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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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さようなら、オプ子ちゃん

たきがはの愛車オプ子ちゃん(ダイハツ・オプティクラシック)を手放すことになりました。カウンターをカンストさせるまでか廃車になるまで乗ってるつもりだったのですが、諸事情により買い換えとなりました。新車買って、オプ子ちゃんも残そうかとも考えたのですが、資金的に車関係の費用がほぼ倍になるので難しかったです。

最後のメーターはこちら。


14万5330kmでした。わしが買った時にはもう8万kmも走っていたので、結局、その走行距離は追い越せないままでした。悔しい。

最後の姿はこちら。


ナンバープレートは最近は最初に取ったところのままでもいいようなので、わしも熊本ナンバーのままにすれば良かったなぁと思いました。

たきがはは、基本、車というのは走ってくれればいい人種なので洗いもせず、こすっても修理もせず、不具合のある時だけディーラーかオート○ックスに持っていきまして、それほど大事にもしませんでした。むしろドライバーとしては荒い方でした。長距離も走らせたし、時速130kmなんてのも出しました(わしとしても不本意でしたが)。それでもオプ子ちゃんはそれほど面倒な故障もせず、期待に応えてくれた良い車でした。買い換えということでディーラーに引き取られましたが、この後、どんな車生をオプ子ちゃんがたどるのか、わしが見届けたかったなぁと思いました。

新しい車は同じダイハツのタントで、ばりばりの新車ですが、タントのたんちゃんという呼び方はしないと思います。たぶん。

8年と7ヶ月、ありがとう、オプ子ちゃん。さようなら

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地底の太陽

金石範著。集英社刊。

済州島四・三事件を描いた大河小説「火山島」の続編です。

日本に逃亡した南承之(ナム=スンジ)を主人公に描きますが、正直な感想は蛇足です。というのも、「火山島」の主人公だった李芳根(イ=バングン)が亡くなっていること、南承之が内省的すぎて同じところで堂々巡りしている感じが強いことの2点が特に不満に感じました。

次々に殺されていったゲリラたちのなかで李芳根の力で生き延び、日本に逃げた南承之が、ずっと「豚なんだよ」とつぶやき続ける、それは息子が生き延びたことを喜ぶ母や妹、親戚にであり、日本に連れて来た韓大用(ハン=テヨン)にであり、李芳根を失ったことをいちばん共感できるであろう有媛(ユウオン)にでもあります。李芳根を失い、梁俊午(ヤン=ジュノ)を失い、康豪九(カン=モング)を失い、名前も知られていないゲリラたちを失った南承之にしてみれば、自分一人が生き延びたところで何になるだろうという思いがあるのもわかるのです。戦いに敗れ、二度と故郷に帰ることができなくなってしまった思いもわからなくはない。でも、それでも李芳根が南承之を助けたのは、彼が大切な友人だからであり、虐殺の島から逃亡することはそれもまた戦いであると知っていたからではないのでしょうか。背中の形が変わるほど激しい拷問を受けた南承之に、まだ戦えとは酷な話でしょうか。でもそれが生き延びた者の責務でもあるのではないかとわしは思うのです。なぜなら、南承之が戦いを辞めれば、済州島で殺された大勢の人たちの死はそれこそ犬死になってしまうからです。
でも南承之は、ただ「豚なんだよ」と独白し続けるだけです。韓大用が聞けば、しかり飛ばしたかもしれない。有媛が聞けば、兄の死を嘆いたかもしれないし、南承之の気持ちをなだめられたかもしれない。ですが南承之は決してその心中を打ち明けません。どうせ誰にもわからないと思っているのでしょうか。もちろん軽々しくわかると言えるような話ではありません。あるいは南承之たちがなめた地獄は誰にもわからないかもしれません。それでも、人はわかろうと努力するのであり、わかりたいと思うのであり、南承之が誰かに話すことは決して無駄ではないはずなのです。でも、そうしない。一切、しない。ただすねている。それで有媛とも疎遠になっていってしまいます。李芳根の自殺がそれだけショックだったのでしょう。もともと有媛とはただの同級生だったのを李芳根が結びつけたという作為的なきっかけではありましたが、あれだけときめいていたくせになぁとがっかりでした。もっとも、南承之にしてみれば、李芳根の自殺があるので有媛とこれまでどおりにおつきあいというのはしづらいのかもしれませんが、それで親戚の家に以前出入りしていた幸子(ヘンジャ)と結ばれるのも、有媛は豚である自分にはふさわしくないが幸子ならばいいと考えたのかと思うと、また腹が立つのでした。残念ながら有媛に対峙するほどには幸子が魅力的ではないためもありますが、例に「豚なんだよ」というつぶやきは誰と話していても出てくるわけです。ならば南承之としては同じ朝鮮から逃亡してきた身ではありますが音楽家の道に邁進する(であろう)有媛に自分はふさわしくないと考えて幸子を選んだと読めるわけなのです。それは幸子に対して失礼であろうと、わしは思ったのでした。

