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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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太白山脈(再読)全10巻(続き)

趙廷來(チョウ=ジョンネ)著。ホーム社刊。

というわけでキャラ語り続きです。

この長大な物語のなかで外西宅(ウェソテク。他家に嫁いだ女房たちは出身地+宅で呼ばれるようになる。ので作中、同じ土地の出身者が出てくると誰の関係者かややこしくなることも。あんまりいないけど)ほど前半と後半の印象が変わる女性もおりますまい。
パルチザン姜島植(カン=ドンシク)の女房で一人娘の母でもあった外西宅ですが、人民共和国の夢破れ、山に逃げ込んだ夫の代わりに警察や討伐隊に攻められることになり、あろうことか、その豊満な体つきを廉相九(ヨム=サング)に目をつけられ、犯されます。このシーン、映画でも再三描かれるらしく、映画のレビューに「うんざりする」というのを見るのですが、正直、この大河小説の一部しか描けなかった映画においては不要なシーンだったというのがわしの感想です(あんまり覚えてないけど)。というのも、外西宅の夫、姜島植もまた、彼女の身体に魅せられた男であり、その身体を案ずるあまり、勝手な行動をしでかして、同じパルチザンの安昌民(アン=チャンミン)に重傷を負わせ、その結果として、筏橋唯一の医師、全明煥(チョン=ミョンファン)や李知淑(イ=ジスク)を巻き込んだ病院事件を起こさせてしまうし、最終的に外西宅を犯した廉相九を殺そうとして返り討ちに遭い、死去したことで外西宅をパルチザンにさせるという後半に繋がる流れを作り出すんですけど、要するに外西宅がパルチザンになったところまで描かれない映画にあってはこのエピソード自体、ざっくり切り落とした方が良かったんじゃないかな〜と思ったからです。描くならパルチザンになって、襲ってくる討伐隊と丁々発止のやりとりを交わす外西宅の、前半とは打って変わった姿も描かないと足りません。地獄のような日々を経験して、夫の仇であり、自分を犯した憎い廉相九の息子まで産んだ外西宅が、それらを乗り越えての活躍なんですから、竹山宅(チュクサンテク。我らが主人公、廉相鎮の恋女房v)とはまた違った強さを見せるところが魅力的じゃないわけがありません。むしろ惚れる。わしの好みジャストミートなお二人だったりするのでした。子ども向けっぽいマンガ版では夫婦揃って登場しなかったぽいですし。

病院事件はなかなか大がかりな事件に発展します。何しろ医者の鑑とも言える全明煥先生がアカの疑いをかけられ、保釈されるまでと、李知淑先生が、実は廉相鎮(ヨム=サンジン)に負けず劣らぬ筋金入りの共産党員でありながら、その疑いを拷問にかけられつつも見事に払拭してのけるという女の戦いが並行して書かれる様は読み応えがありますし、そこに安昌民のお母さん、申(シン)氏(この呼び方は本名に由来すると思われますが地主クラスの女房にしか使われません)の息子を思いやる心情とかもからんで盛り上がるところなんですよ、ここ。
李知淑先生(小学校や夜学の教師だから)も好きなキャラの一人です。特に病院事件で廉相九の拷問(作中でも屈指のむごさと形容されることが多く、素花(ソファ)を流産させたり、とえぐい。言葉責めと身体責めと両方を駆使するためか)を受けてる最中に、自分の主義を気づかれまいと、ただ安昌民を愛した女としてふるまう李知淑先生の頭の回転の速さに惚れたね、わしは。もちろん、それもこれもアカと知られれば命はないのを承知しているからの策なんですけど、拷問の最中に考えつくって度胸が凄いなと思いました。
その後、李知淑先生は勤め先の学校をクビにされたので徐民永(ソ=ミニョン)の経営する夜学で働くようになりますが、輔導連盟(転向したアカたちで結成された官製の集まり)に加えられたものの、命の危険を感じて権炳柱(クォン=ビョンジェ)警察署長の魔の手から素花やドルモル宅(河大治(ハ=デジ)の女房)ともども山に逃れます。んで、いろいろあって、最終巻でようやく(それまで男女交際は禁止だったため)安昌民と結婚した李知淑先生は、すぐに偽装転向して里に下りますが、けっこう早くにばれちゃって死刑になるところを、安昌民のお母さんの申氏に助けられて無期懲役に減刑になり、廉相鎮が河大治に語ったように、安昌民のように刑務所内での戦いは続いているんだというところが、作中でも理論派に属する二人(どっちも教師だし)なので、容易に想像できて、また凛々しく思えて好きになるのでした。

