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されど平穏な日々

日々のつぶやきと読んだ本と見た映像について気まぐれに語るブログ。Web拍手のメッセージへのレスもここ。「Gガンダム」と「ジャイアントロボ」への熱い語りはオタク度Maxにつき、取り扱い注意! 諸事情により、コメントは管理人が操作しないと反映されません。時々、サイトの更新情報など。

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迷子の警察音楽隊

監督:エラン=コリリン
出演:トゥフィーク団長(サッソン=ガーベイ)、ディナ(ロニ=エルカベッツ)、カーレド(サーレフ=バクリ)、シモン(カリファ=ナトゥール)、ほか
イスラエル、2007年

エジプトのアレキサンドリアからイスラエルのベイト・ティクバ文化センター開設に合わせて招待された8人の警察音楽隊の一行。しかし迎えの車もなく空港に放り出され、自力でベイト・ティクバの町に向かった彼らは、目的地がペタク・チクバ文化センターだと知らされるが、その日のバスはなく、知り合った商店主ディナに助けを求める…。

もっとコミカルな話かと思っていたら、意外としっとりした話でした。ディナの好意で3つに分かれて泊まることになった音楽隊のメンバーが、それぞれの家で過ごすという話が、ちょっとだらけたけど、おおむね、ほんわかするいい話でした。

音楽隊はオーケストラなんで、バイオリンとかチェロとかコントラバスが主体なんですが、1つだけ名前のわからない楽器があって、あれが何か気になる…

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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サーカスの世界

監督:ヘンリー=ハサウェイ
出演:マット=マスターズ(ジョン=ウェイン)、トニ(クラウディア=カルディナーレ)、リリー(リタ=ヘイワース)、スティーブ(ジョン=スミス)、キャップ(ロイド=ノーラン)、アルド(リチャード=コンテ)、エミール=シューマン(アンリ=ダンテス)、シューマンの妻(ワンダ=ロサ)、ほか
音楽:ディミトリ=ティオムキン
アメリカ、1964年

ジョン=ウェインの映画では珍しいサーカス物。しかも三角関係(ただし過去)までやっちゃったというかなり変わった話なので、ジョン=ウェインの映画ではけっこうマイナーな方ではないかと思います。
あと舞台の説明がまったくないので、映画の情報サイトで見て、初めて19世紀の話だとわかったけど、大して重要なことではありません。19世紀じゃなくても話、通じるし。まあ、世界大戦がまったく出てこずに西ヨーロッパ中を巡業しているので、いつの時代かなぁと思ったけど、時代性は大筋に絡んでこないので全然オッケーでした。

アメリカでサーカス団を持つマット=マスターズはヨーロッパ巡業を決心し、船でスペインに渡るが、着く早々、事故が起きてサーカスの興行に必要な道具を失ってしまい、サーカス団の解散という危機に陥る。マットの元に残ったのは親友のキャップ、養女トニ、それにマットの後継ぎになろうとしていたスティーブだけだ。しかしマットはサーカス団再建を諦めず、3流の興行師と組んで力を蓄え、仲間も見つけようとする。その裏には、14年前に失踪したトニの母リリーを探したいという思惑もあった。リリーは夫のアルフレッドが事故死したのをきっかけに、4歳のトニを置いて、いなくなってしまったのだ。パリからベルリンへ、マットたちの旅は続く。そこでマットはアルフレッドの弟アルドと再会、彼と組むバレリーナのジョバンナをともに雇う。さらに猛獣使いのシューマン夫婦と出会ったサーカスで、かつての仲間と再会したマットはリリーがハンブルクにいるという情報を得る。その後、ハンブルクに赴いたマットは、リリーの下宿を突き止めるが、彼女はそこにおらず、寒々とした部屋からリリーの現在の境遇を慮ってマットはやりきれない気持ちになるのだった。だがリリーはマットのウェスタン・サーカスの興行を見に来た。成長し、一人前の曲芸師になりつつあるトニを見に来ずにはいられなかったのだ。サーカス団に戻るように言うマットの頼みを一度は断ったリリーだったが、やがて戻って来たが、偽名を使ってであった。母とは気づかぬトニは優れた曲芸師であるリリーを慕うようになる。だが、いよいよサーカス団が興行を再開しようとするその日、トニはリリーが母親であり、父のアルフレッドが自殺したこと、その原因がリリーがマットと愛し合ってしまったことを知ってしまう。サーカス団を出ていこうとするトニだったが、その時、テントに不審火が起こる。マットの指揮のもと、団員たちは火事を消し止めようとし、リリーもテントを守ろうと自らの軽業を生かして危険な場所に赴く。その姿を見て、トニはリリーへのわだかまりが解消するのだった。テントの半分を守り切ったことで、興行は無事に行われた。リリーとトニの母娘による軽業は演目の最後に置かれ、皆は拍手喝采でその偉業を讃えるのだった。

ということで、えらく長く粗筋を書いてしまいましたが、ジョン=ウェイン物にしてはとても複雑な展開だったのです(失礼)。

まずマットのサーカス団に起きる事故が2度。
さらに養女のトニとスティーブの恋愛。
マットとリリー、そしてリリーの夫アルフレッドの死。
こうして見ると、それほど複雑な話ではないのですが、ジョン=ウェインの映画だとジョン=ウェインという大黒柱があって、そこを中心に話が進むので… ちょっと先が読めない展開だったという…