李芳根の自殺を知って衝撃を受ける南承之。有媛は兄の死を実家から知らされていましたが、それが事故死ではなく自殺ではないかと推測していました。そもそも済州島のような田舎で事故死なんて起きるはずがないし、兄の気性を知り尽くしていた有媛には自殺の方が納得できたようです。それに2人は李芳根が自殺した晩に、似たような夢を見ていました。それは、李芳根の死を暗示するような内容でしたが南承之は有媛が見た夢を聞くだけにし、自分の夢は話そうとせず、李芳根の自殺もはっきりと言わずじまいで終わります。同時に済州島を巡るこの長い物語も終わりを見るのです。

考えてみたら、南承之は日本からソウルに帰った時に引きこもりになりかけていて、もともと内省的な性格なんですよね。だからこういう展開になったのも無理はないのかもしれないし、そんな英雄的な活躍なんて期待しているわけではないので、もう少し頑張ってほしかったなぁと思いました。ただ生き残ったのが李芳根や梁俊午、康豪九だったらどうかと思わなくもありません。

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不正義の果て

監督:クロード=ランズマン
見たところ:横浜シネマ・ジャック&ベティ
フランス・オーストリア、2013年

強制収容所のなかでも唯一、外に向けて開かれていたテレージエンシュタット収容所。そこのユダヤ人長老の最後の一人で、ただ一人生き残ったベンヤミン=ムルメルシュタインの長編インタビューを中心にムルメルシュタインの著書からの引用を現代のテレージエンシュタットで監督が読み上げるドキュメンタリー。

先日の「ハンナ・アーレント」と正反対と言ってもいいようなユダヤ人評議会への評価と、アイヒマンの邪悪さが語られていますが、「SHOAH」「ソビブル」と観てきたなかではいちばん退屈で冗長な映画でした。もう何度も沈没しかけて、そのたびに字幕を飛ばしました。

思うに、この映画の最大の問題点は監督がムルメルシュタインに近すぎるところだと思います。思い入れが強すぎると言ってもいいです。つまり、監督とムルメルシュタインは友人なので思い入れが強すぎるあまり、監督はマルガレーテ=フォン・トロッタ監督の「ハンナ・アーレント」さえ観ないと言っている。確かにハンナ=アーレントはユダヤ人の長老を批判し、アイヒマンを凡庸な人物と言った。これはムルメルシュタインの話と食い違うのです。でも、だからといって、そういう批判から自由でいられるような立場にユダヤ人の長老はいなかったと思いますし、アーレントがアイヒマンを凡庸だと言うのは、上官から言われたことをただ機械的にこなす、それが善か悪かという判断をしない人間性を指すのであり、ナチスと同じような犯罪はどこの国でも起こるのだということだと思います。
確かにムルメルシュタインが対峙したアイヒマンは凡庸さなどかけらもないような悪魔的な人物だったかもしれませんが、弱いユダヤ人の立場で会えば、凡庸な人物も悪魔に見えただろうと推測するのは難しいことではないはずです。
監督がどう考えたかは、この映画が示しています。