あと、安昌民のお母さんの申氏は、作中でも唯一の心ある地主として描かれる金思鏞(キム=サヨン。金範佑(キム=ボム)、金範俊(キム=ボムジュン)兄弟のお父さんにして金一族の屈指の実力者)よりもさらに慈愛に溢れる人物なんですけど(地主の女房が軒並み欲の皮の突っ張った描かれ方をするのとは対照的に)、安昌民を心配するあまり、寝つきがちになって出番が5巻くらいでなくなり、10巻で再登場した時には死刑になりそうな息子を助けるために親戚一同を訪ねてまわり、誰からも助けが得られない(息子も廉相鎮の部下として名の知られたパルチザンであったため)ところに、かつて土地を分け与えた小作人の女房たちがその土地を売って金を作り、安昌民と李知淑を無期懲役に減刑できた、という流れは涙なしには読めません。その女房たちだって決して楽な生活をしているわけじゃないんですよ。夫はみんな山に逃げ込んでパルチザンになったというんですから。でも、なけなしの田んぼを売ろうと言ってくれる、遠くの親戚より近くの他人じゃないけど、彼女たちの情の深さがしみる、いいシーンでした。

名前が出たんでついでに書いちゃいますと、徐民永の役割はパルチザンがほとんど絶えた最終巻以降、大事だなと思いました。金思鏞も9巻で亡くなって、心ある金持ちは徐民永だけなんです。これは彼が実践的なキリスト教徒で、共同農場だの夜学だのを経営しているからなんですけど、全明煥医師ともども町に残った最後の良心とも言えるポジションなんですよ、この方。
ただ、作中でも金範佑や孫承昊(ソン=スンホ)に慕われ、先生と頼りにされてきた徐民永ですが、後継者が書かれないのと、それなりに高齢っぽいので、亡くなった後の夜学とか共同農場が心配になるんですけど、そこは大丈夫なんかなぁ… 特に夜学の方は、金がないとか様々な事情で学校に通わせられないパルチザンの子どもたちが行ってるようなんで無事に存続してくれたらいいんですけど。もっとも、徐民永、ただのいい人じゃなくて、やろうと思えば国会議員の崔益承(チェ=イクスン)を落選させるぐらいの影響力を筏橋(ボルギョ)のみならず、うっかりすると宝城(ポソン)郡全域(物語の主要舞台である筏橋はあくまでも邑)とかに及ぼせそうな人物なんで、自分が亡くなった後の備えも万全な気もしないでもありません。
きっと反共捕虜として帰郷した金範佑が、本音を打ち明けられる数少ない知り合いだと思うので長生きしてくれればいいなぁと思いますけど。

で、その徐民永の夜学で働くことになった、作中でも屈指のいい人、李根述(イ=グンスル)さん。農業学校出身でありながら家族を食わせるために警官になって、でも、解放後の全羅南道(チョルラナムド)で、ただ一人、隠れなかったという凄い経歴の持ち主です。何が凄いって、警官といったら解放前、要するに植民地下の朝鮮では日帝と手を組んで庶民を虐める悪い奴だったのです。だから日帝の敗北を知って、人民共和国建国委員会が各地にできて、親日派を罰しようとしている流れのなかで逃げたり身を潜めたりした様はこの小説のみならず、他の小説でも描かれてます。そんな警察官だったというのに逃げなかった! これだけでどれだけいい人なのかわかろうというものではありませんか。
しかも作中では穏健派と言われつつ、上に命じられるままに輔導連盟の参加者を皆殺しにしてしまった権署長に対して、この命令にも反対して誰も殺さなかったんですから、固い信念の人であることもわかります。描かれる人物像は、いたってのんびりしたいい人そうですけど、縦社会の警察機構にあって、上の命令に背くことがいかに大変か、想像するのは難しくないんですから。
もっとも、この件で李根述は警察をクビになってしまい、筏橋で爆弾屋(というお菓子屋)を始めますが、そこを訪れた徐民永にも「警察の仕事よりずっといい」と漏らしてます。実際、滝のような汗をかきながら、子どもたちのために爆弾あられを作る李根述はほんとにいい人なんです。
しかし、そんな人物がお菓子屋をやっているのはもったいないと見抜いた徐民永は、李根述を夜学の教師にスカウトし、一度は断ろうとした李根述でしたが、10巻ではちゃんと教師やってるんで、やっぱり思うところあったんでしょう。徐民永のやり方や方針にも共感したんでしょう。そんな李根述先生がアカの子と虐められ、警察で訊問まで受けさせられて、すっかりいじけてしまった河大治の長男、吉男(キルナム)を迎えに来るシーンは、朴訥とした台詞廻しながら、この人の良さが出まくってて、またしても涙で曇って本が読めなくなったほどでした。
吉男は、とてもいい子だったのです。父を誇りに思っていて、弟の鍾男のためにソリを作ってやったり、お昼ご飯の甘藷を半分に分けたり、担任にもらったお菓子を持って帰ろうとしたり、母親を心配したり、一緒に暮らすことになった素花を慕っていたり。時に「アカの子」と虐められる同級生の女の子を庇ってやったり、もう成長したら、河大治ばりにいい男になるんだろうなぁと思っていたのに、その吉男がいじけてしまった。いじけさせられてしまった、いじけるほど虐められた、その悲しさはこの大河小説を最初から最後まで読んだなら間違いなく共感できるはずなんです。
でも、そこにいい人の李根述が手を差し伸べてくれた。夜学に行けば、きっと似たような境遇の子もいる。徐民永も、もしかしたら金範佑も見守ってくれているかもしれない。そう思ったら、吉男の未来がまた明るく開けたようで、今はお母さんのドルモル宅はいないけど、5年の収監だから、あと数年で憧れのお姉さん、素花と一緒に帰ってこられるでしょう。きっとその時には明るい顔の吉男と、しっかりしてきた鍾男が見られるはず、そう思ったのでした。

