監督・脚本:フロリアン=ガレンベルガー
出演:ジョン=ラーベ(ウルリッヒ=トゥクル)、ローゼン(ダニエル=ブリュール)、ロバート=ウィルソン医師(スティーヴ=ブシェミ)、ヴァレリー=デュプレ(アンヌ=コンシニ)、朝香宮中将(香川照之)、松井石根(柄本明)、小瀬少佐(ARATA)、ドーラ=ラーベ(ダグマー=マンツェル)、フリース(マティアス=ヘルマン)、ほか
ドイツ・フランス・中国、2009年
見たところ:横浜シネマリン
日本では上映禁止の映画が一日だけ横浜シネマリンでかかるというのでチケット買って行ってきました。南京大虐殺を扱った映画で、かつて「南京1937」という映画を見たことがありますが、あちらが中国とそこに嫁いだという日本人女性の視点から描かれているのに対し、こちらはジョン=ラーベというドイツ人の視点から描かれます。
ドイツのシーメンス社の南京支社長ジョン=ラーベは、27年間の勤務を終えて本国に召還されることになっていた。だがラーベ帰国の2日前、中華民国の首都である南京を上海から進軍してきた日本の大軍が取り囲み、市街戦に巻き込まれてしまうがラーベはハーケンクロイツ旗を掲げることで戦渦から逃れる。激しい戦いが予感されるなか、南京に住む欧米人たちは難民を助けるために安全区を設けることにし、その代表にラーベが推薦される。ラーベは南京から発つ汽船に妻を見送るが、日本軍はそこにも爆撃を加え、妻のドーラは行方不明になってしまう。安全区に入れられるのは10万人に過ぎなかったが、ラーベの意見もあり、その倍の20万人を受け入れる。日本軍はこれを承認するが中国軍の兵士を入れないことが条件であった。だが、南京陥落の前から暴虐の限りを尽くす日本軍は安全区にも侵入し、我が物顔で振る舞う。20万の難民を守ることが次第に難しくなっていくなか、ラーベはインシュリンの不足から倒れてしまうが、ドイツの外交官ローゼンとウィルソン医師が日本軍の朝香宮中将に懇願し、ラーベは一命をとりとめる。しかし、同時に安全区にかくまった中国軍の兵士たちを理由に日本軍は安全区を潰そうと企んでいた。朝香宮中将が指揮する日本軍の銃口の前に身を差し出すラーベ。その時、南京の町にサイレンが響き渡り、中華民国の働きかけにより、国際連盟が送り込んだ調査団と記者団の到着を告げる。安全区は日本軍の手柄となり、ラーベたちの国際委員会は解散を命じられる。やがてラーベが南京を去る日が来た。港に向かったラーベを出迎えたのは妻のドーラであった。
1937年当時、ドイツではヒトラーが政権を掌握し、ナチスによる一党独裁を築き上げていましたがヨーロッパではまだ開戦していません。南京でラーベたちが築いた安全区が、ドイツ人以外にフランス人、アメリカ人なども交えて国際色豊かなのはそういう理由があります。まぁ、イギリスの首相はまだチェンバレンなんでヒトラーに弱腰な外交だし…
ええと、Twitterで二度ほどTLしましたが、南京大虐殺を描いた映画としてはかなり物足りなかったです。足りないと思ったところにいくつか突っ込んでみます。
サブタイトル「南京のシンドラー」がいただけない。ただ、これはネットでいろいろとググってみると、シンドラーという名前にはわしも見た「シンドラーのリスト」がありまして、杉原千畝さんも「日本のシンドラー」とか呼ばれちゃったりしてるんで、有名人にとかく弱い日本人の弱点を突いた確信犯なタイトルのようです。ただ、皮肉なことに
「シンドラーのリスト」を「ホロコーストのテーマパーク」と言われた時にすごく納得したことがありまして、あれって、監督のアカデミー賞欲しいを全面に出した映画で、まぁ、計算されたお涙頂戴なんですよ。だから感動して泣いているのに、何かおかしいぞと思っている自分がいる、それに近い感想を持ちました。狙ってます。あと、似てます。特にラストシーン。ラーベを見送る南京の市民というシチュエーションは、シンドラーに指輪を贈るユダヤ人のシーンとそっくし。デジャブしました。ラーベはシンドラーのように泣きませんでしたが、「南京のシンドラー」と言われたら、たいがいの人は「シンドラーのリスト」を思い浮かべるはずで、過剰な感動を思い出すはずで、そういう期待をして見に行くんじゃないですかね。