終わってみれば、みんな、収まるところに収まって、めでたしめでたしなのは、この時代のハリウッドのお約束。

山猫」「ウェスタン」「家族の灯り」「ブーベの恋人」など、イタリアを代表する女優であるクラウディア=カルディナーレさんが、「山猫」と同年の作でありながら、可愛らしいトニを好演、「山猫」では野性的なアンジェリカを演じ分けちゃうあたり、女は化けるぜv

そして、トニの恋人スティーブを演じたジョン=スミス氏は「ナバロンの要塞(主演:グレゴリー=ペック)」や「紅の翼(主演:ジョン=ウェイン)」にも出演されてるそうで、大人な男性で、それなりの野心家で、でもいい人を好演。

ジョン=ウェインは安定していたけど、不倫していても後ろ向きじゃなくて堂々としているあたりがいつものところでした。

作中、マットが興行するウェスタン・ショーにネイティブの扮装した人が出ていたのは時代だからしょうがないんですが、やっぱり見ていて辛かったです。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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さよなら子供たち

監督・脚本:ルイ=マル
出演:ジュリアン=カンタン(ガスパール=マネッス)、ジャン=ボネ(ラファエル=フェジト)、ジュリアンの母(フランシーヌ=ラセット)、ジュリアンの兄(スタニスラス=カレ・ド・マルベール)、ジャン神父(フィリップ・モリエ=ジュヌー)、ジョゼフ(フランソワ=ネグレ)、ほか
フランス、1987年

地下鉄のザジ」の監督ルイ=マルの自伝的な映画、だそうです。

1944年、ドイツ占領下のフランス。クリスマス休暇が終わってカトリックの寄宿学校に通ったジュリアンは謎めいた転校生ジャン=ボネと知り合う。自分より勉強のできるジャン=ボネを敬遠していたジュリアンだったが、教師の命令もあって徐々に親しくなる。だが、ある日、ジュリアンはジャンが偽名を使って、学校にかくまわれているユダヤ人だと知ってしまうが…。

クリスマス休暇が終わるところから話が始まって最後は「1月の終わり」と言っているので作中では長い時間は経っていません。ずっと冬なので画面は寒々しく、ジュリアンたちの着ている青い制服がまた寒さに拍車をかけています。学校のある街も色彩に乏しく、ほとんど灰色なのは、意識して、そういう色にしたそうです。

そんな中、少年たちの日々は時に残酷に、時に愉快に過ぎていきますが、なにしろ一ヶ月足らずの短い話なんで、作中での時間はそれほど経っていないわけです。

そして訪れる破局は、ジュリアンたちの通う学校の台所で下働きをさせられていた少年ジョゼフがもたらしたものでした。彼はジュリアンたち生徒から食糧と交換に煙草や切手を用立ててやっていました。ですが、それが徐々にエスカレートしていったのか、食糧を盗むようになったらしく、とうとう学校をクビになってしまいます。ジュリアンたちが親元から持って来たり、送られた食糧は、学校の規則で皆と共有しなければならない財産だったので、勝手に取引に使うことは許されなかったのです。
ジョゼフは校長のジャン神父に「学校を追い出されたら泊まるところもない」と泣いて訴えましたが無駄でした。しかし、彼は神父たちが学校にユダヤ人をかくまっていることを知っていたため、ゲシュタポに密告、ジャン=ボネを初めとする3人の生徒と校長は連行されてしまうのでした。

ラスト、監督はジャン神父がマウトハウゼン強制収容所、ジャンたち3人の生徒がアウシュビッツ絶滅収容所で殺されたことを語り、「この1月末のことは決して忘れないだろう」と結びます。

終盤、ユダヤ人だった生徒を医務室にかくまおうとした時、捜しに来たゲシュタポに合図を送ったシスターが隠そうとした先生に咎められて「義務ですから」と言ってのけたのがドイツへの協力者も多かったというフランスならではかなぁと思いました。

作中のエピソードが監督の経験に基づいているものが多いそうなので、共同浴場に行った時に先生がジャンを浴室に案内(ほかにシャワーだけの生徒もいる)したのはユダヤ人ならではの習慣のせいかと思ったり、クラスのみんなで一斉に寝る寝室なので、ユダヤ教の礼拝らしいのをジャンが堂々としていたりして、隠す気あるのかとか思ったりもしましたが。

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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大地

監督:シドニー=フランクリン
原作:パール=バック
出演:ワン=ルン(ポール=ムニ)、オー=ラン(ルイーゼ=ライナー)、ワン=ルンの叔父(ウォルター=コノリー)、歌手(ティリー=ロッシュ)、ワン=ルンの長男(ケイ=ルーク)、ワン=ルンの父(チャーリー=グレイプウィン)、ほか
アメリカ、1937年

原作は大昔に読んだはずなんだけれど、記憶の中に残ってもいませんが、何となくアメリカの女性作家が書いた中国の農民の話、というのだけは覚えていて、興味を覚えたんで借りてみました。