4人の語りでまた長くなったんで、「太白山脈」読んだ興奮もまだ収まらぬ(しかも今度は年表作ろうと思ったりしてる)ので、また書こうと思います(爆

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太白山脈(再読)全10巻

趙廷來著。ホーム社刊。

前から作りたいと思っていた人名辞典を作るために1冊5時間かけて、延べ10日間かけて再読しましたが、初読以上に面白かったので主に人物に絞ってだらだら感想です。

好きなキャラクターは女性だと竹山宅(チュクサンテク。宅は結婚した女性の呼び名で、概ね出身地名で呼ばれることが多い。以下、宅とついていたら同様)、李知淑(イ=ジスク)、外西宅(ウェソテク)、男性だと元警官の李根述(イ=グンスル)、廉相鎮(ヨム=サンジン)かなぁと思っていましたが、登場時は端役に過ぎなかったのに、主人公格の金範佑(キム=ボム)のお兄ちゃん、金範俊(キム=ボムジュン)への献身っぷりがあっぱれな李海龍(イ=ヘリョン)もかなり好きです。というか、お兄ちゃんとセットで大好きです。

李海龍は初登場は第3巻。廉相鎮の部下で、宝城(ポソン)のキャップで、烏城(チョソン)のキャップである呉判ドル(オ=パンドル。「ドル」の字は石の下に乙)とともに廉相鎮の部下である河大治(ハ=デジ)とは同じ格ながら、廉相鎮と同じ筏橋(ボルギョ)の出身である河大治とはどうしても出番に差を空けられがちで、登場はするんだけど、呉判ドルと十把一絡げな扱いでした。ところが金範俊が帰郷して、また山に籠もらなければならなくなったパルチザンたちと同行するようになると李海龍がその同行者となり、がぜん、出番が増えます。金範俊は解放前から満州に行っていて朝鮮独立のために戦っていたばかりか、中国共産党の長征にも加わったという歴戦の勇者で、主人公の廉相鎮や金範佑が深く尊敬する人物でもあるのです。実際、出番は多くないながら、北からの兵士たちが北に帰れないことを知って不様な姿をさらすことも少なくないなか、もともと筏橋の出身ではあるものの、いつも毅然とした態度で口数は少なく、しかし話せば作中の誰よりも理路整然としているところは、まさに廉相鎮が憧れた兄貴分を体現していたのでした。
ところが、そんなお兄ちゃん、金範俊にも弱点がありました。というか、パルチザンには宿命とも言える凍傷持ち(しかも日帝と戦っていた頃からだというから筋金入りの古傷)だったのに、冬期の軍の掃討作戦で凍傷が悪化し、とうとう歩けなくなってしまったのです ( ´Д⊂ヽ
本当ならば歩けなくなった金範俊は足手まといなので、怪我人・病人用のアジトに送られるべきでした。というか、金範俊は何度も懇願し、脅し、説得しようとし、頼み込みましたが李海龍はこれをまったく聞き入れず、作中でも「大きい(キャラクターごとの対比図がないため、想像でしかありませんが、廉相鎮もしばしば大きいと語られるため、同じくらいか、れっきとした軍人なので180cmはあるものと想定してますが)」と言われる金範俊を背負って2ヶ月も戦い続けたというのです。2ヶ月!!! (゚Д゚;) それも平地じゃなくて智異山一帯という朝鮮半島でも屈指の地形の複雑さを誇る山岳地帯を、ただ機動力だけが敵より優れていたパルチザンの戦いぶりにあって、2ヶ月も金範俊を背負って戦い続けた李海龍。しかも戦いの合間には金範俊の手当てもしてです。もはや超人的な活躍ぶりでした。
そんな李海龍は、もともとは地主の息子でした。でも父親のやり方に反発してパルチザンになり、戦い続け、ついには金範俊と一緒に戦死してしまった李海龍。そんな彼の格好良さは、多くのパルチザンたちが死んでいく第10巻のなかでも群を抜いていました。ほんとにこういうキャラに弱いですね、わしも…