だから、タイトルも確信犯ならば、映画の内容も確信犯。終盤、わしは堪えました。いつもなら、どっと涙があふれるラーベを見送る南京の市民のシーン、殺されたと思っていたドーラが助かってラーベを迎えに来るというシーン、頑張りました。泣くもんかと思いました。それぐらい、感傷に流された映画でした。
まぁ、タイトルが「ジョン・ラーベ」だし、ラストにラーベがナチ党と誹られて、貧乏のままに亡くなったという経歴まで紹介しているんで、ラーベの復権がテーマじゃないかと思いました。南京大虐殺はいわば、ラーベの功績というわけです。一昨日来やがれです。
おや、物足りないどころじゃないようですよ、わし…
感傷的と書いたんで、どうでもいいロマンスにも少々突っ込んでみましょう。どうでもいいんですが。ならば書くなですが。
ラーベとドーラという夫婦愛だけでおなかいっぱいになってるのに(気分は南京大虐殺を見に来ているんで)、ドーラが行方不明、インシュリンの不足で昏倒したラーベを見守るデュプレというシーンは、まぁ、同じ国際委員会の同志なんで、100歩譲って有りでもいいです。同志愛という言い訳もできますし。
ただし、デュプレの忠告を聞かずに夜に安全区を出て、弟にご飯をあげにいった結果、日本軍に見つかり、父親(姉弟の会話から人間的には駄目駄目らしい)の死を招き、弟に日本軍を射殺させた挙げ句、安全区に戻ってきたのに日本軍の軍服を着ていたので日本軍に追われ、学校の寮に逃げ込んで、見つからなかったものの、同級生たちを日本軍のすけべえ士官の前で裸にさせるというドジを踏んで、でも分かれて逃げた弟は無事でドイツ人の外交官ローゼンとちゃっかりできたっぽいランシューのエピソードは丸ごと要りませんでした。最初はカメラをかまえて写真を撮っているだけだったんですが、デュプレに止められても安全区を夜に抜け出し(しかも毎晩)、弟にご飯を届けるというのはどうなのかと… そんな生ぬるいエピソード要らんし… 弟に射殺される日本軍、まるで阿呆だし、しかも銃で2発も撃ったのに反動もないとかあり得ないし…
あと悪逆非道の限りを尽くした日本軍を描くのはいいんですが(実際はもっと酷いものなんで)、ARATAが中国軍の捕虜を殺すのに心を痛めているという描写も要らなかったです。そういうさ、
日本にも気を遣いました!みたいなエピソード要らないから。そんな要素、なくてもいいから。最後にローゼンとウィルソンに告げ口とか、
日本軍にだって人間らしい人はいたんだとか、そんな言い訳どうでもいいから。日本軍がやったのは、そんな人間が何十人、何百人、何千人といてもまだまだ足りないようなことだから。
南京大虐殺の責任者である松井石根が、皇族である朝香宮にまで偉そうなのは、まぁ、どっちでもいいです。
100人斬り競争は新聞の記事にもなってるから、いまさら真実がどうこうとか争うのは阿呆じゃないかとしか思えません。
そのシーンの生首とか、死体のシーンとか、全般的に綺麗すぎたように思います。
やっぱり、監督は侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館にリサーチに行ってないのかなぁと感じました。あそこには最大級の資料があるんで、絵に描いたような虐殺シーンじゃないシーンとか撮れたと思うんですけど… 生首の記念撮影のシーンで、隣の女性が目を伏せているようだったので十分、残虐と言えば残虐ですが。ただ、どっかで見たような綺麗さで、わしが侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館で見てきたのはもっと凄かったように思うので。ところどころ、当時の映像を交えているのならば、そういうシーンも使おうよ、ちゃんと。
南京大虐殺を描くにはほぼ絶対に安全なところにいたラーベでは足りないと思います。
かくなる上は未見の「南京!南京!」(「山の郵便配達」の息子役の劉燁さんが出ているようなんで…)とかチャン=イーモウ監督が撮ったという「金陵十三釵」を見たいのぅ…
たんぽこ通信 映画五十音リスト
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