ハンス=ファラダ著。赤根洋子訳。みすず書房刊。
一人息子の戦死をきっかけに反ナチ運動を始め、やがて囚われ、死刑に処せられた夫婦の実際の事件を下敷きにした小説。
1940年、ベルリンに住む真面目な職工長オットー=クヴァンゲルと、その妻アンナのもとに一人息子の戦死の報せが届く。取り乱したアンナは息子の死がヒトラーと夫のせいだと罵るが、他人に関わりを持たず、ただ働き、一人静かに生きることにしか興味のなかったオットーのなかで何かが変わり始めていた。やがて、オットーは妻とともにヒトラーやナチ党を攻撃する匿名の葉書を書き、公共の建物に置くというささやかな抵抗運動を開始するが、それはゲシュタポの目に止まることになり、クラバウターマン事件として1942年、夫妻が捕えられるまで続いた。過酷な尋問は亡き息子の婚約者をも巻き込んでいくが、1943年、死刑の判決を受けて、オットーは従容として死を受け入れるのだった。
主人公はこのオットー=クヴァンゲルとアンナ=クヴァンゲルの、ごく平凡な中年の夫婦です。そこに近所に住む古参のナチ党一家や、ちんぴら、美人局や、その家族がからみ、物語は複雑怪奇に進んでいきますが、事件そのものはナチ党を攻撃する葉書を毎週書き続けたというシンプルなものです。ですが、捕まれば死刑しかないということはオットーもアンナもわかっているのです。
実在の事件を下敷きにしているとはいえ、クヴァンゲル夫妻、特にオットーの人物描写が大変良かったです。「薄い唇と冷たい目が鳥を思わせる、鋭い顔つきの」と形容されるオットーさんは、もともとは家具職人でしたが、戦争が進むにつれて家具を作れなくなり、爆弾の箱、最後には棺桶を作らされるようになっていきます。同時に自分にも厳しく、他人にも厳しいオットーさんはナチ党員ではないために会社のなかで出世できませんが、それが正義でないことを知り、「党費を払えない」と言い訳して党員になろうとしません。
つまり、この葉書を書いて置いてくるだけという戦いは、何か立派な政治信条を持って行われたものではありませんでした。それでも、オットーさんたちが見抜いているように、それは命がけの行動であり、ヒトラーやナチスのしていることは許せないからこそ、彼らは行動しなければならなかったのです。
終盤、ゲシュタポに捕えられ、未決囚拘置所へ送られたオットーさんは先住の音楽家ライヒハルト博士と出会います。孤独に生きてきて、妻以外はほとんど話をしないできたオットーさんにとって、初めてで最後の友人でした。
この友人によってチェスや音楽という新しい喜びに目覚めたオットーさんは、さらに自分の抵抗が、たとえ書いた葉書の9割がゲシュタポに提出されてしまっていたとしても決して無駄ではなかったのだと聞かされます。
以下、引用。
「自分のためになります。死の瞬間まで、自分はまっとうな人間として行動したのだと感じることができますからね。そして、ドイツ国民の役にも立ちます。聖書に書かれているとおり、彼らは正しき者ゆえに救われるだろうからです。ねえ、クヴァンゲルさん、『これこれのことをせよ、これこれの計画を実行に移せ』と私たちに言ってくれる男がいたら、そのほうがもちろん100倍もよかったでしょう。でも、もしそんな男がドイツにいたとしたら、1933年にナチスは政権を掌握してはいなかったでしょう。だから、私たちは一人一人別々に行動するしかなかった。そして、一人一人捕らえられ、誰もが一人で死んでいかなければなりません。でも、だからといって、クヴァンゲルさん、私たちは独りぼっちではありません。だからといって、私たちの死は犬死にではありません。この世で起きることに無駄なことは1つもありません。そして、私たちは正義のために暴力と戦っているのだから、最後には私たちが勝利者となるのです」
引用終わり。
この小説の映画化が進んでいるようですが、オットーさんをデビッド=ストラザーンさんがやってくれたらいいなぁと思います。
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