んで、パルチザンといったら廉相鎮、敵も味方も誰もが気にせずにいられない、皆の人気者(←違う)、廉相鎮は最初から最後までダントツの登場数で、彼こそがこの大河小説の主人公だとわしは思います。
主人公格という点では金範佑も十分、資格はあると思うのですが(メインキャラのなかで数少ない生き残り組ですし)9巻で失速、人民解放軍から米軍の捕虜になったところで出番ががくんと減ってしまったのは残念でしたが、その分、パルチザンに加わった兄に出番を譲ったと言えなくもありません。
それだけに最初から最後までほぼ全ての章にその名が上がる廉相鎮が主人公に相応しいのではないかと思いました。もっとも後半に向かっても巻ごとに増える登場人物がいっこうに減らなかったところを見ると、作者が本当に主役だと思っていたのは名のあるキャラではなくて、名もなき人びとであったようにも思えます。なので登場人物の索引を作ろうと思って記録し始めたら、1冊だけの登場人物の多いこと多いこと、1ページきりの人物も少なくなく、地主だったり小作人だったり、警察官だったりパルチザンだったり、そんなきら星のような人物はみんな、そこにいるだけの理由を持って登場し、生きて呼吸していて、この物語を彩っていきます。そこにまた名も上がらない人びとが加わるわけで。でも、そんな人びとのなかでもひときわ輝いているのは、徴兵を拒否して山にこもった筋金入りの共産主義者・廉相鎮であり、有名無名の人びとが彼を讃えるのもごく自然に思えるのでした。
それだけに、その廉相鎮が冒したたった1つの過ちといったら、弟・相九(サング)の扱いだと思うわけでして、極悪非道なヤクザ者と徹頭徹尾して描かれる相九ですが、元を正せば父と兄から受けた次男だという差別だったので、わしはどうにも相九が嫌いになれませんでした。むしろ、たまに見せる人間味が好きだったりしました。まぁ、酷いことも酷いこともしてるわけなんですけど… 特に素花(ソファ)と外西宅への扱いは酷すぎるんですが、それでも良心の傷むところを見せる辺りが廉相九の人間臭いところで。そんな相九の姿は、映画で描かれたまんまだと思いますが、こちら(参考ページは輝国山人さんの「太白山脈」レビューページ)の写真の右の人物が相九(左はアン=ソンギさん演ずる金範佑。ちょっと老けすぎ (´・ω・`))で、こんな感じの人物像が簡単に思い描けるのです。
もっとも、兄と不倶戴天の敵同士になることで相九は生きのびたわけでもあるので、兄弟のお母さん、虎山宅(ホサンテク)にしてみれば、兄弟が殺し合うのも辛いだろうけど、兄弟とも戦死というのも辛かろうと思うので、片っぽだけでも生きのびて良かったと言っていいのか悪いのか… (´・ω・`)
ただ、兄弟運は自業自得もあって泥沼な廉相鎮ですが、パルチザンとの人間関係には恵まれてまして、確か2巻ごろ、同じパルチザンで元教師の安昌民(アン=チャンミン)が、廉相鎮と河大治の交流を傍から眺めていて、「最も美しい人間関係の1つだ」と微笑ましく思っているのを読んでいたわしは、あなたもその一員ですよ、安先生… (´-`).。oO とか思って、さらに微笑ましくなって読みました。
それだけ作者のなかでは重要な人物だったのだろうと思いましたので、ラスト、廉相鎮の首をさらす筏橋警察と、それを取り返そうとする竹山宅、虎山宅、そして2人に加担する相九の姿は、見事なクライマックスでした。なので、廉相鎮の墓参りをして、さらなる戦いを誓う河大治と5人のパルチザン(名前が明かされませんが、絶対に1人は外西宅だと信じてる)たちで終わったのは、どこかで河大治たちの戦いの続きを読みたいものだと思わずにいられないほどです。