貧農の息子ワン=ルンが大地主ルウ家の女奴隷オー=ランを嫁にもらった。あまり美人でもなく、寡黙なオー=ランだったが、働き者のため、ワン=ルンの運勢は上向いていく。だがルウ家から土地を買い、3人の子どもに恵まれたのもつかの間、ワン=ルンたちのいる地方を飢饉が襲い、一家はやむなく仕事を求めて南に向かう。大都会に住みついたワン=ルンたちだったが仕事はなかなかなく、子どもたちやオー=ランは物乞いをし、盗みまでして暮らしていたが、革命に巻き込まれたことで火事場泥棒で宝石を手に入れ、北の土地に凱旋する。金を蓄え、ルウ家の屋敷まで手に入れるワン=ルン。だが自身は歌手の蓮華に溺れ、長男は大学にやったものの、畑を任せていた次男と仲違いし、オー=ランを疎んじるようになってしまう。だがその時、イナゴの大群が近づいていることを叔父が告げる。次男がうちを出ると聞かされ、大学から戻っていた長男のアイデアで畑を守るため、指揮をとるワン=ルン。その姿に人びとも手を貸し、イナゴがやってきても懸命に戦う。その甲斐あって、ようやく風向きが変わり、イナゴが去って行くと、ワン=ルンは次男や、袂を分かったはずの旧友とも和解して、屋敷を手放し、百姓に戻る決意をした。次男の結婚式でワン=ルンはオー=ランに謝罪するが、彼女は幸せのうちに息を引き取る。その存在は大地そのものだとワン=ルンは思って、妻を偲ぶのだった。

長いけど、粗筋、最後まで書いた。

途中、にわか成金となったワン=ルンが都会の遊びに手を出し、歌手に溺れていくところは駄目親父の典型で、見ていてイラッとしました。確かにオー=ランは奴隷出身ですが、彼女が幼い頃に飢饉に遭った両親がやむなく手放したという事情があり、しかもオー=ランのワン=ルンを支えるのも陰になり影になりと献身的なもので、彼女あっての成金ワン=ルンというのを見ているだけに、小説だと息子たちが父から離反し、ワン=ルンは精神が薄弱な末娘を可愛がるという流れになっていくようなんですが(ここら辺は粗筋覚えてないんで)、でもそれも自業自得じゃね?と思って見てました。息子2人にとっては母あってのワン家です。それを、あろうことか愛人抱えて、「これからお前は台所に住め」とか、父親に反発したくもなるだろうにと思うわけです。しかもオー=ランがあくまでも控えめで献身的で、夫にどんな暴言を吐かれてもじっと耐えているとなりますと、わしは基本的に女性に同情しちゃうんで、ワン=ルンさいてーとか思ってたりしたわけなんでした。

それだけにラスト、イナゴが来て、大学で農業について学ぶ長男の意見で畑を守るために指揮をとるワン=ルンというのは、そこまでのフラストレーションを一気に吹っ飛ばす迫力があり、1937年という時代に、こういう映画を撮っていたアメリカの底力は凄いんだと思いました。まぁ、「風と共に去りぬ」がこの2年後ですから、最初から勝てるはずのない戦争を日本は仕掛けたんだなと。この当時の中国では日中戦争が始まった頃ですから、中国でロケをしているはずがありません。でも、あんまり違和感のない映像、特にクライマックスのイナゴのシーンなんか凄いです。そういうのを撮った。エキストラもだいぶ中国人ぽい人を揃えている。そういう国力を見せつけられた感じです。

ただ、肝心の主役がどう見てもアメリカの兄ちゃんにしか見えなくて、しかも当然のことながら、全員、しゃべっているのは英語なもんで、そこだけが残念と言えば、残念な映画でした(爆

たんぽこ通信 映画五十音リスト

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戦争と人間4

五味川純平著。光文社文庫刊。全9巻。

2・26事件が中心の第4巻です。

伍代家の人びともそうですが、軍人である柘植や、伍代家の女中頭である滝の知り合いの軍人も2・26事件に直接関わることはないので、実在の人物の証言や回想が中心なのですが、例によっておもしろくありません。小説に事実を混ぜるのは別に歴史小説なので有りなんですけど、小説なんですからおもしろくないといけないと思うんですが、全然おもしろくないです。

基本的に、この作家さんは虚実入り交じりの小説は書けないのではないかと思います。わしは2・26事件の評論を読みたいわけではないので作者の考えを混ぜられてもあんまりおもしろくありません。ドキュメンタリーを読んだ方がよほど早いと思います。

確かに戦争に突き進んでいく当時の日本を描くには2・26事件は決して避けては通れない一大事ではあるのですが、もうちょっと工夫してもらいたいです。そこいくと「人間の條件」はおもしろかったです。梶か美千子の視点なんで、実際の事件はほとんど出てこなかったですからね。

これが2・26事件を主題にした小説ならば話は別ですが、「戦争と人間」の主役は伍代家とそこに関わる人なんで、そこら辺、ちょっと違うんじゃねーのと文句を言いたいです。

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