そういう立場をわしは否定するものではありませんが、ムルメルシュタインの主張を冗長に垂れ流しただけの映画、それは単に退屈なものでした。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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国際市場で逢いましょう

監督:ユン=ジェギュン
出演:ドクス(ファン=ジョンミン)、ヨンジャ(キム=ユンジン)、ダルグ(オ=ダルス)、ドクスの父(チョン=ジニョン)、ドクスの母(チャン=ヨンナム)、ドクスの叔母(ラ=ミラン)、クッスン(キム=スルギ)、ナム=ジン(ユンホ)、ほか
見たところ:横浜シネマリン
韓国、2014年

泣いて笑って、また泣いて大笑いして、最後にまたまた泣けるという忙しい映画です。

釜山に住むドクスはコップンの店を経営する頑固爺。妻のヨンジャと弟夫婦や妹夫婦、家族を持つ子どもたちに囲まれて暮らしているが、店は立ち退きを迫られている。親友のダルグはとっくにビルのオーナーになった。だがドクスには店を手放せない理由があった。そしてドクスは朝鮮戦争ただ中の1950年からの日々を懐かしく思い出すのだった…。

以降、激しくネタばれしているので、一応、公開中の映画につき、隠します。


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ソビブル 1943年10月14日4時

監督:クロード=ランズマン
見たところ:横浜シネマ・ジャック&ベティ
フランス、2001年

絶滅収容所、もしくは強制収容所に押し込められたユダヤ人たちの唯一の武装蜂起の成功が、この映画の主題です。蜂起を主導したソビエト赤軍のユダヤ人将校アレクサンデル=ペチェルスキーはもう亡くなっていますが、蜂起に参加したユダヤ人たちは世界中におり、そのうちの一人、イェフダ=レルネルさんのインタビューがほとんどです。

ソビブルのような武装蜂起が行われなかったのはいくつか条件があります。
まず、主導者が赤軍将校だけでなく、参加者も赤軍の軍人が多く加わっています。つまり、彼らは戦いの専門家であり、武器に習熟していました。
また彼らはユダヤ人でしたが同時にソ連軍の捕虜でもあったので他のユダヤ人に比べると環境の差は歴然としたものがあり、格段に恵まれていました。
これらの条件にプラスして、ドイツ人たちの時間に几帳面なところも有利に働きました。

タイトルは蜂起の時間です。
事前準備として、収容所内に作業所と称した小屋をいくつか建てました。
木こりの作業道具として斧を手に入れました。
蜂起の日時をここに決定したのは子どものメンバーによって、近いうちにナチスがソビブルをなくすという情報を得たからです。今は作業員として生きていられても収容所がなくなれば間違いなく殺されるでしょう。
午後4時にナチスの兵士たちをそれぞれの作業所に呼びます。イェフダさんがいたのは仕立て屋の小屋で、コートの仮縫製を済ませるために巨漢のナチスの兵士がやってきます。イェフダさんは斧でその頭を真っ二つにたたき割りました。
他の小屋でも状況は似たようなもので、1時間後には生きているナチスはいなくなっていました。200人もいるというウクライナ兵にナチスが死んだと呼びかけながら、イェフダさんたちは森に逃げました。
以後、イェフダさんはパルチザンに加わり、ナチスと戦ったそうですが、インタビューは森に着いた途端に眠気に襲われたというところでおしまいです。

前半にイェフダさんがワルシャワで連行され、家族と別れてベラルーシで強制労働に従事させられていたけれど半年で8回も脱走、そのたびに新たな収容所に向かい、最終的にはソビブルに着いたというのは幸運というにはあまりに強運で、彼の生きようとする強い意志と運命みたいなものを感じました。

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