んで、ラストの廉相鎮の首を取り返すところから、わしのなかで急激にクローズアップされた竹山宅は、再読したら、いちばん好きなキャラになってました。
もうね、彼女の鋼のような強さに惹かれて、しかもその性格が災いして行き遅れそうになってた竹山宅に廉相鎮からプロポーズしたって小話まで思い浮かんだ!(←オタクのさが)
パルチザンの女房たちは数々登場します。だいたい外西宅だって、最後はパルチザンですけど、そもそも夫の姜東植(カン=ドンシク)が殺された(相手は廉相九なわけですが…)からパルチザンにこそなったわけで、その前は夫の身を案じる妻に過ぎなかったわけなんですよ。まぁ、たいがいの女房たちがそんな態度なわけで。ほかにもたくさん登場する女房たちとのやりとりがまた楽しいわけでして(特に前半)。そう思った時におばちゃんのいい映画に外れなしと思ってる黒澤映画が浮かびまして(「生きる」と「赤ひげ」)、ああ、この小説、好きなわけだわ…と自分の嗜好に納得したのでした。
ところがわりと賑やかしな女房たちのなかで竹山宅の存在は異色を放ってます。まず、彼女は筋金入りの共産主義者の女房であるにも関わらず、筋金入りの共産党嫌いです。
しかも何かあるたびに警察や戒厳軍にしょっ引かれ、殴られたり蹴られたりする女房たちのなかで竹山宅だけ抵抗します。それも義弟の相九が「珍島犬(確か。気の強い犬に例えたらしい)」とか称されるぐらい、噛みつきのひっかきのと激しい抵抗です。それも亭主の廉相鎮を口汚く罵るというおまけまでついてます。そうでなくても作中の舞台、全羅南道(チョルラナムド)訛りは、けっこう下町言葉っぽくて、粗っぽくて、猥雑なのです。それを女性の竹山宅が言うものですから、まぁ、彼女の登場するシーンだけ訊問(だけじゃない場合多し)してるのがどっちだかわからないくらいの勢いです。最初から最後まで。
ところが、こんな夫婦の子どもたちですが、素直に父親を慕い、母を支えようとけなげです。もう第5巻辺り(確か)で徳順(トクスン。姉)と光祚(クァンジョ。弟)が2人きりで堤防(日本人が築いた中島堤防)を歩いていて、2人しかいないと言うので母に禁じられているけど「父ちゃーん」と叫ぶシーンは涙なしには読めません。
そんな子どもたちを育てた竹山宅が、心から夫を憎んでいるとは思えないじゃないですか。それもこれもみんな、子どもたちと自分を守るためだと気づいたら、彼女はがぜん、魅力的に思えました。もうその強さがあの廉相鎮をして、と思いました。

と、李海龍と廉相鎮夫婦のことしかほとんど書いてないのにやたら増えたので、この項、続く(爆

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チビチリガマ・シムクガマ・さとうきび畑の歌碑

行き方:28、62、228番線に乗車(それぞれ出発地が違うので注意)、波平バス停で下車。
チビチリガマは来た方向に戻り、交差点も渡って丸大というスーパーマーケットを通り過ぎた次の交差点を右折、その次の十字路に「さとうきび畑の歌碑」という看板が立っているので直進、そのうちに「チビチリガマ参拝者優先駐車場」が見つかったら(歩道は進行方向の右手のみ)右折して、階段を下りたところにあります。内部の見学は不可。
歌碑はチビチリガマからさらに進んで看板の案内どおりに右折、左折すると見つかります。
シムクガマは下車したバス停で道路を渡り、住宅街のなかを歩いていくと(要地図)シムクガマの案内が見つかればしめたもの。草地を掻き分け、森の中にあります。

8月15日の敗戦記念日、1日だけの夏休みをもらったので、せっかくの敗戦記念日、うちでごろごろしてるのももったいないし、どっか行こうというわけで思いついたのがチビチリガマでした。調べてみたら泊高橋からバスに乗れ、およそ1時間くらいだそうです。先日の辺野古行きに比べたら半分以下の時間で行けるので、久しぶりに糸満方面も考えましたが、やっぱり時間かかるんで読谷村行きに決定。で、調べていたら、チビチリガマは何しろ集団自決をさせられたところですんで内部には入れませんが、すぐ近くのシムクガマでは、アメリカ帰りの二人のおじさんがいたおかげで1000人以上の避難民が助かったという話がクローズアップしてきたので、せっかくだから一緒に見学させてもらいに行くことにしました。で、現地で見かけた、さとうきび畑の歌碑も併せて見学です。

