
しかし、わしは思います。周恩来首相の温情に甘え、中国に賠償もしてこなかった日本という国の醜さを恥じます。それは本当にいたであろう草ぼっちや、わたしには、決して償いきれない罪の大きさなのではないかと思うのです。
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