バスを降りて適当に歩きましたが、当然、チビチリガマは見つかりません。仕方ないので携帯のテザリングを起動し、あいぽんちゃんをネットに繋ぎますが、Googleマップがアプリ入れないと使えない不便な環境になっていたので、ダメ元であいぽんのデフォルトで入っているマップを起動したところ、ネットに繋がなくてもちゃんと現在地を把握してくれたので以降、これに頼ることに。意外と使えるでねぇの。
で、マップによるとチビチリガマは来た方向に戻らないといけないことが判明したので日射しが出たり隠れたりという微妙な陽気でしたが、とぼとぼ(気分的に)と丸大というスーパーまで戻りまして、さらにそこから歩いて10分くらいでしょうか(時計見てない)。「チビチリガマ参拝者優先駐車場」を見つけたので右折すると、そこがチビチリガマへの入り口でした。
もっとも事前の調査で内部の見学は遺族の意向により不可とのことでしたので、おとなしく平和の碑を撮影して帰ります。

右手がガマの入り口でたくさんの千羽鶴が。左手の高台が碑があるところです。


戻ってから、ついでにさとうきび畑の歌碑も見学させてもらおうと思いましたが、見つけた看板に「300m」の文字が…。けっこう暑いのでどうしようかと思いましたけど、まだそこまで疲れてなかったので行きました。そこから300mだったのか、さらに右折して、左折したのでもっと歩かされたような気もしましたが、たどり着きました。

歌碑。


そういや、歌は聴いたけど、全体撮り忘れました。暑くてそれどころじゃなくなってた… あと晴れてるとあいぽんちゃんの画面が見られないのでうまく撮れたか不明。
歌はけっこう長かったですが、多少、音割れしてますけど全曲聴けます。

ただ、聴いていて思ったんですけど、作詞作曲の寺島尚彦、1930年生まれの軍国少年だろうに、
むかし海の向こうから
いくさがやってきた
という部分はあかんだろうと思いました。
沖縄の人びとにしてみたら、「やってきた」としか言いようがないのかもしれませんが、作詞者は本土の人間じゃないですか。自分たちの起こした戦争で沖縄を巻き込んでおいて「やってきた」はないだろうと思うのです。まぁ、軍国少年に戦争責任があるのかと言われるかもしれませんけど、やっぱり免罪されちゃいかんと思います。

あと、歌が思っていたよりずっと長くて、フルで唄うと10分以上の大曲だそうで… たぶんフルバージョンかかってたので、道理で腰が痛くなったわけだ… (´・ω・`)

歌を聴いたら丸大まで戻り(お盆の最終日のため、どこの店もしまってるから)、水分補給と腹ごなしに買い物しましたが、イートインコーナーはなかったので外で立ち食いです。あんまり食欲なかったんでこんぺんとソルティライチ。
で、再びテザリングを立ち上げ、シムクガマの位置を検索、今度はバス停の方だというんで、とぼとぼ(比喩)登っていきます。
で、適当に裏に入り、住宅街のなかを歩き、たまにマップで見て方向を確認、すると前方に親子連れの姿があり、交差点を横切っていったので、わしもそこまでたどり着くと、シムクガマの案内があったので、虫避けにミント塗って(スプレーが出てくれなかったため)草むらに踏み込みます。この時、暑さのために短パンだったことを後悔するぐらい、草が生い茂ってましたが、幸い、切られるような葉ではありませんでした。ただ、蚊に刺されたので虫避けと虫刺されの薬は必須です。
草むらを越えたら森に入り、気温が下がります。だいたい、沖縄は日射しこそ殺人的ですが、日陰に入ると気温がぐっと下がるので何とか過ごせるのです。なんで最高気温はたいがい、本州より低いです。そういや、新潟の最低気温が30度とかニュースになってましたけど、何ですかあれ… (´・ω・`) 生きていけんわ。
完全な山道を下っていくと、やがてシムクガマに到着。いつものようにサンダルで行きましたけど、運動靴推奨な気がします。

入り口。


奥。


なにしろ住民の1/4が殺されたという沖縄戦で死者が出なかった稀有なガマです。見学は自由ですが、洞窟探検装備じゃないと無理っぽいです。
あと、そういう歴史の違いかもしれませんが、うっそうと生い茂った木の陰にあったチビチリガマに比べて、シムクガマは入り口に湧き水があり、開放的な雰囲気でした。

おまけ。

ドラゴンフルーツ。


見た目に反して味は地味。

ススキ。


立秋も過ぎたせいか、トンボがわんさか飛んでました。

月桃の花と実。


意外と独特の匂いはせず。マーガレットの臭さは何なんだ。

この後、残波岬まで足を伸ばしてみようかと思ってましたが、暑さでへばったので(翌日、仕事だし)また28番線に乗って帰りました(泊高橋行くのはこれだけ)。

またどこか行こうと思います。

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死者の歌

エリ=ヴィーゼル著。村上光彦訳。晶文社刊。

死と死者にまつわる13の短編を収めたエッセイ集。

やはり気になるのは視界から完全に外れた東アジアで日本軍がなした虐殺のことでしょうか。
アウシュヴィッツの次にヒロシマを持ってきて疑問に思うことも恥じることもないヴィーゼルの姿勢はやはり看過できません。

誰かが言ってくれるだろうと甘えていないで加害者である日本人こそが指摘し続けなければならないことではありますが、ノーベル平和賞なんて言われてもしょせんはこの程度なんだなと思わざるを得ません。もっともヴィーゼル自身がレイシストで、アジア人を蔑視していたというのなら話はまた別でしょうが。

また、ナチスが敗戦直前まで強制収容所でユダヤ人ほかを殺戮し続けていたのは、連合軍の指導者たちが事実を知っていながら、殺戮を止めようとしなかったのはよく言われることですが、ヴィーゼルも再三指摘します。さらに加えてナチスの勢力圏外にいたアメリカやパレスチナのユダヤ人たちも、知識人たちも何もしなかったと言います。何があったのかわかっていて、それを止めさせようとしなかったくせに、全てが露見したら、大げさに騒ぎ立て、同情してみせる、それらの人びとの偽善性を追求するヴィーゼル。
その答えが
あなたがたが知りたいのは、理解したいのは、きりがついたとしてページを繰るためではないのか。こう思うことができるためではないのか。−−−事件は完結し、すべてが秩序に復した、と。死者たちがあなたがたを救援しに来るなどとは、期待しないでいただきたい。彼らの沈黙は彼らのあとまで生きのびるであろう。
だったんだろうと思います。

あと、ドイツ人のやり方を「反ユダヤ政策を展開するにあたっても一歩また一歩と徐々に進んで、ある措置を講じるごとに、ある打撃を加えるごとに、反応を見るためにあとで息つぎをするのであった」と言ってますが、推しも押されぬドイツの同盟国であり、最後まで連合国と戦った日本軍の中国でのやり方はどうだったろうかなぁと気になるところです。
もっとも日本の場合は南京大虐殺にも匹敵する悪行731部隊をアメリカの意向でチャラにしてるので、わしが思ってる以上に世界というか、ほぼ欧米になりますけど、日本の罪業は知らないんだろうなぁと思いました。三光作戦とか、従軍慰安婦にしても強制徴用にしても。あるいは知っていても植民地のことだから、一緒に中国を食い荒らした仲だしという共犯意識を抱いているのか、どれかだろうと。

わりとよくやり玉に挙げますが、日本のホロコースト関係者が、まるで日本とドイツが同盟国じゃなかったかのようにドイツの悪辣さを上げるのに、その地続きのところに日本がいるという自覚がない件は、こちらの訳者の方には当てはまりませんでした。まぁ、それぐらい知っておけよ、カマトトぶんなよ、知らないことを恥と思えよと思ってるので当然ちゃ当然ですけど。
ただ、わしの好きなマンガ「南京路に花吹雪」シリーズの主人公・本郷義昭さんが山中峯太郎の「亜細亜の曙」シリーズからとったのは著者の森川久美さんが仰ってたことなんですけど、その小説が反ユダヤ主義に充ち満ちていたという記述は読もうと思ったこともありませんけどがっかりでした。たしか黄子満の名前もそれから取ってたはず… (´・ω・`)

全然、ヴィーゼルの感想になってませんが、ホロコースト物は今度こそ、もういいだろうということで。

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ハイ・ライフ

監督・脚本:クレール=ドゥニ
出演:モンテ(ロバート=パティンソン)、ディブス医師(ジュリエット=ビノシュ)、ボイジー(ミア=ゴス)、チャーニー(アンドレ=ベンジャミン)、船長(ラース=アイディンガー)、ウィロー(ジェシー=ロス)、ほか
見たところ:桜坂劇場
ドイツ・フランス・イギリス・ポーランド・アメリカ、2018年

月に囚われた男」みたいなサスペンスSF。「スター・ウォーズ」みたいなスペオペはあんまり見ませんが(子どもの時に見た「宇宙からのメッセージ」で満足しちゃったかららしい)ここに「2001年宇宙の旅」みたいなサスペンス要素がからむと興味を示すのは何でなんでしょうかね。

7とナンバリングされた宇宙船で、モンテは娘のウィローと2人きりで暮らしていた。だが、元をたどればモンテは犬を殺されたためにガールフレンドを殺した凶悪犯で、免罪と引き換えにこの宇宙船に乗せられ、ディブス医師の監視下、生殖に関する実験のモルモットだったのだ。だが、生き残ったのはモンテとウィローだけで、モンテは少年時代から今に至るまでのことを思い返しながら、今日も娘の世話をして、とうに太陽系も離れてしまった長い長い航海の途上にいるのだった。ディブス医師も含めて、宇宙船の乗組員たち9人は皆、犯罪者だった。刑務所の代わりに宇宙船に乗り、太陽系からいちばん近いブラックホールに行って実験を行うほか、産婦人科医だったディブスの意向で赤ん坊を作る実験が進められていたのである。だが、放射線の強い宇宙ではなかなか受精に至らず、妊娠にまでいたった黒人の娘は最初の死者となったのだった。それからも帰りのない旅にストレスを覚え、一人、また一人と死んだり殺されたりして、モンテの精子と己の卵子を受精させ、ついに赤ん坊を作り出すことに成功したディブス医師も自殺してしまっていた。己の性欲を抑え、修道士と陰口をたたかれながらも自慰にふけることもなかったモンテとウィローは、ウィローが年頃の娘に成長した頃、ついに目的地のブラックホールに近づく。娘に誘われるまま、小型宇宙船でブラックホールに近づくモンテとウィロー。それは、なおも生きていこうとする2人の意志の表れでもあった。

思っていたほどサスペンスな要素はありませんでした。まぁ、何でモンテとウィローが宇宙船に2人だけで、モンテが途中で冷凍保存されていた死体を宇宙に放り出したのかという辺りは謎めいていますが、ネタが明かされれば、なるほど〜な筋立てです。

しかし、この10年以上(成長したウィローが明らかなティーンエイジャー以上)のあいだで接近した宇宙船は9号のみと、まさに無限に広がる大宇宙に放り出されたモンテたち。しかも9号で生き残ってたのは犬ばかりで何の実験をしていたのやら、モンテたちの事情を鑑みるに、こちらも非人道的な実験であることに変わりはないようです。

あと、「月に囚われた男」の無味乾燥っぷりに比べると、宇宙船に自慰用の部屋(ボックスと呼ばれている)が置かれ、ディブス医師の自慰が描かれるなど、けっこう官能的なシーンがあるのは女性監督ならではの描写でしょうか。また薬でモンテたちを支配していたディブス医師が寝たままのモンテを逆レイプするシーンとか。けっこう見る人を選ぶ映画です。

地球に戻る可能性は皆無に等しく、それなのに生きる手段は最低限あった7号を捨てるようにして(果たして帰還の手段があるのか不明のため。たぶん実験の内容を鑑みるにないと思われますが)ブラックホールに向かう小型宇宙船に乗り込んだモンテとウィロー。それはわしら観客の目には絶望的な旅(その前のシーンでボイジーが自殺同然に同型の宇宙船でブラックホールに近づいて死んでいるため)にしか見えませんが、何が待ち受けているのかわからない、しかもこのまま7号にいても生きてるんだか死んでるんだか半端だし、なモンテとウィローの立場を考えると冒険っちゃとんでもない冒険なんでしょうけど、一か八かに賭けたという意味では2人はまだ諦めたわけでもないと思ったので「生きる意志の表れ」と書きました。

実際、ウィローという心の支えがあったとはいえ、自殺したボイジーや、死因がよくわからないチャーニーなどに対し、モンテは一貫して生きるという意志を持ち続けたのですから。

エンディングがいちばん退屈で寝落ちしかけたのはここだけの話です。
映画は普通におもしろかったです。光速の99%の速さで飛んでるはずの宇宙船の描写がやたらにスローモーな動きをする前時代的な描写も話のテンポに合っていたと思います。

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